時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

アニバーサリィ

見知らぬ姿の男が、夕闇が降りてきた店の前に佇んでいるのが目に入った。
髪を後ろに撫で付け、スーツを着こなしているのが、長身に映える。誰だったか…とそんないでたちの顧客の顔を思い出しながら、人影に近づく。
「よォ、遅かったな」
声をかける前に、相手から手を上げて挨拶された。高くもなく低くもなく、どこか力を抜いた癖に張りのある声で。
「っ祇孔…!?」
その声音で、イメージが一気に繋がった。それでも驚きの声を上げてしまったのは、やはり信じられないからで。
こんなフォーマルな格好をしているのを見るのは、正直言って初めてだ。制服を着ようが私服を着ようが、自分なりに着崩し、そしてそれが憎らしいほど似合うのが村雨祇孔という男だ。
「どういう風の吹き回しだ?」
呆然となりつつも問う如月に、村雨は珍しくばつの悪そうな顔をした。
「あー…まァ、先に上げてくれや。説明すんぜ」



「御門の野郎、この格好見るなり馬子にも衣装だの言いやがった」
卓袱台の前に当然の様に胡座をかき憮然と言う村雨に、堪えきれなくなって吹き出した。
「至極同感だな」
「チッ、好き勝手言いやがって…」
やはり、声音にいつもの生彩がない。どうにも調子が出ないようだ。
お茶を入れて台所から戻ってくると、軽く撫でつけていただけらしい髪をぐしゃぐしゃと筋張った指で掻き回していた。
「あっ…」
「あン?」
思わず、という風に声を上げてしまった如月に、何事かと視線を遣る。
「いや、何でもない」
ほんの少しだけ、その姿を勿体無いと思ってしまった。本人の方は更にネクタイを緩めて、やっと落ちついたらしく、取り出した煙草を口に咥えた。
「お、サンキュ」
無言でマッチを手渡すと、いつものにやりとした笑みを浮かべた。そうしていると間違いなく自分の知っている村雨なのだが。
「で? 説明してくれるんだろう?」
「まぁ、待てって。一服くらいさせろや」
片手だけでマッチを取り出し、ワンアクションで火を付ける。美味そうに目を細めて煙を吸い、中空に向かって細く吐き出した。何時になく長い溜息のような吐息に、やはりどこか調子が悪いように見える。
「……親父に会いに行く」
最後の煙と共に呟かれた言葉が、一瞬聞き取れなかった。その内容とは正反対に、あまりにも自然に吐き出されたので。
「会いに行くって…本当にか?」
「あァ」
さらりと返事をする村雨に、絶句する。



前に一度だけ、寝物語に話してくれたことがある。
お前は僕のことを殆ど何でも知っているのに、お前が何も話さないのは卑怯だと詰ったら、逡巡の末に口を開いてくれた。
自分の父親は、それなりに名の売れた政治家という奴だと。名前は結局話さなかったが、言えば多分お前でも解ると言われた。
母親は、所謂愛人と言う身分だったらしい。認知はしてもらえたらしいが、村雨自身が拒否したのだそうだ。
「お情けで子供にされてるぐらいならッて、こっちから捨ててやった」そう言って笑う彼に、自分もどうしようもなくて少し笑った。とてつもなく彼らしかったせいもあるけれど。
それからはずっと、母親の方で暮らしていたらしい。と言っても、少し本人が大きくなると、お互い養い養われるのではなく対等に稼いで生きていたらしい。
「母親ってェ意識は殆ど無かったな。生きるための先輩で、相棒で、強かな阿婆擦れだった」
『あたしはアンタを捨てた。親子の縁ってヤツはもう切っちまったんだ。だから、あたしはいつでもここを出ていく。アンタも他に居場所が出来たらいつでも出ていきな―――』
それが彼女の口癖だったらしい。どういう母親だ、と憤った自分を、村雨は面白そうに笑った。
実際村雨が15になった時、男と連れ立って、二人の塒にはもう2度と戻ってこなかったそうだ。
「寂しいだのなんだのってェのは、カスほども思わなかったな。あぁ、行ったかって思っただけだ」
それから御門家に仕えるまで、一人で歌舞伎町の裏道を強かに駈け抜けてきたのだろう。そう思うと、余りにも彼らしくて、やはり笑ってしまった。
「俺は母親似なんだよ」
とその後ことある事に村雨は言った。その言葉には、母親に対する彼なりの思慕と同時に、どうしようもない父親への嫌悪感が滲んでいるようだった。
「父親のことを恨んでいるのか?」
そう聞いたとき、彼は一瞬表情を無くして。
「さて、な。別にどうも思わねェ、好きか嫌いかって言ったら当然虫はすかねェがな。縁切っちまったんだから、な」





