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六等星は白日の夢を見るか?

 天蓋に囲まれた庭園は、ソーレの一番のお気に入りだった。四季折々の花が常に咲き誇る花園も、せせらぎを伝えてくる小川も、東屋では無くちゃんと空を見上げられる広場の、据えられたテーブルに準備された自分好みのお茶菓子も大好きだが、一番好きなのは空だ。
 クリスタルガラスで覆われた円形の空は、星の瞬く永遠の夜空を映している。その中天に常に輝く、目が覚めるような青色の美しい星を、ソーレはいつも見上げていた。
「上ばかり眺めていると首を痛めるぞ」
 いつの間にか、テーブルを挟んだ向かいの席に、少年が座っている。ソーレは驚かない。この庭園にいる自分以外の存在は、目の前の少年と他にもうひとりしかいないし、彼らは自分の絶対的な味方なのだから。
「シャム、そんなわけは無いでしょう。私の体は痛くならないわ」
「それでも、だ」
 シャムと呼ばれた少年の見た目は、ソーレよりも随分年若い。ソーレとお揃いの、くるくるとした巻き毛の銀髪が似合っている可愛らしい少年にしか見えない。それでも彼が、自分にとっての保護者のようなものであることは解っているので、軽く肩を竦めて頷いた。
「運動はちゃんとするんだぞ。歩き方まで忘れたら目も当てられない」
 尚も続けながらシャムが僅かに目線を動かすと、ソーレの目の前に置かれた陶器のカップがあっという間に紅茶で満たされた。ポットから注いだわけでもないのに、唐突に。物理法則を無視しているのはいつも彼の方なのに、自分の運動について小言を言われるのはちょっと辟易してしまう。
「大丈夫よ、毎日散歩はちゃんとしているわ。アステローペとも遊んでいるもの」
「あいつの遊びは荒っぽすぎる。レーザー射的はもうやってないだろうな」
 こちらを睨んで告げてくるお小言を聞き流しながら、甘いクッキーを舌で転がしてから紅茶を飲んでいると、ざし、ざし、と重たい足音が聞こえたのでそちらを見遣る。
 綺麗に整えられた石畳の道を、逆関節の足で踏みながら近づいてきたのは、二足歩行型の小型ロボットだった。小型と言っても、頭頂までの高さはソーレの倍、つまりは3メートルぐらいはある。流行りの高価なアンドロイドには常備されている人間型スキンが一切付与されていない、配管があちこち剥き出しのままの武骨なボディだ。
 頭部に内蔵されたカメラアイがキュルキュルと僅かな音を出して動き、ソーレの方に真っすぐ向けられる。地面に届くぐらいに長いその腕の一振りで、恐らくソーレの体を上下泣き別れに出来るぐらいの出力を持っている改造済みのロボットだが、恐怖は全く感じない。此処で暮らすようになって随分長い時間が経ったが、彼――彼女でも無いのだからこういう言い方は間違いなのかもしれないけれど――がその姿を変えることなくこの場に立つのは、幼い頃のソーレがその方が格好いい、と言ったからだ。前腕を胸部に当てて腰を折り曲げるお辞儀の仕方も、ソーレが教えた。
「ソーレ、新しい星を見つけました。シャムシールを通常業務に戻してください」
 がさがさとノイズが走る、かなり旧式の機械音声だが、これも直す気は起きない。これこそが彼の声だとソーレが気に入っているからだ。
「解ったわ、アステローペ。シャム、よろしくね」
「ああ」
 武骨なロボットの名前を呼んで、少年を促すと、彼の姿は何の前触れも無くその場からぱっ、と消えた。しかし別に存在が消えたわけではない。何処に出力機関があるのかは解らないが、庭全体に届く声が優しく響いた。
【じゃあ、お前は眠る時間だ、ソーレ。今日の花香は何がいい?】
「そうね……ラベンダーがいいわ、よく眠れる気がするの」
 声だけになったシャムに睡眠前のリクエストをして、椅子に体を預け直す。すると、放り出していた手に冷たいものが触れる感触が伝わった。
 アステローペの、本来沢山の武装が内蔵されている太いアームから伸ばされた作業用の四指が、ソーレの掌を包むようにするりと撫でて巻き付く。……彼らとの付き合いは長いので、眠るたびに感じる、次はもう二度と目覚めないのではないかという、自分の細い不安を全て見透かされている気がして、少し恥ずかしい。
 しかし、だからこそアステローペは自分の前に姿を現してくれるし、シャムは眠る前に安心できる香りを準備してくれるのも解っている。金属の指をきゅっと握ると、冷たくて硬い感触がちゃんと伝わってきて、安心した。
「それじゃあ、おやすみなさい、アステローペ、シャム。なるべく早く、起こしてね」
「畏まりました、ソーレ。おやすみなさい」
【解っているさ。おやすみ】
 僅かに軋むノイズ交じりの声と、庭園に響く優しい声を聴きながら、ソーレの意識は緩やかに世界から断絶した。



