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虎の初恋

俺の名前は、瀬川 虎乎。セガワ トラオと読む。現在15歳。ピカピカの高校一年生だ。
性別は、言うと百人中百人が嘘付けと言うだろうが、生まれた時から染色体XXの哺乳類ヒト科メス、お・ん・な―――だ。
そんな馬鹿なという気持ちはわかる。しかし、「子供は絶対一姫二太郎」と訳のわからんスローガンを掲げた万年新婚夫婦―――恥ずかしながら俺の両親だ―――は、生まれる前から俺の名前を「虎乎」に決めていた。
そして里馬―――姉貴だ―――に続いて俺が生まれてしまっても、意見を翻さなかった。強固に。頑固に。そりゃあもうしっかりと。
そして俺は両親の希望に答えるべく、ひたすら「男の子」として育てられた。
里馬がレースのついたピンク色のワンピースを着ている時、俺はTシャツとジーンズで遊んでた。親戚の結婚式なんかに出る時は、俺はお子様用タキシードに蝶ネクタイを結んでいたのだ。
それが肌に合っていたのか、はたまた神の悪戯か―――俺はすくすくと男の様に育った。
小学校の頃から、席順も並ぶ時も一番後の背丈。中学に入って里馬が男にモテだすと―――姉の名誉のために言っておくが、里馬は俺に似ずに滅茶苦茶かわいい―――その露払いを俺が引き受けた。
喧嘩なら同年代の男に負けたことはそれまでもなかったが、上級生にも負けまいとボクシングをやりだした。尚更腕力はつくし、ガン付けにも磨きがかかった。
最近なんて腹筋がつきだしたんだ。腹筋がだぜっ。女が付けるのは非常に難しいといわれる腹筋がっ。
そして今、私服を着れば100%男、制服を着れば問答無用でオカマと断じられる、そんな女が出来あがっちまったわけだ。
ああでも、別に今の生活に不満とかは無かったんだぜ? 両親恨んだことも無かったし。
そう、高校入学して、あいつに会うまでは………。


×××



「はぁ……春だよな―――…」
市立土生東高校の屋上で、俺の婆ちゃん譲りの金髪が風に巻き上げられてる。その気持ちいい感触に目を細めながら、俺は溜息を吐いた。
「トラちゃん、溜息吐くとしあわせが逃げてっちゃうよ」
俺が寄りかかってる手すりを背凭れにして、俺の幼馴染にして親友の一人、鴻 鷹也ことタカが声をかけた。その手は既に今日の昼食であるコロッケパンに伸びている。ちなみに周りには大小さまざまな菓子パンの袋が散乱してて、尚且つ鷹也の膝の上にはさらに弁当箱が乗ってたりする。うげ。
「タカ…今日弁当あるのにそんなにパン買ったんか」
「否。それは私の弁当だ」
同じく手すりを背凭れにして読書に没頭していたもう一人の幼馴染、神宮寺 尋巳ことヒロが顔を上げた。なーんでぇ。
「ヒロがいらないって言うから、おれが貰ったの」
「今日は食欲が無い」
「またかよ。だから背ェ伸びないんだぜ」
俺は身体を翻すとタカとヒロの間に胡座をかいて座り、にやりと笑ってヒロを扱き下ろしてやった。憮然とした顔でヒロがこっちを睨んでくるが、気にしない。悔しかったら伸ばしてみやがれ。
「だから、春なんだよ」
「…春だよ。春だけど?」
「だからどうした」
「タカ、ヒロ。春と言えば何を連想する?」
「春…春……うーん…桜とか?」
「気温の上昇、及び日照時間の増加」
「ちーがーう。もっとほれ、生活に密着した」
「お花見…運動会…あ、入学式!」
「小麦の春蒔き。田植え」
「だー! ヒロ、農業から離れろ! 俺が言いたいのはな」
ふんふん、とタカとヒロが顔を寄せる。
「春はな…恋の季節ってコトなんだよ」
俺は並々ならぬ気合を込めて、小声で二人の頭の間で囁いた。その気合に応じてうっかり持ってたいちご牛乳のパックを握り潰しちまったが、殆ど飲みきってたんで間抜けな音が出るだけだった。
「恋の季節…」
ぽかんと口を開けて、タカが絶句する。ヒロの奴はは無言で肩を竦めて首を振った。
「何だよてめぇらその反応は! あぁ!?」
「虎乎。お前とその単語ほどそぐわないものは無いぞ。言うなれば冷蔵庫にビデオテープ、ブロック塀に大根だ」
「悪かったなぁぁ!」
本人重々承知してるっつーの! 身長179cm、体重69kg、特例でボクシング部入部が許されるぐらいの腕力と体力の持ち主で、ガンを効かせればそこらへんのヤンキーも黙って後退るこの俺が!んな単語出すのは可笑しいっつーんだろ! 解ってンよそれぐらい!
「ああぁ―――!! わかったぁ!」
冷静且つ見事な分析をのたまったヒロに遠慮の無いヘッドロックをかましていたら、突然タカが絶叫した。何だよ、と問いかける前にタカは自分の人差し指をびしいっ! と俺に突き付け、
「トラちゃん! 好きなヒトが出来たんだね!?」
断じられたその言葉に、俺の顔はぼん、と音がするぐらい真っ赤になった。
「な、あ、う、ばっ、か、〜〜〜っ!」
「…図星を指されて言語中枢に異常が生じたか」
いつのまにか俺の腕の中から逃げ出して、ヒロが首をこきこきやっていた。しかし俺はそれどころじゃなかった。ぶっちゃけた話…その、二人の言葉はビンゴだった。思いっきり図星だった。
「やっぱり! ねぇ誰誰?」
「…ぁう……」
興味津々、という四字熟語を顔面に出してタカの奴が詰め寄ってくる。何か言おうと思うんだが言葉が出てこないッ。あああちょっとは気張れ俺の声帯!
「両名落ち着け。…虎乎、話せるな?」
と、宥めるように背中を軽く撫でて、ぽんと叩かれた。恥ずかしながら、こうやってすぐ感情優先になる俺を諌めてくれるのはヒロの仕事だ。冷静に言われて、唾を一つ呑みこんで頷いた。
「お、おぅ…や、やっぱ変かな? 俺が…そんなこと言うなんて…」
落ち着いた後に湧き上がるのは羞恥心だ。
頬の熱さに腹が立ちながら、上目使いで二人を見てやると、、ふるふるとタカが首を振る。
「全っ然! それで? 誰を好きになったの? 同じ学校の人? 先輩とか?」
目をきらきらさせて矢継ぎ早にされる質問。その類の話は「理解不能」と言うヒロの奴も興味があるらしく、黙ってこっちを見ている。くっそう…こういうときに限って連帯組みやがって…
「おぅ…今から、見に行くか?」
ボソッと言った俺の言葉に、2人は同時に思いきり頷きやがった。
俺自身も、顔を見に行きたかったからだ。…どうしても。


×××



俺は―――、正直、小学校に上がる辺りまで自分のことは本当に男なんだと信じていた。
餓鬼の頃信じていたことがマチガイだったって解るのって、何か、シャボン玉が割れるような感じしねぇ?
思いっきり膨らんでたシャボン玉が、いきなり、飛沫を散らしてパチンッ…て割れるか、或いはどんどん空を上っていって、ふ…って自然に消えてしまうか、そんな感じ。
俺の場合、前者だった。


