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花葬〜或いは生誕

龍山の所から帰る時、誰もが口を重くしていた。知らず知らずの内に、足取りも重くなる。しかし一番、現実を飲みこむのに一生懸命になっていたのは、勿論麻央だった。
彼はいつも、やや早足の京一に合わせて歩く。それなのに今日は、全員の一番後ろを、機械的に足を動かして歩いている。
男にしては整いすぎている顔も、今は青く…それを通り越して白くなっているように見えた。抜けるような白肌に、これだけは変わらない紅い唇を食い千切ろうとするかのように噛み締めている。見ているだけで、痛々しかった。
それが遣り切れなくて、京一は我知らず拳を握り締めていた。やがて分かれ道に来た時、逡巡無く京一は麻央の力無い腕を取り、無理矢理一緒に帰る道を歩んだ。
麻央は、抵抗しなかった。抵抗しようとする気すら、起きなかったのかもしれない。それがますます、京一の胸を抉っていく。





都庁の前を通り過ぎる時、ようやく、京一が口を開いた。なるべく明るく、気にしないようにと心がけて。上手くいったかどうかは解らないけれど。
「なあ、麻央。さっきのじいさんの話…何か突然過ぎて、全然ピンと来なかったな」
「…あぁ、俺もだよ」
「俺は今まで、運命とか宿命とか…そんなモンはくだらねぇと思ってきたけどよ、お前は…本当にその真っ只中にいるんだな」
「……………」
返事は返って来ない。先程の返事も、機械的に返したようだった。
ふいに、ぴたりと京一が足を止めた。驚いた様に、麻央も足を動かすのをやめた。
「…京一?」
「…麻央。俺は…多分、他の奴らもだけどよ、ガラにもなく、つまんねぇ心配しちまってるんだ。お前が…どっか遠くへいっちまうんじゃねぇかッてな」
言葉を切って、距離を縮める。白い麻央の頬に手を伸ばす。
「……そんなこと、あるわけねぇよな?」
笑おうとしたけれど、上手く行かなかった。
京一の手に、わずかに震えている細い指がそっと重なる。
「…約束した。俺は、どこにも、いかない」
微笑んで見せたその顔は、いつもと余りにも違い…弱々しかった。
「バカ。なんて顔してんだよッ」
そんな顔を見ていられなくて、手をそのまま麻央の額に伸ばし、瞳を覆った。琥珀色の左目が、潤んでいるような気がしたから。
「ともかくっ、勝手にどっかへ行ったりすんなよな。まっ、どこへ行こうと、俺が必ず捜し出して、引き摺り戻してやるけどなッ」
本気だった。ちょっと笑って、手を離す。拳を握って、麻央の額を軽くこつっ、と叩いた。
「京一…」
麻央も、笑った。今度は決して、消え入りそうな笑みではなかった。
安心した京一が、ふと息を吐いたその時…

ぽつん。

「おっ」
「あ…」
雨が降ってきた。
「ちっ…濡れるのはかまわねぇが、また風邪引くのはゴメンだぜ。こりゃ、本降りにならねぇうちに走って帰るしかねぇな。麻央も、急いだ方が良いぜ」
わざと早口で言った。これ以上ここにいると、別の自分の感情と格闘するはめになるだろうと思ったから。もう安心だろう、と素早く踵を返―――
くん。
「お?」
―――そうとして、腕を引かれた。
「少し、待ってみないか? 通り雨かもしれないし。…まだ……帰りたく、ないんだ」
離れたくないと、訴えていた瞳。
「…そうだな、それじゃあ…どこかでちょいと、雨宿りでもしてくか」
自分の理性が持つことを祈って、京一は頷いた。




手近な木の下に二人で走りこむと、待っていたように雨足が強くなった。
ふと横を見ると、雨に濡れた麻央の端正な横顔が目に飛び込んできた。
服も髪も濡れて、身体にぴったりとはりついている。いつもより更に細く見える体から京一は何とか目を逸らし、呼吸を落ちつけるために目を閉じて深呼吸を繰り返した。
「京一? どうしたんだ…?」
「ッッ!!」
目を開けると、そこに麻央のアップの顔があった。冷えた唇から僅かに漏れる熱い吐息を身近に感じ、京一は情け無くも完全に理性の鎖を弾き飛ばしてしまった。




