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パンドラ

「大神ゼウスはヘパイトスに土からパンドラを作らせ、ゼウス自ら生命を吹き込みました。
アテナは知恵と機織の技を与え、アプロディーテは美しい肉体を、アポロンは美しい歌声と病気を直す力をそれぞれ与えました。最後にヘルメスが、美しい彫刻の入った金の箱を与え、『その箱には見てはならない不思議な物が入っているから決して開けてはならない』と言ったのです。そう伝えた後で最後に好奇心を与えました。
パンドラは結婚し幸せな生活を送っていました。しかし、パンドラには一つだけ気になることがあったのです。
『この金色の美しい箱には、どんなものが入っているんだろう』
昼はその箱を眺め続け、夜はその箱の夢を見るのでした。パンドラは、とうとう我慢出来なくなって、箱を開けてしまったのです。
すると箱の中からは、毛むくじゃらの黒い生き物が沢山でてきました。実は、この化け物は、病気、貧困、犯罪といった人類を悩まし続けるあらゆる災害だったのです。
たった一度のあやまちから、人々は様々な恐怖に脅かされるようになったのです」





「うわ、超悪趣味」
「…何がですか?」
朗読が途切れた瞬間言われた容赦の無い台詞に、留架は僅かに眉根を寄せた。自分が腰掛けたベッドの上、しどけなく四肢を弛緩させたまま「お話」を聞いていた少女は、不満そうに寝返りをうつと唇を尖らせた。
「だってさ、そんな風に言われたら開けるに決まってるじゃん。絶対さ、神様達の間で『いつ開けるか』のトトカルチョとかやってたんだよ」
「そんな馬鹿な…」
「絶ッ対そうだって! てゆーか、そういう意図無いとしても悪趣味すぎ。結局人間のこと信じてないってことじゃん。美人局とかよりタチ悪い。そういうやり方、大っ嫌い」
「亜輝…」
追撃を辞さない少女を宥めるように、留架は一旦本を横に置くと空いた右手で亜輝の茶色い頭を撫ぜた。もう片方の手は既に彼女に繋がれているので今まで出来なかったのだ。細い指の器用な動きに少女は猫のように喉を鳴らすが、やはりまだ機嫌は直らないらしい。
「あんな奴ら、絶対人間のことオモチャぐらいにしか思ってないよ。そんなの拝んだり崇めたりする必要なんてない!」
不意に体を持ち上げ、留架の膝の上に飛び込んだ。腰に手を回してしっかりしがみついて来る頭を、留架は動じずにずっと撫で続けている。彼女が腹を立てているのが、自分が今までの人生を捧げてきた相手であることが解っているから。
「ばーか…」
膝に頬を摺り寄せて、小さく詰ってくる少女を安心させるように、鎖で繋がれた両手の指を絡ませてやる。漸く嬉しそうに、亜輝は笑った。
「…もう、話は良いですか」
「んー。声は聞きたいけどもういいや。その話のオチ知ってるし」
無防備に甘えてくる少女に軽い眩暈を感じながらも、留架は無言で言葉の続きを促した。
「ほら、アレでしょ? 箱の一番底には希望が入ってて、そのおかげで人間は助かったんだー…って」
それも絶対あいつらの気まぐれだって、と頬を膨らませる亜輝に、留架は脇に置いたままだった本を覗きこみ。
「…少し違いますね」
「えっ?」
「箱の中に入っていたのは、『希望』ではないんです」
「え、え、何? 何が入ってたの?」
思いも寄らなかった言葉に、少女は身体を起こし、目をきらきら好奇心に輝かせて留架の瞳を覗き込んだ。ひたり、と視線を合わせて留架は小さくとだがはっきりと呟く。
「―――『前兆』です」
「ぜん、ちょう?」
子供のように首を傾げる少女に少し笑い頷く。
「ええ。咄嗟にパンドラが箱を閉めた為、底には最後の不幸―――「前兆」だけが残った。先のことが見える兆しが人間に備われば、人は未来を知りそれを儚み、絶望してしまいますから」
「なんで? 先のことがわかってたら便利じゃん。失敗することないし」
「いいえ。どう足掻いても―――最期には死ぬことが、解ってしまうのです」
「!」
はっと息を呑み、繋がった掌をぎゅうっと握り締める少女に、安心させるように、目の前に上がってきた額を軽く重ね合わす。死という名の別離は二人にとって恐怖の対象にしかならない。だからこそ今は――――必ず来るであろうその時までは――――考えたくない。宥める様に頬を摺り寄せ、少女の身体を膝の上に座らせると身体を預けさせた。漸く亜輝の身体の緊張が緩んだ。
「その絶望は計り知れないでしょう。蓋を閉めたからこそその中には『希望』が残った―――と、解釈出来るかもしれません」
「ふぅーん…」
納得、と言ったように亜輝は首を上下させる。
「そうだね。先のことなんて教えてもらわなくても良いよ」
「…えぇ」
「そんなの、あたしが決めるから」
きゅ、と視線が絡まり合い、留架は大きな薄茶の瞳に囚われた。
「とりあえず…5秒後、留架からあたしにキス」
「……承知しました」
きっちり心の中で五つ数えてから、留架は軽く目を眇めて触れるだけのキスをした。
そしてそれはあっという間に深く熱く変わった。



無邪気で熱心な口付けを受けながら、留架は不意に考えた。
全てを知る事の出来る英知の入っている箱があろうと。
自分が欲しいのは何が出てくるか解らないびっくり箱のような彼女なのだろうな、と思った。



end.