俺達―――俺、タカ、ヒロの3人はそれこそ本当にガキの頃、幼稚園に上がる前からの友達だ。
俺と一緒に公園に遊びに来てた里馬が、一人で走りまわって遊んでいたタカに突き飛ばされて、服をどろどろにして泣き出しちまって、俺は問答無用でタカを殴り飛ばした。…ん、まぁ、俺もガキだったって事で勘弁してくれよ。あの頃の俺は、たった二つ年上の里馬は、俺が守らなきゃいけない「お姫様」だと思ってた。兎に角里馬を泣かす奴は悪いッ! って思ってたんだもんなァ。
そこに仲裁に入ったのが、ベンチに座って何が楽しいのか一人で本を読んでいたヒロだったんだ。
結局タカはいつものと同じ笑顔で謝って、俺も話を聞かずにぶっ飛ばしたことを謝って。
そうしたらヒロが、「親睦を深めたいのなら我が家に寄らないか」……注釈つけとくが、この時のヒロの口調は一言一句変えてない。ガキの頃からこーいう台詞回しだったんだよコイツ…勿論、シンボクって言う言葉の意味は俺にも里馬にもタカ
にも理解できなかっただろうが、「自分達を家に呼んでいる」=「友達になりたい」っつー子供らしい結論を出した俺達は、諸手を上げてそれに従ったのだった。
それからの、付き合いだ。里馬が小学校に入ってからは、里馬はタカの姉ちゃんである燕さんとよく遊ぶようになって、俺達はますます3人だけで遊ぶようになった。遊び場所は3人が出会った公園か、そうでなかったらヒロの家だった。俺の家は親子四人でぎゅうぎゅうになるマンションだし、タカの家は広い分人数が詰まってて遊べない。必然的に、すっさまじくでかい上に昼間人がいなくなるヒロの家にたむろって、最終的に泊まるってのが日常茶飯事になった。
今思うと、俺達が誘われたのはやっぱりヒロも、家に親父さん一人でしかも帰りが遅くて、お手伝いさんも毎日は来れなくて、寂しかったんだろうなと思ったりもする。そのことを言うとあの顔面鉄仮面はフンとして何も言わないけどな。
ま、それはともかく。幼稚園に入ってすぐ、帰り道で雨に降られた俺らは、慌ててヒロの家に走りこんだ。お手伝いさんに風呂を沸かしてもらって、3人で脱衣所に飛び込んだ。
何の躊躇いもなく服を脱ぎ捨てた俺は、二人の方を振り向いてヘンな違和感を覚えた。はてな? と思っていると、二人とも眼を真ん丸に見開いてこっちを見ているわけで。
…俺はその頃、母親と里馬としか風呂に入ったことがなかった。親父は一人風呂が好きだったし、上がった後裸でウロウロするような日本のオヤジ臭いことはしなかった。つまり俺は、それまで知らなかったのだ。その…男と女の肉体的な違いって奴を。
異性の姉妹も多いタカは勿論、一人っ子のヒロも知識として知っていた。だから、異口同音に俺を見て言ったのだ。
『虎乎………貴様…………』
『おんなの子……だったんだぁ…』


×××



…えー。かなり脱線したが。
つまりだ。そう言われるまで、俺は自分が女だって自覚したことが全くなかった。それを知ってからも、自分は自分だし、「だからどうした」っていう勢いでこのまま来た。
男だから、ケンカが強い…とか。
女だから、大人しくしなきゃ駄目…とか。
他所の母親が子供に注意している度に、「なんで?」と思うぐらいで、自分もそんな「他人と同じ」にしたいと思わなかった。こんな雛型を押しつけた両親だって、俺が小学校に上がってからは何も強制しなかったのに。
赤いランドセルを背負おうが、セーラー服を着ようが、俺はどこででも「男の子」として扱われたから。料理が好きだと言うと変な顔をされたし、ボクシングを習いたいと言えば似合うねとあっさり言われたから。
俺は、所謂「女あつかい」されたことなんて、只の一度も無かったんだ。
この前の日曜日…までは、只の一度も。
それで、だ。
何の因果か知らないが。
高校に入学して僅か2ヶ月。
降って沸いたように…誇張でなく…俺に転機が訪れたのだった。





そう、それは今週の日曜日。
高校生になった娘が二人もいるにも関わらず、未だに新婚気分の抜けないうちの両親は、週に一度のペースで二人っきりの外食を楽しんでいる。ったく、夫婦仲がいいに越したことはないが、そのとばっちりを受けるのは子供だって事に気づいてくれよな。
「あら、いいじゃない。わたしたちがこどものころは、そんなこと出来なかったんだから」
俺がぐちぐちと零すと、隣を歩いていた里馬がくすくす笑って言った。
「その反動かい今のが」
処置なし、と俺は天を仰いだが、実際俺もそんなに辟易してるわけじゃあない。毎週夕食を作るのはそれなりに楽しい。
思えば、俺が料理得意になったのも、こうやってしょっちゅう家を空ける熟年ラブカップルが置いていく冷めた飯だけでなく、ちゃんとした食事を里馬に食べさせてやりたい、って思ったことが最初だったよなぁ。
やっぱ料理って、上手く出来たって思った時より、誰かに食べてもらって「美味い」って言ってくれた時の方が喜びもひとしおじゃねーか。
「てめぇ、ぶっ殺す!」
「おいっ、仲間呼んで来い!」
と、スーパーの袋をグローブ填めた片手に下げて、もう片いっぽで里馬の手をしっかり握って、そんなことをつらつら考えていた俺の耳に、不穏な言葉が飛び込んできた。日の差し込まない路地裏で、何やら揉め事が起こっている気配。
「何だ、喧嘩か?」
図らずも口調にわくわくしたものが混ざってしまったことを思うが、気にしない。手の穴開きレザーグローブを我知らずぎちっと拳を握って音を立てる。単純な話、血が騒ぐのだ。揉め事に首を突っ込みたい、と身体の細胞がうずうず言っている。
「とらちゃん、だめよ、けがしちゃうわ」
握っていた手を離すと、それをもう一度捕らえて止めようとする里馬。しかしウェイトが段違いの里馬にそれは不可能に近い。
「里馬」
「うん」
「これ持ってて」
尚且つ駄目押しにほいっと、開いている手のほうに自分が持っていたビニール袋を渡してやる。元々俺ではないと持てないぐらい中身の詰まった袋が、里馬に腕一本で支えられるはずがない。
「きゃあ!」
慌てて両手で袋を持つ里馬に、
「ここで待ってろよ」
と一言言うと路地裏に向かって駆け出した。
「とらちゃああん! 待ってぇえ!」
悲鳴のような里馬の声を背中に聞いたまま。許せ。



