時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

螺旋

幼い頃、少年は閉じ込められていた。
城の奥深くにある座敷牢。周りは全て土蔵で固められていて、光も差さない小さな四角い部屋。
怯えたような老女が毎日食事を運んでくるだけで、他には誰も来ない。
少年は只独り、ずっとその部屋の中で蹲って時を過ごしていた。



いつからだろうか。
彼の前に、閉じ込める者達の目を盗んでやってくる青年が現れた。
その紅い髪の青年は、「必ずお前をここから出す」と繰り返し繰り返し少年に話し掛けた。
その言葉がどんな意味を為すのか、その頃の少年には良く解らなかった。
只、何も話してくれない老女よりも、色々なことを話してくれるその青年の方が好きだった。
その青年が来るのを、心待ちにするようになった。






ある日、大怪我をした青年が牢にやってきて、閂を手にした巨大な太刀で断ち切った。
「行くぞ、小僧」
「………?」
「来い! 俺と共に来るのだ」
呆然としていた少年を抱きかかえ、紅い髪の青年は走り出した。









ざざざぁ、ざざざぁ、と足に掻き分けられる草が波打つ。
始めて見る外はやはり暗く、しかし天空に細長い三日月が輝いていた。
「あ…ぁ、あ、」
青年の体には酷い太刀傷がついており、腕や肩には鏃が刺さっていた。その痛々しさと恐ろしさに怯え、少年は泣いた。泣きながら、その傷を細い指で撫でた。まるで、その傷を癒すように。
どれだけ走ったのだろうか。力尽きたように、青年はがくりと川沿いの土手に突っ伏した。
少年は泣いていた。何故かは解らなかったけれど、青年が自分を外に出す為に、このような怪我をしたのは解った。
青年の息は荒い。命が尽きかけているのだろうか。
少年は血に汚れることも厭わずに、その大柄な身体に抱きついて、只祈った。
どうか、癒えて欲しいと。



――――――さわさわさわ。
――――――さわさわさわ。



風が無いのに、草が揺れた。
同時に、蛍のような小さな金色の光の粒が、辺りに漂いだす。
草がその光を受けしゅるしゅるとその葉を伸ばし、青年と少年を包んでいく。
まるで生命力が分け与えられるかのように、青年の顔に血の気が戻ってきた。
「あ…」
少年は小さく、笑みを浮かべた。自分の身体の力が抜けて、くったりと青年の背の上にへたり込んだが、それでも嬉しそうに微笑んでいた。意識を取り戻した青年も、それを見て笑った。
「―――やはり、お前だ。間違いない」
「…?」
首を傾げる少年を、青年は身体を起こすと、月の光の下で抱き寄せた。
「お前は、器だ。すべてのものを受けとめ、すべてのものを御する事の出来る器だ」
「うつ、わ」
言葉を紡ぐ事など知らなかった唇は、ただ相手の声を復唱するに留まった。
「お前は俺のものだ―――、誰にも渡さん」
きつく抱き締める腕からは、まだ血の匂いがした。
強く、痛い抱擁。しかし少年にとっては、始めて与えられた温もりだった。
だから、何も言わずに眼を閉じた。







二人で色々な国を回り、漂泊の旅を続けた。
少年は、沢山の事を学んだ。沢山の事を覚えた。
やがて彼には自我が生まれる。
太平の世がゆっくりと腐り始め、その内側から融けていく様を、真摯な琥珀色の瞳で見つめて。
「このままで良いのだろうか」という問いを、何度も口に出すようになった。
「何を求める」
紅い髪の青年は、冷たき声で少年を呼ぶ。
「…今日、また飢えて子を殺す親を見た」
今にも泣きそうな瞳で、少年は言葉を紡いだ。
あまりにも純粋な魂にとって、この世は地獄と似通って見える事が少なくなかった。
「何か―――何か、俺に出来る事はないのだろうか?」
少年は自分の<力>がどんなものなのか、何となく理解出来るようになった。それを利用する術も、覚えてきた。それ故の言葉だった。
本気の声音に、しかし青年は瞳に怒りを燃やして少年の襟首を掴んだ。
「お前は無駄なものを見る必要はない。お前の力は俺にだけに振るわれれば良いのだ」
「…ッ、むね、たか」
苦しい息の下から名を呼ぶと、すぐに腕は外され、抱擁された。
「お前は俺のものだ。お前は只、俺の側に居れば良い」
「…………」



