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戦乙女とクリスマス

「飽きた」
真白い病院のベッドに胡座を掻いて座り込み、那由多は両の頬っぺたを思い切り膨らませていた。
「くさんなよ。どうせ今日の午後には退院なんだろ?」
ベッド脇の椅子に座った京一が、からかい混じりに言葉を投げつける。
「暇。暇暇暇。もう何ともないっつってんのに」
「あれだけ怪我しといて何言ってんだよ。大人しく寝とけ」
「ひーまー!」
がたがたとベッドを揺らす様はとても高校三年生とは思えない。呆れた溜息を返した京一は、ふとにやりとした笑みを浮かべる。
「どーせ、壬生が見舞いに来なくて拗ねてんだろ?」
てっきり顔を真っ赤にして噛み付いてくるか照れまくってうろたえるかのどちらかだろうと思いその言葉を出したのだが、リアクションはどちらでもなかった。
「………………」
「お、おいなゆ?」
頬っぺたを膨らましたまま、無言で俯いてしまった那由多に、京一の方が戸惑う。
「…そんなの」
「は?」
ごごごごごごごご、と段々大きくなってくる地響きをバックグラウンドに、那由多の背後に暗雲が立ち込める。
「お前に言われなくたって分かってるよふざけんなあの馬鹿のことなんて待ってるわけないじゃん待ってないったら待ってないんだからな第一そんな事お前に言われる筋合いねぇ―――!!! とっとと出てけ―――!!!」
どがしゃーんん!!
ワンブレスでこれだけ叫んで、京一を病室から力いっぱい蹴り出した。
確かに、もう退院しても大丈夫かもしれない。




「ってぇー…あの野郎、ちったぁ手加減しろっての…」
「京一くん、だいじょうぶ〜?」
廊下に尻餅をついて腹を摩っている京一に、舞子が心配そうに声をかける。目の前で手をひらひら振って無事をアピールする。
「あー、平気平気。しっかし何だよ、壬生の奴本当に見舞いに来てねぇのか? あいつもう退院したはずだろ?」
ひょいっと起き上がって、不思議そうに京一が尋ねる。
「そうなんだけどぉ〜。ダーリンが目を覚ましてないうちはいっつも病室の前まで来てて〜。なんにも言わないで帰っちゃったの〜。起きてからは一度も来てないわ〜」
「マジかよ…あいつ、また変に遠慮してやがるな?」
呆れたように溜息を吐く。つい最近仲間になった那由多の幼なじみは、誰よりも那由多を大切に思っているのに、思っているからこそ自分で壁を作り続けている。今までは出来る端から那由多が蹴り破っていたので大丈夫だったが、それが一時なくなった故完全に引きこもってしまったのだろうか。
「っち、世話焼かせやがって…俺ちょっと行ってくるわ」
「うん! 壬生くんによろしくね〜」
京一の意図を察した舞子は、ぱあっと安心した笑顔を浮かべる。それを受けて、京一もにやりとした笑みを浮かべて木刀を肩に担いだ。
「ま、今日クリスマスだしな…」
「が〜んばって〜!」
気の抜ける応援を背に受け、京一はキューピッドの役目を果たすべく走り出した。






不満なまま、うとうとしてしまったらしい。
ふと目を覚ますと、もう辺りは夕暮れ時になっていた。
こんこん。
『ダーリン、検温のお時間ですよぉ〜』
「うん、いいよー」
がらりと戸を開けて、ピンクのナース服が入ってくる。
血色の良い顔色を見て、安心したように息を吐く。
「もう大丈夫そうね〜ッ、良かったぁ〜」
「うん大丈夫だってば。だから早く退院」
「ダメ〜ッ。院長先生が許可しないとダメ〜」
「ちぇ」
膨れながらもしっかり検温は受ける。3分でピピッと鳴った体温計を舞子に返す。
「今日クリスマスだよね〜ッ、ダーリンは何か予定あるのぉ?」
「べっつにー。あの薄情者のことなんてもー知らねぇもん」
「別に壬生くんじゃなくても、他の人でも良いんじゃないの〜?」
他意なく紡がれた言葉に、ぐっと詰まって頬が赤くなる。それでも女の子相手に怒鳴る事の出来ない那由多は、だから、だってさ、と口の中でもごもご呟くだけに留まった。
そんな那由多の姿を見て、舞子はちょっと悲しくなった。こんなに会いたがっているのに、壬生くんは会いに来てくれないのかなぁ、と。
だから。どうしてもと口止めされていたあの出来事を、教えたくなった。
「ダーリン…」
「ん?」
「あのね、壬生くんにはぜ〜ったいナイショって言われてたんだけどね。実は…」





