時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

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「よー…ってお前、何やってんだ」
クリスマスの朝、病室に見舞に来た京一が見た光景は、既に身支度を整え終わりコートを羽織っている柚麻の姿だった。
「今日の午後退院じゃなかったのかよ」
「はぁ? この日、この俺が、朝からのんびりしてられるとでも思ってんのか? 京一、地図寄越せ地図」
不遜にふんぞり返ってからひらひらと手を伸ばす。つい数日前瀕死になったとは思えない回復ぶりに、心配して損した、と呟きながら昨日電話で頼まれた地図を手渡した。東京23区の簡素な地図をベッドの上に広げてじっくり見聞を始める。
「あの子は確か今日…だったら…いや、………よし、何とかなるか」
「オイ、何する気だ?」
「聖ニコラウスにあやかって、プレゼントでも配ってくるさ」
京一には突然言われた聖者の名前が、クリスマスにおなじみのあの赤い服の老人の語源になったものだとは勿論知らなかったが、彼が何をしようとしているのかは大体解った。
「へーへー。で、誰に逢って来るんだ? 美里か? 小蒔か?」
「全員」
すらっと言われた言葉に、京一が目を見開く。
「全員って…仲間全員か!? 無茶言えよ、今日1日でか!?」
「当ー然。誰一人、寂しい思いなんてさせるかよ」
ふふん、という笑いかたが似合いそうな笑みを浮かべ、ばさりともうトレードマークになっている黒いロングコートを翻す。
「じゃ、行ってきまーす」
「お、おい!」
病み上がりの身体で東京一周の旅、プラス女の子達への贈物と笑顔つき。これを今日1日でやる気なのだ。無茶だと思いつつも、目の前の男ならやれそうなのが恐ろしい。
「これ、お前の退院は午後だろう?」
と、目の前に山が現れた。否、正確には山のような身体が。
言わずと知れたこの病院の院長、岩山である。
「お許し下さい。今日私は伝道師となり、全ての女性に愛を与えに参ります」
「ふん。残念だねぇ、もうちょっとアンタの身体をじっくり診察したかったのに」
芝居がかった動作で一礼する柚麻を、ヒヒヒと不気味な笑い声で答える院長。その行動に京一が一歩後退るが、柚麻は平然としている。いや、そればかりか―――
「貴方のお心を満たせるのなら、すべてが終わった時になんなりと―――、この身体が貴方の礎となるのならば」
本気の笑みを浮かべ、院長の太い指の手を取り恭しくくちづける。
「ヒヒヒ、期待してるよ」
「喜んで♪」
もう一度軽く礼をして、溌剌と歩き去って行く柚麻の背中を見ながら「あいつにゃ勝てねぇ…」と京一が呟いたのは言うまでもない。





「ねぇ葵ッ、ユーマ今日退院だよねッ」
「ええ、そう聞いてるわ」
「学校引けたらお祝いに行こうよ!」
背中から親友に飛びついて嬉しそうに笑う小蒔の顔を見て、美里も笑う。
と、始業前のざわつく廊下が一層騒がしくなり、ガラッと教室の扉が開いた。
「来須だ!」
「キャー、ユーマくん!!」
そこに立つのはまさしく、水色の髪に黒コート、左目を覆った医療用の眼帯―――来須柚麻だった。病院を自主退院した時と僅かに違ったのは、その手に真っ赤な薔薇の花束を抱えていたこと。良いところ気障、悪くすれば阿呆にしか見えないその姿が滑稽ながら嵌るのは彼の性格所以だろう。
「葵ちゃん、小蒔ちゃん、久しぶり♪」
「ユーマぁ〜! どうしたの、午後退院じゃなかったの!?」
驚きは一瞬で、小蒔が嬉しそうに柚麻に駆け寄る。吃驚して目を見開いていた美里も、それに続く。
「もしかして、抜け出してきたの?」
責めというより心配を前面に出してくる聖女の言葉に、小蒔もはっとする。それを安心させるように、柚麻はにっこり笑って、花束から棘を抜いた薔薇を2本引き抜き、二人の手に握らせた。
「Merry-Christmas、My dear♪」
それだけ言って、まずは葵、続いて小蒔の頬に軽くキスする。キャー! という歓声とウオー、という怒声がC組に響く。
その中にはクラス一身体の大きい白虎の悲鳴も混ざっていたとかいないとか。二人の少女は軽く頬を染めて礼を言った。彼と生活して行くうちで、こんなのは日常茶飯事になってしまっていたりするのだがやはり照れるのには変わりない。
「やだ、ホントにユーマじゃない!」
「うふふふふ〜、やっぱり来てたのね〜。波動を感じたわ〜」
と、開けっぱなしだったドアからB組のアン子とミサが顔を出した。いち早くそれに気付いた柚麻は素早く近づく。さりげなく、教壇の中に手紙と薔薇を1輪忍ばせたが、誰も気付かないようだった。
「Merry-Christmas、アン子ちゃん、ミサちゃん」
「ふふ、ありがとっ」
「うふふふふ〜、ミサちゃん照れちゃう〜」
薔薇を差し出し、アン子の頬にも同じ口付け。肩を竦めながらアン子はそれを受けた。ミサにも同じようにすると、次に人形を差し出された。柚麻は少しも臆さずに、人形の頬にも腰を屈めて口付ける。
「それじゃ、またね」
「えッ、もう帰っちゃうの?」
「生憎俺の身体が15体ぐらいあれば、淋しい思いはさせないんだけどね。許して」
小蒔のさらさらの髪をそっと撫でて離すと、踵を返して柚麻は再び走り出した。




