時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

開始のファミリーコンフィレンス

――その日、ロゼッタ協会エジプト支部のホールに続く廊下に、異様な緊張感が満ち満ちていた。
世界を駆け回り遺跡の謎を解き、妨害を打ち砕く吊うてのハンター達が、あるものは怯えを見せあるものは興味深げにしつつ、その廊下を伺いつつも決して足を踏み入れようとしていない。丁度通りかかったハンター達もその奇妙な光景を目の当たりにして皆足を止めて話しかけている。
「おい、いったい何の集まりだ?」
「ああ、今その廊下を覗かない方が良い。下手すりゃ死ぬぞ」
「? 何でまた」
「…『銀狐』と『銃女王(gun-queen)』が居るんだよ」
「何!? 何であの二人が一緒に居るんだ!?」
「俺が聞きたいよ」
「銃女王は抜いたのか?」
「いや、まだだ。今にも抜きそうだがな」
「やっかいな…流れ弾が飛んでくるぞ」
「ああ、俺知ってるぜあいつらが居る理由」
「何だよ?」
「あの二人が顔突っつき合わせる状況なんて、あいつの為以外に無いだろうが」
ああ…と溜息とも感嘆ともつかない声が辺りから漏れる。ギャラリーが増え続けるホールに対し、廊下には二人の人影しか無かった。
一人は、黒髪を乱雑に伸ばした女。年の頃は20代後半から30代前半。それなりにめりはりのある身体の線を持っているが、それをおよそ色気の無い黒の上下とアサルトベストに包んでいる。アジア系のきつい顔立ちだが、緊張を湛えたその瞳は僅かに青みがかっている。
一人は、銀髪を流麗に流した男。年の頃は女と同じかやや高く見える。この場にはどう見ても上似合いな浅黄色の着物を羽織り、しどけなく壁に寄りかかっている。薄紅色に赤い南天が散ったデザインの扇子を開き覆っている口元には、どこか嘲るようにすら見える笑みが浮かんでいる。
女の方は無表情だったが、せかせかと狭い廊下の中を歩き回ったり、また立ち止まりホールとは別に奥に続く扉をじっと見つめたりと落ち着きが無い。男は逆に壁に陣取り動かないまま、そんな女の様子を可笑しそうに観戦している。その視線に気付いたのか、女は射抜くような視線でぎろりと男をねめつけた。
『…別看這邊、狐狸(こちらを見るな、狐)』
殺気すら篭った視線は、並の人間なら肝を潰してしまうほど恐ろしいものだった。しかし男は微風ほどにも感じていないらしく、ころころと鈴を鳴らすような笑い声をあげてこうのたまった。
「おんしが緊張して如何とする。そんな処は、おんしも母親よの。やれ、可愛や」
『――――ッ!!!』
ガキィン!!と撃鉄を上げる音と同時に、女が一瞬で構えた銃口が男の眉間に狙いをつけた。問答無用とばかりに、女は指を躊躇い無く引金にかけるが、男の方は全く余裕を崩さずまたしてもころころと笑う。
「そう毛を逆立てるな、褒めてやったえ?」
『―――殺』
ギチ、と女の指に力が篭り、扉の向こうのギャラリーが危険を感じて退避を始めたその時。
「ただいま、お父さん! 我回來了、媽媽!」
ばたーん!とホールと反対側のドアが開き、元気な声が廊下に飛び込んできた。張り詰めていた緊張感は一瞬で霧散し、女は不機嫌さを隠さないが銃を下ろし仕舞い、男は軽く目を細めて笑い、ひらひらと片手を部屋に飛び込んできた青年に振って見せた。
「終わったかえ、鵺?」
「うん! ばっちり受かりましたー! これで今日から、俺はロゼッタ協会の<宝探し屋>でっす!!」
青年と言ったが、無邪気としか形容できない笑顔や拳を振り上げてみせる仕草は少年じみて見える。嬉しさを隠し切れないようにその場で跳ねてみせると、髪を一房ずつ噛んでいる3本の瑠璃の管玉が揺れてぶつかり合い、ちゃりりと音を立てた。
