時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

ハッピースクラムフォーメーション

服は一番のお気に入り、隙の無い程アイロンかけて。
鏡を覗くは2度3度、僅かな寝癖も許さない。
最後にしっかり、両手の指先を口の端に当てて。
笑顔の体操をし終わったら、さあ、出かけようか。





「沙都子、準備出来たのですか?」
洗面所から中々出てこない沙都子を心配したのか、梨花がひょこりと入り口から頭を出して覗いている。沙都子は慌てて、口の端に当てていた手でごしごしと頬を擦って誤魔化した。
「も、勿論ですわ! この私に手抜かりなどございませんでしてよー!」
をーっほっほっほっほ!と動揺を隠しつつ高笑いをする沙都子に梨花はにぱ〜☆と笑い、とてとてと近づいていって自分とそう高さの変わらない金色の頭をよしよしと撫でた。
「…大丈夫なのですよ。沙都子は、ちゃんと笑えてるです」
「……、本当に?」
きゅ、と沙都子の細い眉の間に皺が寄り、梨花はもう一度沙都子の頭をよしよしと撫でる。
「ボクが保障するです。沙都子は今、この世で一番かわいい顔をしてるですよ」
恐る恐る沙都子が上げた目線の先には、本当に優しそうで、嬉しそうな梨花の顔があり、沙都子も顔を赤らめながらも微笑むことが出来た。
「…さ! いつまでも油を売ってるわけには参りませんわー! 早く行きますわよ、梨花!」
一瞬の不安を全て払拭し、拳を振り上げて宣言する沙都子に、梨花はやはり笑顔で頷くだけで答えた。





二人がかりでありったけ詰めた弁当箱と、冷たい麦茶で満たした水筒を抱え、神社の階段を駆け下りる。荷物は少々重たいが、自転車の籠に入れて運べば楽なものだ。
と、自転車置き場までたどり着いた二人の横に、キキキキキキィイイ…!と物凄いブレーキ音と共に一台の自転車が滑り込んできた。思わず二人とも身をかわしてしまう。
「な、なんですのー! どなたか存じませんが、こんな狭い道でスピード違反でしてよー!」
「…事故ったら大石に引き渡されて罰金なのですよ、圭一」
車輪に蹴立てられて上がった土埃を払い、沙都子が怒鳴る。梨花は勿論彼女より冷静に事態を見通していて、自転車に乗っている人間に脅しともからかいともつかない声をかけた。沙都子もそれを聞いて、初めて自転車で突撃してきた人物が、圭一であることに気付いた。
「ま…間に合った、か…」
ぜぇ、はぁ、と息を整えながら、圭一はぐたりとハンドルに突っ伏する。体力の限界を考えずにペダルをこぎまくった為、言語機能が回復するのに時間がかかるらしい。
「圭一さんでしたの!? どうしましたの、待ち合わせはバス停ですわよ!?」
雛見沢の入り口である本日の待ち合わせ場所へ圭一の家から行く場合、わざわざ神社による必要は無く却って遠回りだ。全員そんなことは解り切っているし、待ち合わせの時はいつも圭一・レナ・魅音が集まってから、沙都子・梨花のペアと合流するのが定石だった。そんな自分達の「常識」を鑑みてのもっともな沙都子の疑問に、圭一は漸く顔を上げる。
「おう、沙都子、梨花ちゃんおはよ。荷物こっちに寄越せ」
「は???」
「おはようございますです、圭一。大事に運ぶのですよ」
何を言われたのか解らずぽかんとしている沙都子に対し、梨花は当たり前のように挨拶をしてから自分の抱えていた大き目の水筒を圭一に手渡した。おう、と圭一も軽く頷き、受け取った水筒を自分の自転車の籠に放り込む。
「ほれ、沙都子もそっち渡せ」
ひらひらと自分に向けられる掌に、漸く沙都子は自分を取り戻した。
「な、なんですのー! いきなり現れたかと思ったら不躾な! 自分の荷物ぐらい自分で運べましてよ! 手助けなど無用ですわー!!」
荷物を運ばれるのを子供扱いと取ったのか、声を荒げて沙都子が怒鳴る。その剣幕に仰け反りながらも、圭一はあーとかうーとか口の中で何やらもごもごと呟いている。二人の顔をくるりと見比べて、梨花はにぱ〜☆と笑い、沙都子が抱えていた大荷物をぱしりともぎ取り、圭一に差し上げた。
「お願いするですよ、圭一」
「おう、任しとけ。悪いけど、梨花ちゃんは自分でな」
「仕方ないのです。この借りはきちんと取り立てに行くですよ」
「…梨花ちゃん、最近取引の仕方が魅音に似て来てないか…」
「みぃ? …にぱ〜☆」
胡乱な圭一の視線を、軽く傾げる小首と無邪気としか見えない笑顔でかわし、梨花は自分の自転車を引っ張り出してきて跨った。
「無視しないで下さいませー!? 圭一さん、私のお弁当をどうなさるおつもりですのー!?」
「ん? そりゃあこーして、」
梨花から受け取った弁当の包みを、圭一は自分の自転車の籠に入れた。その事を咎めようと沙都子が唇を再び開いた時、
「沙都子はこう」
ひょいっ。
と抱き上げられて、圭一の後部座席にすとんと座らされた。
「は? …え? ええ!?」
「そんじゃ行くかー。ちゃんと掴まっとけよ?」
「出発進行なのです」
「な、な、な、何をなさいますの―――!!? ふわっ」
動揺からどうにか抜け出し叫んだ瞬間圭一がペダルを思い切り踏み込み、後ろに倒れかけた沙都子は咄嗟に目の前の背中にしがみつく。がたがたの道を、二台の自転車が風を切って走り出した。




