時計+人形

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月蝕

蝕まれる月。
煌煌と輝く月が少しずつ闇に欠けて行くのを、無言のまま見送っている。
否、無言のまま見送ることしか出来ない。
何も出来ない。手が届かない。それが堪らなくもどかしくなる。
子供の頃、月が欲しくて泣いたことがあった。
人の手が届くものではないと聞かされても、何度も何度も。
忌々しげにもう一度天を仰ぐ。
月は抵抗することも無く、只闇に喰われていた。


ピルルルルル…


「!」
懐の中の電話が鳴った。
電気を落とした部屋の中で光って自己主張する液晶に目を落とす。
「…………」
意外な相手からだった。
いや、別に知り合って間もないとか、しばらく会っていなかったとか言うわけではなくて。
凄く親しくても、自分から滅多に電話をかけることはしない相手だったので。
逸る気持ちを押さえて、通話ボタンを押した。
『…祇孔?』
掠れた声で名を呼ばれた。
「どうした…翡翠?」
名前を呼び返す。
『外を、見てみたか?』
「あァ…凄ェな」
見ることが恐ろしくなるぐらい美しい月蝕。
『祇孔、知っているか?』
どうもおかしい。いつもと何か、違う。
変な違和感を堪えて対話を続ける。
「何をだ?」
しばしの沈黙の後、耳元で囁かれた言葉は。
『古来中国では…、月蝕や日蝕は、月や太陽を龍が喰べてしまうから、付けられた名らしい。そう…信じられていたんだ』
「!」
通話を切った。
考えている余裕はなかった。携帯をポケットに突っ込んで、外に飛び出す。
違和感の正体がやっと判った。
早く、速く、あいつの所まで行かなければ。
宿星に縛られるあの男と、龍に蝕まれた月が、重なったから。








息を切らせて庭に駆け込むと、思った通り、如月は縁側に居た。
「…祇孔?」
僅かな詫びを瞳の中に揺らめかせて、如月が呼ぶ。
村雨は、何も言わずに片膝を縁側に乗せ、細い身体を抱き締めた。
「戻ってきやがれ。お前は月じゃねぇ」
「…………」
答えはない。ただ、背中に腕が回されただけ。
「…済まなかった。あんな電話を」
「気にすんな」
自分も同じことを考えてしまったのだから。
「お前が、いないと…」
「判ってる」
言葉を皆まで言わせずに、唇を塞ぎ、冷たい床の上に押し倒した。
既にかなり弱々しくなった月の光が、彼に当たらない様に。
もう、魅入られないように。
今、月は自分の腕の中にあるのだから。