「御門の方から、連絡が廻ったらしいな。今まで放っておいて済まなかった、是非一度会いたい……だとさ」
小馬鹿にした様に鼻を鳴らし、まだ長い煙草を灰皿の上に無理矢理押し付けた。
「…捨てたのはお前の方なのにな」
俯いたまま呟くと、耳に留めてにやりと笑った。
「おッ、良く覚えてたなァ」
いつもの調子を取り戻しつつある村雨に対し、如月の機嫌はどんどん下がっていく。
「勝手じゃないか。今の今まで放っておいて、親子の関係に戻りたいとでも言うつもりなのか?」
「おい、翡翠?」
切羽詰った声音で呟き続ける如月に気付き、俯いた頬に手を伸ばした。僅かに冷たい感触。
「お前なァ…何でお前がそこまでマジになるんだよ」
呆れたような、それでも凄く優しい笑顔で村雨が問う。
「お前が、そんな風にへらへらしている、からだろうがッ……」
どうしてここまで強くなれるのか、解らなかったから。
「ふざけてる……っ」
「…あァ、そうだな。解ったから、もう泣くな」
あやす様に目尻に軽く唇を落として。
「ありがとな」
耳元で小さく呟く。何時の間にか側に来ていた身体にしがみつくと、広い胸の上で首を振った。
と、壁にかけられた大時計が十二時を告げた。
「もう今日か…よりにもよってこの日にな。誕生日おめでとさん」
「この、大馬鹿ッ…いつも、僕に自分のことを考えろと言う癖に…お前こそ、もっと自分の事をッ…!」
「はいはい。俺はいいんだよ」
「何でだっ!」
「最初に祝ってやれりゃあ、イイんだよ」
「…この、卑怯者ッ……!!」
そんな風に言われたら。
なにも言えなくなるじゃないか。
「…いい加減、ケジメつけろとさ。実際、まだ縁ってェヤツは切れてねェんだ。まだ俺は、あの野郎の子供なんだとよ」
「…決別しにいくのか」
「当然だろ? 柵なんざ、邪魔なだけだ」
白磁のような頬に軽く口付けて。
「お前だけ、いりゃあいい」
「…お前は、大馬鹿だ」
「最高の誉め言葉だぜ」
ようやく笑顔を見せてくれた相手に安心して、お互いの唇を合わせた。




