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ピューピル

色の濃い高い空に、鳶が鳴いて空を回っている。
風の心地良い縁側に悠々と寝そべりそれを眺めていた慶次は、その長閑さに思わず大欠伸をした。その瞬間、ひゅっと僅かに空気が裂ける音が聞こえた。同時に、空いていた方の手を頭上に向かって差し伸べる。
ぱしっ。
「ちっ」
いとも簡単に、慶次の手の内には今まさに狼藉を働こうとした黒塗りの木刀が握られていた。露骨に聞こえた舌打ちに苦笑して、やれやれと慶次は身体を起こして直ぐに手を離した。
「相変わらず物騒だな、小童」
「童と言うな、バカめ!」
先刻慶次の無防備な後頭部に向かって凶器を振り被った少年は、悪びれる様子も無く寧ろ憤って見せた。童と呼ばれるのは我慢ならないらしい―――確かに彼の立場からすれば、腹立たしい呼び名であろうけれども。
まだあどけなさすら残るその顔には、太刀の鍔を使って作られた無骨な眼帯。この奥州米沢藩主、独眼竜と渾名される伊達政宗の証であった。
「何を腑抜けている、戦さ人。我が藩の客将の分際で暢気に昼寝などしておるから、このわし自ら喝を入れてやったのだ」
「ははは、そりゃ最もだ」
背丈は恐らく立ち上がった慶次の腰ほどまでしかないだろう。しかし両の手に木刀を携えたまま、思い切り胸を反らして威張るその少年に対し、慶次は大人しく縁側に胡座をかいて座り直した。今現在自分の主は、間違いなく目の前の、この年端も行かぬ少年なのだ。
「しかし、ここ最近はろくな戦も起こらんからなぁ。俺のような奴は、戦が無ければこうしてただ飯食いをするしか能が無い」
がしがしと金色に靡く頭を掻いて、言い訳する。事実、戦国の魔王・織田が死に、天下人・豊臣が立ち、この国はひと時の安らぎを手に入れていた。天下を治めんと迅雷の如き戦への切込みを見せた伊達軍も、小田原を落とすに留まり米沢に凱旋した。遠征を重ねた伊達軍は、これ以上戦を続ける事が出来なかった。
その際、総大将伊達政宗と、戦さ人前田慶次は邂逅した。それまでも幾度か、戦場で太刀を合わせたことがあったが、常に痛み分けで終わっていた。小田原城で始めて慶次を地に伏せさせた政宗は、満足げに笑ってこう言い放った。「わしの勝ちだ。我が軍に下れ」―――と。
「バカめ。また戦は起こる」
きっぱりと言い切った、まだ声変わりもしていない男の声に、慶次は顔を上げる。縁側に立ち、政宗は只一つ残った左眼で空を睨んでいた。鳶は何時の間にか飛び去っていて、高い太陽だけが地を睥睨していた。
「あの猿に天下なぞ割りに合わん。三河の狸も未だ健在。慶次、まだ戦国は続くぞ。天を抱くものが一人にならぬ限り、戦は終わらぬ」
天を睨んだままそう呟く瞳は、年相応に有り得ない程大人びて凛々しく―――同時に、痛々しく見えた。主を定めぬ漂泊の傾奇者が、ここに一時腰を落ち着けた理由がそれだった。勿論、この破天荒な竜についていけば、まだまだ戦を楽しめると思った事も確かだが、それ以上に。
元服を済ませたばかりの少年。戦場ではどうしても不利になる隻眼。そんな彼に、更に家や武士としてのしがらみが覆い被さる。それを全て抱えたまま、この少年は独りで立っている。慶次の片手で握り潰せそうな肩のどこに、そんな力が詰っているのか。
らしくないと、思った。しかしそれ以上に、放っておけなかった。
自分が辛すぎて放り投げてしまった全てを、投げ出さず支えることを選んだ少年が。
―――勿論、そんな事を口に出して言えば最早言われ慣れた「バカめ!」と共に木刀が飛ぶであろうが。
「む? 何がおかしい」
「いいや。―――じゃあそれに備えて、一つ手合わせでもどうだい、坊主」
口元が緩んでいる事に気付かれたらしく、剣呑な目で睨み下ろされる。笑いを堪えながら、慶次は枕元に置いてあった愛用の二又矛を掴んで立ち上がり、裸足のまま縁側に下りた。そうやって言われた言葉に、政宗の顔がぱっと露骨に輝く。政宗自身元よりそのつもりだったのだが、余程慶次が気の向いた時でないと承諾される事が無かった。それが彼の方から誘って貰えたのだから、こんなに嬉しい事は無い。
「坊主と呼ぶな、バカめ!」
そう言いつつも、自分も裸足のまま庭に飛び降り、二本の木刀をひたりと構える。慶次も何も言わず、矛を構えた。





――――ガツンッ!!