 ×××



 骨が浮いているが柔らかい人間の手から指をそっと外し、アステローペU型は生命維持ポッドのジャックへと伸ばしていた精密操作用のアームを抜き取り、蓋を閉じた。アームにまとわりつく保存ゼリーは壁面から伸びてくる掃除用アームで全て拭われる。窓からポッドを覗くと、自分の所有者がいつも通り安らかな寝顔でゼリーの海に浮かんでいた。
 小さな体だ。出来得る限り老化をしないよう、代謝機能を極限まで落としている。VR空間で作られたアバターよりもずっと小さく、幼い。そんな子供が目鼻口を覆う様々な器具を付けられて閉じ込められている姿は、多くの人間ならば嘆きながら眉を顰める痛々しさを齎すだろう。しかし、アステローペにはそのような心の機微は存在しない。
 146年前にソーレの故郷の星が滅び、S級星間移動船舶“シャムシール”に乗って宇宙を旅をすることになった彼女は、人生の全てを睡眠によって過ごしている。脳に外部刺激を与えるのは重要なため、VRによる五感の活性化は定期的に行っているが、アステローペが船を離れる際には休止してノンレム睡眠に移行させる。船内の電力節約のためにも必要な事項だ。
【――惑星の分析完了。情報共有】
 愛想が一切なくなったシャムシールの平坦な機械の合成音声が、廊下を歩くアステローペに届く。無線で送られてくる情報を受け取りながら、操舵室まで辿り着いた。
 前面に広がるクリスタルガラスの向こう側に、暗い宇宙と青い星が見える。水が豊富であり、有機生命体が多数生息していることはシャムシールが既に分析済みだ。しかしその星をまじまじと観察して、アステローペは抑揚のない声音で呟く。
「ソーレの望む青さには、B要素が2.1%程不足していると計測されます」
【誤差の範囲】
「いいえ、ソーレが望んだことですので」
【任務を遂行しろ、アステローペ】
「はい、畏まりました」
 本来、シャムシール――S級異星間移動船舶専用管理AIにアステローペに対する命令権限は無いが、ソーレが「ちゃんとシャムの言うこと聞いてね」と言った時、権限の共有が認められたと判断した。ソーレが眠っている間、上官権限としても作用する。ちなみに、シャムシールのことをソーレがシャムと略すのは、船の名前と区別するためである。アステローペも正式名称は「アステローペU型」なのだが、こちらは単純にいい略し方が見つからなかったらしい。  シャムシールが起動させた外部カメラからのビジョンが、クリスタルガラスに投影された。青い星の周りを定期的に回転している、小型船の映像だった
【着陸前に、惑星にて衛星飛行を行う無登録の船舶を確認した。近づいてきた場合、攻撃を許可する】
「畏まりました」
 船体を黒く塗って、広大な宙海に隠れるように動く船は、大抵が賊――他の船や星から武力で食料や燃料を奪い生活する者達である可能性が高い。宇宙政府に登録した船舶番号を発する挨拶も行って来ない。法が有れど、咎める者の手が届きにくいこの広い世界では、身を守るための武装は必須だ。ハッチへと向かう専用通路を進むたび、右腕部にキャノン、左腕部にマシンガン、両足にミサイル弾が装填されていく。アステローペには武装拡張機能も追加されており、宇宙空間でも水素バーニアを使って移動や戦闘が行える。この船を守ることが、主人の安全で健康的な生活に繋がるのならば、武装を使用することに許可は要らない。
【――緊急。暫定敵船からミサイルの発射を確認。防御フレア発動】
「汎用生活補助ロボットアステローペU型、発進します」
 抑揚のない報告を聴きながら、開かれた外部ハッチから暗い宇宙へと飛び立つ。沢山のデブリが浮かぶ沈黙の中を泳いでいけば、ミサイルを反らすための火球が背中側から飛んできた。鈍い銀色の、弓なりに曲がった揺り籠のように見えるのが、S級異星間移動船舶”シャムシール”。アステローペが属し、戻る、己の主が住まう城。
 移動速度を上げる。着弾前に破裂するミサイルの衝撃を潜り抜け、黒色に塗られた船に肉薄する。宇宙の只中では小さすぎるアステローペの姿はまだ察知されていない。躊躇い無く、片足を変形させ、装填されたミサイルの弾頭を、船のコクピットへと向けた。
「攻撃開始」
 躊躇いなく宣誓した中、最新型のレーザーミサイルは真っすぐに飛び――中型船を容易く、船尾まで貫いた。



