時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

蕾 ※過去編、外法帳に非ず

遠い遠い昔。
最早、夢か現世か判らぬほどの、昔。
人と物の怪に垣根の無かった時代。

あの時も、こんな桜が咲いていた。



「……央。麻央!」
遠くから聞こえてきた自分を呼ぶ声に、麻央は薄目を開けた。いや、開けようとした。したのだが、昼下がりの柔らかな日差しの気持ち良さに、自然に瞼が下がって行く。
『このまま、奴が気がつくまで黙っていよう』
そう勝手に決めて、声をやり過ごす。
「麻央ー! どこだっ!」
声に苛立ちが混じり始めた。笑いを噛み殺し、気配が近づくのを待つ。
「……麻央! こんな所にいやがったのかっ」
やがて、閉じた瞼の向こう側から、怒ったような、呆れたような声が聞こえた。ゆっくりと、瞳を開ける。
「あぁ………京一。どうした?」
寝転んだまま、唇の端をゆうるりと上げて微笑む。男にしてはあまりにも艶やかなその顔に、京一と呼ばれたものの顔が心なしか赤らむ。
「どうした、じゃねぇよ。もうすぐ飯の時間だから、呼びに来たんだよ」
「あぁ、もうそんな刻か……」
そう嘯いて、ゆっくりと身体を持ち上げる。と、身体の上に積もっていた薄紅色の花弁がはらはらと落ちた。
「これは…かなり埋もれていた様だな」
「おうよ。一瞬、桜で固められてんのかと思って、びびったぜ」
からかい半分の京一の言葉に麻央は苦笑するが、身に張りついた花弁を落とそうとはしない。
「桜は、美しいな、京一」
「は? あ、あぁ。まぁな」
いきなりの問いかけに、一瞬頭の切り替えが出来ずに京一は立ちつくす。
「これだけ美しいものに埋もれてしまえば………洗われ消え行くことが出来るかもしれないな」
「何………?」



ざぁ、と風が吹く。
地に落ちたものも、枝から落ちたものも、皆風に巻き上げられる。
その薄紅の嵐の中に、浮かび上がる様に麻央の白装束が舞う。
まるで風の中に溶けていくように…




「麻央…?」
麻央の身体が、ふ、と消えてしまうような気がして、京一は慌てて駆け寄った。
「麻央っ!」
古武道をやっているにはあまりにも細い、麻央の腕を掴む。
「京一…? どうした」
少し驚いたような顔で、麻央が問いかける。
「いや……その………」
問われても困る。京一にも、何故自分がこのような行動に出たのか、良く判らないのだから。
「……行こう。飯の時間なんだろう?」
「あ、あぁ……」
釈然としない思いを抱えたまま、京一は麻央の後に立って歩き出した。





食事が終わった後、麻央はまた一人で桜の樹の下に立っていた。
夜に見る桜は、美しさと共に何故か不安を掻き立てられる。
何も考えず、只樹を見上げていた麻央の身体に、突然電撃のような痺れが走った。
「………ッ! くっ……」
身体が、熱い。大きな金色のうねりが、身体も、心も、魂すらも飲みこもうとしている。足元が崩れる感覚。その中から吹き出してくるものは…
『黄龍………!』
「わああぁアアッ!!」
がくり、と膝が屑折れる。はあはあと息継ぎをして、どうにか呼吸を整えた。
自らの宿星が、近づいているのだ。戦いが、近い。
私は自分の宿命を受け入れるためここにいる。大いなる龍脈の力を受けとめるのが、自分の役目。
しかし………と、麻央は自問する。
「九角……」
敵であり、倒さなければ……解放しなければいけない、『外法』に取り憑かれたもの。
「菩薩の姫君……」
その男から、護らなければいけない、者。宿星に導かれ、自分が命を懸けて護る人。
「だが、私は……」
出会ってしまったのだ。宿星も、運命も、全て投げ出してまで、護りたいと思える人に。
「京、一……」
出会ってから、数え切れない時を過ごした。共に戦い、背中を預けることの出来る、唯一の存在。気がつくといつも側にいて、自分を支えてくれるかけがえのない……
最早自分の一部と…否、半身とまで呼んでいいほどの、存在。



「京一……すまない。私は……」
だからこそ私は、お前の側を離れよう。
もし、私に凶刃が向けられれば、お前は躊躇いもなくその前に身体を投げ出すだろう?
そうなる事が私は何より怖い。
解っている。これは只の自己満足だ。お前を失いたくない、只それだけ。
身勝手な私の心で、お前を傷つけることをどうか許して欲しい。
私はこれから、一人で戦いに赴く。
宿星に決着をつけるために…!



もし、縁というものが本当にあるのなら。
お前と私は再び出会えるだろう。喩え私の宿星に、お前を巻き込むことになっても。
もし再び逢い見えることが出来るのなら、私はそれを夢見て赴こう。
ここまでして、お前を縛りつけようとする私を知ったら、お前は軽蔑するだろう。
でも。
それでも。
私はまた、お前に逢いたい。



いつか、ある時。どこかの街で。
お前は、私に声をかけるだろう。
いつもと同じように、肩を叩いて。
『よぅ』とまるで何事もなかったかのように話しはじめるだろう。
取り合えず、お互い名乗るのも悪くはないな……
こんな泡沫の夢を見て、逝くのも悪くない。
こんな馬鹿な私を、お前は怒るだろうか? 笑うだろうか…?







「よっ、麻央」
「あぁ、蓬莱寺」
桜の花が舞い散る中央公園。入り口近くの樹に凭れていた麻央は、駆け寄ってきた京一を見て身体を起こした。
「早かったな」
「おぅ、小蒔の奴がくだらねえこと言うから、早く来てやったぜっ」
「はは」
何となく、会話が途切れる。
「………なぁ、蓬莱寺」
「ん?」
「その……何で先程、俺のことを名前で呼んだんだ?」

『てめぇ逃げんのか、緋勇…』
『バーカっ。てめぇとやった所で、また麻央が勝つに決まってんだよ』

「ああ? 別にいいじゃねぇかよ、そんなの。それとも……嫌だったか?」
「い、いや。そんな事はないんだが………じゃあ、俺もこれから京一、と呼んでも良いか?」
「何だよ、別に許可とる必要なんてねーよ。好きに呼べよ」
「そうか。……何か改まって言うと……照れ臭いな」
「へへッ」
「あはは」
「あー二人とも、楽しそうに何話してんの? ボク達にも教えてよ」
気がつくと側に、小蒔と葵が来ていた。京一と麻央は、ふと顔を見合わせて、弾けるようにまた笑いあった。
「もー、一体なんなのさ! 二人して気持ち悪いなァ」
「うふふ……小蒔ったら」




縁は、巡る。
舞い落ちる、桜の花弁のようにくるくると………
決して止まることを知らぬ、永遠の螺旋を形作って。