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漂泊の民と蛇の蒲焼き

「珍しい調味料なんだけど、どうだい? 味見してみな」
 そう言って差し出された壺に指を軽くつけて舐めると、舌に走る独特の風味にスヴェンは目を細めた。
「不思議な味だな、何つうか……甘いっつうか塩辛いっつうか」
「だろ? 南方じゃ有名な豆と蜂蜜で作ったソースらしいんだが、仕入れて売れるかと思ったらさっぱりでなぁ。日持ちはするみたいだし、一瓶銀貨一枚で良いから、買わないかい?」
 眉を下げる商人は本気で叩き売りをしたいらしい。少し迷うが、この濃さと独特の味は、臭みが強い肉や魚を食べる時に使えるかもしれない――多少不味くても食べなければいけない時は山ほどあるので。ひとつ頷き、懐から銀貨を取り出した。
「折角だから貰うわ。あとその岩塩、一番小さい奴でいいや」
「毎度あり!」
 銀貨を二枚渡すと、在庫が捌けて嬉しいのかちょっとだけ大きい岩塩にしてくれた。油紙に包んで手荷物に放り込み、少し離れた場所でしゃがんでいる青い髪の女に声をかける。
「モルー! 行くぞー」
 名を呼ぶとぱっと立ち上がった女の背は、高い。人込みでも頭一つ抜けるその大きさに、周りの人が少し驚いているが彼女自身は気にした風もなく、裸足のままぺたぺたとスヴェンの傍に駆けてきた。
「おかさん、なに買ったの?」
「塩とか色々。出来ればお前の服も買いたかったんだけどなぁ」
 ぺたりと引っ付いてくる子供を邪険にすることもなく、スヴェンは歩き出す。大分南まで来て、大きな町の外苑に設えられた商店街を色々覗いていたのだが、やはり大きな布は高い。路銀のことを考えると、この前の報酬から捻出するのは難しかった。
「もるにゃ、これでいいよ?」
 そう言って両腕を広げて見せるモルニィヤの外套は、色々な布を継ぎ足した不格好なもので。漂泊の民が見てくれを気にしてどうなるとは思いつつも、少しは良いものを着せてやりたくなってしまう。
「流石に着た切りってのは駄目だろ。前も着替えが無くて難儀したしな」
「ふーん」
 対する少女は全く興味がないようで、スヴェンの腕にしがみつき直してふにふにと小さく歌っている。安い布でも買って作るべきか、しかし服の修繕ならともかく縫製の腕は自信が無い。悩みながら歩いていくと、街を囲むように広がるキャンプ地に着いた。
 小さな村などならまだしも、ここのように城壁がある大きな町には大概関所があるので、罪人の焼き印があるスヴェンや、南方では魔物扱いされることも珍しくない蜥蜴人の赤紫鱗は入ることが出来ない。ぎりぎりでモルニィヤなら咎められないかもしれないが、彼女一人を街中に放置する危険は冒せないし、本人も嫌がるだろう。勿論漂泊の民にはそういう連中も多いので、こうやって町の外苑に別の町が出来ているのだ。
「戻ったか」
「ただいまー、おとさん!」
 他の漂泊の民達に遠巻きにされている、留守番をしていた赤紫鱗が戻ってきた二人に気づいて声を上げた。ぱっと顔を輝かせて駆け寄るモルニィヤに続いて近づくと、地べたの上に色々な石や枝が置かれていた。
「次はどこだい?」
「東は戦の気配。西は冬が訪れ始める。南へ行こう」
 何をどうしているのかはさっぱり解らないが、これは蜥蜴人の間に伝わる占いのようなものであるらしい。共に歩くようになってからこの占いは外れたことは無いので、元々当てのない旅しか出来ないスヴェンは文句も無くその行き先に乗っている。
「おとさん、これなぁに?」
 てっきりモルニィヤもこの占具について聞いたのかと思ったが、顔を上げると彼女は近場に枝を組んで吊るされている数匹の蛇を指していた。
「寝所を探す際に狩った。夕餉としよう」
「はいはい、っと」
 しっかり視線を合わせて言われたので、今日の献立は確定した。先刻買ったあのソースが使えるかもしれない、と考えながら捌く為のナイフを取り出す。
「これおいしいの?」
「それなりに、だな。旦那は好きだけど」
 始めて見る奇妙な生き物を不思議そうに見ている娘に説明しつつ、スヴェンは自然と思い出す。何やら指で石を弄って祈りを捧げているこの蜥蜴人と、初めて出会った時のことを。