「! …京一?」
気がつくと、抱き締めていた。麻央の身体は本当に冷え切っていた。じわりとした冷たさが、触れた所から伝わってくる。
「…なぁ、麻央。俺、来年真神を卒業したら…ちょいと、旅に出ようかと思うんだ」
腕の中で、麻央が僅かに身動ぎする。
「行く先もなんにも、まだ決めちゃいねぇけど。そうだな、中国とかも悪くねぇな」
「中国…」
「あぁ。…もしも…すべてが終って、無事に卒業出来たらよ。麻央、お前も―――一緒にいかねぇか?」
「えっ……?」
思いもしなかった言葉を聞かされて、京一の胸に押しつけていた頭をはっと上げた。
「お前となら…二人も悪くねぇと思うんだ」
京一にとっては、殆どプロポーズの心境で口説いていた。誰よりも何よりも、大切だと思えるのは、自分でも信じられないけれど目の前にいる男だから。
麻央は黙って、京一の茶色の瞳を見詰める。琥珀色の瞳は、俺でもいいのかと語りかけているようだった。
「頼む」
背中に回された腕に、力が篭った。
「………………今は…まだ…考えられない」
掠れた麻央の声に、京一は我に返った。
「すまない…でも、今は………」
俯いたまま、肩を震わせる麻央に、京一の罪悪感が疼く。
「悪い…変なこと考えさせちまったな」
「そんな、事はっ」
「いいさ。今はお前が一番、辛いのにな。忘れてくれ」
そう言って笑ったから、何も言えなくなった。
そっと、腕の戒めは解かれて。
何時の間にか、雨は止んでいた。




京一と別れて、麻央は一人で自分の家に戻ってきた。鍵をかけると、濡れた服を脱ぐこともせずベッドにそのまま倒れこん
だ。ぼん、とスプリングが軋む。
「きょういち…」
何故、答えられないのだろう。
何故、自分の思うが侭に、返事が出来ないのだろう。
行きたいと、連れていってくれと、何故言えないのだろう…?
只…何か。自分の心の中のどこかが、警鐘を鳴らしている。
それは、許されないことなのだと。
何かが、いるのだ。自分を戦いに、宿命の鎖に、縛りつけるモノが。それは…
「うっ…!!」
ずきん、と頭が痛む。何か大切なことを忘れているような気がするのに、思い出せない。
ただ、頭が痛い。






「ついに真実に辿りついたか…緋勇麻央よ…」
どうして忘れていたのだろう。
この男の存在を。
自分の罪を。
修羅に彩られた自分の宿命を…
楢崎道人と弦月に出会い、真実をその口から聞いた麻央達に、鬼が次々と襲いかかった。それを撃退する事は出来たが、麻央の前に一人の男が現れた。
その名は、柳生宗崇。
嘗て、黄龍の器として何度もこの世に生まれた麻央を、人の道から外れて追いかけ続けてきた男。
「待っていた…お前がここまで来るのをな」
歓喜にうち震える声で、柳生は麻央に話かける。
理由の解らない恐怖で身体を動かせない麻央の顎に手をかけ、強引に上向かせる。そしてそのまま、自分の唇を麻央の薄いそれに合わせた。
まるで全ての力を吸い取ろうとするような、強引なくちづけ。
「………っん! やめろっ!!」
無理矢理振り解いて、叫ぶ。嫌悪しか沸かなかった。
「俺はっ、お前が求めている『緋勇麻央』じゃない! 魂が繋がっていても、別人なんだ! それが何故解らないんだっ!!」
「お前は、お前だ。他の誰でも無い。そしてお前は俺のものだ。下らぬ縁の鎖からお前を解放できるのは、俺しかいない」
そう言って、また近づけようとする唇を、強引に押し返した。
「止めろっ! …お前は。お前は、全て奪おうとする。何もかも。俺の中から全部持って行く―――それだけだ。京一は違う。
温もりを分け与えてくれた。ここにいてもいいと言ってくれた。だから!!」
「だからなんだ? もう俺は必要ないと言うのか?」
紅の瞳に、狂気が灯る。ざわりと、握られた刀から鬼気が立ち昇る。
「違う! 違う! どうして解らないんだ!!」
「逃がさぬぞ。お前は俺のものだ―――、手に入らぬのならば…何度でもお前を殺してやる―――」
振りかぶられる、白刃。
逃げなければ、と思った瞬間、嘗て彼と決別し絶望させた、自分の記憶が身体を縛りつけた。


ずぶっ。


驚くほど簡単に、刃は自分の身体をすり抜けた。
そこから先は、覚えていない。



ただ、ずっと誰かが、自分の名前を呼んでいた事は、覚えている。




「麻央」
白く消毒薬臭い桜ヶ丘病院のベッドの上に、麻央は寝かされていた。規則正しい呼吸は、あまりにも弱々しすぎて。
「どうしてだ…?」
言葉を震えさせるのは、後悔と自責。どうして、助けてやれなかったのかと。
「約束しただろ…? 俺達を、俺を、置いていかねぇって…」
椅子に座ったまま、身体を前に倒す。耳を胸に押し当てると、心臓の鼓動が聞こえた。生きていることを確かめて、安堵する。それを何度も何度も、繰り返していた。





