時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

序・冬

悠久の時の中で。
自分はいつも、「其処」にいた。

暗く、光の届かない場所。
外にいる人達は、自分のことが大切だからこんなことをするんだと言っていた。
「彼」はそれを苦しんでいた。
お前を自分のものにしたいと、口癖のように言っていた。
それでも嬉しかった。
他の人は、皆自分を自分として見てくれないから。「彼」は自分を見てくれた。一人の人間として見てくれた。
でも、結局其処から出ることは出来ずに。
どれだけの時が経ったのだろう?

扉が、開いた。

眩しくて、目を開けられなかった。
誰かが立っている。でも顔が見えない。
「彼」ではない。他の人でもない。
貴方は誰?


見たことは一度もないのに。
私はその人のことを太陽だと思った。


「勇くん…緋勇くん!」
呼ぶ声が聞こえて、自分の意識が覚醒するのがわかった。
目を開けると、其処は自分の通っている学校の教室だった。
(…転寝をしていたのか…)
「目、覚めた? 次の授業、生物室に移動よ」
「あぁ……ありがとう」
それだけ言うと、自分の目の前に立っていた女生徒はそそくさと去っていく。
緋勇麻央は、自分がこのクラスで敬遠されているのを、知っている。成績も平凡、目立ったところがとくにない…自分に纏わる沢山の噂を、自分も知っているから。
体を軽く伸ばして、夢を払拭する。子供の頃から幾度と無く見る夢。目が覚めると内容ははっきりと思い出せない夢。しかし、見ると自分の中の違和感が大きくなる夢。
そう、自分がここに存在すべきではないような……どこかずれた所に存在しているような違和感。
ふぅ、と息を吐いて、考えを頭から追い払った。

どん。
「あ…」
「きゃぁ!」
教室を出た途端、ダンボールとぶつかった。いや、正確に言えばダンボールを運んでいる女の子に。
「す、すまない。大丈夫か?」
「こっちこそ。ごめんなさい、大丈夫?」
幸い二人ともよろけただけで済んだが、お互い謝りあう。
「ほんとにごめんね、前見えなくって」
「…無理も無いな。手伝おうか?」
「えっ? いいわよ、平気だし」
「…いや、やはり手伝おう。半分貸してくれ」
そう言って、荷物の上の部分に乗っていたものを取り去った。
「あっ…ありがとう…」
「気にしなくても良い。さっきぶつかったお詫びだ」
そう言って微笑んだ麻央を女生徒はじっと見つめて、笑い返した。
「あたし、2−Aの青葉さとみ。ブルーの青に葉っぱの葉、平仮名でさとみ。あなたは?」
「俺は…緋勇 麻央。緋色の緋に、勇気の勇、麻の字に中央の央で、麻央」
「緋勇くんか。ねぇ、きっちりした喋り方だけど、いつもそうなの?」
「え? …そうなのか?」
自覚が無かったらしい。軽く吹き出すと、さとみは続ける。
「そうよ。でも、似合ってるから、気にしなくて良いわよ。カッコイイし」
「……………?」
まだ首を捻っている麻央を見て、もう一度さとみは吹き出した。


「ここまででいいわ。ありがと」
A組の前まで着いて、さとみがドアを開けた、瞬間。
どん!
先程より幾分大きな音で、さとみと誰かがぶつかった。今回は耐えられなかったらしく、荷物がばらばらと下に落ちる。
其処に立って冷たくその風景を見下ろしているのは、大きなバンダナで奇抜な髪形をまとめた細身の青年だった。
「おい、莎草!」
其処にもう一人、生徒が入ってくる。髪を短く刈り込んだ、元気そうな青年だ。
「せめて荷物ぐらい拾うべきじゃないのか?」
そう非難する言葉を無視して、莎草と呼ばれた青年は歩き去っていく。
「あの…比嘉くん、私大丈夫だから…」
「そう言う問題じゃないだろ、さとみ…あれ?」
やっと、無視されていた麻央が視界に入ったらしい。
「あんたは?」
「あっ、C組の緋勇くん。荷物運ぶの手伝ってもらっちゃった」
「へぇ…あっ、俺、A組の比嘉焚実。さとみとは、まぁ幼馴染って奴」
「そうなのか。はじめまして」
深深と礼をする麻央に、比嘉がきょとんとしてさとみに尋ねる。
「こーゆー奴なのか?」
「みたい」
くすくすと笑うさとみに、また麻央は首を傾げた。