体の中身が削り取られていく。
魂が擦り減っていく。
彼が自分の為に人を殺した様を見て、少年は逃げた。
腕を伸ばし続けてくる、鬼から逃げた。




逃げても逃げても、逃げきれない事は解っていた。
自分にとって彼は、唯一にして絶対なるものだから。
それ以外の人など、自分の側にはいないから。


走り疲れた足が倒れこんだ場所は、桜色の褥だった。


辺り一面、桜の花弁が散っている。その美しさに、少年は顔を綻ばせた。
このまま、この中に埋もれてしまえば、彼も自分から解放されるだろうか。
「…泣いているの?」
「………?」
鈴を転がしたような少女の声が聞こえ、少年は辺りを見まわす。
桜の木の下に、人影が見えた。
異国の服を身につけた、金色の髪の少女がいた。本来この国の人間ならば奇異の目を向けてしまうはずのその姿を、しかし彼は素直に美しさを認めた。
少女の優しい空気が、少年にも通じたから。今まで青年の腕の中に抱かれ、他の不必要とされる人々と話を交わしたことすら無かった少年は、かけられた声を純粋に嬉しく思った。
「…君は誰?」
「わたしは、貴方の魂に連なるもの。貴方の周りには沢山の星が散りばめられ、貴方と共に空へ舞い上がるでしょう」
質問に答えず、少女は小さな声で囁き続ける。風の音で掻き消されそうになるその言葉を、少年は必死に聞き取ろうとした。辺りは薄紅色の花弁が舞い上がり、花嵐が起こる。
「貴方の一番側にいるべき星は、貴方がいなければ輝けないわたしでも、貴方から光を搾取する鬼星でもない。貴方と共に輝いて、貴方と共に空を駆けることの出来る星」
「…そんな星が、本当にあるのか…?」
問いは、疑いではなく、縋るような色を含んでいた。もし、もし本当に、そんな星が在るのなら。
目を閉じたまま、少女は微笑んだ。
「幾度幾年巡ろうとも、わたしは貴方の道を照らし続けましょう。貴方は一人でも生きていける――――」
ざあざあと風が回る。桜吹雪の中に、少女の身体が飲みこまれる。
「待って…!!」
薄紅色の風の中に、必死に手を伸ばす。
「――つか――――また、逢え――――ら――――――」
声は風の中に溶けて、散り散りに消えていった。
少年は一度、何かを堪えるように眼を閉じ、そして―――全てを振り切るように、嵐の中を駆け出した。

















「……お客さん。ちょっと、お客さん」
どこか迷惑を含んだ声とともに、ざわめきが自分を包みこんで真央は眼を覚ました。
「寝るぐらいだったら、何か注文してくださいよっ。ああ、忙しい」
慌ただしく去っていった茶店の親父の背中を見送り、緩く頭を振って眠気を払拭させる。
長い夢を見ていたような気がするが、良く思い出せない。
「オイ、大丈夫か?」
「…?」
不意に後から声をかけられて振り向く。見ると座敷の方に、流浪人らしい剣士が胡座をかいていた。
「いやなに、ちっとお前さんが随分としんどそうな顔で寝てるもんでな。起こそうかどうしようか迷ってたら、親父に先越されちまった」
屈託無くまるで少年のように笑う剣士に、思わずこちらも笑ってしまう。
「あんた、江戸に行くのかい?」
「あぁ…特に目的があるわけでは、ないが」
「ははっ、まあ俺も似たようなモンだ。こいつ一つで、流れ旅さ」
かちゃん、と脇に置かれた太刀を軽く叩く。
「まっ、ここで会ったのも何かの縁だ。親父ッ、団子頼む」
「へい、まいど!」
すぐに二人の間の卓袱台に、串団子とお茶が二つ運ばれてきた。眼を瞬かせ、皿と相手の顔を見比べる真央に、剣士はまた笑って促した。
「食えよ、奢りだ。やっぱ茶店だったらこれだろ。江戸に行きゃあ、もっと美味いもんも食えるだろうけどよ」
ひょいっと1本手渡され、呆然としていた真央は…ゆっくりと一口齧り、咀嚼して飲みこみ。
ぽたり、と涙を落とした。
「んなっ…」
剣士が、動揺の声音をあげる。奢っていきなり泣かれたらそれも当たり前だろうが、それによって注目して気づいた顔の造作の隙のなさの方が、動揺の大きな原因だったようだ。
それに気づかずに、真央は慌てて目尻を拭ってすまない、と呟いた。
「初めてなんだ…誰かに、何かを、与えられたことが」
真央にとっては、青天の霹靂。しかし剣士にとっては当たり前の事。
どこか気まずげに頭を掻く剣士に、真央はもう一度首を振って詫びると微笑んで見せた。
それが、始まり。




くるくると、魂の物語は回り続ける。
それはまるで落ちる花弁のように。
幾度幾年、終わりなく、只――――――――