時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

緋色の祈りは届かない

お養父さん…お養父さん…
「留架。泣いてはいけませんよ。私は天に召されるのですから」
死なないで下さい…お願いします…!
「恐れる事はありません。私たちは皆、主の御許に導かれます。あちらで、またすぐ会えますよ…」
無理です…私には、私にはとても…
「……………」
お養父さん!? お養父さん……!!





神ヨ 貴方ニ問イタイ
貴方ハ一体 ドコニイルノデスカ?






かしゃんっ…!!
甲高い金属音と共に、女子生徒の甲高い悲鳴が教室に響く。
「どうしたの!? あっ…紀乃瀬くん!」
ぱたり、ぱたりとタイルの床に零れ落ちていく紅い水を見て、担任の女教師の声も1オクターブ高くなる。
「お、俺は悪く無いぜ!? お前が手ェ出したから…!」
「カッター振りまわしてたのはアンタじゃないの! ふざけてるからよ!」
「やめなさい! 紀乃瀬くん、保健室に行ってきなさい! 後の事は先生に任せて」
「…解りました」
留架の白い肌から流れ落ち続ける紅い水。ぽたぽた、がだらだら、に変わりかけている程の傷なのに、留架はそのレンズの下の瞳を動かすことすらせず、教室をゆっくりと出ていった。
「一体、誰が原因なの!」
ヒステリックに叫ぶ教師を尻目に、教室のあちこちでひそひそと話し声がする。
「紀乃瀬くん、全然動じて無かったよね…」
「うん…何かさ、神父見習だから、っていうか凄く落ちついてるよね」
「やっぱあいつ、ちょっと違うよな」
「浮世離れしてるっつーか…」
好き勝手な言葉が飛び交う中、留架から流れ落ちた血はただ教室の床にゆるゆると広がっていた。





床をこれ以上汚さないために、傷口を指で抑えた。
ぐぐっと指に入れた力はかなりのもので、普通なら痛みに絶叫するほどだったろうに、留架は何事もないように歩みを進める。
保健室まで来ると、暇をしていた保険医も顔を青くして「痛くないの」と聞いてきた。
その問には、「はい」と答えることしか出来なかった。
真白い包帯をきっちり巻かれて、会釈して留架は教室を出る。
切られた右腕を、ゆっくりと動かす。
多少だるいが、動かせないほどでは無いことを確認して、留架は教室に戻り出す。
彼は、生まれつき痛覚がない体質だった。
皮膚の神経に原因があるのか、脳に原因があるのかは不明だが、
兎に角彼は、「痛い」と感じた事が無かった。
しかし―――だから、なのか―――何故か彼は、包帯を巻かれた傷口の上に、僅かに爪を立てながら歩いていた。
そんなことをしても、痛いわけがないのに。
ふと、前から足音が聞こえてきて、留架は自然と俯いていた顔を上げた。
てっきりこんな授業中に廊下を歩いているのは教師だと思ったので、会釈しようとして。
見慣れた学生服が目に入って、留架はレンズの下の目を僅かに瞬かせた。
次に驚いたのは、不釣合いな程紅く染められた髪だった。
その色に、先刻自分の身体から流れ落ちたものを思い出した。
紅い髪の男は、まるで留架が目に入っていないかのように、前を見たまますたすたと歩いていく。
自分と同じく、保健室へでも行くのだろうか、と思いながら、留架はその生徒と擦れ違い――――
僅かな匂いが、留架の鼻を擽った。嗅ぎ慣れない、どこか違和感のある匂いが。
それが何かと問いかける前に、その生徒はすたすたと歩き去ってしまった。




夕日がゆっくりと沈んでいく中、授業を終えた留架は帰宅の途につこうとして、再び廊下を歩いていた。
何故か心の中に、妙なひっかかりを感じたまま。
何気なく外に顔を向けた留架の目に、白く棚引く煙が見えた。
「!」
その出所が外壁のすぐ下にあることに気付いた留架は、先刻の嗅ぎ慣れない匂いの正体が何か分かった気がした。
そして、早足で玄関に向かった。




短くなった吸殻を何の躊躇いもなく壁で揉み消し、新しいのを一本口に咥える。
マッチを箱から取り出して、片手のワンアクションだけで火をつけた。
深く一息吸って、吐く。
白い煙を息だけで軽く色々な形に変えてやる。
妙に面白くて、少し夢中になっていたから、足音と気配に気付くのが遅れた。
(…先公か?)
そう思っても、志堂は唇から煙の嗜好品を外そうとはしなかった。もう慣れたし、教師陣もいい加減諦めているだろうと思って。
この高校に入ってからというもの、彼が先生に呼び出されるのは日常茶飯事で。
それでも志堂が不遜(と周りの人間には見える)な態度を崩さないと、彼の生立ちを引っ張り出して「仕方が無いか」と言うレッテルを張る。
あまりにもお約束過ぎて、笑うしか無い。
両足を前に放り出したまま校舎の壁に背を預け、そんなことをつらつらと考えていると、横で足音が止まった。
「…そこの貴方」
「…………?」
あまり呼ばれなれない呼び方で呼ばれたので、反応してしまった。
いつもならこんな類の叱咤は、全て聞き流すというか耳に入らないのに。
ふと横を見ると、自分と同じ―――勿論自分より数段きっちり着込んでいたが―――学生服を着た青年が、そこに立っていた。
意外な相手に、外に出さないくらいは驚いていた志堂と目線を合わせるように目の前の眼鏡の生徒はしゃがみこみ。


