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のんべんだらりんごった煮サイト

開花 ※過去編、外法帳に非ず

『桜は、美しいな、京一』
『は? あ、あぁ、まぁな』
『これだけ美しいものに埋もれてしまえば…洗われ消え行くことが出来るかもしれないな』
『何…?』



息が止まるかと、思った。
薄紅色の嵐の中で、麻央がゆっくりと微笑む。
その姿が、薄れていくような…消えてしまうような、気がして、
気づいたら、手を伸ばしていた。
行くな、と。 
俺を置いていくな、と。
行くのならば、共に――――――




「全く、何であんな風に思っちまったんだか…」
日が沈み、かがり火が灯され始めた陣地を歩きながら、京一は一人ごちた。
食事の後、姿を消した麻央を探していたのである。心当りは全て探したが、どこにもいない。
「と、なると、後はあそこか…」
昼間、麻央がいた桜の木だ。あそこにいるかもしれない。陣地を抜け出さなくては行けないが、麻央程の実力なら見張りの眼を掻い潜るのは簡単だろう。勿論、京一もそうした。



「麻央ー! いねぇのか?」
しかし、桜の木の下に白装束の姿はなかった。
「麻央…一体どこ行きやがった?」
ふて腐れたような声を出し、しかし拭えぬ不安に眉を顰めながら、京一は樹の根元に腰掛けた。
「…ん?」
ふと、目の前を白い布が横切った。何か、と思って反射的に掴むと。
「これは…」
それは、麻央がいつも胸に巻いていた白布だった。桜の樹の一番低い枝にかけられていたのだ。
「なんで、コイツが…」
これを麻央が身体に巻いていたのには、理由がある。彼の背中の中心には、まるで龍鱗のような模様の痣があるのだ。それを晒す事を嫌がって、胸から背中にかけて白布で隠していたのだ。
京一は前に一度だけ、その痣を見たことがある。滝壷で一人で水浴びしていた麻央の背中を、偶然に見てしまったのだ。見られたことに気がついた麻央は『どうか忘れてくれ』とやけに深刻な声で言っていたのだが。
その布が、何故今ここにある―――――?
「…麻央?」
何か予感が京一の胸に閃いた、その時。

ドゥン!!!

と、山の向こうで大きな火の手が上がった。
「!?」
あの方向にあるのは…九角の屋敷!?
「まさか…」
考えが脳に達するより早く、京一は駆け出した。予感は確信に変わっていた。あそこに、麻央がいる。
「畜生…何でだ?」
白布を握り締め走りながら、京一は苦しげな吐息と共に言葉を吐き出した。
「何で俺を置いていきやがった…麻央ッ!!」




京一が辿り着いた時、もう既に炎は屋敷全体を包んでいた。
煽られながらも前に進んでいく京一の見たものは。
地に伏し、絶命している異形の鬼ども。その中で一際豪奢な鎧を付けて倒れ伏している男。そしてその前に立っている白い服の…
「麻央―――っ!!」
京一の絶叫が聞えたのか、彼はゆっくりと振り返った。
彼の服は、胸から流れる液体で赤く染まっていた…。



