時計+人形

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戦乙女・来たる

早春の朝、那由多の寝覚めは最高だった。
ここは、出雲ではない。東京だ。あの常に自分の上に黒雲の様に被さっていた祖父の威圧も恐怖もない。
それが嬉しくて仕方がなかった。
一人で目覚める。一人で支度して、一人で食事を取って。
「…っいやっほーう!」
ぱぁん、と両足の裏をジャンプして打ちつけると、そのうずうずした気持ちをぶつける様に中空に蹴りを入れた。
自由だ!
自由だ!
踊るような足取りで服を着替える。セーラー服ではない、学生服だ。
胸に白布を巻くことも、男の服を着ることも、彼女にとっては当たり前のことだから。
ここに来ても、自分を男のままで貫くつもりだった。
しかし―――、彼女はそう指摘されると嫌がるだろうが、その容姿は美少女とも美少年ともとれる中性的な風で、男としての「格好良さ」よりは「可愛さ」を滲み出させる風貌だった。
前の学校でそう指摘した友人は、すぐさま掌底を顎に食らっていたが。





那由多にとって、転校一日目は面白いことの連続だった。
外国人の先生や物怖じしないクラスメートは彼女を驚愕させるのに充分だったし、個性的な友人も沢山出来ていく。
全ての柵から解き放たれた、と思いこんでいた那由多はご機嫌だった。
蓬莱寺京一に学校案内されていたときのこと。
「? 蓬莱寺、あれなんだ?」
「あ? あぁ、アレか? オカルト研究室―――、通称霊研。昼休みになると、あーやって女どもが占ってもらいに来るんだと」
「占い、ねぇ……」
「なんだよ、お前結構そう言うの信じる口か?」
「まーな。ちょっと行って来るわ」
「おぉ」
最初は、単に興味本意だった。
しかし、暗幕で仕切られた暗い部屋に招かれ、水晶球を翳した怪しげな女子生徒の目の前に座らされたときは、さすがに自分の軽挙さを迂闊だと思った。
そして、そんな彼女の口から漏れ出てきた一言は。





「…あなた〜、『本当の自分』を隠して生きてるわね〜。どちらにもなれない自分に気付かれるのは、そんなに嫌〜〜?」
「なッ……」
絶句した。暗闇の中で淡く輝く水晶に、自分の服を透かされているような違和感を覚えた。
「う〜ん、そのこと自体はあなたの勝手だけど〜。あなたが本当に大切な人は〜、あなたが仮面を脱ぐ日を待ってるかもしれないわよ〜?」
がたん!
その言葉に間髪入れず、立ち上がる。
「ほっとけよ! 俺は、あんな奴の事…!」
「うふふふふ〜」
僅かに顔を赤らめた那由多の脳裏に浮かんでいるのは、一体誰だったか。
「信じるも信じないも、あなたの勝手〜。でも、いつか蕾は花開くものよ〜」
その言葉を背に受けて、乱暴に戸を閉めた。
「オイ、どうした? 龍宮」
「…別にッ」
下唇を尖がらせて廊下に飛び出してきた那由多に、不思議そうに京一が話しかける。
ふて腐れたような、拗ねたようなその顔は、どことなく幼くて可愛らしい。
「って何考えてんだ俺!」
「?」
慌てて頭を振る京一に、今度は那由多が不思議そうに瞳を向けた。





目立つもの、輝くものに集まるのは賞賛と、嫉妬。
「オイ、ツラ貸せや、転校生」
「あ?」
突然かけられた柄の悪い言葉に、負けないぐらい柄悪く答えを返す。
こんな面と向かって突き付けられるいちゃもんには、慣れたものだった。こういうものは真正面から撃破すればいい。彼女の性に合っている。
嫌いなのは、水面下で動いているはっきりとしないもの。溝泥の中に溜まるヘドロのような、気持ちの悪い悪意。
それより何より。今日の「占い」で不機嫌になっていた那由多にとっては、素晴らしいストレス解消法だったのだ。
大人しく体育館裏まで呼び出されて、さて誰から叩きのめそうかと吟味していたら。
「オイオイッ、―――転校生をからかうにしちゃあちょっと度が過ぎてるぜ」
木の上からかけられた言葉と同時に下りてきたのは、蓬莱寺京一。
そして、乱戦が始まった。





「助けてくれなんて頼んでねーぞ、蓬莱寺っ!」
「人の好意は素直に受けろよ!」
「るっせ、野次馬!」
口喧嘩のようなじゃれ合いをしながら、背中合わせに間合いを取る。
「うらああっ!」
飛びかかってきた一人目の不良を、木刀の一撃でふっ飛ばす。
「…ッたく、俺一人で充分だっつーの!」
がむしゃらに突っ込んできた相手の目の前で、いきなりしゃがんで右足で軸足を払う。
「おわっ!?」
相手がそれに蹴躓き、ぐらりと身体が傾いだところに、両手を地に付けたまま身体を反転させ、左足を跳ね上げる!
ごっ!
「うげえええっ!」
思いもかけないところから飛んできた踵に鼻を潰され、相手は悶絶した。
そのまま側転の要領で立ち上がり、挟み撃ちしようとした男二人に裏拳を同時に打ち込む。
武道家としての洗練された動きと、自己流の出鱈目な動き。それが綺麗に混ざり合って、目にも止まらない動きを作り出している。
彼女だけを見るなら、喧嘩など野蛮なことをしているようには見えなかっただろう。京劇の人形が舞いを踊っているような、間断なく繋がる動きの舞。
事実、戦いが始まってから、彼女は止まっていない。つま先だけを地につけ、飛んで歩く様に動く。軽やかな動きは、風を連想させた。
横目でそれを密かに観察していた京一は、自分の興味対象が間違っていなかったことにほくそ笑んでいた。
「ちくしょう! 役にたたねぇ奴らだ!」
業を煮やした様に、佐久間が突っ込んでくる。那由多にとっては遅すぎる動きだった。
ざざっ、と足を広げて、迎えうつ。相手が両手を広げて組み合おうとした瞬間、思いきり前に飛び出した。
ごづっ!
「ぶぐっ!」
宙に浮かんだ膝が佐久間の顎を捕らえる。ぐらぁ、と醜い巨体が倒れそうになるところに……
ズガッ!
もう一本の足のつま先が、同じ部分に炸裂した。某ゲームで有名になった、月面宙返り蹴りという奴である。
ずぅ…んと倒れる巨体の前に難なく着地して、ぱんぱんと手を払うとにやりと笑う。
「俺がチビで弱そうだから御しやすいと思ったんだろ? 今回からそーゆー見解は、改めろよ」
怪我一つなく、死屍累々の体育館裏に、すっくと立つ一つの影。
その姿に、言い様のない「美しさ」を感じて、京一は慌てて目を擦った。