どがっ! バキ!
人が人を殴る鈍い音が、薄汚い路地裏に響く。
思った通り、そこは喧嘩の真っ盛りだった。
見る限り、戦っているのは5・6人VS1人。それだけで、俺が入る理由は充分だった。例えどんな理由があろうとなぁ、無勢に多勢ってのは卑怯モンがやることなんだよッ!
「大勢で一人に喧嘩売ってんじゃねぇ卑怯モン!」
先手必勝! 後から怒鳴り込み、思わず振り向いた一人の顔に左ストレートを見舞う。
ばぐしっ!
「ふがあああぁっ!」
叫び声を上げ、鼻血を吹き出つつ男が倒れる。いきなりのことに、集団も襲われてた奴も一瞬動きを止めている。このまま、こっちのペースに持ちこんでやる!
「来いよ。相手してやるぜ」
右手を上げ、指をちょいちょいと手前に動かしてやる。その挑発にあっさりと乗り、一人が殴りかかってくる。
軽くスウェイでかわすと、カウンターを叩きこんでやる。
がづっ!
「ぎゃひいいいい!」
哀れな犠牲者がまた一人路面に転がる。
「……はっ!」
僅かな気合のような音に振り向くと、集中砲火の緩んだ隙を突き、男が鮮やかな廻し蹴りを決めた。悲鳴もなくチンピラ風の男が倒れる。
(あいつもなんか武術やってる!)
その動きはまさしく、洗練された武道家のモノだった。
(余計なお世話だったかな?)
もう一人沈めながらちょっと考えた隙を突かれた。最後に残っていた一人がやけくその様にポケットから何か取り出す―――ナイフだ!
「死ねえええぇ!」
気がついた時にはもう、その光がこっちに向かってきていて―――
「!」
キィン!
僅かな気合を吐いて繰り出した男の手刀が、それを叩き落した。たたらを踏むチンピラに向かって、俺は怒鳴りつけた。
「殺す覚悟も無いくせに光モン出してんじゃねぇえぇっ!」
間髪入れず、左ストレートがヤツの顔面に決まった。壁に叩きつけられずり落ち、そのまま動かなくなる。
正直、危なかった。いくら場数を踏んでても、間近に見る、自分に向けられる刃物ってのはやっぱり怖い。しかし、武器さえ持てば自分が強くなったと思える根性が気に食わねぇ。そのまま寝てろ、バーカ。
「へん、ざまー」
僅かに痺れた手首をぷらぷらさせながら悪態をつくと、窮地を救ってくれた男に礼を言うことにした。
「サンキュな、助かった。かえって手間かけちまったな」
「いや…こっちも助かった」
側まで近づいて、ふと気付いた。
(こいつ…俺より背ェ高い?)
俺にとって、男を見上げるってことは滅多に無いことだった。鷹也は当たり前になっているので置いとくが、親父だって俺より背が低い。
興味が沸いて、もうちょっと観察してみる。
年は…多分俺より年上。純日本的な真っ黒な髪は、適当にのばしているのか不揃いだ。でもそれが、不潔に見えない。男の長髪ってのは正直あんま好きじゃ無かったが、見解改めるかも知んねー。
ほんの少しだけ釣りぎみの眼は、鋭い。根性が座ってる…ってーか、俺より場数を踏んでるって思った方が良いのかもな。
背も肩幅も、俺より大きい。その辺に放り捨てていた上着を片手で取ると、ぞんざいに肩にかけた。適当にやってることらしいのに、妙に絵になる。タンクトップの肩口に彫られている小さな刺青が、少しだけ気になった。
ふと、そいつが俺に咎めるような視線を向けた。

どくり。

なぜか、心臓が一つ大きく鳴った。
「助かったけどよ…少し気をつけたほうがいいんじゃねぇか? 瀬川」
へ!?
いきなり、名前を呼ばれて。恥ずかしながら、俺はかなり動揺した。
「えっ…な、何で俺の名前知ってんの?」
「有名だろ、土生東じゃ」
「げ! 同じガッコ!?」
「しかも同じ学年」
「はうぅっ!?」
(て、てっきり年上かと…)
思ってもみなかった話の内容によろめく俺に、そいつは少し笑って。

「あんまり無茶すんなよ。顔にキズなんてついたらどうすんだよ、女なんだから」

「…え……………」
呼吸が止まった。
ような気がした。
耳の奥で、心臓が物凄い音で鳴り続けているのと、言われた言葉がわんわんとエコーがかかって煩い。
だから、遠くからパトカーか救急車のサイレンが聞こえてきたのも、
「っと、ヤバイな。お前も早く逃げろよ」
そいつが身体を翻して表通りに駆けていくのも、気がつくのに少し時間がかかった。返事をする前に、大きな背中はもう見えなくなっていた。
ずきりと、今度は心臓が痛くなった。
「…とらちゃん、大丈夫? けがしてない?」
重い荷物を引っ張りつつ、恐る恐る路地裏に入ってきた里馬が声をかけても、俺は聞こえていなかった。
訳の解らない痛みと、どんどん血液が集まっていく顔が、制御できなくてパニックを起こしていた。
『女なんだから』
15年間生きてきて、女扱いされたのは、後にも先にもこれが始めてだった。



今年の春、俺達三人は揃って土生東高校に合格した。全員選択した理由が「家が近かったから」のは進路指導の先生の頭を痛くしてたが。俺とタカは同じぐらいの頭なんで特に問題なかったが、ヒロは数々の名門校の推薦を蹴って同じ学校に行った。最後まで先生に「考え直せ」と言われていたが、「却下」の一言で突っぱねたらしい。
中学の時のクラスはバラバラだったんだけど、入ったら三人とも同じ1−Dだった。腐れ縁って奴は中々切れるもんじゃない。
そこから二つクラスを挟んだ1−Aに、俺の……その、…兎に角、あん時の奴が、居た。
「誰? どこにいるの?」
扉の上の角に頭をぶつけないように気を付けながら、タカがきょろきょろとA組を見回してる。だぁ、そんなに無遠慮に見るな! 気づかれるだろーが!
「ほら、いるだろ…あそこ、窓際に座ってる奴」
囁いて、気づかれない程度に腕を伸ばして指差す。
「ほぅ、あの巨大な男か」
失礼過ぎる感想を言って、ヒロは再び周りを見まわした。…くそう。
改めて、じっくり見てみる。勿論ドアに身体を隠してこっそりと。
窓際からの光が、黒い髪を日に透かせてる。少し眠いのか、眼は伏目がちだった。
長身を、学校の椅子に窮屈そうに折りたたんで座っていた。そう、只自然体で居るだけなのに、目が離せなくなる。心臓が、煩い。
「わー…カッコイイねぇ」
タカが素直な感想を述べる。うんうん、そうだろう。
「成る程…お前も所詮面食いだったということか」
「そーゆーこと言うなぁあ!」
相変わらず失礼なヒロを怒鳴った矢先、アイツの首が僅かに動くのが視界の端に見えた。
「………!!!」
考えるより先に身体を動かす。ばむっ! と音を立て背中を廊下側のドアに打ちつけた。
「何で隠れるの? 何か話してくれば?」
きょとん、という形容詞が似合う声でタカが言う。ふざけんなー。
「ば、馬鹿。話すっつったって何話せば…」
声の小ささに段々身体をずり下げる。他の二人も廊下に腰を降ろす。
「奴の名前は何と言うのだ?」
「おぅ、それは調べたぜ。日野 龍樹(にちや たつき)、八月八日生まれ獅子座のО型だ」
威張って、胸を張る。解った瞬間、この世で一番大切な名前になったそれを、親友二人に教えてやった。
「…誕生日も調べたの?」
「保健室でこっそりとな」
「…虎乎。努力は称賛に値するが、それは犯罪だ」
煩ぇな。確かに一歩間違えればストーカーだけどよ。他に方法が無かったんだよ…A組の奴って俺が話しかけようとすると逃げるし。
しかし、三人で廊下にしゃがみこんで円陣を組みつつ小声で話してるのって…不気味以外の何モノでもないよなぁ。
こんな怪しげな集団に話しかけることの出来る肝の座った奴なんて……いや、いたいた。
「とらちゃん? たかくんもひろくんも、三人で何してるの?」
上から降ってきた声に三人同時に顔を上げた。
そこにいたのは、日の光を受け流す滑らかな黒髪、ぱっちりと大きく丸い黒曜石のような瞳、白磁のような肌、ピンク色の頬と唇、それが全部並んだ顔。どっからどう見ても自信を持って言える美少女だ。現に教室の中と外から熱い視線が飛び交っている。
そいつらに一発睨みを効かせてから、俺は立ちあがってその細い肩に手をかけ、名前を呼んだ。
「里馬」
「里馬ちゃんだー」
「里馬殿」
タカとヒロも立ちあがって名前を呼ぶ。言っても信じないだろうが、正真正銘、俺の二つ年上の姉貴―――瀬川里馬である。
背丈なんざ俺の胸ぐらいまでしかない。
「どした? 一年の教室に用?」
「ううん、この向こうの職員室にね、資料を取りにいくようにって、先生に頼まれたの。…あっ、とらちゃん、今日のお弁当もすっごくおいしかった。ありがとね」
里馬が呼ぶ俺の名前は、「とらちゃん」。平仮名で表記してるのは、それが似合うふわっとした発音だからだ。全体的にスローテンポで、雰囲気とかもふんわり柔らかくて優しい。これが、俺の自慢の姉貴だ。
首を傾げてにこぉ、と微笑む里馬を、俺は思いっきり抱き締めた。ガキの頃からこんな過剰なスキンシップは良くあることで、周りから不審な目で見られようと気にしない。
可愛い。可愛すぎる。我が姉ながら犯罪ではなかろうか。こんな姉が今まで男の毒牙にかからなかったのは自分の功績が大きい。言い寄る男を片っ端から伝説の左で静めてきたのは他ならぬ俺だ。
シスコンと言うなら言え。でも、妹より弱い男なんざ里馬に相応しいと思えないだろ?
俺がやってるのはあくまで選定だ。里馬がどうしても! って言うんだったら俺だって無理強いしない、ただ今は男を苦手な里馬が無理矢理迫られたりすることが無いように俺が眼を光らせているのだ。
「とらちゃんが何でも出来るからね、わたし、お姉ちゃんなのに、とらちゃんに何にもしてあげられないの。ごめんね? わたしもとらちゃんみたく、お料理とか出来るようにならなきゃね」
「いーんだよ、里馬は里馬のまんまで。俺みたくなる必要なんて全っ然! ないんだからな」
「そうなの?」
「そーなの」
里馬が気にするのも無理ないかもしれないけど、俺は別に里馬に何かして欲しいと思ってるわけじゃない。里馬がお洒落してるのを見るのは目の保養だし、喜んでくれると俺も嬉しい。
毎朝の弁当作りだって俺が好きでやってることだから、気にしなくていいと言いたいんだけどな。
そんなことを考えながらふと視線を泳がせると。
(げっ!)
眼が。
合ってしまった。かちりと。
誰とって?
………日野、龍樹と。
一気にさーっと顔が青ざめる。そして里馬の細い腕を取ると、
ずだだだだだだ――――っ!
と全力で走り出した。