女は先程の殺気を微塵も見せず、青年が抱えていた書類を抜き取りざっと目を通し、彼女の祖国の言葉を紡ぐ。
『…決まったか』
『うん』
『何かが変わるわけでもない。探すも、奪うも、与えるも、壊すも、お前の自由だ。だが、躊躇うな。悩むのは勝手だが、迷うな。決められない者は簡単に死ぬ。―――死ぬな』
『…うん。謝謝、媽媽』
それは、自分の子供を抱くことも頭を撫でることも知らない母が、それでも精一杯の思いを込めて紡いだ息子への言葉だった。それが解っているから、青年も本当に嬉しそうに笑って、頷いた。
女は無表情のまま、書類を読み進めていったが、上意に眉間に皺を寄せた。理由に心当たりがあるのか、青年があ、と小さく声を上げ、男の方が軽く片眉を上げる。
『…性未分化、生殖不能?』
『あー、うん。俺も調べて貰って初めて知ったんだけど…俺、男じゃないみたいなんだよね。女でもないんだけど』
頭をかきながら衝撃の真実を語る「息子」に、母親は絶句し完全に固まってしまった。と同時に、いつになく大声で、父親の笑い声が廊下に響いた。
「くっくっくっくっくっく…! これはまた、面白いこと! 今の今まで気付かなんだえ?」
「おおお、お父さんだって俺のこと息子って言ってただろ! 気付いてなかったじゃんかぁ!」
「ごねるで無いわ、立って粗相が出来るのならば男(おのこ)として育てるわえ。十を超えた頃にはもう離れ、改めることもあるまいに。おんし自身が気付かぬというところが愚かでなぁ」
「うぐ」
父のもっともな台詞に息子は黙るしかない。元々、この父に言葉で勝てた試しなどないのだが。
この三人、親子と呼ぶには随分と奇妙な縁で結ばれている。何せ父と母が契りを結んだのは一度きり、その一度きりで息子が生まれてしまった。手に持つ物は銃器と火薬しかなかった女と、この世全てのものを自分の玩具としか捉えていない男にろくな子育てなど出来るわけが無く。手がかからないようになるまで、必ずどちらかは傍にいたものの、抱き寄せ慈しむことすらしなかったし、出来なかった。世界各地を飛び回る商売のおかげで、沢山の人間と触れあい、同僚達から見れば「あの二人の子供とは信じられない程真っ直ぐに育った」と言われるまでにはなったのだが、同時にそれはやはり親子の触れ合いなど皆無であったということで。
「良いではないかえ、楽しみが増えたというものよ。女を抱くも良いが、男に抱かれるもそう悪くはないわえ?」
「いやー! 生々しい生々しい! 勘弁してー!!」
『…鵺』
からかい以外の目的など含ませず心底面白そうな父の言葉に悶える息子の「本名」を、母が不意に呼んだ。?と首を傾げて青年が振り返ると、母の真剣な瞳がじっと見つめていて居住まいを正す。
『………お前は、お前だ。何も変わらない』
言われた言葉は、酷くシンプルで。そして同時に、普段通りと見せかけてやはり動揺していた我が子を落ち着かせようと、精一杯考えられた言葉であった。
「………っ」
母の言葉に、青年の心に僅かに蟠っていた上安が消え去った。それはじわじわと喜びに転化し、それを抑える術など知らない息子は、
『…媽媽―――!!!』
『こら!!』
衝動の赴くままに、母親に抱きついて頬に思い切り口付けた。自分より背の高い息子にしがみつかれ母は叱るが、勢いは止まらない。
『媽媽、媽媽、謝謝!! 愛してるー!!』
『…全く』
彼の最大限の愛情表現を受け止め、母は呆れたように溜息を吐く。
「おやおや、私には無いのかえ?」
「勿論、お父さんも愛してるー!!」
「おお、良し良し」
父の声に当然のように息子は立ち戻り、同じように甘える。その頭を撫でられる仕草が、息子が父にというよりも犬が飼い主に褒められているように見えるのはご愛嬌にしておくべきである。
