時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

紫陽花

雨が降り出した。
駅のホームから出てきた男は、ツイてない、と言うように空を仰いで嘆息した。
だが、人を食ったような笑みを浮かべたままでゆっくりと歩き出す。
見る見るうちに、『華』の散った学生服が水を吸って重くなる。
体温が奪われていくその感触ですら、心地好いと感じる自分がいた。


いつのまにか、雨が好きになっていた。


あの、生真面目で潔癖でどうしようもない骨董屋の若旦那に会ってからだ。
季節外れの冷たい雨は、つれない想い人を思い起こさせた。
「ヘッ、らしくねぇ」
自分が冠する宿星は、赤帝火龍。
相反するものであるからこそ、惹かれあうのだと嫌味な友人は言っていた。
だが、自分にとってそんな物は糞食らえだ。
運命だの、宿星だの、そんな物はどうだっていい。
生きている内にアイツに会えた事、そのツキに感謝したい。
ともすれば、自らの命を簡単に捨て去れるほど、この東京(まち)にがんじがらめに縛られた奴に。
温もりだろうが、居場所だろうが、自分の命だろうが、擲ってやりたいと思える自分がいる。
神だろうが悪魔だろうが、アイツは誰にも渡さない。
ふと、目の端を鮮やかな赤紫が掠めた。
足を止めて見ると、雨に濡れて咲き誇る紫陽花が、葉を広げて植わっていた。
―――濡れて紅く色が変わるそれに、彼の人を思い出した。
ざくり。
茎に手を添え、思い切り摘み取る。めぼしい花と葉を取ってしまうと、一纏めにして担いだ。
きっと雨で閉じこもっているだろう、姫君への土産に。
これを見て、どんな顔をするだろうか。
驚くだろうか。
笑うだろうか。
きっとさっき考えたことを言えば、顔を真っ赤にして暴れ出すことは間違いないだろうと思いつつ。
楽しそうな笑みを浮かべながら。
先程よりも早足で、目的地に向かって歩き出した。






ぱしぱしと、大粒の雨が店の軒先を叩いている。
その音の心地よさを味わいながら、店に出している壷の表面を手拭で軽く拭く。
年代物の骨董品にとって湿気はやはり大敵なのだ。
雨は元々嫌いじゃ無いが、やはり梅雨の鬱陶しさには少々閉口する。
外に出ているうちに降り出せばまだ諦めがつくが、昼夜問わず降られると外出予定が大幅に狂ってしまう。
雨音に身を任せて物思いに耽っていた如月の耳に、別の不協和音が割り込んだ。ばしゃばしゃ、と水を蹴立てている足音。
近づいて来るその足音のみに耳を欹てていると、予想通りにその音は店の前に止まった。すぐ後、ばしんばしん! と叩かれる戸口。
溜息を吐いて、腰を上げた。
がらがらっ、と無遠慮に戸を引く。
「よォ、ただいま」
「お帰り……、何の用だ」
思わず自然に返してしまった自分が悔しい。いつも通りの人を食ったような笑みを浮かべる村雨に一睨みくれると、それでも身体を引いて相手を中に入れてやる。
白い学帽から滴り落ちてくる水がやけに多いのに気付く。
「朝から降っていたのに…だから傘を持ち歩けと言っているだろう」
呆れた様にまた溜息を吐く如月に、村雨は器用に片目を瞑って返す。
「そんな気分だったんだよ」
「風邪でもひいたらどうする」
「心配してんのか?」
「誰が」
ぴしゃりと言う如月に、また笑みが漏れる。憮然として、着替えを持ってこようと踵を返す腕を村雨の大きな掌が掴んだ。
「…? 何だ」
「土産だ」
その言葉と共に、ばさりと目の前に色鮮やかな紫陽花が山ほど出されて、一瞬眼を奪われる。
「…これは…どうしたんだ、こんなに」
「来る途中、見つけてな。ごっそり貰ってきた」
「………人の庭から盗ってきたのか?」
「馬鹿、群生モンだ」
今度は村雨が憮然とする番だ。笑いを堪えて、自分が濡れるのも構わず土産を受け取った。ひやりとした葉の感触が心地良い。
「中々のモンだろう?」
「あぁ…見事だな」
一房手に取った。と、葉の下から小さな蝸牛が一匹這い出てきて、思わず顔を綻ばせた。
「これも、土産か?」
相手の手の中を覗きこんだ村雨も気付いたらしく、くくっと笑った。
「ツイてねぇ奴だな」
学帽を脱いで水を落とすと、髪をかき上げる。
「こら、ここで水を落とすな」
「固ェこと言うなよ」
「着替えを持ってくる。一息ついたら……これはお前が生けてくれ」
滅多に出されることのない如月からの願いに、一瞬目を見開いた後、笑みを洩らして返事をした。
「了解」