時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

芽吹き

マンションの部屋の中に荷物を全部運び入れ、麻央は一息入れた。親元から離れて東京で暮らすことに不安は無かったとは言えない。しかし、もうそろそろ離れる時期だろうとも思っていた。
義両親のことも、血の繋がらない弟妹も、とても大切だ。傷つかないように護れたら、どんなに幸せかと思う。だが自分の人ならざる《力》は諸刃の剣だ。自分はともかく大切な人まで傷つけることはなんとしても避けたい。
そのためには、離れてみるべきかもしれないと真剣に考えていた麻央にとって、鳴瀧の提案はまさに渡りに船だったのだ。
ふと床に目をやり、繋げたばかりの電話機が目に入る。手を伸ばしかけて、躊躇し、結局やめた。
「一日目でホームシックに落ち込んでいれば世話は無いな…」
そう言って、苦笑いした。
もう眠ろう。
明日は学校だ。
新宿、真神学園へ………。


夢を見た。
暗闇の中に差し込んだ一条の光。
『どうしてお前、こんな所にいるんだ?』
声が聞こえる。
『こっから出してやるよ。ほら、手ェ伸ばせ』
おずおずと、光に向けて手を伸ばす。指の先が触れる。暖かい。
『ほら、行くぜ』


「…………!」
目が覚めた。体を起こしてその内容に首を捻る。
いつもなら悪夢になるべき夢。誰も自分の傍にいない、暗闇の中でただ一人で。紅色に染まった鬼がやって来て刀を振り上げる、子供の頃から見続けていた悪夢。…のはずなのに。
いつもと結末が違うだけでなく、寝覚めもすごく良い。こんなにすっきりと起きられた朝は何年振りだろう。
何となく、いい事があるかなと思って、麻央はベッドから抜け出した。



[yan]

「緋勇 麻央です。よろしくお願いします」
凛と通る張りのある声に、京一は目を覚ました。顔を上げると、黒板の目の前に立っている男生徒が目に入り、ああ、と納得した。
(そういやぁ、転校生が来るとか言ってたか)
それが男だと判った時点で興味を失っていたのだが、本人を見て少し感想が変わった。
背丈は自分より少し低いぐらい。細身だが、服の上からでも必要な筋肉が付いているのが判る。京一の目には、転校生が何らかの武術を修めているのがすぐに判った。
(醍醐が喜びそうな奴だな)
そう心の中で揶揄したが、自分も興味が無いといったら嘘になる。自分の前の席に座った相手に、とりあえずHRが終わったら声をかけようと決めた。


チャイムが鳴り、さてとっと思ったら、隣の席の美里に先を越された。何か色々話し掛けているが、麻央はその呼びかけにいちいち返事を返している。言葉繰りはやや古めかしいが、高すぎず低すぎない声音で言われると決して不快ではない。
「何か解らない事があったら、何でも聞いて」
「ありがとう、美里さん」
ふわり、と微笑んで麻央が答える。本人無意識なのかもしれないが、男に免疫の無い美里にとって不意打ちだったのだろう、顔が赤らんでいる。さりげなく後ろに目線をやると、思った通り佐久間が軋む音が聞こえそうな勢いで歯を剥き出しにしている。
(ヤバイな)
初日からいざこざを起こさせることもあるまいと、美里が乱入した小蒔といっしょに麻央から離れた隙に、声をかけた。
「よッ、転校生」
「……君は?」
「俺は、蓬莱寺 京一。これでも剣道部の主将をやってんだ。まッ、縁があって同じクラスになったんだから、仲良くしようぜ」
「…あぁ、そうだな。よろしく、蓬莱寺」
美里に向けたのと寸分違わない、笑顔。長めの前髪に瞳は隠されているが、すっと通った鼻梁や薄い唇は、美男子の部類に入るだろう。その笑顔になぜか動揺しつつ、『忠告』も忘れない京一だった。



[yin]

