時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

FOOL

「ねぇ、ママ。どうして僕たちに見えるものが、他の人には見えないの? 変なの」
「それはね…私達が見えるものは、本来見てはいけないものだからよ」
「? どうして?」
「あのひと達は寂しがり屋なの。私達が『見える』ことが解ると、私を見て、私の声を聞いてって寄ってくるでしょう?」
「うん。…でも、あいつら面白いよ。弱いし、遊ぶと楽しいよ」
「駄目よ!」
「…ママ……?」
「『そちら側』を見ては駄目。耳を傾けては駄目。パパとも約束したでしょう。もう絶対にしては駄目よ…」
「うん、わかった。もうしないよ、ママ」
「そう…いい子ね。柚麻」

『そちら側』を見ては駄目、声を聞いては駄目…そうしつこいぐらいに俺に言い聞かせていた俺の母親は、『そちら側』の化け物に喰われた。
俺の左目もソイツに喰われた筈なのに、目が覚めたときにはそこに、見慣れた母の青い瞳が収まっていた。
父親は、俺を日本の家に置いて外国に行くのが増えた。俺が一人でも大丈夫になったせいも有るだろうけど…一番の理由は、きっと見たくないんだろう。俺の顔に嵌めこまれたこの瞳を。
この世で一番愛した女性の顔と、その悲惨な死に様を思い出してしまうから。
あれ以来、親父は『仕事』に取り憑かれた様に外国を飛びまわっている。連絡は…半年に一度来れば良い方。仕事の内容は…狩人。名前は…来須狩矢。
俺の名前は、来須 柚麻。職業は……学生。





青葉さとみは、一生懸命大荷物を運んでいた。先生に頼まれたのはとても一人では運びきれないかと思われた量。それでもさとみは、不平一つ言わず運び出した。
しかし…多い。足元が見えない。つま先に神経を集中させて、そろそろと歩いている、と。
どん。
「きゃっ!」
「おっと!」
目の前の方の注意を怠っていた。ぶつかった人影は、背が高い。学生服を着ている。男子だ。
「ごめんね。大丈夫?」
「君こそ。ごめん、よそ見してた!」
よろけもしなかった相手の方が声が慌てている。綺麗な声だ。
「どこか怪我してない? 骨は折れてない?」
半分ずれたような心配の声音に、さとみは耐え切れずにくすくす笑った。
「平気よ。そんなにやわじゃないわ」
「駄目駄目! 女の子は男なんかより繊細なんだから。…本当に大丈夫?」
尚も不安げに話しかけてくる男子に声をかけようとして、さとみは顔を上げた。
最初に目に入ったのは、一瞬地毛か、と思えるぐらい綺麗な水色に染められた髪だった。むらになったり、黒く戻ってきたりしているところがない。左目には医療用の眼帯が付けられており、その下にうっすらと傷が見える。前を開いた学ランの上に、大振りの十字架が何故か上下逆に下げられていた。
「平気だってば。ごめんね、前見えなくて…」
「そんなに荷物持ってれば、当然だよ。…貸して」
自分より少し太いぐらいの両腕を差し出されて、ちょっと戸惑う。
「平気よ、一人で持てるから…」
「Stop!」
立てられた指をぴっ、と突きつけられて、目を白黒させる。随分発音の達者な英語だった。
「な、何?」
「男がどうして、女の子より背が高くて腕が長くて力が強いと思う?」
「え…?」
「それはね」
ひょいっ、とさとみの腕から荷物を全て取り去った。
「女の子が届かない網棚の上の荷物を取ってあげて、それを全部持って家まで運ぶためなのさ」
「あ…」
「ついでに、帰り道が水浸しの時、女の子の靴を濡らさない様にお姫様抱っこするためでもある」
「くすくす…」
おどけたように言って、ウィンク…と言っても片目が隠れているので目を瞑ったようにしか見えない…をするその仕草に、堪えきれなくなってさとみは吹き出した。
「あなた、変わってるわね…」
「そう? 女の子はね、中身の詰まった鍋以上重い物を持っちゃいけないんだよ。おっと、申し送れました。明日香学園2年C組、来須 柚麻と申します」
「わたし、青葉さとみ。ブルーの青に葉っぱの葉、平仮名でさとみ」
他愛無く話すうちに、A組の前まで着いてしまった。
「ありがと、手伝ってくれて」
「可愛い女の子のために働けただけで、光栄の至り」
冗談ぽく言っているように見えるが、彼は本気である。


あっという間に放課後が来る。
「来須く―ん、ばいばーい」
「また明日♪」
この女性を常に優先させる性格から、柚麻に対する女子の人気は高い。転じて同性の友人はあまりいないのだが、本人は気にしていない。今日久し振りにさとみの幼馴染と言う比嘉と話したくらいだ。柚麻自身、男の友人を増やすぐらいなら女の子に話しかけたほうが良い―――と思っているので。
「来須 柚麻君―――だね?」
そんな彼だから、勿論鳴瀧に声をかけられたときも、胡散臭い目を向けただけで返事をしない。
ヒゲソバージュオヤヂと三拍子揃った時点で、「半径3メートル以内に近づくな」と目で訴えている。(酷)
その後、自分の誕生日やら出身地やら聞かれた辺りでにやりと顔を歪め、
「俺、そっちの気全然無いですから」
と言い放ち、呆然としている鳴瀧を置いてすたこらと逃げ出した。
(俺はホモは差別しないがホモは大嫌いだ!)
酷い言われようである。