「と…とらちゃん、どぉしたの…?」
体力が俺と段違いの里馬は、屋上までノンストップで走らされて、止まると同時にぺたんとしゃがみこんでしまった。
「ご、ごめん、里馬」
「トラちゃん、どーしたのさ。いきなり走り出して」
途中から並走していたタカは、汗一つかいてない。コイツにとっては準備運動にもならない走りだったんだろな。さすが、中学の頃からの陸上部レギュラーだぜ。
「走る、…のなら、先に、その…、ことを、伝え、ろ…」
やっと、俺らの後ろから四つんばいになるように階段を歩いてきたヒロは息も絶え絶えになっている。ようやく屋上に辿り着いて、今にも倒れそうだ。
「悪かったって…はぁ」
呼吸を整えるつもりで息を吐いたのに、溜息くさくなった。
苦しくなる。辛い。アイツと、目が合うと。
「とらちゃん…やっぱり、何か悩み事があるのね? ね、お姉ちゃんに相談して? 昨日からずうっと元気なかったもの。この前でかけたとき、ケンカしてから、ずぅっと」
「う、それは…」
やはり聞き咎められて、ぐっと詰まる。正直、里馬に心配かけたくは無かったけど…
「何を、躊躇っている? …相談、すればいいではないか。……あぁ、そうか。その喧嘩した相手というのがお前の意中の君になったのか?」
「はぅうっ!」
あーくそうこういう時はお前の聡さが嫌になるぞヒロ! 正確には助けたっつーか助けられたんだけどな!
「とらちゃん、意中の君ってどういうこと? お願い、話して。とらちゃんに隠し事されると、わたし…わたし、どうしていいか、わかんな……」
「わぁあっ、泣くな里馬――!!」
白状します。俺は本ッ当ーに、里馬の涙に弱い。ガキの頃から泣かれると、何があろうと「ごめんなさい」をしてしまう。最早条件反射だ。
おたおたしながら、俺は結局一から説明する羽目になった。
この前の日曜日から、自分の中の、まだはっきりしない感情とか全部。


×××



「……で? 生まれて始めて女扱いされて惚れたのか。ふむ…単純だとは前々から思っていたが、これほどまでとはな…」
「うるせえぇえぇぇっ!」
「とらちゃんっ、それ以上首しめちゃだめー! ひろくんが死んじゃう〜!」
止めてくれるな、里馬。畜生顔は段々青くなるのに無表情なのがこれまたムカつくぜ!
「うん、でも。誰かを好きになるのってそんなもんだよね。きっかけなんかなんだっていいんだよ、突然その人のこと考えるとどきどきしたり、苦しくなったり、その人の為に何かしたいって思うようになっちゃうんだよね」
静かなタカの言葉に、俺達は動きを止めた。何せこの中で恋愛経験ってやつがあるのはコイツしかいないんだから、信憑性が有る。
「ふん。虎乎、そうなのか?」
「…………」
一瞬指を顎に当てて、考える。あの時の言葉とか、少し笑った顔とかを思い出して。
ぼん、と顔が熱くなった。
「ほー…」
そんな俺を見て、ヒロが興味深そうに何度も頷いた。タカと里馬も、満足そうに。
「とらちゃん…わたし、嬉しい! とらちゃんに好きな子が出来たこと、すっごく嬉しいの! わたし、何でも協力するから、がんばって!」
「里馬…」
里馬の優しさが嬉しくて、もう一度抱きついた。少し苦しそうに俺の腕の中からひょこっと顔を出して、
「それで、どうやって告白するの?」
「な…! で、出来る訳ないだろ!」
「どうして?」
きょとんと聞いてくる姉に、ばつが悪そうに返す。
「考えても見ろよ…俺みたいな女に惚れられたって、迷惑なだけだろ? 絶対、気持ち悪いと思われる…嫌われるぐらいなら、言わないほうが楽だよ……」
別に、自分が変だと思ってるわけじゃない。ただ、もし俺が男だったら、やっぱりこういう女に惚れられたら只の迷惑だろう? 自分で言った「嫌われる」という言葉が、冷たくて痛い。嫌だ。それだけは、嫌だ。
「トラちゃんらしくないなぁ…だいじょぶ! 恋愛は走って当たって砕けろだよ!」
「至極当然だな。安心しろ、破片は拾ってやる」
「砕けることを前提にするなぁぁあぁあ!」
憤りを拳に込めてコンクリの壁に向かって打ちつける。ぼこ、と音がしてめり込んだが、全員見なかったことにした。
「と、とにかくっ、いう気ねーから! ほら里馬、資料取りに行くんだろ、付き合うぜ」
「えっ、と、とらちゃん?」
言い捨てて、姉の手を引っ張って屋上から降りていく。だから俺達は、取り残されたタカとヒロがこんなことを言っていたのにも気づかなかった。




「ねー、ヒロ」
「何だ」
「トラちゃんってすっごく可愛いと思うんだけどなぁ…これって幼馴染の欲目なのかな」
「さて。私は虎乎に発情したことなどないから解らん」
「は、発情って…」
「違うのか? 恋愛感情とやらはその相手と交尾したいが為に高まるものなのだろう?」
「う―――ん…それだけでもないと思うけどなぁ。おれは別に、あの子との子供が欲しいなんて考えたことはなかったよ。ただ、あの子が笑ってくれるのが嬉しかったんだ…本当にそれだけだったんだよ」
「…………やはり良く解らん……理不尽だ…」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………ただ……」
「ん?」
「虎乎は、私にとって大切な、数少ない友だ。もし奴がそれで幸せになれるのなら、私も応援して進ぜよう」
「うん。おれも」



