時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

戦乙女・目覚める

『もぅ、一緒にいられないんだ…』
「なんで!? どうしてだよッ!」
『引っ越すんだ。母さんが、もっと大きな病院に入院するから…』
「…やだよ……そんなのやだよ!」
『ごめん。ごめんね、那由多…』
「やだあああああああっ!」
『本当に、ごめ、ん…』
「うそつき…ずっといっしょにいるって、いったじゃんっ! 俺といっしょにいるって! うそつき! うそつきぃっ!」
『………………』


「くれはのばっかやろおおおおおおっ!」


朝日が縁側から差し込んでくる。
微風に小鳥の囀りが響く、爽やかな朝。
そんな中絶叫と共に目を覚ました那由多の機嫌は急転直下で最悪だった。
「……夢見…わっりー………」
布団から起きあがって、掌で乱暴に目を擦る。濡れた感触が思ったよりも多くて、更に不機嫌になる。
「………激ムカ……」
ぼそりと言って、ぼふす、と起きあがったばかりの枕に顔を埋める。
「何で10年近く経ったのにまだ見るかな第一あいつの顔だってろくに覚えてないのに何でこんな夢見るよそのくせ台詞は一言一句全部同じに出てきやがってふざけんじゃねぇぞコラ……」
…『彼女』の名誉のために言っておくが、『彼女』は黙って立っていれば或いは座っていれば人の目を引く容姿の持ち主で、美少年とも美少女ともいえる美貌の持ち主である。しかしだからこそ、自分の枕に夢見の悪さを小声で口汚く愚痴るその姿は何やら危機迫るものさえ感じる。
「……あー! やめだやめだ! あんな裏切りモンのことなんか二度と思い出してやるか!」
ぽんっと一息で布団から飛び出し、軽くとんぼを切る。勢いあまって裸足のまま庭に飛び出すが、気にせず立ち上がり虚空に蹴りをくれる。
その身体には大きすぎる寝間着が上下とも動くたびにかなり翻って、中々目のやり場に困るいでたちなのだがこれまた気にしていない。
「…那由多さん、起きたの? まぁ…、駄目よ、そんな格好で外に出ては、風邪を引いてしまうわ。誰か、誰かいないの…?」
そんな那由多を一番最初に見つけたのは、朝の早い時間帯なのにすでにきちりと着物に着替えていた妙齢の女性だった。戸惑ったようにおろおろと人を呼ぶが、那由多は完全に無視して一人型の演舞を続けている。
「那由多さん、戻っていらっしゃい。御爺様達とお食事しましょう? ね、いい子だから」
女性はひたすら声をかけ続けるだけ。庭に降りようともしない。那由多もひたすら無視。
「何をやっておるか」
と、そこに切り込んできた鋭い第三者の声に、天頂に振り上げられたまま那由多の足がぴたり、と止まる。
「御爺様! ああ、申し訳ありません、私が至らないばっかりに」
顔を青くして言い訳がましく弁解する女性を無視し、老人は厳しい声音で那由多を戒めた。
「那由多! そんなだらしの無い格好で何をしておるか。演舞ならば道場でやれ!」
「………はい、御爺様」
足を下ろし、ぺこりと頭を下げる。それを見もせずに老人は踵を返したので、すぐさま頭を上げた那由多があっかんべーをかましたのに気付いていない。唯一見ていた女性はもう卒倒せんばかりに真っ青になった。
那由多よりも高い身長の老体が廊下の向うに消えた時、那由多も部屋に戻った。
「那由多さん、ちゃんと足を拭いて……」
「風呂はいってくる」
部屋からタオルと制服を取り出すと、そのまますたすたと歩いていった。




龍宮家の風呂は家長である「御爺様」…龍宮継敏の趣味で総檜作りだ。しかも家の者が常に使えるようにと磨き上げられ、朝から晩まで湯が張ってある。湯気立つその湯船に身体を沈め、那由多は大きく息を吐いた。
その後すゥ―――っと息を吸い、ざぶん! と頭から湯に浸かった。子供の頃から、こうするのが好きだった。こうしていると、本来なら息苦しいはずの水の中が凄く心地よかった。
『あの方は、龍宮家の者ではない』
『伽代様の御子だというが真のものか』
『どちらにしろ、半分は下賎の者の血が……』
うるさい。
『巫女にはなれぬ』
『伽代様は素晴らしき御方だったが、あの子は…』
『那由多さん、御爺様の言うことをちゃんと聞いて』
うるさいよ。
『お前はわしの不肖の娘の子供だ。路頭に迷わせるわけにもいくまい。わしに泥を塗るような真似だけは、してくれるなよ』
うるさい!
ばっしゃあ!
息が続かなくなって、立ち上がる。
この家は息苦しい。外にいるのに、たまに呼吸が出来なくなる。水の中にいたほうが、万倍マシだ。
ふと、中に備え付けられた鏡を見る。胸の膨らみが、この前見たときより大きくなっているような気がして、不快そうに鏡にお湯をかけた。
「消えちまえ。女の俺なんか」
俺は『伽代様』じゃない。巫女になんかなれない。誰も望まないんなら、俺にだって必要無い。『女の俺』なんて。
風呂上りによく水気をふき取ると、さらしをいつもよりきつく巻いた。その上からシャツと学生服を羽織り、家の者が集まっているであろう息苦しい食堂に向かった。