自分の身体の上に舌が滑っていくのを、必死に堪える。
胸の尖りの上で留まられ、我慢できずに声が漏れた。
「は…ッァ……」
「イイか?」
「馬鹿ッ……そんなこと、聞くなッ……」
「ヨかったら言えよ? 今日はサービスしてやっから」
「誰がッ……ア!」
何時になく優しく肌の上を滑っていく指と舌に、何時も以上の反応が返ってしまう。
「ッ………!!」
耐え切れなくなって、両手で口を抑えた。もどかしいほどの小さな快楽に、もっとと強請ってしまう自分の意識を必死に抑える。
「我慢すんなって」
「あ! はぅうっ!!」
中心を飲みこまれて、腰が跳ねた。先程までとは裏腹に思いきり吸い上げられて、目の裏に星が散る。
「ヒ…アッ、祇孔、も…うぅっ!!」
「中も欲しいか?」
卑猥な問いに図星をさされたような気がして、顔面に血が集まる。それを了承ととったのか、骨張った指で狭い入り口を抉じ開け始めた。
「あ…アッ、んんんっ……!!」
狭いのは入り口だけで、内部は僅かに湿っていた。ひくついた其処が絡み付いてくる様で、面白がって指を思う様掻き回す。
「イッあああ!! やめっ、しこぉっ!!」
腰を無意識のうちに持ち上げてくるその艶姿に知らず舌なめずりをすると、自分の熱い象徴を其処にひたりと当てた。
「あッ……」
次の瞬間の熱さと快楽を思い出し、身体が強張る。ぐぐっと間髪入れず質量が押しこまれ、身体を仰け反らせ掠れた悲鳴を喉の奥で上げた。
「…ッ〜〜〜!! んんっ…」
それと同時に深く深く口付けられ、強請るように唾液を共有する。相手の嬌声も一緒に飲み込みながら、村雨は僅かな自己嫌悪を瞼の奥にちらつかせていた。
こんな風に抱いていても、本当に縋りたいのは自分の方。赤ん坊が泣いて母親にしがみつく様に、助けを求めているのだと。
(情けねェ……)
自嘲の笑みが、口元に浮かぶ。それを目に止めた如月が、何事かを問うてくる前に、もう一度唇を塞いだ。
「んぅッ…は、しこう、もうッ……!!」
絞り上げる様に締め付けられ、村雨も相手の内部に達した。




じりりりりりん、と昔懐かしい黒電話の音が白みかけた廊下に響く。先に気付いたのは村雨だった。如月はまだその横で熟睡している。昨夜のことを考えれば、詮無いことである。
寝間着代わりの浴衣をだらしなく羽織ったまま、冷えている廊下を歩く。
がちゃり。
「もしもし? ……ぁあ? 何だ、御門かよ……」
朝っぱらから嫌な声を聞いたとばかりに、村雨の眉間に皺が寄る。電話の向こう側の声はいつもと違わぬ嫌味な声音で、用件を述べる。
「…あァ、てめェに言われなくても解ってるって…何? 余計なお世話だ、馬鹿野郎」
その頃、隣に温もりがいないことに気がついて、如月も起きあがっていた。裸の身体に着物を羽織ると、声が響いている廊下に出た。
電話の前まで歩いていくと、もう切れていた。
「お前にだったのか?」
「あァ。稀代の陰陽師様からのありがたーいモーニングコールだ」
苦虫を噛み潰したような顔の村雨の声に、くつくつと言う笑いが被さる。
「早く着替えて来い。朝食は食べていくんだろう?」
「あァ」
がりがりと頭を掻き、またあの窮屈な服に袖を通すのかとごちる村雨。しかしその声の中に、昨日のような自嘲的な響きはない。
(良かった、と思うべきか)
自然と浮かんできた笑みをさりげなく袂で隠し、台所へ向かった。




「ネクタイが曲がってるぞ」
「あん? そうか?」
ほら、貸してみろと玄関口で相手の首に手を伸ばし、軽く布地を引く。
「あんま締めんなよ」
「緩め過ぎだ。これぐらいでちょうど良い」
本当に窮屈そうに首を廻す仕草が、子供の様で笑いを誘う。
「しかしこりゃあ、アレだな」
「? 何だ?」
ようやく落ちついて、にやにやと笑う村雨に何か嫌な予感はしたが、一応問うてみる。
それには答えず、軽く屈むと一瞬だけ唇を触れ合せた。
「今日中に帰って来るぜ、カミさんの誕生日なんだからな」
「なッ………」
絶句。如月が固まったまま立ち竦んでいるのを尻目に、村雨は踵を返した。
「…こ、この、大馬鹿者〜〜〜っ!!」
がらぴしゃん、と素早く閉めた引き戸の向こうから聞こえる怒声に、我慢できなくなって吹き出した。