×××



「ジャーン」
「ケーン」
『ほいっ!』
掛け声と同時に出された手は、俺がパー、タカがチョキ。
「よっしゃあー!」
「ちぃっ!」
その瞬間、タカは飛びあがってガッツポーズ。俺は指を鳴らして舌打ちした。
「よし、動力は決まったな。早く乗れ」
…何を決めていたのかというと、ズバリ、自転車をこぐのをどちらがするか。なんでそんな事決めなくちゃいけないのかって? 答えは簡単、自転車の三人乗りをしているからだ。
この自転車、タカのひい爺ちゃんが魚の配達に使ってたっていう、三代続いた鴻鮮魚店の由緒正しい自転車である…って偉そうに言ってても仕方ない、早い話前時代的デザインで且つボロいんだ。
そのひい爺ちゃんが亡くなってからはその余りにクラシカルなボディに誰も乗りたがらず、その頃僅か5歳だったタカの遊び道具としてあてがわれた代物だった。
それをタカは凄く気に入り、以来俺達三人でこれを乗り回す羽目になった。どう乗るのかというと、「動力」である漕ぐ奴がスタンダードに乗って、「お客」が後ろに乗れる。元々篭があった部分には木の椅子を据えつけて、ここは尋巳の専用席「ナビ」になった。「前方に電柱」とか「右斜めに人の集団」と伝えるワケ。3人乗りの自転車っつーのは漕ぐのが凄ぇ疲れる代物で、完全に前傾姿勢で漕ぐから前が見えなくなっちまうんだ。
んで、お坊ちゃんなヒロには3人乗りチャリを漕ぐ力なんてなくて。必然的に俺かタカが漕ぐ羽目になり、今日は俺が動力。くそぅ、最近負け続けてるな―…。
「おい、瀬川!」
ぶつぶつ言いながら自転車にまたがりかかった時、後から声をかけられた。はてな、と俺は何の気無しに後を振りかえると、
「……………!!!」
ぴしぃっ! とその瞬間硬直した。何せ、振り向いたその先に…
「ちょっと、話あるんだけど…いいか?」
居たんだよ。
自分より長身で、黒髪の男。
日野龍樹が。
「…!……!!………!」
叫びそうになったはずなのに、ぱくぱくと口を開閉させるだけで声が出ない。
と、不意にヒロが呟いた。
「嗚呼、失念していた。今日はヨグ=ソトホートからの手紙を受け取る日ではないか。急いで帰らねば。鷹也、自転車を飛ばしてくれ」
「えーそうなの? 仕方ないなぁ。…じゃ、トラちゃん、おれ達先に帰るから! ゆっくり歩いて帰りなよね?」
「では、さらばだ」
「ば、う、ちょ………!」
馬鹿ちょっとお前ら待て置いていかないで。
その言葉がちゃんと形になって口から出る前に、ちりりん♪とベルを鳴らして自転車は走り去っていった。
(薄情者ども〜〜〜ッッ!!)
「…悪かったな。帰るとこだったんだろ?」
「えッ!? いや! 悪くないッそんなこと全然無い!!」
言葉にならない叫びを上げていた俺をどう思ったのか、龍樹が軽く詫びた。慌てて手と首をブンブンブン!と音が出るほど同時に振る。
「そ、それじゃあいくかっ! は、話なら歩きながらでも出来るよなっ!!」
「あ、ああ…」
俺の妙な勢いに気圧されつつ、龍樹は頷いた。





てくてくてく。
夕日が影を長く伸ばす中並んで歩く。嬉しくないわけじゃない、嬉しくないはずがないが、混乱が先に立った。
ぐるぐるぐるぐる。
言いたいことが沢山あるのに、脳味噌の中で回転して攪拌してしまうだけで出てこない。
何を話せばいい?
話を持ちかけて来たのはそっちなのに何で黙ってる?
言い難いことなのか、とか。いらない期待までうっかりしてしまい鼻血が出そうになったり。
自分でも馬鹿だと思うが、回る思考が止まらない………頼む、何か喋ってくれー!
「お前らって…」
「えっ!??」
待ちわびていた相手からの声だったが、返事が裏返った。
「仲、良いよな。いつも3人つるんでるだろ?」
「え、あ、ああ…タカとヒロのことか? まぁ、な。幼馴染って奴でさ」
「へェ…」
「家近くってさ。俺は里馬と、あ、姉貴なんだけど、一緒に遊びにいった公園であってさ。タカは姉ちゃんと弟と一緒に、
ヒロはお手伝いさんといっしょに来てたっけ…あ、ヒロん家ってすっげ金持ちなんだぜ、自分の部屋なんか俺の家と同じぐらい広くて…」
そこまで話してはたと気付く。
「って、ゴメン! なんか俺ばっか話して…ホントはお前のほうが話あるんだろ? ごめ…」
ああぁ何やってんだ俺の馬鹿〜〜!
顔を赤くして頭を下げる俺に、龍樹のほうが慌てて言った。
「あ、いや、いいんだ。そうだよな、わざわざ付き合ってもらったのに…結構、ダセェ用事でさ。言いあぐねちまって…」
口元を押さえて詫びると、一つ息を吐いて、口を開いた。それを見ながら、龍樹の声ってカッコイイよなぁとまた意識を飛ばしそうになった俺を、次の龍樹の台詞が引き止めた。
「あのさ。お前の姉さんって、彼氏とかいんのか?」
「え………!」
その言葉に、ひきんっと肩と背中の筋が引き攣った。
「それって…さ……」
痛い。
さっきまでフワフワしてた胸がずきずき痛む。
無意識のうちに押さえながら、努めて平静な声を出そうとする。
無理、ないよな。里馬の顔一回だって見たら、誰だって憧れるよな。そうだよ、龍樹だって…
「お前、が」
言うな言うな。言いたくない!
「里馬のコト…す……」
「あ、違う違う!」
「へ?」
搾り出す様に言った声がさえぎられて、肩透かしを食らった。
「俺じゃなくて、ダチがさ。身のほど知らずにも、お前の姉さんに惚れたって言い出してよ。聞いてきてくれって言いやがったのさ」
「あ……そ…………」
思わず力が抜けそうになって、何とか堪える。
「そ、それで、何で俺に?」
「いや、なんか、お前の姉さんと付き合うためには、鬼のような妹を倒さなきゃいけない、とかって噂でな。それが今年俺らと一緒に土生東に入ってきたっていうじゃねぇか。それで…ってオイ、大丈夫か?」
本格的に脱力してアスファルトに突っ伏しそうになった。
「な…なんとか………」
(な、なんつー噂が龍樹の耳に……いやあああっ忘れてくれええええええ!)
ここに龍樹がいなかったら穴がなくても掘って入りたい…。
「それでよ、どうかな? 見た目、俺と似たようなヤンキーだけどよ、イイ奴なんだよ。一回会わせるだけでもどうかなって」
そんな風に自分の友達のことを話す龍樹は、目が真剣だった。
(友達思いなんだな…)
知らず知らずのうちに、頬が緩んだ。
「龍…いや、日野って優しいな」
「へっ!?」
凄く驚いた顔で、龍樹が俺を見返す。俺の中に、また暖かいものがいっぱい入ってきた。
「その友達の為に、一生懸命なんだもんな。やっぱ優しいんだ」
「ば…馬鹿。別に、そんなんじゃねぇよ」
僅かに顔を赤らめて、ふいっと前を向く。
(うっ、可愛い……)
どきどき鳴る心臓を叱咤して、言葉を紡ぐ。
「わかった。里馬に話してみるよ」
「本当か? …サンキュな」
少し笑って、龍樹が礼を言う。

ドキンッ――――!

