時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

Ring.

心臓に一番近い指に金属の輪を填めるのは、
決して束縛が目的では無い。







「生憎の曇り空ですね」
「あぁ」
日の沈みかけた空は今にも涙を吐き出しそうに重かった。骨董屋の縁側からそれを見上げ、偶々寄った壬生は玉露をご馳走になっていた。
「珍しいね、特に理由も無いのに遊びに来るのは」
「久しぶりに、美味しいお茶が飲みたかったので」
「光栄だね」
湯呑を上品に掲げて口の端を上げる不器用な笑い方に、如月も笑顔を返す。と、何かに気づいたようにふと外を見遣る。まるでそれを待っていたかのように、しとしとと雨が降り出した。水に関して敏感なのは、学生時代から変わっていない。
「降りだしてしまったね。傘は持ってきてるかい?」
「えぇ」
もう一口、湯呑を口に運ぶ。
沈黙が続く。
さぁさぁと地面が色濃くなってゆく。
「…すまないね、気を使わせて」
やがて唇を開いたのは、如月の方が先だった。唐突に謝られた壬生は、少しだけ驚いて目を開き、困ったように笑った。
「お見通しでしたか。浅はかでした」
「いや…正直、感謝してる」
縁側に視線を向けたまま、囁くように言う。
「今日だけは、ちょっと。大丈夫かどうか、解らなかったからね」
「如月さん…」
今日は七夕。7月7日。
如月が、最も大切な人間の、誕生日。
去年までは、いつも一緒に過ごしていた。それが当たり前だった。空気のように、存在が常にあった。
それが、今年は無い。
この春に、彼は一人、高みを目指してこの国を飛び出してしまったから。
しかし如月は、それを責める事はない。詰ることも無い。
痩せ我慢や虚栄ではなく、笑って送り出したから。
彼の帰る場所はここだと知っていたし、お互いを縛りつけるような関係は願い下げだった。
それでも。
やはりこういう節目の日は、どうしても思い出してしまって。
ほんの少し、ほんの少しだけ、寂しさを覚えたけれども。
「もう、大丈夫だ」
そう言って、にっこりと笑った。その笑顔を見て、壬生も安堵の溜息を洩らす。それと同時に、僅かな羨望を込めて如月を見返した。
「貴方は…どうして、そこまで強くなれるんですか?」
「うん?」
「僕は…耐えられないです。もし、あの人と遠く離れることになったら…多分」
膝の上に置かれた湯呑の中に映る自分の顔が不細工に見えて、持っていた手を少しだけ揺らして掻き消した。
「…僕は、強くは無いよ。―――ただ、僕にとってあいつは―――そう。自由の象徴だったから」
「自由…」
「そう」
如月と壬生。立場は違えど、自らの道に自分を縛りつけていた気概は同じ。
そして、如月は我慢することを覚え。
壬生は、諦めることを覚えた。
それを頼みもしないのに解き放ったのは。
不敵な笑みを浮かべ、少し高めの声で自分を呼ぶ、傲岸不遜なあの男だった。
玄武という名の束縛から自分を解き放ってくれたのは彼なのだから。
「僕が縛りつけるわけにはいかないだろう?」
「………そう、ですね…」
壬生も彼の人の気質は嫌と言うほど知っている。いつも飄々と、自分が望んだ通りのことを実行する彼は、目の前の若旦那と正反対で。まさしく、火と水を象徴するような、相反するカタチを為していて。
それなのに、まるでオセロの裏と表のように、ぴったりくっついて離れないことが正しいのでは無いかと思わせるような絆があって。それに触れることが、純粋に嬉しかった。
「あと…証があるからね」
「証?」
首を傾げた壬生に、如月は彼にしては珍しく悪戯を仕掛けるような笑顔を見せた。その仕草がほんの少しだけ彼の人を思い起こさせて、近しい人が似てくるのは本当なのだなと壬生はぼんやり思ったりした。
そんな壬生の目の前に、無造作に差し出された左手。
僅かに鈍く光る金属の輪が、薬指にぴたりと填っていた。
「これは……」
「いつもは、仕舞っているんだけれどね…縛るためのものじゃないから、普段は付けるな、とね」
その指輪を渡された時の言葉を思い出し、如月はまたくすりと笑った。
「悪いが、今日はちょっと我慢出来そうになかったから」
「似合いますよ」
慰めに来たつもりが惚気られてしまった、と壬生もくすくす笑う。流石に少し照れ臭そうに、如月も自分の左手を右手で覆った。



そのあと、最近の出来事なんかをぽつぽつと話しながら、時間が過ぎ行くままにしていると、壬生に迎えが来て帰っていった。
一人になると、静けさが際立つ。一人でいるのはいつものことだけれど、今日はやはりほんの少しだけ落ちつかない。
「…今日ぐらいは、許してくれよ?」
目を細めて、愛しい者に向けるような視線を左手の金輪に向けて。
填まったままのそこにくちづけを落とした。
「…誕生日、おめでとう」
多分、この言葉は届いているだろうと、なんの根拠も無く、思った。





その頃。
遠く離れた異国の、晴れた空の下で。
傲岸不遜な色男は、やはり普段は填めていない安物の指輪を心臓に一番近い指に填め、そこに唇を落としていたわけで。
「……ありがとよ」
期待しているわけじゃない。ただ、今日だけは、たとえ遠く離れていても、自分の存在を祝ってくれているだろうと思ったから。
だから、礼を呟いた。