「―――――っく!!」
何十合めかの打ち合いの後、鈍い音がして木刀が一本弾かれた。その衝撃に耐え切れずに、小さな体が芝の上に尻餅をつく。ふう、と息を吐いて慶次は矛を肩に担ぎ直した。
「勝負あり、だな」
「バカめ、まだ―――っ」
慶次の声に慌てて立ち上がろうとして、かくん、と膝が傾ぎ、再び膝を地につけてしまう。失態にかぁ、と顔を紅くする政宗に、慶次は笑って手を差し伸べてやった。
「ほれ、大丈夫か?」
「―――っ、一人で立てるわ、バカめ!!」
声を荒げてその手を振り払い、一本残った木刀を杖にしてどうにか立ち上がる。悔しいが、まだ油断すると膝が笑う。両手も痺れていて、これ以上打ち合うのは無理だと知れていた。
不機嫌そうにあからさまに眉を顰めている子供に笑い、慶次は飛んだ方の木刀を拾って差し出すと、力任せにふんだくられた。
「早くもっと大きくなりな、伊達の独眼竜」
「っ〜〜、言われずとも…っ」
悔しい事この上なし、とばかりに睨みつけられ、慶次は空を仰いで大声でからからと笑った。全く、数多の武将を戦場にて打ち倒してきた天下無双の傾奇者に対峙し、単なる打ち合わせといえど此れほど長く続けられる武将などそうそういないというのに。
「本当、大したヤツだよあんたは」
「フン、世辞などいらぬわ! …小田原の時も、手加減していただろう」
「さて、どうだったかねぇ」
露骨な誤魔化しにかっとなって食って掛かろうとした瞬間、不意に自分の数倍は太いであろう腕が無遠慮に伸ばされ。
「よっと」
ひょいっ。
「―――――なっ!!?」
腕を掴まれ軽々と持ち上げられ、そのまますとんと慶次の首の上に座らされる。俗に言う、肩車と言う奴だ。
「ば、バカめっ! この無礼者が、降ろせ!!」
咄嗟に振り上げようとした足は、しっかりと慶次の手で掴まれる。金色のざんばら髪を鷲掴み、なお抵抗しようとしたその時。
「安心しな。あんたは強いよ、伊達政宗」
「―――――――」
不意に、名前を呼ばれて。動けなくなった。
「あんたは気にせず、前だけ見て突っ走れ。あんたが今の道を真っ直ぐ進む限り、俺はあんたについていくさ」
慰めなどしたくない。しても無駄だという事も解っている。きっとこの子供は、誰かに寄りかかるということを知らない。してはいけないと思うより先に、しようとする気すら湧かないだろう。だから。
せめて戦ぐらいは、背中の事を気にせずに戦わせてやりたいと思う。自分が出来ること等、それぐらいしかないのだから。
「…………………………」
返事は無い。さて、どんな罵詈雑言が飛んでくるかと内心楽しみにしながら待っていたのだが。
不意に、ぎゅっと頭にしがみ付かれた。
「…………まことか?」
金色の髪に紛れるように、ぽつんと。それだけ呟かれた。
「―――ああ」
それはとても小さな声だったので、しっかりと答えを返した。ぎゅ、としがみ付く力がますます強くなった。
「…バカめ。このわしを誰だと心得る。天下を取るべくして生まれた独眼竜政宗ぞ!」
慶次の肩に担がれたまま、政宗はただ一つ残った瞳で天を仰いだ。高らかに宣誓する声に、先刻までの弱さは全く無かった。
だからこそますますこの子供がいとおしくなって、慶次は何も言わずにその小さな身体を担ぎ直した。
「いつまで戯れるつもりだ! 降ろせ!」
「なぁに、たまには童らしく甘えろよ」
「童と言うな!! 誰が甘えておるか!!」
「ほら、いい気分だろ? それだけ高いと」
「喧しい! 直ぐに貴様の背丈など抜いてやるわ!!」
じたばたと肩の上で暴れながらの宣言に、慶次はもう一度声を立てて笑った。それによりますます政宗は激昂して暴れる。
まるで子供のように騒ぎ合う二人の声が、空に響いていった。