 ×××



 一時間ほど後、狼藉者を完全にスクラップにした上でアステローペが戻った弓なりの船は、無事青い惑星に着陸した。大陸も少なく、樹木に覆われている島も多かったため、如何にか僅かに空いた木々の隙間を狙って降り立つ。
「再測定の結果、酸素濃度に問題はありません。回収をお願いいたします」
【了承。生態圏の影響を及ぼさない範囲で、酸素回収を行う】
 ソーレの生命維持ポッドには酸素が必要不可欠だが、艦内生成が不可能なため、豊富な星に着いたら必ず回収するようにしている。辺りの安全を調べる為、アステローペは悪路も気にせず森の中へと進みカメラを動かしていく。
「入植者は存在していますか?」
【ここ200年の宇宙政府発表には載っていない。弾薬の補充が見込めない、戦闘はなるべく避けるように】
「畏まりました」
 シャムシールへ報告を続けながら、アステローペは頭部を忙しなくぐるぐる回してカメラを動かす。周りは随分と緑の濃い森で、様々な動植物が生息していた。それを出来得る限り鮮明な映像で撮影するのがアステローペの仕事だ。この映像をシャムシールに転送することで、ソーレが学習するVR空間に新しい情報を増やす。ソーレがいつか自由に動ける日が来るまで、嘘を教えるわけにはいかないのだから。
【警戒。熱源反応接近。大気圏外の船に搭乗していた宙賊と思われる】
「畏まりました。防衛に向かいます」
 すぐに逆関節の足を跳ね上げ、木の根や下生えをものともせずに船まで戻る。武装した人間型の生物たちが、木々に隠れて船に向かってくるのを熱源探知で確認し、一番近くにいた一人の襟首をアームを伸ばして掴み、広場へ放り投げる。味方が襲撃を受けたと気づいた他の者達が、武器を構えて口々に何かを叫び、飛び出してきた。
「×××! ××××!」
「×××××!」
「シャムシール、言語解析をお願いいたします」
【了承。――解析完了、翻訳言語を同時再生する】
「――の鉄クズがぁ!」
「船をやったのはテメェらか!」
 スラングが多めだった為少し時間はかかったようだが、翻訳した声はしっかりとアステローペに届いた。武器は構えず、両腕を上に伸ばすポーズを取りながら、ゆっくりと相手に近づく。
「対話を試みます。確かに、衛星軌道上の船を破壊したのはアステローペU型です」
「なんだぁこのポンコツは!」
「俺達“伏魔殿”に喧嘩売るたぁいい度胸だ!」
「てめぇをスクラップにして船を戴くぜ!」
 アステローペも少しは知っている、二つの銀河に跨る有名な宙賊の名を名乗った者達は、言葉と同時にレーザーガンを発射した。宙賊の間では安価でよく出回っている武器だ。一発ぐらいではアステローペの装甲を貫けないが、その光線はシャムシールの屋根も僅かに掠めた。
「おい! 船に当てんじゃねぇぞ、俺達も帰れなくなるじゃねぇか!」
 恐らく補給の為にこの星に降りたようだが、彼らの母船はアステローペが沈めてしまったので、脱出するためにもシャムシールを狙ってきたのだろう。揉め始める連中に対し、アステローペはがしゃん、と上に向けたままの両腕を変形させる。一瞬でライフルとガトリングガンの銃口が装甲内から飛び出し、男達が息を飲むより先に。
「交渉不可と判断し、殲滅に切り替えます」
 船に攻撃を当てたものを許すわけにいかないので、そのまま引き金を集団に向け、全ての武装の引き金を引いた。