「ぅ……ぅぁ……」
小さな呻き声が聞こえる。ふと目を覚まし、自分がいつのまにか寝ていたことに気付いた。慌てて身体を起こす。自分の体重が傷に負担をかけたのかと思って。
しかし、原因は違った。
「くっ…う……ァッ、いや………だっ…」
身体中の血が逆流したかと思った。
目を閉じたままの麻央の頬が上気し、心なしか背中が反り返る。包帯を巻かれた裸の胸が、切なげに上下する。
「ァ…やめ、やめてくれっ…宗崇……!!」
「な………に?」
息が止まる。
今、こいつは何と言った?
「麻央……ッ麻央!! 目ェ覚ませっ!!」
「う、あ、あぁっ…! ………きょうい、ち?」
乱暴に身体を揺り起こすと、瞼が震えてゆっくりと開けられた。しかしその瞳にまだ光はなく、ただ虚空を眺めている。
「きょういち、あ、きょうい、あっうっ…」
「麻央! 落ちつけ、もう大丈夫だ!!」
京一の姿すら見えていないのか、がむしゃらに動かぬ腕を無理矢理振り回すのを掻い潜り、麻央の身体を抱き寄せる。子供にするように、背中に腕を回してゆっくり撫でる。
彼がどんな目にあい、どんな夢を見ていたのか、京一には解らない。ただ、自分がすべきことは、どうやってでも麻央の不安を取り除くことだ。
「もう、大丈夫だ…大丈夫だから、な?」
腕の中で、麻央の瞳にゆっくりと光が戻ってくる。
「きょ、ういち、きょういちぃっ……!!」
優しい手と言葉に、我慢が出来なくなって。感極まった様に、麻央は京一の身体にしがみ付いて涙を流した。
まるで、許しを乞う子供のように。







「思い出した…と言うと、語弊があるかもしれない。だが…簡単に言ってしまえば、『前世の記憶』のようなものなんだ」
「前世の記憶…ねぇ」
狂乱が過ぎ去り、麻央は大人しく、ベッドに座った京一の腕の中に収まっている。そして、自分の宿星の道程を、ゆっくりと語り出した。
「何度も、『黄龍の器』として、俺はこの世に生まれてきた…遥かな過去から、今まで…その記憶が途切れた時はない。
『俺』に、今までの『俺』の魂がそのまま繋がっているような、感じだ」
「……………」
「そんな、長い道の中で、俺は…彼に逢った」
「…!」
知らず知らずの内に、京一の腕に力が篭った。
「始めて出会った時…彼は、俺のことを鎖から開放した。俺の為では無く、俺を自分のものにするために。それでも…『俺』は嬉しかったんだ。俺を、俺という人間だけを、欲してくれたのは…彼が始めてだったから」
どこか懐かしそうに語る麻央に、京一は奇妙な苛立ちを覚えていた。
もしかして、いやもしかしなくてもこの感情は。
「それが、どこから狂ってしまったのか、俺には解らない。ただ…彼は今、『俺』を手に入れるためだけに、動いている。…俺が、止めなければ…今度こそ、終りにしなければ、いけないのに」
麻央の身体が震えた。
「先刻…夢の中に、彼が現れた…何も言わずに、俺の服を剥いで、のしかかってきて…」
「麻央」
「怖かった…只、怖かった…身体が引き裂かれるかと思って…」
「麻央、もういいから!」
「気がついたら、京一の名前を…呼んでいた」
止めさせようとしていた京一の言葉が、ふと止まる。
「ただ、夢中で…助けて欲しくて…済まない、京一…俺の、俺のエゴでお前を、俺の宿星の道に引き摺りこんだのに…」
両手で顔を覆って俯く麻央の身体を、身動ぎして抱き締めなおした。
「麻央、さっきから俺が何考えてるか、教えてやろうか?」
「…?」
唐突に話し出した京一に、麻央が不思議そうに目を向ける。京一の顔に浮んでいるのは、いつも通りの自信ありげな笑み。
「なんであいつより先に、お前に逢えなかったのかって。なんでそいつより先に、お前をモノに出来なかったのか、すっげー悔しい」
「…………!」
「みくびんじゃねぇぞ。俺がお前を好きだって思うのは、運命とか宿星とかそんなんじゃねぇ。俺が、転校してきてからのお前を見続けて、それで俺がそう思ったんだ。人当たり良いくせに頑固で、何でも全部一人で背負いこんじまう大バカヤロウの、お前をな」
「京一……!!」
どんなものよりも、言って欲しかった言葉。
宿星なんて、鼻で笑って蹴飛ばしてしまえるような、そんな言葉。
我慢出来なくなって、麻央は京一にしがみついた。どちらからともなく、唇を合わせて、深く貪りあった。まるで、今までの足り無いものを全て埋めあうように。
「ありがとう…ありがとう、京一…」
「礼なんて言うんじゃねぇよ…バーカ」






あとは言葉なんていらない。
身体を一つに繋ぐことが、
これほどまでに幸せなことだとは知らなかった。
後悔なんてするわけない。
共に生きる、と誓ったのだから。