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のんべんだらりんごった煮サイト

レトロ

ごとん、と重い音がして、トワイライトゾーンへの扉は開かれた。
ヒュウ、と村雨が唇を鳴らし、扉を支えている如月の脇をすり抜けて中に入る。いつも通りの白い華一文字が埃に塗れそうで、少し顔を顰めながら呟く。
「相変わらず豪勢だな」
「幕末以前から使っている倉だからね」
扉が閉まらないように木片で固定してから、明かりを持った如月も中に入ってくる。こちらは着流しの袖を襷でくくり、準備万端の様相を呈している。
「んで、どっから取り掛かるんだ?」
「一階の整頓はもう殆ど終わっている」
「これでか?」
「茶化すな、お前だって正月手伝っただろう。今日は地下の方をやりたいんだ」
「地下ァ?」
これまでの会話を聞いていれば解るだろうが、本日毎度のように倉整理に取り掛かる骨董屋とそれに巻き込まれた賭博師である。訝しげな村雨の声に頷き、如月は蝋燭台を近くの箱の上に置くと、床に膝を付き、積もっている埃を手拭で乱暴に払った。
「ほォ…」
後ろからその場に近づいた村雨が、好奇心の抑え切れない声を上げる。其処に、そう簡単には気づかれないように床にカモフラージュされた扉が付けられていた。
「こりゃまた、年代モンだな。何が詰まってやがるんだ?」
「さぁな」
「オイ」
「僕も開けた事が無い。目録も無いし、御祖父様も恐らく使っていなかったと思う」
「んじゃ、本気で鬼が出るか蛇が出るか、ってぇモンなのか?」
「まぁ、そんな物騒なものは無いと祈ろう。覚悟はしておいてくれ」
「へいへい」
呆れたような返事を返しつつも、村雨の瞳は面白さを抑え切れずに輝きを増している。こういう時に高揚するのは子供の証だ、と思いつつも、如月も似たり寄ったりな気分なのでつっこみは入れない。
にわかに降って沸いた探検もどきに胸を躍らせながら、二人は取っ手を一つずつ手に取り、顔を見合わせて頷くと一気に引いて持ち上げた。





ごと、ごとん。
ぶわっ、と湿った埃が襲いかかってきて、思わず二人とも後退る。
「げほっ! こりゃひでェな」
「予想はしてたが…ここまでとは」
眉を顰めながらも第1陣が収まるのを待ち、そっと扉を完全に開く。揺らめく蝋燭の明かりを手に取り下を照らすと、木の階段が下へ続いているのが解る。
「腐ってねぇだろうな」
「どれ………多分、大丈夫だと思う」
足を伸ばし、何度か体重をかけてから頷くと、如月は頭を屈めて地下に下りていく。当然村雨もそれに続いた。
地下は地上よりも更に雑然としていた。敢えて追記するとすれば、上の方にはそれなりに芸術品とすぐ見て解る茶器や掛け軸もあったのだが、ここは武器やら防具やら物騒なものが大半らしい。堆く積み上げられたそれらが所狭しと並ぶ、ある意味遺跡だ。
「オイ、ここは発掘現場か?」
「言い得て妙だな…取り合えず、調べよう」
取り合えず何があるかを知るべく、適当な小さめの木箱に近づく。鍵は全て階段の近くの壁の穴にまとめて隠してあったので、それを使って開けてみる。
がしゃり。
「これは…」
驚きに目を見開く如月の声に、ヒューッと村雨の感嘆の口笛が被った。
中には、美しい宝石で彩られた首飾りが一つ。
「すげェな。値打ちモンじゃねぇか?」
「ああ………明かりを持っててくれ」
「おぅ」
蝋燭を手渡すと、そっと手拭で包んで豪奢なそれを手に取り、明かりに翳して吟味する。
「恐らく………西王母、だと思う。もう少し詳しく調べないと本物かどうかは解らないが」
「西海の女仙の名たァ、かなりの別嬪だな」
「今じゃとても値なんてつけられない…やれやれ、こんなものがごろごろあるのかここは」
呆れたような溜息と共に、そっともう一度首飾りを眠りにつかせた。どれだけの時を越えたのかは解らないが、少なくとも今は彼女が目覚めて良い時ではない。東京を騒がせた怪異は最早沈静し、戦いは終わったのだから。
その後も手分けしつつ蔵の吟味を続けたが、どうにも扱いが困るものばかりが出てきてしまう。
例えば、弁財天の名を冠する三味線。
「使いようがないな」
「下手に引いたら化けて出られそうだしな」
例えば、苦労して旧校舎から手に入れた、四神の名を戴く武器。
「………………」
「もっと早くにここ開けときゃ良かったなァ?」
「五月蝿い」
例えば、火薬玉を撃ち出す大筒。
「面白そうじゃねェか。一発撃ってみてェな」
「却下だ。はた迷惑な」
例えば、からっからに干からびた笹団子。
「……………」
「……………」
「なァ、翡翠。ここァ昔っから―――」
「黙れ。それ以上言うな」
例えば、(何故か)二昔ぐらい前のデザインのブラジャー。
「……………………」
「……………………」
「何も考えずに仕舞い込んでもいいだろうか」
「安心しろ。俺ァ何も見なかった」
「感謝する」
価値もへったくれもない物か、価値がありすぎて扱いに困る物しか出てこない。
「やれやれ…ここまで厄介とはな」
「もう明かり切れるぞ、一旦戻るか?」
「ああ。最後にこれだけ――――」
棚の隅に挟まれるように入れられていた、細く小さな箱を手に取り、ぱかりと開ける。
「…簪か。あまり値打ち物じゃあないな」
それなりに見栄えのする造形だが、いかんせん何の<力>も篭っておらず、他に見つけたものに比べれば格段に見劣りする。
「また外れ組か?」
「ん…これは?」
頷きかけた如月がふと気づいた。もうかなり古びているが、半紙が一枚簪に括り付けられている。破かないように慎重に解くと、明かりの前にそれを翳す。
「何だ?」
「…歌だ。恐らく、この簪を奉げる女性への」
もう赤茶色に煤けてしまっている紙には、流れるような達筆で一首、添えられていた。