「ねぇねぇさとみ、C組の緋勇くんと話してたの?」
「そうだけど? 意外に有名なのねー、緋勇くんって」
「有名なんてモンじゃないわよぅ! 彼の噂、知らないの?」
「噂?って何だよ」
「あのね…」

「彼には眉唾モンの噂があんのよう。中学の頃、十人ぐらいの不良に囲まれて、全部病院送りにしたとか。目の色が左右違うから、『バケモノ』ってあだ名で呼ばれてたんだって。ほんとに噂じゃ…彼、ヒトを殺したことあるんだって……」

「…でも、話した限りでは良いヒトだったわよ? ただの噂なんでしょ、そんなの」
「だよなぁ、馬鹿馬鹿しい」
「そんな噂に躍らされてるんじゃ、緋勇くんが可哀想よ」
「火の無いところに…っていうじゃん! ホント気をつけたほうがいいよ!」


そんなことを囁かれているとも知らず。麻央はいつもどおりの時間に校門を出た。
「緋勇麻央くん―――だね?」
「…はい?」
後ろに立っていたのは、髪の長い体つきががっしりとした壮年の男性だった。見たことも無い相手にやや警戒している麻央に、相手は名前、生い立ちから、家族以外知らないことまで喋った。
「…貴方は、一体?」
「私の名は…鳴瀧 冬吾。君の本当の父親―――緋勇 弦麻のことで話がある」
「――――――!?」


『冬吾。お前は日本に残ってくれ』
『何故だ! 俺もお前と共に戦う!』
『お前にはお前の、俺には俺のやることがある。お前はここで、俺達の帰ってくる場所を護ってくれないか?』
『……弦麻!!』


「あの…?」
青年の声に、我に返った。
「すまない。少し、昔を思い出していた……」
そう言って、前にいる青年、緋勇麻央の顔を見据える。
よく似ている。
どちらかというと母親似の顔だが、意思の強そうな瞳は昔共に戦ったあの男を思い出させる。片方が父親と同じ濃いブラウン、もう片方は母親譲りであろう透き通った琥珀色だ。
「その瞳……弦麻と迦屡羅さんの面影がある……」
「えっ?」
麻央も驚いていた。何故自分はこんなところにいるのだろうかと。名乗りはしたが、見ず知らずの人にこうも簡単について来てしまったのだろうかと。
「……それが…父と母の名前ですか」
「…知らなかったのか…」
「義母は……時が来たら教えてやる、の一点張りでしたから」
自分の本当の両親については、本当に何一つ教えてもらえなかった。やがて彼も聞くのをやめた。義父母も、弟も妹もそれを聞かれるのを嫌がっているのがわかったから。
ただ、自分が養子であることは教えられていた。そして、自分の中にある奇妙な、人間離れした力をコントロールするために、義母から簡単な古武術を教わった。
「貴方が、俺の本当の両親の事を知っているのなら……一つだけ、どうしても知りたいことがあります」
「何かね?」
「父は…母は…俺と同じように、奇妙な『力』を持っていましたか?」
「!」
鳴瀧の目が驚愕に見開かれる。
「もしそうなら…これを押さえる力を知っていましたか? 俺は自分の力が怖いです。感情で制御できなくなるといつも溢れ出すこの力が! 簡単に人の命を奪えるこの力が!」
「…………」
嘘ではなかった。子供の頃、ちょっとしたはずみで自分の人間離れした『力』が暴走してしまうことがあった。それによって彼は………人を殺した。
事件にならなかったのは、『子供が大の大人の首をねじ切り心臓に穴を開ける事など出来ない』と、警察が判断したからなのだ…。
「いつか誰かを傷つけてしまうのではないかと…びくびくしながら生きていくのはもう、嫌なんです…」
自分で自分の体を抱きしめ、悲痛に絞り出すような声で呟く麻央の頭を、鳴瀧はそっと撫でた。
「それを止めるのは、君自身でなくてはいけない。自らの弱い心に打ち勝ち、自分を見据えることが大切だ」
「自分を…」
「そう。自分が何であるかということから目を逸らしてはいけない。その出口は必ず、君の中にある」


「ただいま…」
「お帰りなさーい兄さん! 遅かったね、何かあったの?」
「お帰りなさい」
家に帰った麻央を、弟妹が出迎えた。元気よく飛び出して話し掛けるのは弟の刹那、その後ろから落ち着いて口数少なく話すのは妹の永遠。顔はうりふたつなのに正反対の性別と性格を持っている、近所で評判の双子である。
麻央は、絶対に家族に、とくにこの弟妹には、心配をかけたくなかった。だからこそ、笑顔を作って笑いかけた。
「大したことじゃない。でも、少し疲れたから、もう休むよ」
「兄さん、誰かと喧嘩したのっ? 敵なら俺が討つよっ!」
「そうじゃない。…本当に、大丈夫だよ」
微笑んで、刹那の頭を撫でる。それだけで弟は満足したようだが、妹のほうは何か兄に違和感を感じた。しかし、それを問い詰めるだけの語彙を彼女は持っていなかった。