心臓が跳ねあがった。
(う、わ………!)
苦しい。顔が見ていられない。
目を伏せ、俯いた俺を不思議に思ったのか、龍樹が俺の顔を覗き込もうとして…
「あ、もう駅か」
「え? あ、ホントだ……」
駅前まで来ちまってた。こんなに学校と駅って近かったっけ?
「お前も乗るのか?」
「え、いや! もちょっと歩けば、着くから…」
「そっか」
嘘だ。俺の家は駅とは反対方向だ。龍樹が歩く方向に、ついて来ただけで。
「それじゃぁ、な」
「うん………」
「何だよ、元気なくなったな。どうした?」
何気なく額に伸ばされた手に、体温が上昇する。
「い、いや、元気! もーすっげぇ元気! 大丈夫!」
「そうか? じゃあな」
軽く手を上げて、龍樹が駅構内に入っていく。改札をくぐって、一度だけ振り向いたので、手を振り返した。
人込みの中にその姿が溶けて消えると、俺は踵を返して走り出した。



全力疾走で家まで帰ってきた。
汗びっしょりで玄関に座り込んだ俺に、先に帰ってきていた里馬がびっくりして声をかけたが、何も言わずにバスルームに駆け込んだ。
無造作に制服を脱ぎ捨てた。脱衣所の鏡に写るのは、自分の身体。
肩幅の広い、胸のない、筋肉のついた…俺の身体。男だったらさぞかし、利用価値がある身体なんだろう。ただ、「女」ってことを考えたら、…不恰好にしかならない。
「…うッ……」
ずっと堪えていた、涙が出た。
「ふ……うぇえっ………」
畜生。
駄目だ。言わないでおくことなんて出来そうにない。
好きだ。好きだ好きだ好きだ。
勘違いでも、単純でもかまわない。それでも、龍樹のことが大好きだ。
この思いが届かないのなら、いつか自分がパンクしちまう。
龍樹のことで身体の中がいっぱいになって。
シャワーを捻って水を出す。人工の雨の中で、俺はもう一度だけ泣いた。



「…ってゆーわけなんだけどさ。里馬、どー…かな?」
上目遣いに恐る恐ると、床に座ってでかい身体を折り曲げた俺は、目の前の椅子に座っていた姉に尋ねた。
「そう…ありがとう。とらちゃん、ちゃんと話してくれて」
里馬はそう言ってにこぉと笑ってくれた。正直ほっとする。俺が帰ってきてから「一体何があったの〜!?」と半泣きで風呂の後も食事中も付きまとっていた里馬に、やっと説明出来た。
「別に、無理しなくていいんだぜ。何だったら俺が断りに…」
「ううん、だめ! とらちゃん、これはチャンスよ!」
「へ?」
目をきらきら輝かせて手を握ってくる里馬に、きょとんとする。チャンス???
「わたし、ちゃんと日野くんに言うわ。そのひとと、いっしょにお出かけするの。でも一人じゃちょっと怖いから、とらちゃんも一緒に行っていい?って聞くの」
「あぁ、そりゃ勿論いいぜ。俺も、そいつがおめがねに叶うかどうか見ときたいし」
里馬と身分知らずにも付き合いたいなどとのたまった奴は、問答無用で沈めてきた俺。龍樹の紹介でなかったら、そいつも家を聞き出した後殴りこみに行ってたところだ。龍樹相手にそんなこと出来ねーもんな。
「でしょ? だからね、日野くんもいっしょに来てほしいって頼むのよ」
「え? 龍樹を? なんで??」
相変わらず里馬の考えが解らない。首を傾げていた俺に、里馬は男だったらメロメロになるぐらいの笑顔を向けてこうのたまった。
「そうすれば、わたしとそのひとと、とらちゃんと日野くんでダブルデートが出来るのよ!」
「うぇえええええっ!?」
…里馬の言葉が発せられた瞬間、俺は真っ赤になって後ろにのけぞった。
ダブルデート。
何と言う素晴らしい響きであろうか。
自分にとっては夢のまた夢と思っていた、普通のオンナノコのようなイベント。考えるより先に、照れる。頬っぺたが熱くなるのが自分で解る。
「ちょちょちょちょっと待ったぁ―――!! 俺、別に、そんなっ」
「とらちゃん」
またパニックになりそうな俺を、里馬の何時にない静かな声が止めた。
「このままずぅっと、キモチ伝えないままで、本当にいいの? とらちゃん、日野くんのこと大好きなんでしょ? たかくんたちじゃないけど、言ってみなきゃわからないでしょ? ね、勇気出して。わたしも…男の子と話すの、ちょっとまだ怖いけど…がんばるから。ね?」
「里馬………」
不覚にも涙がまた浮かんできて、慌てて擦った。里馬は椅子から降りて、俺の首に腕を廻した。
「ね、いっしょにがんばろう。日野くんに、とらちゃんのキレイなところ、ステキなところ、いっぱい見てもらおう。だいじょうぶ、わたしはどんなことがあっても、とらちゃんの味方だから」
「ん………ありがと、里馬………」
里馬の腕が暖かくて、しゅるしゅると、胸の奥の不安が蕩けていく。
俺は、この世で一番恵まれた妹かもしれない。





その夜。
2段ベッドの上から姉の寝息が聞こえてきても、俺はまだ眠れなかった。
寝転がったまま、今日の出来事を反芻する。
夕方、声をかけてきてくれた龍樹。そのことだけで舞い上がりそうだったのに、ダブルデートすら出来そうな勢いだ。自分でもちょっと信じられない。龍樹の事を知ってから、一週間も経っていないと言うのに、気持ちが留まることを知らない。
龍樹が好き。
龍樹が好き。
龍樹が、好き………
ゆっくり、ココロの中で呟く。一回言う毎に、体温が少しずつ上がっていく。
こんな感情は、自分には縁の無い物だってずっと思っていた。一生、恋愛や結婚なんて出来るわけがないと思っていた。
違うんだ。
出来ないんじゃなくて、する気がなかっただけなんだ。
今だって、龍樹のことが知りたいとずっと思っている。
龍樹の声が聞きたい。
龍樹の目に映りたい。
龍樹の…………
「…はぅうっ!」
そこまで考えて、鼻血がこみ上げてきたので慌てて起き上がり、がづん! と天井に頭をぶつけた。
「〜〜〜〜〜っっ……」
くっ…いいツッコミだぜ、無機物め…。





次の日の昼。
里馬がA組に向かったことを確認して、落ちつかなかった俺は昼飯の途中ぽろっとそのことを零してしまい。
「えぇえ―――!! デートぉ!?」
タカの絶叫が響く。その頭を一つぶっ叩いて、俺も同じぐらいの音量で叫んだ。
「だから、まだ決まったわけじゃねんだよ!! 早とちりすんな!」
ヒロの方は、何事も無かった様に飲むヨーグルトを啜っている。今日も弁当を食う様子はない。叩かれてコンクリの床に突っ伏してたタカもすぐ復活して、にこにこしながら俺に言う。
「やったじゃん! もうラブラブだねッ」
「んなわけあるか――! ど、どーせ龍樹が断ったらそれまで…」
「返事が来たらしいな」
ヒロのその言葉にぴたっと止まる。確かに、かたん、かたんと階段を上る音がして、バタンと屋上のドアが開いた。
「とらちゃ〜ん!! やったよー!」
そこから出てきたのは両手をぶんぶん振って、満面の笑みでこっちに来る里馬。…ってオイ?
「日野くん、オッケーしてくれたよ♪」
「……マジ?」
「やったねトラちゃん!」
「やれ、目出度し」
情けないが、ぽかっと口開けたまま動けなくなっちまった俺の肩を激励のつもりなのか、ばしばしとタカが叩く。ヒロがどこからともなく扇子を取り出してひらりと舞わせた。これでも祝福しているつもりらしい。
「おめでとー! おめでとー!」
「あーもう解ったからお前がはしゃぐなー!!」
「しかし…どの様にして、承諾を得たのだ?」
「そーなの! 聞いて、聞いて、あのねっ」