家に帰った後、柚麻は寝つけなかった。
勿論帰り道にオヤヂに会ったせいではない。その前に、A組に来たという転校生がどうも気になる。
はっきりと確証は無いが、嫌な予感、と言う奴がする。この手の勘は、柚麻は常に信用するようにしている。外れたことが無いからだ。
むくりとベッドの上から置きあがり、服を脱ぐ。こういう時は、誰かに聞くのが早い。――――誰に?
上半身裸になると、首筋に軽く香油をつけて清めた。ベッドの上にばさりと、大き目の羊皮紙を広げる。その上には、奇妙な図形が描かれている―――魔法陣、だ。
その上に金属のペンタクルを置く。こちらも軽く清めると、枕元に置いてあった逆十字のペンダントを手に取り、十字の真中に有る青い石を押した。
ピュイン、と言う音がして、十字架の一番短い部分から、全体と同じ長さぐらいの刃が飛び出した。薄いが鋭く光るそれを自分の右手の人差し指に滑らせた。
じわり、と浮かんできた血をペンタクルの上に置いた紙にたらす。同時に十字架をしっかり握り締め、小さく口の中で呟く。
「EL ELOHIM ELOHO ELOHIM,ELION EIECH ADIER EIECH ADONAI,JAH SADAI TETRAGRAMATON SADAI,AGIOS O THEOS ISCHIROS ATHANTON,AGLA AMEN.」
解る人には解るだろう。遥か昔、悪魔を従えた召喚師達が、神の加護を得るために繰り返した呪文。
「我は命ずる。汝が盟主ルシファーと我が名において力を貸せ。我が名は来須 柚麻…来れ、VAASSAGO」
呪文は更に続く。彼が最後に呼んだのは、72柱の悪魔の内一体の名…隠されたものを見つける、透視の悪魔ヴァッサーゴ。
ピッ、と音がして指先の傷口が更に広がる。しかし柚麻は気にした様子も無く呪文を繰り返す。
やがて、柚麻の脳裏にビジョンが生まれた。人間の身体に繋がる細い糸。それは、ある人影の指から伸びている。その影が自分の知っている顔だったことに満足し―――柚麻は術を解いた。紙をどけ、ペンタクルを素早く裏返す。くしゃくしゃと丸めて火をつけ、灰皿に捨てた。
まだ血の止まらない指先を口に含みながら、最後に見えたビジョンに思いを馳せる。
―――学校だった…明日学じゃない、確か…そう、あの転校生のいた学校、真神……とか言ったか…
確かめる必要があるか………
そう考えているうちに、儀式がたたったのか眠気がやってきた。




次の日、せっかくお近づきになった女の子と親睦を深めよう、とA組に足を伸ばしたのに…
「よう、来須」
「なんだ、比嘉かぁ」
「なんだとはなんだ」
「さとみちゃんはー?」
きょろきょろと見回すが、いない。
「職員室。あいつクラス委員だから、忙しいんだよ」
「ちぇ……」
不満げに膨れる柚麻をしょうがないやつ、と笑って。
「あ。比嘉、あいつ誰だっけ。ほら、転校生の名前」
「…昨日教えただろ? お前、本ッ当に男の名前って覚えないな…」
「そんなモンのために限りある脳のメモリー無駄に使いたくナイ」
「あのな。…莎草だよ、莎草覚」
「あーあー、サノクサね」
漢字を覚える気はないらしい。
「比嘉。『あいつには関わるな』」
「えっ?」
いきなり突拍子も無いことを言われて、目をぱちくりさせる。しかし、柚麻の右目は真剣だ。
「『さとみちゃんを近づけるな』…いいな? 覚えたな?」
「お、覚えたって…えぇ?」
「じゃな」
唐突に踵を返す柚麻に反応できない。彼の言葉だけがぐるぐる頭を回っていた。





「…何のつもりだ?」
放課後、かの莎草を手紙で屋上に呼び寄せたのは、他ならぬ柚麻だった。
「俺だって男に手紙出して呼び出すなんて寒い真似したくなかったっつーの。単刀直入にいうぜ? …お前、さとみちゃんに興味あるらしいけど、やめとけ」
「なにィ?」
ぴくりと言われたほうの眉が動く。
「女の子を力ずくで言うこと聞かせようとしたり、何よりなァ…女の子の顔に傷つける奴は、万死に値するんだよ」
今まで顔に浮かんでいた笑みが消える。怒りを右目に湛え、莎草を睨みつける。
その気迫に、一瞬怯んだ自分を叱咤し、睨み返した。
「何でテメェがそれを知ってやがる!」
「悪魔に聞いた」
「ふざけろよ!?」
莎草が前に手を伸ばす。「糸」を掴もうとしたのだろう。操るための糸を。しかしそれより早く。
「『お前に俺の糸は見えない』!」
「―――!?」
「…見えないだろ? 強く思って発した「言葉」は現実を捻じ曲げられる。俺はその力が人より少し強くてな…『お前はそこから動けない』」 
「な…!……!?」
「こんなことも出来る。けど、出来れば使いたくないんだぜ? 疲れるし、自分でやってて何様ってカンジもするしな」
「ち…ちくしょうっ、何を……」
「人の運命握ったところで神になれると思ったか? …教えてやるよ。『この世に神など存在しない』!」
莎草覚は始めて、他人に運命を握られる恐怖を感じた。



散々殴って痛くなった拳をそっと擦った。
「ホント…何様って感じだよなァ…」
ぼそりと、こう呟いて、彼はその場から立ち去った。



莎草は病院送りになったが、命に別状はないらしい。
ボールペンで目を突かれた少女も、無事…とは言えないが、命は取り留めた。
何事もなかったように、時は過ぎていく。
しかしその頃既に、柚麻は転校手続きを済ませていた。
どうしようもない胸騒ぎを感じ、一人で向かったのだ。
新宿・真神学園へ………