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MAGITIAN

その日、真神学園3−Cは揺れていた。
転校生が来るらしいという噂で、もちきりになっていたからだ。
「あっ、来たわよ!」
その声を皮切りに、がたがたと皆席に着く。
そして、マリア先生の後ろから入ってきたその姿を見たとき、ざわめきは一層大きくなった。
痩せぎすな背の高い体躯。綺麗に染め抜かれた、水色の髪。左目を隠した医療用の眼帯。程よく着崩された制服。
一つ一つのパーツだけ見れば、奇抜と言うか滑稽と見えなくもない代物なのに、それが全て合わさったこの青年は、どうしてこんなに見目麗しく見えるのだろうか。
自己紹介を、と促されたその青年は、おどけた様に美人の担任教師に向かい一礼すると、黒板に少し崩れた字で自分の名前を書いた。



『来須 柚麻』



さわさわとざわめく教室の中を、余裕の表情で歩く柚麻。そして、美里葵の隣に腰掛け……る前に、何と彼女の目の前にひざまづいた。
「く、来須くん?」
戸惑った声を上げる葵に、蕩けるような笑みを浮かべると、
「はじめまして、来須 柚麻と申します。貴方のような美しい女性に出会えただけでも、ここに来たかいがありました。どうか以後、御見知りおきを」
そのまま頭を下げ、白磁のようなその手を手に取ると、躊躇いもなく口付けた。
『きゃあ〜〜〜!』
真っ赤になって俯いてしまう葵と、大騒ぎになる教室。学園のマドンナに無礼を働いた男に対する嫉妬と羨望の視線。
しばらくは、授業にならなかった。



「…お前って、見境ねぇのな」
呆れた様に京一の口から出された言葉に、何が、と言う風に右目の視線を向けた。
「美里だけでなく、あの男女に、アン子に裏密だろ。俺もおねーちゃん好きだけど、お前にゃ負けるぜ」
あの後、自分に話しかけてきた小蒔や、出会った女の子全部に同じような挨拶をしていたのだ。京一が呆れるのも、無理はない。
「可愛い女の子に賛辞をかけるのが何でいけないんだ?」
「かわいい〜〜??」
眉を顰めて視線を向けてくる京一を、ちろりと睨む。
「いいか、良く聞けよ。可愛くない女の子なんて、この世にいないんだよ。女の子はみんな可愛いの。綺麗なの。美しいの。年齢や容姿で女性を区分けしようなんて、間違ってる。女性とは、男の中で一番汚れていない部分から作られたんだから、美しくて当たり前なんだよ」
「はぁ、俺にゃ良く分からん」
「なんだと〜? いいか…」
最初顔を見た時はクールな奴かと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。それと同時に語る言葉も真剣で、ただ面白い奴だということは分かった。





「来須くーんっ。一緒に帰らない?」
「こちらから、是非!」
声をかけてきた杏子に踊りを申しこむかのように手を差し出し、笑いを誘った。
「いろいろインタビュ―――、じゃなかった、お話しながら帰りましょ!」
「も、何でも聞いて。スリーサイズも言う?」
「あははは!」
「オイッ、来須―――」
楽しげに話す二人の会話に、邪魔なだみ声が入りこんだ。が。
「アン子ちゃんって家、どの辺? 勿論ちゃんと家まで送るよ、ただ君の家が知りたかっただけだから」
「テメェ、舐めてんのかぁ!?」
「五月蝿い」
ごりっ。
間髪入れず、向こう脛に蹴りが入る。
「ぬあああああっ!」
「男の癖に気安く俺の名前呼んでんじゃねぇよ、減る。でさ、アン子ちゃん…」
「すっごい痛い音したわよ、今…」
「気にしない気にしない♪」
「何やってやがる、てめぇら…」
「佐久間さん!」
「来須とか言ったか…随分と女に囲まれてご満悦じゃねぇか…」
「羨ましいだろ」
しれっ。という形容がすごく似合いの言い方で返されて、佐久間の顔が怒りで赤く染まる。
「てめぇのその面、柿みてぇに潰してやる…付き合いな」
「やだ」
問答無用。
「てめ…」
「何が悲しゅうてむさ苦しい男に顔貸さなきゃいけないんだよ。俺はアン子ちゃんと一緒に帰るの。さっさと男同士で寂しく帰れ」
しっしっと手を振って本当に不快そうに相手を追い払おうとする柚麻の態度に、どんどん男共の怒りのボルテージは上がっていく。
「いい加減にしろよ!」
「ちょっと、アンタたちこそいい加減に―――」
「てめぇはすっこんでろ!」
罵声と共にいかつい手が振り上げられて、びくりと杏子が身を竦ませる。
しかし、衝撃はいつまで経ってもやってこない。目を開けると、目の前に痩せぎすの男の身体があった。その細い腕でぎりぎりと、男の腕を捻り上げている。
「いててててて!」
「…俺の目の前で女の子に手ぇ上げるなんて、いい度胸だな」
声はおどけているが、たった一つの瞳に乗せられた眼光は、男共を尻込みさせるのに十分な気迫が篭っていた。
「いいぜ、付き合ってやらぁ。その代わり…泣いてもやめねーぞ?」



