時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

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「あ・お・い・ちゃん?」
後ろから名前を呼ばれて振りかえると、そこに水色の頭があった。
「あ…来須くん。おはよう」
「おはよ。昨日はありがとね、これ」
手渡されたのは、真っ白なハンカチ。済まなそうに肩を竦めると、柚麻はこうのたまった。
「洗ったんだけど、血取れなくてさ…これはお詫び」
その上に、小さな包装紙に包まれたプレゼントを置いて、彼女の手の上に重ねて置いた。
「これ…」
「安物だけど、受け取ってよ」
「え、でも…」
「いーから! 女の子は男に貢がせても罪にはならないよ」
「でも……」
なおも遠慮しようとする美里に、後ろから影が覆い被さった。
「いーじゃん、葵。貰っちゃいなよ!」
「小蒔―――」
「小蒔ちゃん♪」
「美人は得だなー」
「小蒔ちゃんも可愛いよ?」
「へへ…もぅ、上手だなァ。誉めたってなにも出ないよッ」
「本気だけど?」
「…も――!」
僅かに顔を赤らめて腕をばたつかせる小蒔に、葵もくすくすと笑みを洩らす。
「あらあら、来須クン、両手に華ねぇ」
教室の後ろのドアから、遠野杏子が入ってくる。
「今華がもう1輪増えたけどね」
「ふふ、正直ね♪ ねぇっ、そんなことより、昨日何があったの?」
軽く柚麻の言葉をかわし、記者の瞳で探りを入れてくる杏子に、美里が少しだけ身体を固くする。小蒔の方は何? という風に二人の間に視線をさ迷わせる。
「何も? 強いて言うなら、女の子に手を上げたクソ野郎に天罰を下しただけさ」
しれっとした顔で、柚麻が返す。
「まぁ、あの連中今日は来てないみたいだし…柚麻クンって、見かけに寄らず強いのね」
「オイオイ、集まって何の話してんだよ」
「あっ、京一と醍醐クン」
いつのまにか人の輪が出来あがっていた。醍醐は気安く小蒔に話しかけている柚麻に対して複雑そうで、京一はそれを面白そうに見ている。
「しかし来須、大丈夫なのか?」
「何が」
男相手だと口も重くなるのだろうか。
「いや、片目で良くあれだけ戦えたものだと思ってな…」
片目というのは、格闘技をやっている人間にとって物凄いハンデだろう。距離感が掴めないのだ。
しかし昨日の戦いぶりを見る限り、そんな様子は微塵も見せなかった。
「あぁ……コレ? 別にガキの頃からだし、もう慣れた」
「えッ、子供の頃からって…」
「うん。ガキの頃家の近くの原っぱで遊んでて、すっ転んだ所に張ってあった有刺鉄線に左目突っ込んでざくっ」
ひゃあ、と小蒔が悲鳴を上げる。そこまで行かなくても、皆痛そうに顔を顰めている。
「で、眼球摘出手術して、目移植してもらって…一応見えるけど視力は弱いし、周りの傷がヒドイから今はいつも眼帯」
「そうか。済まなかったな…余計なことを聞いてしまって」
「あ、別に気にすんなって。もう慣れたって言っただろ? 俺に取っちゃこれが普通なの」
頭を下げる醍醐に、手をひらひらと振って笑ってやった。




次の日、柚麻はマリア先生に呼び出された。
理由は解らないが、あんな美人な先生のお誘いを断る訳がない。嬉々として職員室に向かうが、まだ彼女は来ていなかった。
暫く待ってみるが、来ない。痺れを切らして一度外を見てみようと扉に歩きかけ―――
僅かに獣臭を感じて、足を止めた。
ガラガラッ。
「―――おっと」
中に入ってきたのは、犬神。柚麻の隣のクラス、3−Bの担任で、生徒の人気は低い。柚麻は、先程の獣臭が気のせいかどうか良く解らず、眼帯の上から左目を掻いた。
「来須か。マリア先生の呼び出しか?」
「えぇ、まぁ……」
生返事を返しながら、柚麻は目の前の男に軽い心地良さを感じていた。
彼にとっては珍しすぎることだ。男性に対してここまで好印象を持つのは。
それは、彼の奥底にある闇を、無意識的に感じ取ったからかもしれない。

人とは決して相容れない、闇の眷属。
しかし、柚麻は無性にそれに惹かれる自分に既に気がついていた。
自分のいる場所はここでは無いと。月と闇に愛された世界に、自分も行きたいと、望んでいる。

「来須…彼女には気を許すな」
「えっ?」
それだけ言って出て行く犬神の背中を目で追って、柚麻は溜息を吐いた。
ともすればすぐ、闇に飛びこんでいきたくなる自分をこちらにしがみつかせていたのは、母と父。
特に母は、必死になってそれを止めていた。
しかしその母は、もうこの世にいない。
自分が殺した。
俺が殺したんだ――――