(回想開始)

「あ、……どうも」
「(緊張して)日野、龍樹くんですか? あの、あの、昨日、とらちゃんに言っていたひとと、デートがしたいんです」
「それは…取り合えず会う、ってことでいいんすか?」
「はいっ。それで、お願いがあるんですけど…とらちゃんと一緒に行きたいんです」
「瀬川と…?(少し眉を顰める)」
「(ちょっと挫けそうになるが)だめ、ですか? ひとりだと、ちょっと不安で…」
「(困惑した様に)いや…ちょっと、その俺のダチが…立花って言うんすけど、かなり…瀬川に怯えてるようで…だから俺にこんな面倒な役頼んだんすよ。それで…」
「だったら! あの、だったら、日野くんもいっしょに、どうですか?(必死)」
「(吃驚して)俺も……すか?」
「あの、あの、とらちゃんが、日野くんのこと…友達になりたいって、思ってるんです」
「瀬川が……?」
「(何度も頷いて)だから、わたしと立花くんが遊んでるあいだ、とらちゃんと仲良くしてほしいんです」
「………瀬川が…はぁ、あいつさえ良ければ……」
「もちろんです! ありがとうございます〜!!」

(回想終了)






「こういう風に言うってことは、日野くんもとらちゃんのこと、きらいじゃないよね? 来週の日曜日、土生遊園地にって。ね、いっしょに行けるよ!!」
満面の笑みを浮かべて言う里馬。ようやっと説明された言葉を全部飲みこんで、俺は唾を一つ呑んだ。
「龍樹が…」
やっぱり詰まって言葉が出てこない俺に、里馬がうんうんうんと頷いてくれる。
「デートだね!」
俺の首に腕を回して、タカがにこにこと頷く。
「せいぜい、楽しんでくるが良い」
ぺちん、と二の腕をヒロの扇子で叩かれた。
全員の好意が痛いほどわかって…不覚にもぐっと来た。くそう。





日曜日までの間、里馬に何度も服を買いに連れてかれそうになったが。里馬、落ちついて考えろ。お前の好きな店で、俺に合うサイズの服があると思うか?
「よしっ」
んで結局、いつも通りの、ペイントの入ったお気に入りの黒Tシャツにジーンズ、これまたお気に入りのキャップにライダーグローブ。どこからどう見てもストリートファイターにしか見えない私服、一丁上がり。
「とらちゃん、本当にそれでいいの? もっと女の子っぽい服じゃだめなの?」
「そんなん持ってね―もん。大体似合わねぇよ」
「も〜。だから買いにいこうって言ったのに〜」
「いんだよ。弁当も作ったし」
あわよくば、龍樹に食わそうと燃えている入魂の一作だ。里馬が作ったって言えば食ってくれるだろう。
この辺りではポピュラーな遊び場所である土生遊園地は中に入れば二人組で乗ったりするアトラクションが多いので、それで自然に2人組に別れようと企んでいるのだ。
正直、かなり浮かれていた。初体験。デート。…意中の彼と遊園地。ここまで揃って浮かれないわけないだろーっ。
「よっし、行こうぜ」
「うんっ」
AM9:10。待ち合わせより50分も早く、俺達は家を出た。




×××





「今日はよろしくお願いします〜」
「い、いえ、こちらこそ……」
深深と頭を下げる里馬の前で立花という名の奴がどもっているのは、「憧れの人」とデートだという緊張半分、もう半分はその後で上斜め45度から見下ろしぎみにガン付けてる俺のプレッシャーだろう。根性無しが。まぁ、顔と礼儀は合格か…。
側に龍樹がいるってだけで心の中はかなり舞いあがっているが、里馬につく虫は厳しく査定するのが俺の役目だ。じー。
と、その後頭部をぽへん、と軽く叩かれた。
「お手柔らかに頼むぜ。あいつけっこーびびってるから」
振り向くと、苦笑いしてこっちを見ている龍樹。
「あ…お、おぅ」
慌てて笑顔を作る。いや、作らなくても相手の顔を見るだけでふにゃりと顔は緩むがっ。
「そ、そーだよな。中入ったら、少し離れて歩こーな」
(スマン里馬! お前をダシにしてしまう妹を許せ―――ッッ!)
心の中で必死に姉に詫びた。





開園と同時に入ったのに、人が多い。
周りには週に一度の家族サービスを勤める父親に連れられた家族連れとか、友達数人ではしゃぐ女子高生とか…。その女子高生達が自分達の方を見てくすくす笑っているのに気付いて、ふと自分のいでたちを思い返す。
(これって…周りから見たら男二人で遊園地来たようにしか見えねーよな…さぞかし寂しい奴らだと…へ、へたすりゃホモのカップルに見られるかもしれん…)
今まで弾んでいた足取りが、急に重くなった様に感じた。やっぱり自分には分不相応だった、と思ってしまう。
俺の存在がただの迷惑にしかなっていないような気がして、どんどん思考がネガティヴな方に落ち込んでしまう。あぁあぁぁぁ。
「おい、瀬川?」
「えっ!?」
声をかけられて、慌てて顔を上げる。すぐ目の前に龍樹が立ち止まっていて、2度びっくり。
「な、何?」
「気分でも悪いのか? ずっと俯いてて…どっか座るか?」
「ちっ、違う! だいじょぶ! 全然平気!」
慌てて手と首を同時に振る。相手にこれ以上負担をかけたくない。
「そ、それよりかさ。ジェットコースター付き合ってくんねぇ?」
「…そうだな。せっかく来たんだから、遊んでこーぜ。あっちはあっちで楽しそうだし」
と指差された方向を見ると、ティーカップに乗って手を振っている里馬が見えた。
「はぅ。いつの間に…」
「今、列空いてる。いこうぜ」
ひょい、と。何の躊躇いもなく…、手、を取られた。
「!」
一気に紅潮する顔を慌てて俯かせると、龍樹に合わせて走り出した。
(ヤバイ……マジ幸せかもしんね……)
吹きそうになる鼻血を必死に堪えながら幸せをかみしめる。列の最後尾に着いて、あっさり離れてしまう手が凄く惜しかった。
「コースターなんて乗るの久々だな…」
「あ、俺も俺も! 周り苦手な奴ばっかりでさー! ガキの頃は親父つき合わせて乗ってたんだけどな」
タカは乗り物自体があまり好きでなく…自分で走るのは良くても振り回されるのが嫌らしい…、ヒロは最初から興味なし、里馬は泣いて嫌がるので、付き合ってくれる奴が居ないのだ。
「親父さんと? そっか…ガキの頃、遊園地なんて来たことなかったな…」
「え…? 家族で来たりしなかったのか?」
「あぁ…ま、ちょっとな」
少しだけ、目を逸らされる。聞かれたくなさそうだったので、聞かないことにした。好奇心は有り余るが、無理やり聞き出す趣味はない。
「そっか…ま、自信まんまんで乗って気絶した親父よかいいよなっ」
「気絶? ウソだろ?」
「マジマジ! ホント、白目剥いて気絶した奴なんて始めて見たぜ!?」
吹き出した龍樹を見て、ちょっと安心した。