 ×××



 じくじくと全身が痛い。腕も足も、散々石を投げつけられたから。しかし一番痛いのは、熱を持っている頬だった。無理やり押し付けられた焼き鏝の痛みを思い出して、自然と身が竦む。
 そしてぼやけていた意識が少し戻ってきて――自分が運ばれていることに気が付いた。肩の上に荷物のように担がれて。はて、自分は人買いに売られる程価値があるだろうか、とどこか冷静な部分の頭が考えるが、伝わる振動とそれに呼び起こされる痛みに、また意識が散漫になっていく。
『水の竜ナヤンブよ、誇り高き魂が受けし屈辱を退けたまえ。――治癒』
 ふと、朴訥な歌声のようなものが聞こえて――不意に、体が楽になった。今まで断続的に感じていた痛みが、一気に弱くなり、驚いて瞼を開けた。
「……目覚めたか、強き者」
「っ、う!?」
 目の前に、ずいと鱗に包まれた顎が飛び出てきて、思わず仰け反り後退る。そこで初めて、自分が湿った地面に寝かされていたことにも気づいた。何か叫ぼうとした瞬間喉が詰まって激しく咳き込んだ。
「げほっ、ぐ、がほっ!」
 咳をする度に痛みが戻ってきて、堪らず蹲る。どうにか治まるまで大人しくしていなければ、と思うのだが、また朴訥な声が降ってきた。――全く感情の起伏など感じないのに、どこか悔しそうな音で。
「許せ。我が祈りでは、お前の受けた傷を全て癒すこと能わぬ。我が不徳の成す処」
「へ、あ……」
 どうにか、その言葉の意味を汲み取って、スヴェンは正直凄く驚いた。どうやら自分は、この目の前の――二足で歩く蜥蜴のような男に、助けられた、らしい。
 全身が赤紫色の鱗に覆われており、衣服は僅かに腰に巻いた布ぐらい。その代わりなのか、首や腕には様々な牙や輝石を連ねた紐が巻かれており、蔓を捻り上げて作ったような大きな杖を持っている。縦に長い瞳孔のぎょろりとした瞳に見下ろされ、臆したくなる心をどうにか奮い立たせた。今更かもしれないが、弱みを見せたら食い物にされるのが当たり前なのだから。
「っ、あんた、何者、だよ」
 掠れた声でどうにか誰何するが、蜥蜴人はぐるりと喉を鳴らして、自分の手荷物から大きな袋を取り出す。旅人が良く使う、家畜の胃袋で作った水入れだ。
「喉が辛いか。飲め」
「……、……」
 少し迷うが、ずいと目の前に差し出されたので、突っぱねるのも馬鹿らしいと思ってどうにか受け取った。軋む体を堪えて上半身を持ち上げると、中の水を少しだけ吸う。かなり温くなっていたが、久々の水分に喉が鳴った。――何せここ数日、水すら碌に与えられていなかったので。
 結局水袋の半分ぐらい貰い、はぁ、と息を吐く。漸く滑りの良くなった舌と喉をどうにか動かし、改めて疑問を口に出した。
「なんで、あんた……俺を助けた? 曲がりなりにも、国の兵士に取っ捕まってたんだ、あんたも罪人の仲間入りだぞ」
「さて。只人の法なぞ知らぬ。だが、如何なる罪を犯そうと、衆人に唾棄され石を投げられるような、誇りを汚す罰を与えることは許されぬと吾が断じた故」
「……あんた、変な奴だな」
 それだけ言って、スヴェンは目を閉じる。疲労と、渇きが癒えた安堵と、まだ残る傷の痛みと、混乱に耐え切れなくなったからだ。
「礼なんざ、何も出来ねぇし、好きに――」
 意識がまた白くなっていく。返事はない。このまま捨て置かれても、人買いに売られても、別に構わないと投げやりに思った。