「お、お、降ろしてくださいましー!! 誘拐ですわあああ!!」
「人聞きの悪いこと叫ぶなー!!」
村の外へ向かう坂道を、スピードを上げて自転車が走る。いくら普段人通りの少ない村の道といっても、大声でそう叫ばれるのはあまり良い気分がせず、負けじと圭一も叫び返す。ちなみに、やはり漕ぎ手が男子高校生でも二人乗りというのは馬力を使うので、やや梨花の自転車の方が先行している。
「私だって自転車の一つや二つ、遅れは取りませんわー! どうしてわざわざ圭一さんに運ばれなければなりませんのー!?」
「別に良いだろ、帰りもちゃんと神社まで送ってやるから!!」
「そういう問題ではありませんわああ!! ちゃんとした理由を説明なさいましー!!」
圭一の腰に両腕を回したまま沙都子が叫ぶと、ギキキキキィイッ!!とまた自転車は急ブレーキをかけて止まった。
「むぎゅっ!?」
勢いに乗れず、沙都子の顔がべちっと圭一の背中で潰れる。何をなさいますのー!と叫ぼうとした瞬間、ぼそりと聞こえた圭一の声に止められた。
「…着いたら、あいつのモンになっちまうんだから。せめてここにいる間は、お前のにーにーでいさせろよ」
「ぇ…」
ぽかんと口を開けて、後ろから圭一の顔を見上げる。圭一は振り向かないが…僅かに見える髪の隙間の耳は、真っ赤に染まっていた。
「圭一ー、レナも魅ぃも待ちくたびれてるですよ?」
「あー、今行くー!!」
かなり先行してしまったらしい梨花の声が遠くから聞こえ、圭一も声を張り上げて答えるともう一度ペダルを漕ぎ始めた。
先程より僅かに温かくなったと感じる体温に、沙都子はおずおずと、だがしっかりと身を任せた。
さっきの圭一の言葉が、耳の奥に残って心を擽ってくれている。
――――ああ、私は何て恵まれているんだろう。沙都子は、心底そう感じた。
自分が我侭だったせいで、にーにーはいなくなってしまった。大好きなにーにーをいっぱい苦しめてしまった自分への罰なのだと解ったから、これからは我慢しなくてはと思っていた。
それなのに今、自分を案じてくれる友人が沢山いて、頭を撫でてくれる親友にして家族がいて、もう一人のにーにーがいて、そして―――――――…







カキン、とノック練習の音が空に高く響く。
縦列になった四台の自転車は、時間に間に合い無事に興宮グラウンドの駐輪場に滑り込んだ。
「まったく! 圭ちゃんてば薄情だねぇ、おじさん達を置いてくなんてぇ」
「でもでも、圭一くんのお母さんに伝言されたから、ちゃんと待ち合わせして会えたし、良いんじゃないかな…かな?」
ぶーと唇を尖らせながら嘯く魅音を、レナがおずおずとフォローする。
「悪かったって! 今日は勘弁してくれよ〜」
「あらあら、皆さんお揃いで。もうすぐ試合ですよー」
「げっ…詩音っ!」
目の前で手を合わせて詫びる圭一を更に突こうとした魅音の余裕が、後ろから聞こえた声で一気に崩れ去る。指を突きつけられた詩音は、軽く肩を竦めるだけで答える。
「ご挨拶ですねぇお姉。雛見沢ファイターズのマネージャーであるこの私が、試合に顔を出すことに何か問題でも?」
「てぇい、幽霊部員のクセに…第一学校が違うでしょー!」
いつも通りの双子のやり取りが始まったところで、丁度ノック練習が終わったらしい一人の少年が、その騒ぎに気付いた。メットの下からその様子を眺め柔らかく笑うと、監督に軽く頭を下げてそちらへ向かって駆け出す。彼にしては珍しい大きな声で、自分の最も大切な人の名前を呼びながら。