外に出ると、無意識のうちに深呼吸していた。
と、その目の前に黒塗りの高級車が止まる。祖父の客かと一瞬思ったが、そこから出てきた人影を見て那由多の顔が綻んだ。
「やぁ」
「鳴瀧のおじさん!」
その男の名を呼び、駆け寄る。呼ばれた男も少し笑うと、車のドアを閉め、そちらに歩み寄った。
「久し振りだね。元気かね?」
「はいっ!」
この男―――――鳴瀧冬悟と言う――――は、那由多が小さい頃から通っていた古武術の道場主だった。ついこの前、那由多の通っている学校で不可思議な事件が起きた時も、彼の力で大事にならずに済んだ。そんな彼を那由多は親しみを込めて「鳴瀧のおじさん」と呼ぶ。彼女の周りにいる大人の中では珍しく、那由多が息を吸える人だった。
「鳴瀧のおじさん、東京にいってたの?」
「あぁ。もっとも、これからすぐにとんぼ返りするけれどね」
「え――――! そんなぁ!」
不満を思いっきり出して、那由多が叫ぶ。家の中の感情を押し殺していたような彼女とは、随分違う。そんな彼女に苦笑して、鳴滝は言葉を続けた。
「今回の目的は…那由多君。単刀直入に言おう。東京に来る気はないかね?」
「…え…………?」


取り合えず乗り給え、と開けられた車のドアに入り、運ばれたのは拳武館の道場だった。
「君の中に有る不思議な《力》のことについては、前に説明したと思うが…」
「はい」
「時が、迫っている。東京で、君の力を必要とする者達の戦いが始まる…このままここにいても、いやがおうにも巻きこまれてしまうだろう。唐突だとは思うが…信じてくれないか」
「それって…ウチの女の人によく生まれる、《菩薩眼》ってやつですか? その人の周りには常に戦乱が起きるって…子供の頃から教わってたから。でも俺は…」
「解っている。確かにそれも関わっているが、それだけではない。君の《力》はもっと強力な…」
「あの! どんな理由があるのかよく…わかんないけど、家を出られるんなら…嬉しいです。…俺、もうあの家にいるの…イヤです。息苦しくて…」
「そうか……」全て解っている、と言う風に鳴瀧は頷いた。
「そうだな、東京には紅葉もいる。久し振りに会えるだろう」
鳴瀧の口からふと飛び出した「紅葉」と言う言葉に、那由多の眉間にぴしいっ! と皺が寄った。
「会わなくてもいーです。あんな奴に」
藪睨みのまま吐き出すように言う那由多に、鳴瀧は苦笑する。
「そうかね?」
「いーんですっ。あんな裏切り者に会いたくないですッ」
ぷいっと横を向く那由多を見ながら、鳴瀧はほんの数日前のことを思い出していた。


『…那由多君を、こちらに呼ぼうかと思っている』
そう言った時、滅多に表情を崩さない狼は僅かに動揺したようだった。
『そう、ですか………』
『久し振りだろう。会ってちゃんと話をするといい』
その言葉に、彼は少しだけ逡巡し…やがて、諦めたような笑みを浮かべた。
『会えませんよ』
『…何故かね?』
『だって僕は、彼女を裏切ってしまったんですから。…もう2度と、会えないんです』


家に帰ったあと、全員寝静まったであろう夜中に那由多は起きた。
手近な荷物を鞄にまとめ、引越しの準備を始めたのだ。祖父達は鳴瀧が説得してくれると言った。それを信じるしかない。この家から逃げ出せるのなら、迷うことなど何もない。
引出しをひっくり返している時、一番下からひらりと何かが出てきた。
「?」
手にとって見ると、古すぎて色の変わった紅葉の葉だった。


『僕の名前と同じなんだ。覚えていて』
『うん、わかったー!』


「!」
床に叩きつけ………ようとして、どうしても出来なかった。
「……どーせ叩きつけたってひらひらして無駄だろッ、無駄ッ!」
何故か顔を赤くして、那由多はその思い出を鞄の一番下に突っ込んだ。