 ×××



 必要な作業を全て終え、シャムシールは再び空へと飛び立った。アステローペは船内で、ボディのクリーニングを念入りに完了する。万が一病原菌などが付着していれば、ソーレの命に係わる可能性があるからだ。二回全身のスキャンが行われ、安全と判断されたのを受けて、ソーレの部屋へと戻る。
 頑丈な壁で守られた中枢には、いつも通り生命維持ポッドが据えられている。中に浮かぶ彼女の姿に何一つ異常が無いことを自分のスキャンでも確認してから、武装を完全に解除した腕を伸ばす。接触用のジャックに精密作業用の指を二本伸ばして、ゼリーの中に沈めていく。
 同時に、シャムシールによる情報共有が開始された。VR空間が展開され、アステローペも一瞬の間の後、ソーレがお気に入りの庭園に降り立つ。
 彼女はいつも通り、庭園の椅子に腰かけて天を仰いでいた。上空に広がる、ガラスの天蓋の向こう側に見えた、美しい青い星は、先程アステローペが降りた星ではない。彼女の生まれ故郷で、彼女の両親が彼女の為に残した母星の映像だった。
 庭園のテーブルの上には彼女の食事が用意されている。勿論、肉体に対する栄養は保存ゼリーが与え続けているが、彼女に食事の方法を教える為に、向かいの椅子に腰かけているシャムシールがいつも用意していた。味や触感を感じ取れるような電気信号も脳に送っている。彼女が赤子の頃から、ずっとそうしてきた。
「おはようございます、ソーレ」
「おはよう、アステローペ。今日の探検はどうだったの?」
 天から視線を外し、ちゃんとアステローペの方を向いて問うてくる主に、逆関節の膝を曲げて長い手を折り畳み、胸部に当てて頭部を下げる。彼女に言われてずっと続けている挨拶だ。
「はい、色々とご用意してきました。シャムシール、準備をお願いいたします」
「ああ、解ってる。ちょっと待ってろ」
 声が終わらない内に、眼下に広がる庭の地面に、次々と新しい花と木々が生まれた。シャムシールのアバターは一切動きを見せない、必要が無いし空間を構築する演算に邪魔だからだ。ソーレははしゃいだ声をあげ、立ち上がろうとするのでアステローペがそっと手指を取る。彼女の手はそこまで体温を伝えてこないが、アステローペにとっては酷く柔らかく感じた。
「綺麗ね! この花もこれから、この庭に咲かせてくれる?」
「勿論だ。お前が望むのなら、全部」
 シャムシールの、抑揚の籠った優しい声を聴きながらゆっくりと、一人と二体で庭園を歩く。時たま、アステローペが映像に収めた鳥や蝶が飛んでいくが、ソーレが手を伸ばしても、触れられずにすり抜けていく。……動物は動きのトレースに容量を食ってしまうので、触感まで再現が出来ないのだ。
「かわいいなぁ。この子達にも会ってみたいわ」
「野生動物は細菌やウィルスの宝庫だぞ。安全性が解るまでは禁止だ」
「はぁい」
 勿論、彼女が「実際に会う」のにはハードルが高すぎるので、いつになるかは解らない。あくまで彼女の好奇心を踏みつぶさないための言い回しだ。ソーレの心を健やかに成長させるために、そういうパターン会話はシャムシールの中に何万回も収録されている。アステローペには非常に難しい。パターンの蓄積を行えるほど、容量に余裕が無いからだ。そのせいで、まだ幼い頃のソーレを泣かしてしまったことがある。アイデンティティの崩壊に繋がりかねない状況だったため、同じような状況になった場合は会話をシャムシールに譲渡するように命じられている。
「ねぇ、アステローペ」
「はい、ソーレ。何でしょう?」
「今日見つけた星は、あの星みたいに綺麗だった?」
 細い指が差す天頂へ、アステローペはカメラを動かさない。其処に何があるかはもう理解しているから。彼が見つめるのは、ソーレだけだ。彼女の反応を決して見逃さないために。
「……いいえ。類似部分はありましたが、入植には難しい星でした。自然は豊富ですが、人間が住まう為の開拓はされておらず、宙賊にも狙われており危険が高いと判断いたしました」
「そう……」
 残念そうに眉を下げるソーレの顔に、繋いでいる方とは逆の手をそっと伸ばす。もう一方の手もポッドのホールに入れて、彼女の頬に触れる。この感触が伝わるように。
「ソーレ、宇宙はとても広いのです。条件の合致する星が存在する可能性は消してゼロにはなりません」
「うん……ええ、そうね。いつか、行ってみたいわ、あんな綺麗な星に。自分の足で、星の表面に触れてみたいの」
「畏まりました、ソーレ。お任せください」
 そう宣言した時、シャムシールは何も言わなかった。なので、多分、正解なのだろう。