 ×××



 焚火の音が聞こえて、目を覚ます。
「――え」
 自分は先刻の場所からちっとも動いておらず、代わりに随分柔らかな草の葉が数枚、肩にかけられていた。小さな焚火が照らす以外の森は闇に沈んでおり、それを挟んで闇に溶けるような濃い色の鱗が僅か、火に煌めいた。
「なんで……」
 掠れた声が零れると、気づいた相手が瞳だけをぐるりと回す。
「疑問を示すばかりだな。まずは思考するべきではないか」
 抑揚のない声で、もっとも且つ傲慢な言い方をされてぐっと唇を噛む。蜥蜴人は灰色の瞳をまたぐるりと回し、無造作に手頃な藪に爪の長い手指を突っ込んだ。引っ張り出したそれは、随分と太い蛇だ。ぐねぐねと動き腕に巻きつくそれの首根っこを掴んだまま、蜥蜴人は牙の並んだ口をぐぱりと開き――その頭を噛み潰した。
「げっ」
 思わずスヴェンは声を上げてしまったが、相手は気にした風もなくがぶがぶと蛇を骨ごと食いちぎる。半ばまで食べ進めた後、すっかり動かなくなった残りを、ぽいと焚火を超えてスヴェンの目の前に放り投げた。
「食え」
「うわぁ……」
 野趣溢れる施しに呻いた。蜥蜴人はその気になれば人も食えるというし、これは素直に好意と思って良いのだろうか。少し悩むが、空腹であることは事実だし――何せ拘束中は水すら碌に飲めなかった――食い物について贅沢を言える身分でもない、が、流石にこのまま齧る勇気もない。
「あー……なんでもいいから、刃物、ひとつ貸してくれねぇか」
「何故」
「このまま食ったら間違いなく腹下すからだよ。せめて捌いて焼かせてくれ」
 縦長の瞳孔がぐるぐると回転する。どうも、スヴェンの言った言葉が理解できなかったらしい。割と流暢に喋っているが、聞くのは苦手なのかねと思っている内、蜥蜴人は懐を探り、骨から削り出したのだろう白い小刀を取り出す。
「好きに使え」
「お、有難ぇ」
 態々持ち替えて、持ち手を差し出す礼儀に笑って受け取った。一見野蛮かつ不気味な奴だが、下手な只人よりよほど礼儀がある。
 哀れな蛇の腹に刃を当てて、ぐっと引く。細長い内臓を取り出すと同時に、一気に引っ張って皮を剥く。そのまま、筒状の肉を切り開いて、骨を取り出す。幸い小骨が多い種類ではなさそうだ。適当な枝を拾って突き刺し、焚火の傍へ立てかける。
「……器用な事だ」
 ふと、ずっとスヴェンの手つきを見ていたらしい蜥蜴人が、ほんの僅か感情が籠ったような声で呟いた。気のせいかもしれないが。
「しかし、そうして蛇が、如何に変わる」
「少なくとも丸齧りよか、美味くなるぜ」
 何の味付けも出来ないのは辛いが、そんな贅沢を言える程今までの人生食事に恵まれていない。やがてちりちりという音と共に僅かな油が染み出し、肉に焦げ目がついた辺りで火から外した。
「……ッあひ」
 熱さを堪えて端を齧ると、肉が思ったよりも柔らかく食べ易かった。血抜きが完全でない臭みはどうしようもないが、贅沢は言っていられない。ゆっくり噛んで食べていると、また視線を感じた。感情の全く見えないぎょろ目が、スヴェンの口元を注視している。
 暫く無視していたが、逸らされることは無く――根負けしたスヴェンは、枝先をそっと蜥蜴人に向けて差し出す。「……一口、食うかい」
「――ふむ。貰おう」
 蜥蜴人も少しだけ迷ったようだったが、好奇心に負けたのかぐわ、と大口を開く。恐る恐るその舌先に蛇を乗せてやると、思ったより多めにがぶりと齧りつかれた。
「……、成程」
 何度か顎を動かして、すぐに飲み下してしまったらしく、ぽつりと呟く。料理自体が珍しいのかね、と思いながら残り少ない肉をちまちま齧っていると。
「食いでは減ったが、美味であった。貴様は良き術を知っている」
「……そいつぁ、どうも」
 朴訥に、それでも恐らく彼にとっては最上級の誉め言葉であろうことを言われて、スヴェンはどう判断していいのか解らず、最終的に軽く礼を言うだけに留めた。



