時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

DEAR BLUE

旧校舎帰りになんとなく、仲間が如月骨董品店に集まった。一番大きな部屋の中に車座になって、取り止めのないことを言い合って、笑い合う。そんな光景は、彼らの中で当たり前になっていた。
やがてぽつぽつと、時間を気にする人たちが帰り始めたが、身軽なものはすでに貫徹の体制に入っている。
座を片付けて一人、台所に下がった如月は、自分が軽くいらだっているのがわかった。
理由は…認めたくないのだが、分かる。あの男のせいだ。
村雨祇孔。
別にそうしたいわけではないが、今日は座る位置が離れてしまった。普段気にもしていなかったのだが、気がついたら彼は隣にいた。いつも、いつも。
そんなことぐらいで苛立っているわけではもちろんない。向かい合うあたりの位置に座ったせいで、嫌でも耳に、目に、入ってしまうのだ。他の人に向けられる声が。他の人に向けられる笑顔が。
この苛立ちはあいつに向けたものではない、と如月は心の中で繰り替えす。こんなことに動揺している自分自身の情けなさに腹を立てているのだ。
(…どうして僕は、あいつと会ってしまったんだろう)
「翡翠」
「ぅわっ!」
いきなり、本当にいきなり、耳元で名前をささやかれた。如月の弱点がそこだと知っていて、わざとやっているのだ。人の気配に対して人一倍敏感な如月に気づかれないように、細心の注意を払った嫌がらせを。
「…祇孔ッ!」
顔を赤くして振り返ると、笑いを堪えている顔の村雨がそこにいた。
「悪ィ。どーも背中が無防備だったもんで、つい、な」
余裕綽々の笑みを浮かべて、如月の腰に手を伸ばす。
「こらっ、何を考えてる」
「いや、もう寝ようかと思ってな」
「…珍しいな。夜更かしはお手の物のお前が」
てっきり、今日も徹夜で麻雀でもするのかと思っていたが。
「まぁ、な。だからよ、上行こうぜ」
「…なんで僕まで寝なきゃならない?」
怒鳴りたいのを堪えて、腕の中から逃げ出そうとするが、びくともしない。こんなとき、体格の差が恨めしい。無理やり外そうとすると、なおさらきつく抱きしめられた。
「今日は、眠れそうにねぇ…一人じゃぁ、な」
小さく、耳元でささやかれた言葉。ぎゅっと目を瞑り、腕を広い背中に回した。





「……っあ…」
小さく声が漏れて、自分の手の甲を噛んだ。思い切り歯を立てると、口に鉄の味が広がった。
「馬鹿。何してる」
その手を取って、傷口に舌を這わせる。その感触すらも、快楽に変わって如月を嬲る。
「やめ…声が……」
「気にすんな」
「下に…んっ、聞…こえ……あっ!」
「どうせ、全員つぶれてるさ。声、出せよ」
「………ッ!」
舌がゆっくりと、二の腕から肩に移動してくる。肌に残る濡れた感触が、嫌悪なのか快楽なのか、もう分からない。唇を噛んで声を押し殺そうとすると、口付けで無理やり開かされた。
「翡翠」
自分の名前を呼ぶとき、村雨が一瞬だけ辛そうに眉を顰めるのを、如月は知っている。まるでそれは、手に入らない物に必死になって手を伸ばす子供の泣き声のようで。
気がついたら、彼の頭を抱きかかえていた。
「翡翠…」
「…うして……」
その声が、あまりにも切なくて、耐えられなかった。だから、問うた。
「どうして…そんな声で、僕を呼ぶんだ…?」
ぴくりと、村雨の体が強張ったような気がした。
「…答えてくれ、祇孔…」
「……お前が」
口を閉じ、開いて、また閉じる。こんなに戸惑っている村雨を、如月ははじめて見た。黙って、次の言葉を促す。
「…お前が…答えてくれるかどうか、確かめたかった」
ようやく、口から搾り出されたその言葉に、今度は如月の動きが止まった。
「どうして……」
口の端に上るのは、先刻と同じ問い。
「……さぁ、な」
しかしその次の瞬間には、もういつもの不適な笑みを浮かべていた。はぐらかされた問いをもう一度言おうとした唇は、また塞がれた。
「んんっ……はっ、祇孔! 質問に答えろ」
「もう答えただろ?」
「んう…この、卑怯ものっ!」
激しいキスに顔を赤らめる仕草が、とてもいとおしく感じた。まるでそれに敬意を表する様に、如月の額に優しく口付けを落とした。
「……あぁっ…!」
中心を貫かれて、悲鳴を上げる。それなのに、その痛みの中に甘い痺れがあることも、もう気づいていた。
「あ…祇孔…あ、ん、んあっ!」
離してほしくなくて、離れられなくて、首に腕を絡ませる。繋がっている時、如月は無性にキスをねだる。まるで、本当にひとつになりたいように。
「……ふっ…」
「ん、くんっ……はっ…」
それに答える村雨も、息が荒い。体が暴走する。相手のことしか考えられなくなるほどに。
「しこう…もうっ……」
「…あぁ…」
限界を伝える声に答え、いっそう大きく体を揺さぶった。
「愛してるぜ、翡翠…」
「あっ…アァ……っ!」





目を開けると、村雨はまだ寝息を立てていた。
こんなことは珍しいと、ついまじまじと見入ってしまう。ふと、不精髭の伸びた顎に指を伸ばし、薄くついている傷をそっとなぞった。
まるでその傷を癒すように。
「…祇孔…僕に何が出来る? お前に僕は、何をすればいい…?」
無意識のうちに、口をついて出たのはそんな言葉。自分が救われるばかりで、彼は癒されることがないのではないかと。
自分の思い込みかもしれない。自己満足かもしれない。けれど、僕は。
「僕はお前を救いたい」
お前は僕を救ってくれたから。
「…お前のしたい様に、すりゃあいいさ」
「!」
目を開けて、器用にウインクをかましてくる相手に、如月は絶句する。
「……いつから起きてた。この卑怯者」
寝返りを打ち、逆方向に体を向けた如月の髪を、そっと撫でてやる。
「つい、さっきな」
「……触るな」
向こうを向いたまま、多分赤くなっているだろう顔を想像して、村雨は喉の奥で少し笑った。
「悪かったって。…けどよぉ、さっきの言葉は本気だぜ」
「………」
無言で、如月はもう一度寝返りを打つ。笑みを浮かべた口元とは裏腹に、真剣な光を湛えた瞳を見返し、呟いた。
「…目を、閉じてくれないか…」
「…あぁ…」
その瞳を閉ざした村雨にそっと顔を寄せ、耳元で言うべき言葉を囁いた。