普段厳粛な空気を漂わせる拳武館高校は、それでも外のお祭り騒ぎに浮かされたのかいつもより賑やかだった。放校になって校門から出てくる生徒達の間を擦り抜けて、京一は何の躊躇いもなく中に入っていく。
「君。うちは部外者の立ち入りを禁じているんだが?」
当然、入って数歩もしないうちに生徒に見咎められた。一見普通の生徒だが、さりげなく数人で相手を囲む動き方、隠す事は出来ない押し殺した殺気。京一にはすぐ感じ取れた。確実に、壬生と同業者だろう。
「悪ィな、壬生のヤツに用があるんだ。来てたら、ちっと呼んでくれねぇか?」
壬生の名前を出すと、彼らの間に動揺が走る。敵か味方か、決めあぐねているようだった。
「…蓬莱寺?」
僅かに驚いたような声で、名字を呼ばれた。予感を込めて振り向くと、はたして探し人が立っていた。



「今度はあんなふうに不用意に名前を出さないでくれ。粛清されてもおかしくないよ?」
ここでは何だからと見張り達の目を掠め、壬生は京一を拳道場に連れてきた。咎めるような忠告に、京一は不敵に笑い、
「あんな奴らに俺が遅れをとるわけねーだろッ」
「だから、心配しているのはうちの生徒の無事だよ」
さらっと返されて京一が不満気に鼻を鳴らす。勿論それだけでなく最初からやや不機嫌だったが。
「壬生」
「なんだい?」
「んでなゆの見舞いに来ねぇんだよ」
一瞬、壬生の表情が固まる。
「や、皆まで言うな。どうせお前のこったから、あん時護れなかった、とかそういう理由で会えないってんだろ?」
「…わかってるなら…聞かなくてもいいだろう」
「良くねぇ」
目を逸らしながら会話を打ち切ろうとした壬生の言葉を京一はぴしゃりと遮る。
「お前がなゆんとこ行かねぇとな」
「…………」
「『俺の』命に関わるんだよ!」
きっぱり言い切った言葉に、身構えていた壬生が完全に肩透かしを食らう。
「お前な、あの手加減無しのワガママ野郎に一番八つ当たりされてるのは誰だと思ってんだ! 今日なんざ病室で蹴り飛ばされた時、龍が見えたぞ!?」
味方に昇龍脚を放ったらしいあの黄龍。
「っつーわけで、だ。とっととあの馬鹿の機嫌直しに行ってくれ」
真剣に言葉を結ぶ京一に、壬生は珍しく僅かに苦笑を浮かべて…やがて、ゆっくりと首を振った。
「すまないが…それでも、駄目だ。僕はもう―――彼女の前に立つ資格なんてないんだよ」
「馬鹿野郎! お前―――」
諦めたような、壬生の声を聞いて、京一も堪忍袋の緒が切れた。
「あれだけ無茶して、あいつのこと助けただろうがっ!!」






「ダーリンがここに運び込まれた時〜、壬生くんも怪我してたのよ〜」
「えっ…」
初耳だった。
あの中央公園の戦いの際は霧の中の乱戦だったし、それが終った瞬間意識不明にされてしまったから。
「焦って不覚をとったって、壬生くん言ってたけど〜」
あの戦いの中で。気がついたら、離れてしまっていた。もう一度合流するのは、ほぼ無理に等しくて、それでも。
「はやく、ダーリンの側に行きたかったんだよ?」
初めて聞かされた事実に、那由多の顔に僅かに憤りとは別の感情が混じる。それでもそれを振り捨てるように、頭を何度も激しく振った。
「だからって、見舞いに来れないほどじゃないだろっ」
「う〜ん、そうだったんだけど〜」