午前中は目まぐるしく終わってしまった。
こんなに他の人と話をしたのは久しぶりかもしれない。前の学校では、麻央は常に敬遠される身だった。せっかく仲良くなった友人も、自分の意思で引き離した。
(巻き込むわけにはいかない…)
自分の中にある陰と陽の《気》。それは常に、油断すると天秤から零れ落ち、辺りに噴出す。それによって彼は、人を殺めたことがある…のだ。
(もう二度と、あんな思いはしたくない)
そう彼が思っていても、転校生の物珍しさからか、次々と声がかけられる。
そして、遠野 杏子に話し掛けられているとき……
「ずいぶん女に囲まれて、ご満悦じゃねぇか……」
「……別に、そんなつもりは無い。何か…気に障ったのか?」
大真面目な顔でこう返されては、立つ瀬が無いという奴だろう。案の定、佐久間は顔を歪めて麻央を体育館裏に呼び出した。
「てめぇのその面を、柿みてぇに潰してやる…」
相手から明確に吹き付けられる、悪意。麻央はこれが苦手だった。なまじ相手の心を真正面から受け止めてしまうが故に、心に傷を負って苦しむ羽目になるというのに。
「てめぇもついてねぇぜ…」
「佐久間さんに、目ぇ付けられちまうなんてよ……」
他の不良達もニヤニヤと笑って、ゆっくりと包囲を狭めていく。その圧迫感に、麻央は必死で耐えた。
すると。

どくん。

「………ッ!」

じわじわと、体の奥底から闇が湧き上がってくる。この感触は…前に感じたことがある。
小学生の時、左右の目の色が違うことから始まったいじめがエスカレートして……
中学生の頃、担任教師から理不尽な暴力を受けたとき……
相手の感情を受け止めきれなくなったとき、彼は暴走した。天秤が傾き、皿から全てを滅する力が溢れたのだ。
(落ち着け……! いつもならこれぐらい、耐えられるはずだろう……!)
学生服の襟元を握りしめ、俯いて堪える。それなのに、力の奔流が止まらない。この学校、いや、東京に来てから、自分の気がどんどんと高まっていくのを感じていたが、これほどとは思わなかった。力が暴走する……!
(駄目だ……っ!)
麻央が諦めかけた、その時。

「オイオイッ、―――ちょっと転校生をからかうにしちゃぁ、度がすぎてるぜ」

ふ。と。
力が抜けた。
否、体の奥底にあるどす黒い物が光に洗われたような……
木の上から、京一が降りてくる。
「……………!」
ああ。
光、だ。
麻央の琥珀色の左目に、ビジョンが映る。
太陽の眩しい光を、反射する剣―――――――



[yin&yan]

「…緋勇ッ。俺の傍から離れんじゃねーぜ!」
陽の《気》が張り巡らされた木刀が、相手を叩き伏せる。その動きの見事さに、麻央は一瞬見惚れた。
「よそ見してんじゃねぇっ!」
そう言って殴りかかってきた不良を、体の軸をずらすだけで難なくかわす。たたらを踏んだ相手の鳩尾に、掌打を叩き込む。相手の数が多いときは、いかに早く相手を戦闘不能にするかが勝負だ。武道家として洗練された動きを見止め、京一が口笛を吹く。
「ぐっ…チクショウ!」
手下が次々と倒され、激昂した佐久間が麻央に襲いかかる。素手の麻央の方が御しやすいと思ったのかもしれないが。
「………!」
麻央は、自分がずいぶんと落ち着いているのを理解していた。負けるかもしれないという不安も、自分の力が取り返しのつかないことをするのではないかという恐怖も無い。そう思えるのは……
(彼がいるから)
自分の中の《気》は、驚くほど落ち着いている。凶悪な刺が全て抜け落ちているのに、闘気は失わない《気》。それを足に乗せ、一気に振り上げた。
「……せやっ!」


その後、まだ諦めていないらしい佐久間を同じ部の主将である醍醐が諭し、緋勇麻央の転校一日目は波乱万丈で終わった。
「……蓬莱寺」
「ん? どうした」
「あの…、さっきは有難う」
「…んだよ、改まって…気にすんなよ、あのくらい」
「違う! そうじゃないんだ。その、喧嘩のことじゃなくて…」
「?」
どう説明すれば良いのだろうか。自分の暴走を止めてくれたことを。自分ですらまだ、原因がはっきりとわかっていないのに。
「…いや…なんでも無い。ともかく、本当に有難う」
「何だよ……変な奴」


全てはここから始まった。
それ以外に方法はない…もはや彼の道は開かれた」
「…俺が昔鍛えてやった餓鬼も、東京にいるはずだ」
(願わくば出会い、その力を貸してやれ―――)