「来須くん?」
名前を呼ばれ、はっとして顔を上げる。美しい金髪を揺らして、マリアが心配そうに顔を覗きこんでいた。
「あ、スイマセン!」
こんな美しい女性に接近遭遇していて気が付かないなんて、一生の不覚!
拳を固めてくっと悔しそうにしている柚麻に、マリアはくすりと笑い、
「おかしな子ね。さ、座って」
と椅子を勧めた。





学校生活のことを簡単に話し、(柚麻は不満げだったが)歓談は終わった。
校門まで歩いていった所を京一達に掴まり、ラーメン屋に直行したのだが…
そこに走りこんで来た杏子の言葉で、穏やかな放課後は終わりを告げた。
「何っだこりゃあああっ!」
美里が行方不明になったと言われ、大急ぎで旧校舎に向かった一同。
彼女自体はすぐ見つかったのだが、そのすぐ後、問答無用で吸血蝙蝠に襲われる羽目になってしまった。
「コイツ等…!」
いくら武術の嗜みがあると言っても、闇から降りかかってくる『化け物』に浮き足立つ面々の中、一人落ちついていたのは。
ピュインッ…
闇の中で、小さな金属音がした。
『ギィイイイッ!』
悲鳴を上げて落ちる蝙蝠。その羽根は、鋭利な刃物ですっぱりと切り裂かれていた。
「く、来須クン?」
横に立っていた小蒔が、驚きの声を上げる。
「小蒔ちゃん、無理に身体を射ろうとするな。羽根さえ撃ち抜けばヤツ等は落ちる!」
落ちた蝙蝠を躊躇いもなく踏み潰すと、闇に向かって鋭く目を向ける。
「蓬莱寺、醍醐、怯むな! 動きさえ止めればこっちの勝ちだ、打ち落とせ!」
「…応ッ!」
「おうよ!」
その声で京一と醍醐も、最初の硬直から振り解かれた。冷静になれば恐れる相手では無い。柚麻はそれを知っていた。
満足げにその様子を見遣ると、更に闇が濃くなった一角に走り寄る。
解る。傷口に埋もれていた瞳が、じりじりと疼く。他の奴等と比べものにならないほど力を蓄えた闇の眷族がいる。
「出てこいよ。雑魚が」
バサバサッ、と数段大きな羽音がして、毒々しい紫色の翼を広げて闇が迫る!
僅かに血に濡れていた刃を軽く振り、目の前に構える。
『神と子と精霊の御名に於いて!』
朗々と張り上げた言葉は、祈り。闇を打ち砕く祈り。
間髪入れず、十字架の刃を異形の柔らかな腹に突き立てる!
『ギュイイイイッッ!!』
苦鳴を上げてのたうつが、木造の壁に縫いとめられて、その牙を狼藉者に突き立てることが出来ない。
自分の腕に流れてくる血にも構わず、柚麻は言葉を繋げた。
『塵は塵に! 土は土に! 闇は闇に、在るべき所へ帰れ!!』
断罪の刃を抜き放ち、異形に一閃する。
『Amen!』
一瞬。
僅かな輝きが刃から出たかと思うと、黒い霧になって異形は崩れ落ちた。
「来須!」
「おぅ。生きてたか?」
声をかけられて振り向いた時には、いつもの柚麻だった。
「死ぬかよ。それより、こいつらは…」
「よくある使い魔だな。誰かが偵察用に使ってたのかそれとも―――」
捕食のためか、という言葉を柚麻は飲みこんだ。自分一人なら兎も角、女の子のいる前で軽率な判断は出来ない。
「それとも?」
「んにゃ、何でもない。只、ここはヤバい。ろくな準備もして無いし、一旦撤収した方がイイ」
「そうだな。しかし来須、今のは―――」
「ちょっとした特技だよ。説明なんか後で出来る、先に出るぞ!」
先程から、どうにも柚麻は落ちつかなかった。足元から何やら、押し上げてくるような圧力が自分を刺激している。
それに呼応するかのように、左目が酷く疼く。我慢できなくなって、眼帯の上に爪を立てた。


『――――目覚めよ』


「っ!!」
何か、が。
何かが呼ぶ声がした。
「…何だ!?」
「こいつは……」
「やだ…何これっ!」


『――――目覚めよ』


ざわざわと、身体から青色のオーラが立ち昇るのを柚麻は見た。
何か、身体の細胞の一部が変化していくような、凄まじい違和感。
誰もいない所に一人で放り出されるような恐怖を感じ、刃を仕舞った十字架をぎゅっと握り締めた。
それの嘗ての持ち主に、縋るように―――


何かが変わった、と思ったのは、それからだった。