からだがあつい。
むねのなかからきんいろのひかりがでている。
じぶんがなにかべつのものになっていく。
だれかたすけて。
だれかたすけて。
だれかたすけて。
だれか!
『もう、大丈夫だ』
…だ……れ…?
『俺に任せとけ。俺の背中はお前に預ける。だからお前も、俺に背中を預けりゃいい』
しっている。わたしはしっている。このひとがだれなのか。
からだがひえていく。でもあたたかい。もうだいじょうぶ。
『お前は一人じゃない』
このひとがいれば、へいき。じぶんがこわくない。
『俺はお前を一人にしない』
じぶんをすきになれる。
『なぁ、麻央』
なまえ。なまえ。なんだっただろう、おもいだせない。
おもいだせないよ、
「……………!」


「――――!」
目が覚めた。荒い息をついて、ベッドに座り込む。
「また…あの夢…」
扉を開けて入ってきてくれた人。自分を恐れず、崇めず、対等に扱ってくれた人。
彼がいれば、このどうしようもない力の本流が、不思議と収まるのだ。
「…会いたい、な」
これも逃げなのかもしれない。甘えかもしれない。でも。
「どこかにいるとしたら」
会いたい。会って話をしたい。傍にいて欲しい。
「…欲だな」
自分の頭をこつりとやって、ベッドから起き上がった。


それから後、自体は急展開する。
莎草がさとみを攫い、比嘉と共に助けに行った廃屋で、彼らの目の前で紗草は鬼と化した。
『お前の糸が見えないっ…そんな馬鹿な!』
そう、最後に莎草が叫んでいたような気がする。しかし麻央は、それどころではなかった。
『目覚めよ――――――』
「うっ……く……」
どくどくと心音が早まる。
『目覚めよ――――――』
「はぁ……はっ…」
「緋…勇……?」
訝しげな比嘉の声がする。
『目覚めよ――――――』
この感触には、覚えがあった。
不良に囲まれて、それを返り討ちにしたとき―――、自分を攫おうとした男に触れられた時―――、これと同じ感覚が、頭の中に充満したのだ。
「…めろ……やめてくれ…」
嫌だ。
嫌だ。
『バケモノ』にはなりたくない――――――!
「…嫌だああああぁ―――ッ!」

絶叫。
光。
崩れゆく鬼。

後には、静寂。

「緋……勇………」
「緋勇くん……」
呆然とした声で、座り込んでいる麻央に話し掛ける。
比嘉の手が麻央の肩に伸び―――――
「触るなっ!」
びくん、と止まる。
「触っては駄目だ……何をするのかわからないんだ、この体は……」
彼は泣いていた。自分の体を抱きしめ、小さな子供のように。
「手当たり次第に傷つけて……命を奪うことしか出来ない。こんな力はいらない…こんな体はいらないっ……!」
誰も、しばらく何も言えなかった。
「比嘉…青葉を病院に連れていってくれ…」
「あ、あぁ…」
「…もう…俺には関わらないほうがいい…」
それは、とても悲しい決別の言葉。
後ろでドアの閉まる気配がする。
ずっとずっと、麻央は一人で座っていた。


「麻央くん……東京へ行き給え。東京の真神学園へ…」
「東京…?」
「いや…君は、行かねばならない。そこには、君のことを待っている人がいる…」
「…鳴瀧さん」
「ん?」
「俺は強くなれますか」
「………」
「強くなりたいです。自分のこの力を受け止められるだけの……もうだれも傷つけないための、力が欲しい、です」
「…それは、君次第だ。私が、古武術を教えよう。弦麻の体得した奥義を、君自身の手でつかんで見せるといい」
「……はい」

それから数ヶ月後、彼は旅立つ。
自分の宿命が待つ、
東京、新宿へ―――――

「大丈夫なのかよ…あんなひよっこに、この日本の命運任しちまってよ」
「それ以外に方法はない…もはや彼の道は開かれた」
「…俺が昔鍛えてやった餓鬼も、東京にいるはずだ」
(願わくば出会い、その力を貸してやれ―――)