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インターミッション:鷹

「あれ、鷹ー?」
がしゃんと自転車を駐輪場から引っ張り出した鷹也は、後ろからの声に振り向いた。
「姉ちゃん」
渡り廊下から駐輪場に歩いてきたのは、鷹也の実の姉・鴻 燕。現在高校三年生、虎乎の姉である里馬の親友でもある。
「あんた今日部活は?」
「今日は自主練だけだから、もう終わりー」
「あーら余裕じゃないエーススプリンターさん?」
「もー、からかわないでってば」
「ははは」
ちょっと恥ずかしそうに鷹也が拳を振り上げると、燕は本当におかしそうにくすくす笑う。鷹也がどことなく甘えた風に見えるのは、この二つ年上の姉に頭が上がらないからだ。
自営業なんてのをやっていると、必然的に両親は忙しい。尚且つ、まだ鷹也が小さかった頃は、一番上の兄・鷲男が家を継ぐ・継がないで揉めていて、両親がそちらにかかりきりになっていた。親と兄二人が話し合いと言う名の盛大な四つ巴をやっていた時、自分と年子の弟、鴉の面倒を見ていたのは若干10になったばかりのこの姉だった。
そんなこんなで、すっかり下の弟妹への保護者ぶりが板に着いてしまったのだ。
「トラちゃんとヒロくんは?」
「トラちゃんは部活ー。ヒロもついてったから、ボクシングの部室で宿題してるんじゃないかな」
「ふぅーん」
どうも、仲良し3人組はいつでも一緒にいるように思われているがそしてそれはあながち間違いではないが、別に無理に常に3人一緒にいるわけでは決してない。誰かがやりたいことがあるのなら、あっさりそっちに向かうし他の二人もそれを止めることはない。彼らが一緒にいる理由は、決して独占や束縛ではないのだから。
「んじゃ、久しぶりに一緒に帰りましょっか」
「うん」
ニッと笑って促す姉に、弟もこっくり頷く。何だかんだいって、瀬川姉妹に負けないぐらいこっちも仲が良いのだ。
夕暮れのグランドに、鷹也が押す自転車のカラカラという音だけが響く。
「そいえば里馬ちゃんは?」
「んー? またあのお猿くんに捕まってたわよ」
「あやー。だいじょぶなの?」
「いいんじゃない? 何気に里馬も満更じゃなさそうだし」
「本当に〜?」
「あら何、お姉様を疑る気?」
「そーじゃないけどさ…」
と、つらつらと取りとめないことを話ながら歩いていた燕の脚がふと止まった。?と思って鷹也も足を止める。
「先生―――――!!!」
「えっ? あ、ホントだ」
急に燕が大声を出したかと思うと、ぶんぶんと手を大きく振った。そちらを向いた鷹也の目に、2階の職員室の窓から戌先生が見えた。
燕の声に気付いたらしく、窓の方を振り向いて、少し驚いたように目を見開くと、窓から身を乗り出して叫んだ。
「鴻――! 今日は部活ねーぞぉ」
「わかってますよ――! 今日はもう帰りますぅー」
にこにこ笑いながら燕も叫び返す。鷹也も手を振って「さよーならー!」と言い、校門に向かって歩き出した。
「姉ちゃん、良く分かったねセンセーがいるの」
「ん? まあねん」
あまり豊かでない胸を張って見せる。彼女は戌が顧問をやっている歴史研究会の会員でもある。最初は家事や育児(!)に忙しい燕が余り活動日数の多くない部活に入ろうと思って選んだ所だったのだが。
「ま、愛の力ってヤツ?」
にーっと笑う姉に、鷹也もちょっと笑う。
そう。
鴻家長女・燕は現在、望みの薄い恋をしている。お相手は、勿論自分の元担任で現顧問で現弟の担任教師。
「そういえばさ」
「うん?」
「今日センセーに、姉ちゃんの様子聞かれたんだけど、何かあったの?」
「ホント? やった、少しは気にしてくれたらしいわね」
口元にニヤリとした笑みを浮かべて、燕がうんうんと頷く。
「え、何、何、何したの?」
興味津々、といった風で鷹也が近づく。
「うん。あんまり子供扱いされて本気にしてくんないから」
「うん?」