『鵺。もう行くんだろう』
『あー、そうだった! これから初仕事ー!』
「もうかえ? つれないの。何処へ行くのかえ」
「エジプト! 超有名な<ヘラクレイオン>に行ってきます!」
『相手にとって不足なしか』
「ほう、懐かしいものよの」
この生業についた者ならば知らぬものはいないと言える、前人未到の遺跡の名。浮かぶ感想はそれぞれ違ったが、誰も気負いや不安を見せなかった。
「それじゃ、行ってきますお父さん。我走了的媽媽』
『明白了』
「好きにしいや」
別れは実にあっさりとしたもので。慣れてしまっているからか、それとも別れも再会も当たり前であるからなのか。笑顔でびし、と親指を立てて見せると、青年は駆け足でロビーへ向かう扉に走っていった。
『……………感到吃驚』
その背中を見送って、女は驚きを呟きで吐き出した。独り言のつもりだったようだが、男には拾われてしまった。
「おや。本当に気付いておらなんだえ、姑娘?」
『―――――…』
言われた言葉を、ゆっくりと反駁する。やがて、ゆっくりと女は男と目線を合わせる。男はやはり、いつも通り笑みを扇子で隠している。
『…知っていたのか、狐ッ!!』
「当たり前であろ。あのような気が不安定な器、気付かぬ方が可笑しいわえ。第一――男と女は匂いが違う。しかし流石にああいうモノは味わったことが無い。もう少し育てば――――」
ドガッガッガッガ!!
そこまで喋ってから、男はすとんと膝を曲げる。一瞬前まで頭のあった所を、鉛弾が通り過ぎていって壁を穿った。それを放った相手は当然、怒りに眦を吊り上げている女である。
『それが目的か!!』
「こういうことが有るから、生きることは止められぬわいなあ」
ころころころ、と笑う男に対し、女は無言で壁に立てかけておいた得物を取る。古びた袋を取り払うと、巨大な重火器・タクティカルLが顔を出した。軽々とそれを掲げ、ひたりと狙いを定め、同時にありったけの爆薬をベルトから抜き取り構える。男はきゅうと目を細め、ぱちりと扇子を閉じると緩く構えるだけで答えた。
『――――死ね!!!』







背中で、ドゴオ――――ンン!!!と物凄い音がして、建物全体が震えた。
「おっぱじめたぞ!」
「どっちだ!?」
「俺は銃女王にする!」
「いや銀狐だ!」
「俺も俺も!!」
にわかに騒がしくなった人ごみに苦笑して、青年は荷物を抱えなおした。
「お前も災難だな、UN*Beast」
声をかけてくる顔見知りのハンターには、軽く首を振ることで答える。
「あれがお父さんと媽媽の『愛情表現』なんだってば。皆期待してるのかもしれないけど、お父さんも媽媽も死なないよ」
「お前、本当に出来た子供だなあ」
もう年配のハンターは何度も頷きながらそう言い、ぐしゃぐしゃと乱暴に青年の頭を撫でていった。青年は髪を直しながら、改めて歩き出す。
「…本当なのになぁ」
青年は知っている。
母が、敵がいなければ生きていけない人間だということ。
父が、それを知っているから、生涯をかけて彼女の敵となろうとしたこと。
それ故に、母が死ぬまで自分は死なぬと自分に誓いを立ててくれたこと。
「…んーまぁ、確かに媽媽にとっては迷惑なんだろうけど」
いびつな愛だと理解しているけれど、自分達の中ではこれが正しいのだとも思うから。
「俺もいつか、そんなヒトに会えるのかなぁ?」
まだ自分には、誰かにそうやって執着するということが判らない。好きな人も大切な人も沢山いるけれど、頼まれれば大喜びで叶えるけれど、お礼を言われれば本当に嬉しいけれど。
自分からこうしたい、と思える相手には出会ったことは無い。
「…うん。大変そうだけど、幸せだよな、きっと」
彼らしい結論をつけて、青年は再び歩き出した。
いつか、そんな相手に出会える事を期待しながら。