『輸血用の血液が足りん! 誰か、AB型の人間はいないか!?』
仲間が次々と集まってくる桜ヶ丘の待合室に、院長の鋭い声が届く。
何人かが名乗りをあげるが、院長は更に言い募る。
『一度検査をしなくてはならん。何せ、あいつのはRHの−型だ』
日本人の中では一番少ないと言われる血液型。仲間が顔を見合わせる中、待合室のソファに寝かされていた男が体を起こした。
『壬生くん、駄目よまだ起きては…』
傷に治療を施していた美里が慌てて止める。彼女も疲れが溜まり、完全な治癒が出来ない。
『僕が同じRH−型だ』
その手をやんわりと押し返し、壬生が立ち上がる。
『間違いないかい?』
『子供の頃、僕が那由多に輸血されたことがある。間違いない』
『よし…すまんが、頼む』
『気を使わなくてもいい。彼女が助かるなら、僕は―――』




「自分の血なんて無くなってもいいって…言ってたのよ」
話の間中、那由多はじっと俯いていた。まるで何かに耐えるように、唇を噛み締めて。
「それでね、貧血が酷くて、ずっと壬生くんもうちに入院してたのよ。3日ぐらいで出れたんだけど…ダーリンが起きるまで、いっつも来て、病室の前であやまってたの」
「謝って…って」
「ごめんって。護ってあげられなくて、ごめんって。何度も、ずーっと立ったまま、あやまってたの」
「…やろぉ…」
「ダーリン?」
ぎゅっと、膝の上のシーツを握り締め、搾り出すような声で那由多は悪態を吐く。手の甲の上に、ぽつ、ぽつっと雫が落ちる。
「あのばか…大バカヤロウっ、あいつガキの頃と一緒…! 相変わらず俺のことわかって無いっ…!」
がばっ!! と勢いをつけて身体を飛びあがらせる。驚いた舞子が動けない間に、窓の桟にかけておいた上着を取り乱暴に羽織ると、制止の声を無視して那由多は駆け出した。






「彼女を、護れるなら。どんなモノだって僕は金繰り捨てることが出来る」
道場の床に視線を落としたまま、呟く壬生を、京一は何とも言えない顔で見守っている。
「お前…本当に大バカヤロウだな」
「かもね」
京一は許せなかった。
自分は知っている。自分の親友が、どれだけこの男を待っているのかを。
まるで、自分が存在しようがしまいが、関係ないという、ある意味とても身勝手な愛情。
「…やっぱてめぇら、似てんだな。すんげぇ我侭なとこも、人の言うこと聞かねぇとこもッ」
その言葉に、不審そうに視線をあげた壬生の襟首をがっ! と掴む。咄嗟に弾こうとする腕が届く前に、京一は叫んだ。
「あいつはなぁ…ずっとお前のこと待ってたんだぞ!?」
壬生の顔から、色が消えた。
すぅーっと音がするぐらい、勢いよく血の気が退いて。
「…何を、言ってるんだ…?」
信じられない、という風に、細い目を思いきり見開いて。
「ああ何度でも言ってやる、あいつはお前に逢いたくて仕方ないんだよ。ガキで意地っ張りで我侭小僧で、だからお前以外の見舞なんてあいつは欲しがってねぇんだよ! ずっと一番近いとこにいてんなことにも気付かねぇのかよ!!」
「そんな、訳が」
「何で信じねぇ!? あいつがお前しか見てないのなんて、すぐ解るだろうが―――ッ!!」
壬生には、信じられなかった。
本当に、信じられなかったのだ。
そんな、自分に都合の良い現実があるわけがないと。
自分と同じぐらい、彼のひとも逢いたがっていてくれるなんて。
「………本当、なのか…?」
信じられなかったけれど。
もしそれが、真実なら。
「解ったら…とっとと行って来い!!」
どん!! と力一杯両手で壬生の胸をつく。それに弾かれた様に、壬生は道場を飛び出した。
「はぁ…」
一仕事終えた京一は、ぺたんと床に尻餅をついた。全く、あの不器用な似たもの同士は。好きあった者同士が我を通し合っているのに、何故一方通行になってしまうのか。
那由多が走って、壬生が離れて。その繰り返し。
「…いい加減、捕まえられてやれよ」
結局、壬生は自分に価値を自分で見出せないだけなのだ。自分が「求められている」ことなど、微塵も信じていなかったあの表情。
あれを如何にかできるのは、戦乙女以外にいるわけがない。
と、ピルルルル、と京一の内ポケットで携帯が鳴った。素早く取りだし、仲間からのものであることを確認して繋ぐ。
『もしも〜し、京一くんですかァ〜ッ』
ほんにゃりとしてるくせに慌てているらしい声音に、京一の肩がかくんと落ちる。
「おー…高見沢。どした?」
『大変なの〜! ダーリンがぁ、病院飛び出してっちゃったの〜』
「あー…大丈夫じゃねぇ? アイツも走ってったからな」
泣きそうになっている高見沢の声に、大丈夫だからと声をかける。擦れ違いは少々不安だが、京一は多分大丈夫だろうという小さな予感があった。