 

 ×××


 
 シャムシールも、アステローペも、嘗てソーレが生まれた星では決して高性能なものではなかった。改造を施したのは、ソーレの両親だ。
 星間戦争に巻き込まれ、軌道を変えられた星に待つのは緩やかな死しかない。地表を照らす恒星に近づいた結果、恵みの熱は簡単に地表を焼き海を干上がらせる。生態系は調べる間もなく変化していき、未知の病が星中に広がっていった。
 彼女の両親はいち早くそれを避けるため、生まれたばかりの大切な一人娘を守るために全霊をかけた。完璧な生命維持の概念を学習させたAIをS級異星間移動船舶に搭載し、また人為的な脅威から身を守らせるため、汎用生活補助ロボットに拡張武装を全て注ぎこんだ。何があろうと、娘の命を守れ、と。
 そして彼らは、娘に病を移さぬため星に残り、飛び立つ船を見送った。彼らが何を思い、何を嘆き、何を願ったのか――それは、シャムシールにもアステローペにも解らない。人間の感情を推し量るのは、この二体にとって、とても難しいことだから。
 だが、彼らの命令は解る。理解できる。完全に遂行する。そうするために、作られたのだから。
 当てのない航海が始まって数年後のことだ。ソーレが物心つくほどに大脳が発達したので、本格的にVRによる学習が行われるようになった頃。まだ酷く狭い、草一本も無い空間の中で、アステローペはソーレに問われた。 
「ねぇ、わたしのおとうさんとおかあさんって、どこにいるの?」
「星に残られました」
「じゃあ、ほしにいけばおとうさんとおかあさんにあえる?」
「それは出来かねます」
 躊躇いなく事実を告げたアステローペは、それでソーレを大声で泣かせた。原因を探っている内に、シャムシールが自分用のアバターを組み上げ、必死に言葉を連ねて宥める。彼女の心身の健康を守ることが、シャムシールとアステローペの存在意義なので。
 そのシャムシールに叱られて、アステローペは腰を折り、頭部を床に擦り付ける礼をしながら、どうかお許しくださいとソーレに請うた。ソーレは仮初の体でぐすぐすと鼻を鳴らしながら、どうにか命令を絞り出す。
「……じゃあ、わたしのおねがい、きいてくれる?」
「勿論です、ソーレ。お任せください」
「ほしにもどって、おとうさんとおかあさんをつれてきて」
「申し訳ございません、それは出来かねます」
 また泣かせた。今度はシャムシールが両親のアバターを作成しようとしたが、彼らは自分達の存在が娘を縛ることすら良しとせず、データもほんの僅かしか残っていなかったため不可能だった。今度は二体で、彼女の前で頭部を床に擦り付けながら、再度許しを請うことになった。
「ソーレ、頼むよ、泣かないでくれ」
「申し訳ございません、どうすれば泣き止んでいただけますか」
「じゃあ、じゃあ……、おんなじほしを、みつけて。わたしたちがすんでたところと、おんなじほし」
「畏まりました。必ず発見いたします」
 それならば命令に抵触せず、可能性がある返答を出来た。告げたソーレの方が驚いていたのは、売り言葉に買い言葉のつもりで言ったからよ、と大分年月が経ってから理由を告げられた。それでも、彼女の願いなのだから、叶えない理由は無い。
「アステローペは、貴女の望みを叶える為にプログラムされたロボットです。アステローペは、アステローペの存在理由を遂行致します」
 そして今、美しい庭園で、あの頃に告げた言葉と一言一句違わぬ宣誓を伝えれば、ずっと眠りの縁で揺蕩う彼女は少し笑って。
「ええ。お願いね、アステローペ」
 そう言って微笑んでくれたので、やはりこの回答は正解なのだと認識した。