ジェットコースターから降りた後も、喋りながら二人で歩いた。もっぱら俺が喋って、龍樹は聞き役に回っていたが。時々相槌を打つだけだけど、笑ってくれた。それだけで毎回死ぬほど満足してる俺もお手軽だとは思うけどさ。
と、急に龍樹の方から口を開いた。
「少し腹減らねぇか?」
「あー、もう昼か…」
「何か買ってくるか」
「あ!!!」
「ど、どうした?」
「いやっ! せ、せっかくだからこれ食おうぜ!」
びしゅっ! と音が出るほど高速でずっと抱えてたバスケットを突き出す。
「り、里馬が今日俺らの分も、弁当作ってくれたから…」
嘘だ。作ったのは俺。でもわざわざ、言って笑われるようなことは言いたくなかった。だってどう考えてもギャグになっちまうだろうよこれは!
「へぇ…じゃあ、ご相伴すっかな」
二人でベンチに座り、バスケットを開ける。色とりどりのサンドイッチと綺麗に飾り付けられたサラダ……これを俺が作ったって正直に言ったら仰け反られると思う。本当。
「へー…すげーな」
「あ、うん」
一つ抓んで、口に入れる。その一連の動きを、息を詰めて見つめた。
「ん。美味いな」
口の中身を飲み下して笑ってくれる。たったそれだけの行為が滅茶苦茶嬉しかった。
嬉しくて泣きたくなるのを堪えて、自分も一つ抓んだ。
「…ちょっとカラシ効きすぎじゃねぇ?」
「そうかぁ?」
軽く目じりを擦って、涙を拭き取った。



バスケットの中身はあっという間になくなってしまった。
「サンキュな。美味かった」
「そっか」
こっちはお前の顔見てるだけでお腹イッパイデシタ。いやいやマジで。
「次、どうする?」
「そーだなー…めぼしい物大体乗ったし…」
辺りが段々赤くなっていく。もう夕方だが、日が沈むまではまだ間がある。
…もう少しだけ、一緒に居たかった。贅沢だと解ってても。
また歩き出した二人だったが、急にがくん、と龍樹が足を止めた。
「お?」
「あれ?」
変な動きに驚いて龍樹の足元を見てみると…原因がすぐに解った。
子供だ。
色素が薄めの、小さな男の子。4、5歳だろう。きゅうっと口を結んで、龍樹の膝の裏にしがみ付いてる。
「おい、坊主。どーした?」
龍樹の声にも耳を貸さず、ますますしがみ付く。えぇい、離れろ羨ましい…いやいやいや、違う。そうじゃねぇだろ。
「参ったな……」
「もしかして、迷子か? 名前は?」
俺がしゃがんで手を伸ばすと、すすすすっと龍樹の足に掴まったまま股の間にまで移動する。おい。
ここだけの話、俺はよく子供に怖がられる。やっぱ金髪か。金髪とこの目つきの悪さが悪いのか。見下ろしてるからか。それなら身長が俺より高い、
「何で龍樹に懐いてんだ?」
「さぁな…」
「こいつの父親に似てるとか…」
「…勘弁してくれ」
俺の冗談をどう思ったのか龍樹は眉間を押さえて溜息をつくと、しがみついたままの子供をべりっと引き剥がした。
「おい…」
非難が俺の喉から出るよりも先に、剥がした子供を肩の上に抱え上げる。俗に言う肩車という奴だ。
「知ってる奴がいたら、声かけろよ?」
いきなり高いところに連れていかれて少々吃驚したのか、目を何度かぱちぱちさせた後、子供はこくりと頷いた。
「よし。…その辺歩いてみようぜ。見つからなかったら迷子センターにでも連れてけばいい」
「う…うん」
そう言って歩き出す龍樹を見て、顔に隠し切れない笑みが浮かぶ。
(やっぱ優しんだ…)
学校に居る時は、あんまり他のクラスメートと話もせずに、笑いもせずに居たような気がする。ほかの奴は、怖いとか、冷たいとか、そういう感想を持ってるのかもしれない。でも、俺は。
「おい。置いてくぞ」
「あ、悪い悪い!」
小走りになって、龍樹の横に並ぶ。
知ってる。こいつが、スゲェ優しい事とか。
龍樹の足は、人の多い広い道を選んで通ってる。なるべく早く、この子供の親が見つかる様に。言葉にしなくても、それぐらい俺にだって解る。
「龍…日野って子供の扱い慣れてんなぁ。兄弟とかいんの?」
「いや。一人だけど…そうか?」
「俺、駄目なんだよ子供って。好きだけど怖がられる」
「はは。それから…別に言い直さなくてもいいぜ」
「は?」
何を??
「俺の名前。さっきから結構名前で呼んでるだろ」
「え!? そ、そーだっけ!?」
げっ。ぜ、全然気づかなかった。心の中ではそれこそ一万回ぐらい言い慣れてるような気がするが、口に出していう時は名字に直してたはずなのに…浮かれすぎて気がつかなかった? ひいいい。
どきまきしてる俺を見て、もう一度龍樹は笑った。普段口を結んでいる時とは段違いの、綻ぶような笑顔。
急に、理解した。

あぁ、俺やっぱりこいつのことが好きだ。

喜ばれたり笑ってくれたり、そんなことが凄く嬉しい。

自分の容姿も性格も気にならなかった。

ただ、俺の気持ちを知って欲しかった。

ぴたり、と足を止めた。
「龍樹」
「…?」
少しだけ先に歩いてた足を止めて振り向いてくれる。赤くなった顔を俯かせたまま、ぎゅっと目を瞑った。
言える。
「俺っ……お前が――――」


「たかし〜〜〜っっ!」


その瞬間。辺りを劈くような金切り声が響いた。
「な、何だ?」
思わず回りを見回す龍樹に、先程の声の音源であろう女の子が駆けてきた。
「あき」
ぽろっと、龍樹の頭上で声が零れた。
「お前の…姉さんか?」
龍樹の問いに頷く。たったったと軽快な足音を響かせて、駆け寄ってきた子の前に少年を下ろしてやると、今度はその女の子にしがみついた。
「もー! どこいってたんだよ!」
ちょっと乱暴にわしわしと男の子の頭を撫でている。
「よ…よかったな、見つかって」
さっきの音量の衝撃で固まってた俺はやっと動ける様になって、3人の側に近づいた。
「どーもありがとうございました! …ほら、たかし! お前もおれい!」
年は殆ど男の子と変わりないだろうが、しっかりしている様に見えるのはやはり姉の責任感のおかげだろう。ぺこんと頭を下げて、しがみついた弟を引っぺがしているさまに、何となく親近感を覚えてしまう。
「……りがと…ございます」
やっと少年が口を開き、ぼそぼそと小さな声でお礼を言う。
「親御さんとか、いるのか?」
膝を曲げて問う俺の問いにこくりと頷いて、
「あっち!」
と人込みのほうを指差す。
「そっか。もう大丈夫だな?」
「うん!」
そう言って、女の子は弟の手を引っ張って、来た時と同じ勢いで走り去っていった。
「元気だなー」
「良かったな」
ちょっと顔を見合わせて、笑い合う。照れもせず、自然に笑えた。
「そうだ、さっきなんて言おうとしたんだ?」
「あー…な、何でもない! そんなたいしたことじゃないって!」
「…そうか? じゃ、そろそろ出るか? あいつらももう帰ってるかもな」
そんなに不審に思われなかったらしい。ふぅ、やれやれだ。タイミングを逸してしまった…今更言えるかい。
「あ、ホントだ。じゃあ、入り口に戻ろーぜ」
「あぁ」
踵を返して歩き出した龍樹に続く。
結構歩くのが早くて、卵サンドが好きで、ぶっきらぼうだけど、子供の扱いが上手。追記、笑うと可愛い。
これだけ解れば十分じゃないか。
あせることなんてない。ゆっくりでいいから、好きになってもらおう。
そこまで考えて、今までの落ち着きのなかった心がす―っと静まったような気がする。一回肩透かしを食らって、かえって肝が座ったのかもしれない。
「オイ、何笑ってんだ?」
顔が緩んでいたらしい。
「へへ…何でもないよ」
龍樹を見返して、もう一度微笑んだ。
もっとこいつの前で簡単に笑えるようになったら。
その時は、俺の気持ちを知ってもらおう。
取り合えず…このパニック体質治さないとだめかな………。



fin.