お高くとまっているように見えてしまう豪邸の正門の前で、村雨は不遜にそれを見上げた。
子供の頃駈け抜けた時は、聳え立つようだったそれが、意外に低いことに気付いて、苦笑を唇の端で噛み殺した。
インターフォンを鳴らして来訪を告げると、すぐに其処は開いた。
招かれた客間もどこか成金が、見せ掛けの裕福さに踊らされて買い集めた品が散乱している様に見え、何の感慨も沸かせなかった。
大きな青磁の壷が無造作に棚の上に置いてあるのを見て、骨董品屋の若旦那に見せたら激昂して保存方法を伝授するだろうと思い、また唇を緩ませた。
しかしすぐ後に、ノックもなく部屋に一人の壮年の男性が入ってきて、その笑みを消した。
挨拶はせず、只無言でそちらを見遣る。自分の方が背の高いことに気付く。時間は無情だ。
「…久し振り、と言うべきかな。祇孔」
自分の名前を呼ばれて嫌な気分になったのは、初めてだった。
「いや、解っている。お前は私を恨んでいるのだろうな。あの時、私はお前を必死に探したのだ。しかし見つからなくて…」
嘘つけ。コイツほどの人脈と権力があれば、餓鬼一人捜すのは簡単だ。ていの良い厄介払いが出来たと喜んでいたのはお前だろう? 捜すのなら一番最初に来るだろうお袋のところにも、誰も来なかったのだから。
「…お前が御門家に世話になっていると聞いた時は、それは驚いた。まさか、と思ってな」
あの阿婆擦れに生ませた子供が利用できそうだったから、呼び戻そうとしたんだろう? 星見の力のお零れに預かりたかったんだろう? 最近落ち目だしな。
「…くくくっ……」
堪え切れなかった。笑えて仕方がない。自分が思っていたよりずっと、この男は低次元な俗物だった。コイツの遺伝子が自分にも混じっていると思うと、不快を通り越して信じられない。
「な、何が可笑しいのかね!」
「笑えて仕方ねェさ。残念だが、俺はもうとっくの昔にアンタとは切れてんだ。血の繋がりなんざ糞食らえだ。悔しかったら運ぐらい、自分で呼び寄せてみな」
それだけ言い捨てて、出口へ向かう。
「ま、待て! この親不孝者め! 恩を仇で返しおって…!」
化けの皮が剥がれた様だ。無視して進む。
「お前の今の生活など、私は簡単に潰せるのだからな! あの北区の骨董品屋も――――」


ガシャアアン!!


瞬間。
男の隣に鎮座していた青磁の壷が粉々に砕け散った。何が起こったのか解らない男は、横を見、目と口を最大限に開けて腰を抜かした。彼にはそれを行った犯人が目の前の息子で、その武器が破片と共に散っている花札であるとは夢にも思わないだろう。
気が付くと目の前に靴が来ていた。慌てて見上げると、目から完全に笑みを消した村雨がいた。
「もう一度言ってみろ」
「ひっ……」
「覚えとけ。アイツに手ェ出したら、その日がテメェの命日だ。爪先でも触れてみろ、その時は―――殺す」
本気だった。奥に殺気を湛えた瞳を向けられ、男は失禁した。
軽蔑しきった視線を向けると、何事もなかった様に村雨は踵を返した。
後には、魂を抜かれた哀れな道化が居るだけ―――――







思ったより時間を食ってしまった。とっとと帰ろうと、駅に向かって歩き出し―――
「遅いぞ」
不覚にも、リアクションが取れなかった。
「……は、わざわざご苦労さん」
門の前に立っていたのは、気難し屋の若旦那。
「わざわざここまで来たんだから、もてなしはしてくれるんだろう?」
「当然。どっかの店で、誕生パーティーとでも洒落込むか?」
「悪くないな…」
いつも通りの言葉を交す。それだけで充分。




ただ、貴方が側にいてくれれば、それだけで良いから。
貴方がこの世に生まれた日に、只、感謝を。