「沙都子!!」

「っ…」
声が聞こえて、沙都子はびくん!と身体を震わせる。我知らず一歩下がってしまう足の先に、梨花がいた。そっと背中を叩いて促される優しさに、沙都子はきゅっと息を呑んで―――もう我慢が出来ず、駆け出した。

「にーにー!!!」

泣き声のような、笑い声のような、どちらともつかない声で沙都子は叫び、全速力で、両腕を広げてくれた兄の胸の中に飛び込んだ。
「にーにー! にーにー!! 会いたかったですわあああ!!」
「沙都子…元気そうで、良かった。ごめんね、淋しい思いをさせて…」
ぎゅっと自分の背中を抱きしめてくれる腕を感じ、沙都子の胸がいっぱいになる。しかし申し訳無さそうに紡がれる兄の言葉にはっと我に返り、慌てて涙の浮かんでいた目尻を拭い、とびっきりの笑顔を見せた。
「だ、大丈夫ですわ! だって私には、梨花や圭一さんやレナさんや魅音さん、詩音さんも…にーにーもいるんですもの。ちょっと離れているぐらいで、淋しくなんかありませんわ。にーにーのお気持ちは大変嬉しいですわ、ですから…ご心配なさらないでくださいまし!」
自分の腕の中で笑顔を見せてくれる妹に、悟史は驚き…困ったように笑い、そして本当に嬉しそうに沙都子の頭を撫でた。
「偉いよ、沙都子。本当に、強くなったね」
「…あ、当たり前ですわ!!」
またじわりと浮かんできた涙を無理矢理擦り、沙都子はもう一度笑った。と、その頭にぽんと大きな手が乗せられ、悟史よりは乱暴にぐしゃぐしゃとかき混ぜられる。
「そうだなー、悟史がいない間は俺が代わりににーにーだもんな!」
「なっ、そんな恥ずかしいこと言わないでくださいましー!!」
「むぅ…そうなの? いくら圭一でも、沙都子は渡さないからね」
「に、にーにーまでっ!! 何をおっしゃってますのー!?」
にやにや笑いながら沙都子の頭を撫でる圭一をどう思ったのか、不満そうに唸りながら妹を抱き寄せる悟史。のんびりながらも不穏な空気を感じ取ったのか、おろおろと沙都子が二人を見比べる。
「…圭一も、悟史も。沙都子を困らせるのならボクが相手ですよ」
と、いつの間にか近づいていたのか、梨花が素早く沙都子の両手を握り締める。
「もう! 沙都子ばっかりずるいですよ! 悟史くんには私がいるんですからー!」
こちらは露骨に不満を露にした詩音が、素早く悟史の片腕に腕を絡ませる。「ぇ、わ、…むぅ」と、柔らかい感触にどぎまぎしつつ悟史は動けなくなってしまう。
「はう〜〜〜☆ 沙都子ちゃんも梨花ちゃんも、かぁいいよぅ…魅ぃちゃんも圭一くんにぎゅうってすればいいんじゃないかなっ、かなっ?」
「ええ、え、ちょっと、レナぁ!?」
「おわ、何だよ魅音!!?」
かぁいいモードに入ってしまったレナにぐいぐい押され、傍観していた魅音は圭一の腕の中に倒れこんだ。圭一もその身体をどうにか支えるが、わたわたと戸惑いそれ以上動けなくなってしまう。
「はう〜〜〜〜!! これでみんな仲良しかな、かな!? だったらレナが全員まとめて、お〜〜〜持ち帰りぃ〜〜〜〜〜!!!」
「「「「「「ぎゃあああああ! 来たああ――――!!!!!!」」」」」」
「かぁいいよぉ〜〜〜!!! 全〜部レナのものなんだからぁ〜〜〜!! はう〜〜〜〜〜!!!」
結局その後はレナに皆で追い掛け回され収集がつかず、監督に「そろそろ試合がはじまりますよー!」と叫ばれて漸く全員我に返れた。
改めて、ユニフォームに着替えた悟史がバットを持って前に出る。
「そ、それじゃあ行って来るね…」
「おっしゃー! かっとばせー、さ・と・し!!」
「悟史くん、勝ったらみんなでお弁当食べようねっ?」
「助っ人欲しいならいつでも言ってねー! ピンチヒッターは大勢いるからさ!」
「何言ってるんですかお姉! 悟史くんが出れば、そんなの必要ありませんよ♪」
「沙都子、沙都子も応援するですよ」
「ぇ、えぇっと…」
いまいち腰が引けている悟史に、全員思い思いの発破をかける。梨花に促され、沙都子は戸惑いつつも、しっかり兄の背中を見詰めて、声をあげた。
「にーにー! 私、精一杯応援しますわ!! だから、…頑張ってください…!」
そのいつも自分を守ってくれた温かい背中が、笑顔で振り向いてくれることを期待して。
「うん…、ありがとう…沙都子!」
そして、思いは報われた。