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戦乙女・閑話

昔というにはそれほどでもないけれど。
僕にとってはもう2度と手の届かない、昔の話。






いつも通り、学校の帰りに館長の道場に寄った。
そこで、ある事を命令された。
「私の知人の子供と、手合わせをしてくれないか?」
今思うと、それは『命令』ではなく『お願い』だったのだと解る。
しかしその頃の僕は、周りにいる人間は僕に強要することしかないと思い込んでいたから。
別にそのことを不快に思ったわけじゃない。むしろ、館長の命令ならどんなことをしてでも行いたかった。
自分に生きる道を示してくれた人だから。
喩えそれが、血塗れの道だとしても。
選んだのは、僕なのだから。






館長に連れてこられたその子は、僕と殆ど変わらない体格をしていた。
この道場に、僕と同じくらいの年の子なんていなかったので、まずそのことに驚いた。
館長が見守るなか、僕はその子と手合わせした。
その子は強かった。
殆ど互角で、一本ずつ取って、最後は引き分け。
息を切らしていた僕に、その子は近づいてきて、
僕にその小さな手を差し伸べて、


笑ったのだ。


「楽しかったぁ…またやろうよ、なっ」


それから、僕と「彼女」は友達になった。
僕も彼女も、他に友達と呼べる人が居なかった。
周りには、大人ばかりで。
それが辛いと思ったことは一度もなかったのに。
ただ、その居心地の良い場所を失いたくなかったから。





「名前、何て言うの?」
「…紅葉。くれは、だよ」
庭に枝で書いた、最近やっと漢字で書けるようになった名前。
君は最初何の躊躇いもなく「もみじ」って読んだっけ。
「これが、おれの名前。読める?」
「…うぅん。降参」
「なゆただよ。なゆたってよんで」
「うん」
なゆた。
那由多。
それが君の名前。
君を表すコトバ。
たった三文字の言葉なのに、その日からこの世で一番キレイな言葉になった。






「どうして那由多は、男の子みたいなしゃべりかたをするの?」
ある日、何気なく君に問うた。
「…………………」
泣きそうになった君を見て、しまったと思った。
君を泣かせたいわけじゃなかったのに。
「ごめん、なゆ」
「だって、おれ男だもん」
そんなはずない。だって那由多はすごく可愛くて、
「那由多」
「男だもん!」
怒鳴られた。
声は泣きそうに掠れていたけど。
どうしよう。彼女を傷つけた。
どうしたら良いのか解らなくて、腕を伸ばして抱き締めた。
「…男だもん……」
「うん。ごめん。ごめんね、那由多……」
母さんが良くしてくれるように、彼女の頭を撫でてあげた。





彼女は僕なんかよりずっと強くて、
でも彼女はすごく弱くて、
僕が守ってあげなくちゃいけないんだ。
だから、もっと強くならなくちゃ。
那由多を守れるぐらい、強くならなくちゃ。
そう、思っていた。
別れが来るなんて、信じられなかった。






母さんの病気が悪化したのは、6年生の時。
東京の大きな病院に行かないと、治療が出来ないと言われた。
お金の方は、何とかなった。
その頃既に、僕は簡単な『仕事』なら出来るようになっていたから。
手続きは館長がしてくれた。
でも。そのことは全て、彼女と別れることを表していた。
言い出そうとして、言えなくて、ようやっと言えたのは引っ越す数日前。
もう2度とさせないと思っていた、泣き顔をまた見てしまった。





「もぅ、一緒にいられないんだ…」
「なんで!? どうしてだよッ!」
「引っ越すんだ。母さんが、もっと大きな病院に入院するから…」
「…やだよ……そんなのやだよ!」
「ごめん。ごめんね、那由多…」
「やだあああああああっ!」
「本当に、ごめ、ん…」
「うそつき…ずっといっしょにいるって、いったじゃんっ! 俺といっしょにいるって! うそつき! うそつきぃっ!」
「………………」
泣きじゃくる君をしっかりと抱き締めて、君に見えない様に僕も少しだけ泣いた。






あの日手を差し伸べたのは君。
それを握らなかったのは僕。
裏切ったのは僕。
傷つけたのは僕。
だから、悪いのは僕。
こんなことで償えるなんて、思っていないけど。
もう僕の手は血塗れで。
君に触れたら君を汚してしまうから。
もう絶対に、君に触れない。
もう絶対に、君に近づかない。






これが、僕の罰。