「麻央!」
ぐらり、と傾いだ麻央の身体を、京一が駆け寄って支えた。その男にしてはあまりにもな細さと軽さに驚く。
「う……ッ」
傷を確かめようと無意識に伸ばされた京一の手が、麻央に新たな苦痛を与え、苦鳴をあげさせた。
「麻央! 畜生…畜生ッ何でだよ! 何で一人でここに来た!? 麻央ッ!!」
血を吐き出すような京一の絶叫に、麻央がゆっくりと琥珀色の瞳を開いた。
「京…一、済まない…」
「麻央!」
「これしか…方法が、なか…った……」
げほげほっ、と苦しげに咳き込む。それがまた傷に響くらしく、京一の腕の中で麻央は身動ぎをした。
「済まない…京一…私には…宿星に逆らう…力が、無かった……」
「何訳わかんねぇこと言ってんだッ! 眼ェ覚ませ!」
「姫君が…まだ屋敷の中に…京一、助けに…」
「うるせぇっ!!」
叫ぶ。
恐れていたことが、現実になった。
どうして、どうしてこいつは、こんなに…
「何でッ…何でてめぇはいつもそうなんだ! 何でもかんでも一人で出来るような面しやがって! いつも他の奴のことしか考えなくて……っ!」
苦しい。どうしてこんなに苦しいのか。
「なぁ、お前にとって、俺は一体なんだ? 俺は役に立たないか? 頼りにならねえのか?」
「京一……?」
こいつは、優しすぎるんだ……。
「俺は、お前になら…背中を預けられると…思ってたんだぜ…?」
「京、一………りがとう。あり…がとう、京一…」
「…馬鹿野郎。礼なんて言うんじゃねぇよ…今、医者んとこに連れてくからな」
本当は、こんなに弱いのに。
「いや…いいんだ。このままで、いてくれ」
「麻央?」
抱き上げて立ち上がろうとした京一の襟を、震える手で掴む。まるで、離れたくないとでも言う様に。その手の力で上半身を持ち上げ、京一の耳元に唇を寄せた。
「京一。縁と言うのを…知っているか?」
「えにし…?」
「もしこの世で生を終えても…魂が惹かれあえば、必ずまた巡り合える…ぐっ!」
また、咳き込んだ。血か臓物か解らないものを吐き出す。傷は見た目以上に深い様だ。
「麻央ッ!!」
「済まない…京一。私は、お前を…永遠に縛り付けてしまうかもしれない…」
苦しい息の下から吐き出されたその言葉から、京一は絶望と歓喜を同時に感じていた。
麻央の命の灯は、もう尽きる。だが、来世にまた巡り合うことが出来れば………
「…舐めんなよ。お前が嫌だって言っても…俺は追いかけてやる。絶対逃がさねぇ…お前は、俺のモンだ……」
一番、言いたかった言葉と共に、温もりの消えかかった麻央の身体を抱き締める。
「京一…きょういち……」
「必ずだ…必ず、一番最初に、お前を見つけてやる…」
「京、一………」
ずるり、と京一の背中に回されていた手が滑る。
「麻央? 麻央ッ!」


「あぁ…さくらが、散る……な…………」


最後に琥珀の瞳に映っていたのは、炎に巻き上げられ、飛んでいく桜の花びらで。

「あぁ……そう、だな…」
相槌を打つ京一の言葉は、もう彼に届いていなかった。





例え、どんな修羅の道でも。
例え、安らぎが無くても。
お前が、側にいてくれるのなら。
俺は、後悔なんてしやしない。
全て覚えておいてやる。
お前の髪も、瞳も、声も、すべて。
そして、必ず。
誰より先に、お前を見つけてやる――――――。





「やれやれ、とんだ花見だったな」
「あぁ、そうだな…」
中央公園での花見は、血塗られた妖刀に彩られてしまった。その帰り道、何となく、麻央と京一は並んで歩いていた。
「しかし、素手で日本刀と渡り合うなんて、お前イイ根性してるよな」
「いや、俺も少し怖かったぞ」
大真面目に返す麻央の言葉に、京一は吹き出した。
「はははっ、なんだそうか」
「あぁ。だが……」
「?」
言葉を選んでいるらしい麻央に対し、京一は黙って次の言葉を待った。
「だが、逃げてはいけないと、思った。まだ俺には、こんな戦いがこれからも続くような気がしてならない。手探りになるかもしれないが、自分の《力》が何の為にあるのか、俺は見極めたい。そのためなら…傷ついても、構わない」
そう言って前を見据える、麻央の琥珀色の瞳は一体何を見ているのか。風で下ろしていた前髪が揺れると、月の光によって瞳が金色に光って見えた。
と、ぽん、と軽く後頭部を叩かれた。
「?」
「馬ぁ鹿。そんなに固く考えんなよ。正直、俺はわくわくしてるぜ。思う存分、腕を振るえるってな」
そう言ってすたすたと歩き出す京一に、麻央は苦笑して小走りで追いついた。
「全く…お前は気楽だな」
「なんだよ。それぐらい気楽にいかなきゃ、この先やってけないぜ?」
彼も、気付いているのだ。平凡な日常が変わりつつあることを。
「…そうかも、しれないな。ありがとう、京一」
「んだよ。いちいち礼なんて言うんじゃねぇよ」
心なしか赤くなった京一の顔を見て、麻央は今度は心からの笑みを浮かべた。


桜は、散っていっても、
縁は止まることを知らず。
宿星に導かれた者達の戦いは、
まだ、始まったばかりである。
て止まることを知らぬ、永遠の螺旋を形作って。