「職員室の机に押し倒してキスした」
「ぶっふー!!」
きっぱりはっきり言いきった姉の言葉に鷹也が吹く。純情少年にはちょっと刺激が強かったらしい。
「なんであんたがうろたえてんのよ」
「だ、だ、だってだって!」
「それで告白してみちゃったりしました」
前をくっと見据えたまま、しっかり言われたその言葉に、おたおたしていた弟もはたと我に返る。
「…ど、だったの」
「断られた」
さらっと言い切った。
「そんなぁ……」
ふにゃ、と鷹也の顔が残念そうに歪む。彼自身、今居ぬ相手に片想いを続けているので、人事だと思えない。しかし、そんな声をかけられる燕の顔は思ったよりショックではないようだった。
「けどね。ちゃんと答えてくれた。『俺は止めとけ』って。『俺には人を幸せに出来る技量なんてないから』って」
それは、誤魔化しや世間体を気にしてでは無い、彼の本心だったのだろう。
「だから、惚れ直しちゃった」
弟の方をやっと振り向き、にまっと笑う。それを見て、鷹也も笑顔に戻る。
「じゃ、まだ諦めないんだ」
「当然でしょ? 寧ろますますヒートアップしてるわよ、どうしろっての」
冗談混じりに、それでもどこか切なさが混じった声が、夕暮れの住宅街に響く。
「鷹」
「うん?」
「あたしはまだ1年ちょいだけど。あんたは、もう何年?」
届かぬ思いを抱き続けた時間は。
「えーっと…」
自転車を片手で操りながら、もう片方の手を指折り数え。
「おれだって、まだ2年だよ」
「そっか。まだそんなもんか…」
そう呟いて、夕暮れを見上げる。
しばし二人無言なまま、自転車のカラカラという音だけが響く。
「しんどいね」
「…うん」
この大きすぎる思いが届かなければ、いつか自分がパンクしてしまうかもしれない。
それでも、捨てることなんてできっこない。それだけ嬉しくて大切なこの感情は。
「でも、あんたの方がしんどいね」
「え」
「最近―――、手紙来ないでしょ」
「…………ん」
彼がずっと思いつづけている少女は、中学2年の時点で彼の前から姿を消した。それでも時たま、思い出したようにリターンアドレス無しの手紙が届いたりしていたのだが、その感覚もだんだんと短くなっていって。
「不安?」
「ん…少し。このまま、忘れちゃうのかなって思って」
「あんたが?」
「違うよっ! …とーこちゃんが。やっぱり、忙しかったりすると、昔のことって忘れていくよね…」
どんなに、大丈夫だと言い聞かせていても。
相手の気持なんて絶対に分からない。
それでも。
「あんたは忘れないのね?」
「当たり前だよ!」
「なら、いいじゃない」
「……………」
あっさりと断言された声に、張り上げられた鷹也の声がふと止まる。自分より背の低い姉は、どこか勝ち誇ったように笑っいて。
「…も〜、今辛いの姉ちゃんの方なのに、何でおれがなぐさめられてんの〜!」
「何よ、お姉様の心の機微を分かろうなんて10年早いわよ!」
じゃれるように肩をぶつけ合う。
例え届かなくたって、誰に言われなくたって、自分が感じているこの暖かさは本物だと自信を持って言えるから。
「結局あたしたちって似たもの同士よね」
「してることあんまり変わんないもんね」
「これって血筋なのかしら。遺伝子とか」
「ちょっと嫌かも…」
周りが賑わってきた。鴻鮮魚店がある商店街に入ってきたのだ。
「ま、こんなことで諦めてなんかいられないわよねぇ?」
「うん。て言うか、諦める気も無いし」
だよね? というように、良く似た姉弟は笑い合う。
「鷹、家まで競争っ!!」
ぽいっと鞄を自転車の籠に放り入れ、燕が駆け出す。込み出した人の中を器用に潜り抜けながら走っていく姿を、顔見知りの商店街の人々が笑って見ている。
「あ、ずるい! おれ自転車!」
「ハンデハンデ! 乗るのも禁止よー!」
「待ってよー!!」
抗議しながらも、自転車に乗らず押したまま走り出す。
この姉弟は、まだ暫くは走るのを止めそうに無い。



fin.