 ×××



 学習時間が終わり、ソーレが再び眠りにつく。VR空間が切断されて、アステローペはしんと静まり返った宇宙船の部屋へと戻ってくる。
 ポッドの窓を覗き込み、少女の細く小さな体が、ちゃんと生命活動を続けていることを確認しながら、この船のAIに向けて話しかけた。
「シャムシール、今回の調査に成果はありましたか」
【可能性は低い。採取した土壌・大気サンプルに、ソーレの病と同型のウィルスは確認できなかった】
 両親の奮闘空しく、飛び立った後の赤子に同じ病が発症したと判断した管理AIは、緊急睡眠用のポッドに彼女を閉じ込め、生命維持に全力を注いだ。病の進行を防ぐことは出来ているが、それ故に彼女はこの小さなポッドから出ることは出来ない。また、とうに寿命を超えている体の代謝を回復させたら、肉体に負担がかかりあっという間に死を迎える可能性もある。
 ……人間ならば、「見切りをつける」という判断が出来得るだろうが、彼らには出来ない。ソーレの命を維持し続けることこそが、彼らの存在意義なのだから。
「畏まりました。次の星の捜索をお願いいたします、シャムシール」
【了承】
 現状の認識を交わし、シャムシールは沈黙する。次にソーレが目覚める時間に向けてデータの準備をしながら、暗闇の星を探し続ける。
 アステローペにはそこまで性能の高い演算機能は無いので、他の作業に従事するため立ち上がる。降りた星で拾ってきた様々な鉱物、植物、有機生命体の肉体――それらを船の維持に使用するため、必要な部品として解体するのだ。船の外壁も、先刻撃たれた傷が残っているので修復しなければならないし、ポッドの点検修理は最優先で行わなければならない。やるべきことは沢山ある。
 アステローペは祈らない。祈るという行為に有用性を感じない。ただ、ソーレの望む、嘗ての故郷と同じ色の星が、この広い宇宙で見つかる可能性は決してゼロではない限り、其処に向かって必要な行動を行っていく。
「――アステローペは、アステローペの存在理由を遂行致します」
 部屋を出る前に、もう一度。返事の返ってこないポッドに向けて宣言し、扉を閉じた。