足ががくがくして棒みたいだ。那由多はそう思った。
ずっと寝たきりだった自分の身体は、だるくて重くてしかたがない。
それでも、足が動くのが止められない。
彼と、逢わなければいけなかった。逢って、言わなければならないことがあった。
上がる息と顎を必死にこらえ、駅前まで来るとイルミネーションに飾られたツリーの下で両膝に手を置き、呼吸を整えた。
病院着にコートを羽織っただけ、足だってサンダル。この寒空の下、人々の奇異の目が集るけれど、気にしていない。
息をもう一つ思いっきり吸い、また走り出そうとして―――
「―――那由多!!」
一番聞きたかった声で、名前を呼ばれた。






「那由多…」
きっと走ってきたのだろう、息は軽く乱れていた。まるで、その声は泣いていたかのように僅かに震えていたが、そんなことに構っている余裕はなかった。
「っ馬鹿あー!!」
絶叫した。喉が潰れるぐらい。
足を竦ませてしまった臆病者の狼に、突撃する。
「馬鹿! 大馬鹿っ! 何考えてんだよお!!」
ちっとも嬉しくない。自分が助かるための犠牲なんて欲しくない。
「…哀しませるつもりはなかったんだ。僕にとっては、安いものだったから。お見舞に行かなかったのは…本当に、合わす顔がないと思ったから」
「馬鹿――!! やっぱ馬鹿お前! 全然解ってない! 俺がどんなことに怒ってるのかも解ってないっ!!」
大きくて丸い瞳から、ぽろっと雫が落ちて、壬生が慌ててそこに手を伸ばすと、
がばっ!!
「!!」
抱きつかれた。否、飛びつかれた、と言ったほうが正しい。首にしっかり両腕を回され、両足で腰を力一杯締められた。
「き…嫌われたのかと、思っただろっ!?」
顔を真っ赤にさせながら肩口に噛み付かれ、そう叫ばれた。あまりにも自分の範疇外にあった思考なので、一瞬返事をかえすことが出来なかった。
「…そんなこと、あるわけないよ」
逆なら兎も角、自分が彼女のことを嫌いになるなんて有り得ない。そんな思いを込めて首を振ると、また那由多の怒りが隆起する。

「だったら!! 何でまた置いてくんだよっ!!」

「――――!!」

あぁ。
そうか。
忘れる所だった。
再会して、約束したのに。
もう二度と、置いていかないと、約束したのに。
破る所だった。
また彼女を、一人にするところだった。
「…ごめん。ごめん、那由多」
自分がどれだけ薄情なことをしていたのかが解って、壬生は心から詫びた。ダッコちゃん宜しく自分という幹にしがみついたままの那由多の頭をゆっくり撫でて。
「もう、置いてかれるのやだって言っただろ…!?」
「うん…ごめん。本当にごめん…」
どれだけ周りの人間に奇異の目で見られても気にならなかった。
久しぶりに、逢えたのだから。離したくなかった。






いくら自分より小さいからと言って平均以上の身長を持つ那由多を軽々と抱き上げたまま壬生は大通を闊歩する。
「これからどうする?」
「…腹減った…」
「どこかで何か食べ「作れ」
「…何がいい?」
「ケーキ。ケーキケーキケーキ!」
「作った事ないんだけど…時間かかるだろうし」
「作れ!」
「…はい」
「だって今日クリスマスじゃんっ」
腕の中でそう言われて、漸く気がついた。巷では恋人達の夜と勘違いされている基督教の祭り。
「紅葉の作ったケーキ食べたい」
「…解ったよ。ただし、味の保証はしないからね?」
「不味かったら作りなおせー」
「材料費、君持ちならね」
軽口を叩き合いながら、奇妙なサンタは歩いて行く。袋ならぬ愛しい人を、落とさない様に抱き締めて。