「ねぇ高見沢さん、クリスマスにはご予定あるの?」
「え〜っ、ナイよお〜」
「じゃあさ、一緒に寮でパーティやらない?」
「わ〜ッ、行く行くう〜! あ〜、でもぉ〜、夜からじゃダメ?」
鈴蘭看護学校では、この日ばかりはやはりはしゃいだ看護婦の卵達が談笑していて。高見沢もその輪に入りながら、今日退院するはずの患者のことを考えて、目の前で両手を合わせた。
「どうせ夜からよ。でもどうして?」
「あのね〜…」
「舞子ちゃん?」
「うん、ダーリンがね〜…あれ?」
きゃあ、と舞子の周りにいた女子が声をあげる。くるっと舞子が振り向くと、強すぎる暖気を逃がすために開けておいた窓から、柚麻が顔を出していた。
「ダーリン〜! びっくりしたぁ〜、何してるのぉ〜?」
「Merry-Christmas、Honey♪」
窓から薔薇を1輪差し出して、身を乗り出して柔らかい頬に軽くキス。またキャー! と周りが騒ぐが、舞子はとても嬉しそうに笑って、
「や〜ん、お返しい〜♪」
と言って、柚麻の頬にキスを返す。可愛くて仕方ない、という顔で舞子の頭を撫でると、柚麻は近くに止めておいたバイクに跨った。
ほわほわと手を振りながら、「あ〜っ、ダーリン勝手に退院したのね〜。めっ、なんだからぁ〜」と呟き続ける舞子に、クラスメイト達の質問が降り注いだのは言うまでもない。





天野絵莉は、重い機材の入った鞄を下ろしながら、一つ息を吐いた。ルポライターは体力勝負といっても、こんな日にまで取材が入ると流石に休みを渇望したい。
「あっ、天野さん! さっきお客さんが来てたんですよ」
「お客? 私に?」
「えぇ。高校生ぐらいの男の子なんですけど、結構かっこよかったですねぇ。どうやって知り合ったんですかあ?」
興味津々で身を乗り出してくる後輩に構わず、絵莉は慌てて自分のデスクに駆け寄った。
はたしてそこにあったのは、薔薇が1輪とカードが一枚。そこにはちょっと右上がりの曲字で、『Sorry,I'm very busy at today.Merry-Christmas!』それだけ走り書きで書かれていた。
「結構急いでたみたいなんですけど、ギリギリまで粘ってたみたいですよぉ。すっごく慌てて走っていきましたから」
「そう…ふふ、大変ね色男さん」
それだけ言って、カードの上に紅い口紅でマークを残した。





もうすでに、中学校では授業が終って、生徒達は下校を始めていた。
にゃーん。
「メフィスト? What are you doing?」
突然自分の肩から飛び降りて、一声鳴いた愛猫を不思議に思い、マリィは足を止めた。と、視界に黒い靴が入る。ぱっと顔を輝かせて、マリィは顔をあげた。
「ユマお兄ちゃん!」
「Hi、マリィ。良い子にしてたか?」
「Of course!」
にこにこ笑って、柚麻に飛びつくと、しっかり抱き締めてくれる。久しぶりの暖かさと安心感に、マリィの顔が綻ぶ。
と、眼前に1輪の薔薇が差し出される。
「くれるノ?」
「Merry-Christmas,Marry.Bress to you!」
「OH!」
チュッと頬に音を立ててキスをされる。お返しに、マリィも小さくキスを柚麻の頬に返す。ブロンドの頭をふわふわ撫でて、柚麻は小さな天使を家まで抱き上げたまま送ってあげた。