『春たてば 消ゆる氷の 残りなく 君が心は われにとけなむ』



「古今集か」
「そうだな、恋の歌だ。『春になれば氷が水になってなくなるように、貴方の心が私に溶けこんで欲しい』といったところか」
「随分と洒落た代物だな。しかしこのままだったってこたァ、これを書いた奴ァ振られたな」
「かもな………」
生返事が返って来て、村雨は首を傾げて如月を見遣る。相手は真剣に、箱の方を吟味していた。
「なんだ、そっちの方が値が張るのか?」
「違う。―――これは…飛水流で昔から使われている隠し箱だ。多分、こうすると―――」
中身を抜き取った箱の底に手をやり、僅かな隙間に爪をかける。かちり、と音がして、上げ底になっていた部分が外れた。
「恋文かと思いきや密書だったか?」
「いや、これは――――…」
箱の下には何も入っていなかった。しかし如月の絶句はそれが理由ではなかった。
箱の底に、返歌が書いてあったのだ。恐らく、女性の書いたたおやかな筆字で。



『風立てば 君はとけなむ 遥か空 凍てつくは我が 心なりけり』



「………………」
「………………」
二人とも暫し無言で、それを眺めた。
「…返事は、届かなかったらしいな」
「…ああ。届けなかった、のかもしれない。どちらにしろこれを書いた時点で、この簪を送った相手は彼女の側にいなかったんだろう」
もしかしたら氷は、溶けかかっていたのかもしれない。しかしその温もりが風と共に掻き消えてしまい、彼女を再び凍てつかせてしまったのかもしれない。
どちらにしろ、ただの想像にしか過ぎない。悪戯に暴くべきことではない。
それでも――――――
じじ、と芯が今にも倒れそうな蝋燭が悲鳴をあげた。
「…っと、一旦戻るか」
「……ああ」
返事をしつつも、如月の足は動かない。何かを察した村雨は、僅かな明かりを床に置くと、如月の肩を抱き寄せた。一瞬緊張した肩が弛緩して、ゆるりと相手に預けられる。
「………引き摺られたか?」
耳元で低く囁かれる声に、小さく首を振る。
「そんな濃い<念>は残っていない。ただ―――――」
言葉を切り、肩に添えられた手に自分の手を重ねた。
「僕は、幸せ者だと思っただけさ」
自分を象っていた氷はとうの昔に、この暖かい炎で溶かされてしまっていたから。
どちらからともなく、顔を見合わせて少しだけ笑い合った。
その唇が、ゆっくりと近づき。
そっと重ね合わされた瞬間、蝋燭が尽き、辺りは闇に包まれた。