がつっ!
また一つ痛そうな音を立てて、男が地に這うのを、京一は木の上から見送った。
何か武術のたしなみがあるのかとは、ぼんやりとだが解った。だから静観を決め込んだのだが、思った以上に柚麻は強かった。
ただ、体力は思った通りあまりないらしく、軽く息を切らしている。
「ち、ちくしょう!」
いつのまにか自分一人になっていた佐久間が、やけくその様に懐に手を入れ、光るものを取り出した。―――ナイフだ!
「!」
柚麻は流れ落ちてきた汗を拭っていて、そのことに気付いていない!
「来須、避けろ!」
「やめろ、佐久間!」
美里に呼ばれて駆けて来た醍醐と同時に、京一も思わず言葉を飛ばす。だが、どちらも静止にはならなかった。
ぎりぎり気付いた柚麻が、目を庇った。
「死ねや!」
しゅっ、と細い音がして、柚麻の掌に朱線が走る。美里が押し殺した悲鳴をあげる。
次の瞬間、一番早く動いたのは、柚麻だった。
「…っ!」
ぴゅいん、と小さな金属音がした。それがなんなのか誰も気付かないうちに、佐久間の顔に横真一文字に傷が走った。
「ひっ? ひ、ひ、ひいいいい!」
ぷしっ、と一瞬遅れて血が吹き出す。悲鳴をあげて仰け反る佐久間は、傷つけることは多くても傷つけられることを知らなかった者の典型的な叫びだった。
「……切られる痛みも知らない奴が、刃物振り回してんじゃねぇっ!」
激昂。そうとしか言えない叫び。その恫喝に、傍観者を含めそこにいた全ての人間が動きを止められた。間違いなく、完全に柚麻は切れている。
「痛いだろ? 誰だって切られりゃ血が出るんだよ。痛いんだよ。そんなことも解らずに武器持って強くなったつもりか? 馬鹿野郎が」
倒れこんだ佐久間の手を蹴って刃物を飛ばすと、その掌に刺さるか刺さらないかの位置に自分の獲物を突き刺した。
彼が首から下げていた大振りのロザリオ。逆さまにかけられていたその美しい形態から、極薄い刃物が飛び出していた。これが彼の武器だったのだ。
「ひぃ、ひ…」
「わかったか? わかんねぇよなぁ。お前馬鹿だもんなぁ。指の1、2本、なくなんないとわかんないか?」
ず、と地面から刃を抜き出し、ひたりと無骨な指の根元に置く。
「ゆ、ゆるし…」
「おい、来須!」
「もうやめろ、二人とも!」
ようやっと呪縛から解き放たれた二人が、静止を同時にかける。ふ、と憑き物が落ちた様に、柚麻が目を見開いた。
「…蓬莱寺? アンタは…」
「俺は醍醐雄矢。レスリング部の部長だ。……もう充分だろう、佐久間を離してくれないか」
「あ、あぁ……」
すっと、佐久間の上から身体をどかす。逃げる様に佐久間はふらふらと走っていった。
「来須くん、血が……」
「あ、葵ちゃん? いいよ、これぐらい舐めとけば…」
「でも…ちょっと待って」
スカートのポケットから真っさらのハンカチを取り出して、まだ血を流し続けている掌に当てる。
「……ありがと」
ちょっと面映そうに笑って、柚麻が礼を言う。ぱちんと音を立てて、仕込まれてあった刃を十字架の中に仕舞った。
「その…うちの部員が、すまなかったな」
ばつが悪そうに頭を下げる醍醐。
「あ、こっちこそ…悪い。…あーもう、俺も未熟だよなぁ。頭でわかってるつもりでも、あーいう馬鹿見るとどうにもキレちまって…」
片手で顔を抑えて自己嫌悪する。
「まぁ、いいじゃねぇかよ。コイツの言い分の方が、いちいちもっともだぜ」
京一がぽんぽんと柚麻の肩を叩いて、フォローにまわる。
「うむ…しかし、さっきまでの技はすごかったな。昔古武術で似たような技を見たことがあるが…」
「そう? 護身術の真似事だよ、ただの」
柚麻は本気で言ったのだが、醍醐も京一も信じていない。柚麻の「護身術」と彼らの「護身術」の内容に差異があるらしい。
「とにかく、よく来てくれた、歓迎しよう。この真神―――いや、もう一つの名前を教えておいた方がいいかもしれんな」
「もう一つの、名前?」
ふ、と柚麻の瞳に真剣な光が宿る。それに気づいているのかいないのか、醍醐は言葉を続ける。
「あぁ。―――いつからかは知らんが、この学園はこう呼ばれている――――

―――魔人学園、とな」