折角のクリスマス、これからどうしようかと携帯片手に逡巡していた亜里沙は、眼前に差し出された紅いモノに虚をつかれ、目を瞬かせた。
「Merry-Christmas!」
「やだ、柚麻? びっくりした、脅かさないでよ」
「ごめんごめん。折角のクリスマス、君と過ごしたくってさ」
「あら、上手ね。他に誰に同じ台詞言ったの?」
「今の所、君だけだよ」
くすくす笑いながら、遊ぶ様に言葉を交す。誰よりも、相手が近いと思えるのは、きっと自分達が似ているから。
「ずるいわね。絶対に、誰のモノにもなりたがってないクセに」
「今だけなら、君だけのモノになれるけど?」
頤に指が添えられる。抵抗もせずに、亜里沙は顔を上向かせた。
「そうね、悪くないわ」
「Thank you」
それだけ交して、往来の無遠慮な視線を無視して、濃厚な口付けを交した。
「…あんたを最後に独占できるのは、誰なのかしらね。何となく解るけど」
「どうかな。一応お誘いはかけてみたけど、叶うかどうか」
「珍しく弱気ね。もし振られたら、真っ直ぐウチにいらっしゃい」
「喜んで」
共犯者の笑みを浮かべる亜里沙に、流石の柚麻も苦笑して、もう一度今度は軽くキスをした。






「テメェ、殺す―――ッ!!」
手加減なしに振るわれる薙刀を、柚麻は全て紙一重でかわしている。
西日が傾き始めた頃、織部神社に辿りついた柚麻は、他の人と同じく、境内にいた雪乃に薔薇を1輪渡し、手の甲に軽く口付けた。それは当然、雪乃の堪忍袋の緒をぶつりと切る羽目になり、今現在おいかけっこが続いている。
「どうなさいましたの、姉様? あら、柚麻さん」
「あ、雛ちゃん♪」
「逃げろ、雛ッ!」
回避を続けながら、次のターゲットを見つけた柚麻の動きは素早かった。雪乃の忠告にきょとんとしていた雛乃は、瞬きする間に薔薇を巫女装束の胸元に挿され、手の甲にキスされた。
「…………………!!!」
しばし呆然のあと、ぺたんと腰を抜かしてしまった妹の姿に、姉は激昂の叫びを放った。
幸いなことに薙刀の刃は、水色の髪を2、3本宙に舞わせただけで済んだが。





「すっげ不本意なんだけどさ」
「は、はい」
とあるスタジオの控え室。唐突に呼び出された霧島は、滅茶苦茶不機嫌そうな先輩の声に身を竦ませた。
「俺はね、今日非常に忙しいの。故に、多忙極めるアイドルとも中々時間が合いません。不本意だけど、すっげー不本意だけど、これはお前に預ける」
そう言われて差し出されたのは、紅い薔薇1輪とメッセージカード。
「は、はい、ありがとうございます!」
「お前に礼言われても嬉しくねっての。任せたからな。絶対渡せよ」
「はいっ、先輩もお疲れ様です!」
それから小一時間ほどで、漸くさやかがスタジオから出てくる。
「お疲れ様、さやかちゃん。…これ、柚麻先輩が来てたんだ」
「先輩が? ありがとう…あら?」
ぱさりと落ちたメッセージカード。それを拾おうと腰を屈め同時に手を伸ばした霧島とさやかは、そこに書いてあった文面を同時に読み、赤面するはめになる。
『申し訳ないけど、不本意ながら祝福の口付けを贈る役目は騎士の後輩に譲ります。Merry-Christmas! yu-ma』





クリスマスだろうがなんだろうが、彼らの仕事は変わらない。
「よーし、明日ッからまたショーの準備だっ!」
「紅井、お前が仕切るな! リーダーである俺を立てろ!」
「なんだとッ、お前のどこがリーダーなんだよっ!」
「もー、二人ともやめなさいよっ!」
相変わらず進歩のない二人を諌めた桃香は、後ろからの排気音に振り向いた。
「や。桃香ちゃん♪」
「あれっ、柚麻くん!?」
バイクに跨ったまま、車道から話し掛ける柚麻は、薔薇を1輪すっと桃香の前に差し出した。慌ててそれを受け取ろうと伸ばされた手を取り、軽く口付けると小さく「Merry-Christmas,My Heroin」と呟きすぐに離れてバイクを発進させひらひらと手を振った。
「…や〜ん、かっこいい〜! ヒーローみたい♪」
『何イィッ!?』
一連の動作に感極まったかのように叫ぶ桃香の声に、未だエキサイトしていたらしい二人が、慌てて振り向いた。