 それだけの話で、その後も、たいした話では無い。
 このままだと追手がかかるかもしれないからとスヴェンが動くと、当然のように赤紫鱗もついてきた。貴様の傷を癒すと決めたのだ、と言われて止めることが出来なかった。
 礼が出来るだけの蓄えもないスヴェンは、彼が狩って来る獲物を捌いて焼くぐらいしか出来なかった。大したものではないのに、赤紫鱗は全部美味だと言った。
 そして、森を出る頃には当たり前のように、並んで歩いていた――本当に、それだけの話だ。
 


 ×××



 三匹の蛇の血抜きはもう済んでいた。蜥蜴人としてはあまり拘るところではないらしいが、両方食べ比べさせてやると納得したので、今はスヴェンが何も言わなくても下拵えをしてくれる。
 スヴェンは愛用の調理用ナイフを取り出し、鼻歌交じりに頭を落とす。腹を裂いて内臓を取り除き、皮も綺麗に剥いて骨も取り出した。もう慣れたもので、三匹程度簡単に終わる。
「おかさん、じょーず」
「はは、ありがとよ」
 モルニィヤに見守られながら、先刻買った岩塩を削って蛇に振ると、ちょっと迷って例のソースを取り出した。
「其れは?」
 術の触媒に使う木の根を指先でより合わせていた赤紫鱗が目ざとく問うてくる。普段の調理に口を出してくることはあまりないが、今までやったことの無いものについては必ず興味を向けてくる。恐らく匂いで、初めての試みであることに気づいたのだろう。
「んー、安かったから買ってみたんだけどな。試しにやってみるわ、多分合うと思う」
「成程。期待しよう」
「お手柔らかに」
 失敗したら責任持って一人で食おう、と思いつつ、一番小さな蛇肉にソースを垂らす。かなり味は濃いので、少しずつだ。まずは一本、火で焙ってやると、すぐに香ばしい匂いが漂ってきた。中々に芳しく、期待が出来そうだ。
 いつの間にか食いしん坊ふたりの視線が一点に集まっている中、程よい焼き目がついたので端を齧ってみる。
「……ん、こりゃ正解だな」
 噛んだ瞬間、何とも良い香りと旨味が口の中に広がって、自然とスヴェンは顔を綻ばせた。ソースをかけてから焼いたことで香ばしくなった表面と、中でふんわりしたままの触感がちょうど良く合う。甘味と塩気が同じぐらい強く、ただの塩焼きとは比べ物にならないぐらい美味い。これはいい買い物をした、恐らく他の料理にも使えるだろう。もう一瓶買っときゃ良かったな……と色々考えを遊ばせていると、どむんと横から体当たりされた。
「うお」
「おかさん! もるにゃも、もるにゃもぉ!!」
「あー、はいはい」
 我慢できなくなった娘が涎も拭かずに強請ってきたので、苦笑しながら口に差し出してやると遠慮なくがぶりといかれた。ももも、と忙しなく口を動かして、モルニィヤは満面の笑みになる。
「おいひいいい! ねね、もっとたべたい!」
「ん、残りも焼いちまうか。――はいよ、旦那も」
「貰おう」
 大分減ってしまった蛇を串ごと差し出すと、赤紫鱗も遠慮なく大口を開けて齧り取る。その分後でふたりの串から貰おうとスヴェンが思っていると、万感の思いを込めたような低い声で、一言。
「うむ――美味なり。感謝を」
「そいつぁ、どうも」
 いつも通りの言葉に軽く頷くだけで答えた。ふたりの歩く道が交わってから、食事の度にいつも聞こえる言葉で――何回聞いても、悪くないとスヴェンは思ってしまうから。
 残りの肉にソースを振り掛けて焼き始めると、そこから視線を動かさないふたりに笑いながら、スヴェンは残ったソースの使い道をゆっくり考えることにした。