「さてと」
浜離宮公園までやってきた柚麻は、軽くとんとんとつま先で地面を叩く。
最高にガードの固い相手に逢いに行くので、慎重になるに越したことはない。
まず、目を閉じて気配を探る。残された結界以外は、あの天敵の気は感じない。OK。
そして、ポケットの中から、方位磁針と羅板が合体したようなオリジナルの術具を取りだし、目の前に翳す。
それが示す方向に歩き、もう一度回し、向きを変えて数歩歩く。その繰り返し。古くは方違えという魔除けの仕方だが、それをアレンジすればわざと異界に入ることが出来る。続けていると、段々と現実が遊離していく。それを逃さず、柚麻は時空の歪みに飛びこんだ。
一瞬の酩酊感の後、柚麻は「本当の浜離宮」まで辿りついていた。
「…ご主人様? どのようにここへ…?」
僅かに戸惑ったような、桜色の着物を着た式神へ、柚麻はにっこりと笑う。
「芙蓉ちゃん、今日も可愛いね♪ これはお土産」
すっと紅い薔薇を1輪、芙蓉の黒髪に挿すと、それを一房取り恭しく口付けた。
「来須さん…?」
「おっ、マサキちゃん。久しぶり♪」
「はい、お久しぶりです…」
安心したような笑みを浮かべるマサキ。柚麻は始めて逢った時から、「彼」が「彼女」であることに勿論気がついていた。式神であるはずの芙蓉を、正体が判ってからも「女の子扱い」し続けたのも柚麻だ。この娘達にとっては戸惑うことであったけれども、嬉しかったのもまた事実で。
「かの結界を掻い潜り、ここまで参りました。どうか、お納めください♪」
すっと差し出された薔薇を、笑って受け取った。と、その白くて細い指先に軽く口付けられ、びっくりしたようにその手を引っ込めた。
その瞬間、ぴっ、と柚麻の髪を何かが掠める。ひらりと地面に落ちたそれは、五方星が描かれた一枚の咒符。ちっ、と舌打ちして柚麻が立ちあがる。
「晴明様…」
芙蓉が、突然虚空から現れた唯一無二の主の名を呼ぶ。普段から冷静さを崩さないのにいつにも増して表情が冷たい。絶対零度の視線をきりきりと柚麻に向けてやる。
「危ねぇな。マサキちゃんに当たったらどうすんだよヘボ陰陽師」
「人の結界に押し入ってその台詞とは、盗人猛々しいですね。さっさと帰りなさい、言霊に振りまわされる愚か者は」
ぴきぴきっと空気に緊張が走る。芙蓉が素早く車椅子を押してマサキを避難させる。
異界の浜離宮に、術式の光が閃いた。





「あーくそ、ヤバイ、もう時間じゃん!」
バイクを全速力で飛ばしながら、柚麻はしきりに陰陽頭に対して悪声を放つ。
お誘いの手紙は、机の中に入れておいた。果たして、来てくれるかどうかは解らない。
それでも、待ち続けようと思った。
バイクを乱暴に降りて、待ち合わせ場所のイルミネーション前まで走る。ぎりぎりで間に合った、まだ相手はついていない。
返事が来るかどうかすらわからない、相手。
きっと想いに答えてくれることはないのだろうと想う。…前まで同じようだった、自分がこう言えるから。
僅かな肌寒さに、ちょっと震えると空を見上げる。ほんの少しだけ、罪悪感が胸を掠める。
(―――ごめんなさい、父さん、母さん)
やがて、美しい女性が一人、柚麻のすぐ近くにやってくる。弱い月明かりに照らされるその姿は、神秘的で恐ろしくて、堪らなく惹かれた。
彼女もまた、闇の世界の住人だったから。
(俺はやっぱり、こっちの世界が性に合ってるよ…)
それだけ心の中で呟いて、目を閉じる。



人でなくとも愛しい貴方、
貴方の望みは何用か?
願うのならば、望むのならば、
どうかそれを私に聞かせて。