「未成年の喫煙は法律で禁止されています」


と、あまりにも基本的な忠告を告げた。

一瞬後、志堂の大爆笑が校舎裏に響き渡った。








「…何故、おかしいのですか?」
「っ、くく…やべ…ツボ入った…」
両腕で腹を抑えたまま痙攣するほど笑っている志堂に僅かに戸惑いながら、留架はまた問いかける。
それがまた可笑しいらしく、志堂はついに仰け反って頭をコンクリートの壁にぶつけた。
「いてっははは、くっくっく……お前、最高。ここまで笑えたの久しぶりだわ、本当」
僅かに浮んだ涙を指で拭い、志堂は嬉しそうにやっと留架の方をちゃんと向いた。
あまりにも基本的過ぎる叱責は、恐らくきっと本気で言われたものだからこそこれだけ笑えた。そのことを志堂は知っている。
目を合わせて相手を見れば、どんな人間かというのは大体解るものだと彼は思っているが―――他の人間には難しいことである事に気付いていない。
否、気付こうとしない、か気付いても言わない、が彼にしては正しいが。
「…貴方の名前は?」
「人に聞くんならまず名乗れよ」
「そうですね。私は3年D組の紀乃瀬 留架です」
(素直なヤツ…)
人の裏側をこの年にしては見過ぎていた志堂にとって、留架のキャラクターは酷く新鮮だった。
普段他人に興味を示さない彼にしては酷く珍しいことで。
「志堂 響。ヒビクって言い辛いだろうから、キョウで良いぜ」
にやにや笑いながら、咥えたままだった煙草を吸う。はっとなった留架が素早く紙巻に手を伸ばすが、かわされた。
「先程も言ったでしょう。未成年の―――」
「未成年じゃねぇよ」
「えっ」
「嘘だけどな」
「………」
留架もかなり戸惑っている。自分に向けられる意識は、尊敬と僅かな畏怖。それぐらいだったはずだ。
こんな風に、自分がからかわれる対象になるとは思いもしなかった。
「…兎に角、身体にも良くありません。止めてください」
「くださいねぇ。あんたにお願いされても俺に聞く気がないから無駄だぜ」
「何故ですか」
「嫌いなんだよ。人に干渉されんの」
それだけ言って、志堂は立ちあがる。
「待ってください」
留架も立ちあがり、もう歩き出していた志堂の背中に言葉をぶつける。
「これは干渉ではありません。忠告です」
僅かに、苛立たしげに空気が歪んだ。
振り向いた志堂の瞳は、留架が今まで誰にも見たことのない冷たい目だった。
「同じだろ」
それだけ言って、もう振り向かなかった。








「『見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去れ。
わたしは、あなたがたの時代に一つの事をする。
それは、人がどんなに説明して聞かせても、
あなたがたのとうてい信じないようなことなのである』」
夜。
留架は眠れず、礼拝堂で一人聖書のページを繰っていた。
今日会ったあの紅い髪の男が、何故か酷く気になっていた。
「主はわたしたちに、こう命じておられる、
『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。
あなたが地の果てまでも救をもたらすためである』」
僅かに高めのテノールは、礼拝堂の静かな空気の中にゆっくりと溶けていく。
嘗ては、この言葉を聞いている人がいた。
養父は、いつも同じ笑顔を浮かべ、一生懸命文字を追う留架を見ていた。留架が紡ぐ声を聞いていた。



今は、いない。誰も。



「……!」
乱暴に、留架は頭をニ、三度振った。
いないわけがない。神はここにいる。常に側にいるはず。例え自分が何をしようと、神はずっと見ているはずなのだ。
見ているはず、なのだ。
「主…よっ…」
両手で顔を覆ったまま、搾り出すような声で留架は呟いた。
「主、よ―――、どうか、答えて…ください…私は、貴方を疑いました―――、
貴方の存在を、一時でも疑ったのです―――! 断ッ、罪を―――罰を、どうか罰をお与えください、神よ―――!!」
声は、ただ、礼拝堂に響く。
答えるものは、何も、ない。
「どうか、裁きの雷で――この身をお焼き下さい…!
その、願いすら、叶いませんか―――私には、罰を、受ける資格すらないのですか―――」
ぎりっ、と右手の包帯にきつく爪を立てる。傷口が開いたのか、じわりとそこが紅く染まる。
「この、身では…試練を受けられぬからですか…、私には、罰の痛みなど解らぬから―――――!!」
ふらり、と椅子から立ちあがり、祭壇の前に跪く。
「私が、必要の無い、子供だから…、このような身体をお与えになったのですか!? 神よッ!!」
絶叫が、響いた。
やはり答える声は、彼には聞こえなかった。





留架は、生まれたばかりの状態でこの教会の前に捨てられていた。
手紙も何もなく、ただ古着に包まれた状態で、寒空の下捨てられていた。
まるで、生きるなと言われている様に。
それでも、教会の前に捨てられていたのは、彼を産んだ者による僅かな慈悲だったのだろうか。
それをその教会の唯一の神父だった紀乃瀬が拾い、留架、という名前をつけた。
彼は何の躊躇いもなく、自分が信じる唯一にして絶対の存在を教えた。
留架も、確かに信じていたのだ。
養父から、あの言葉を聞くまでは。
試練とは、与えられる痛みを享受し、それによって自分を成長させることなのだと、養父は留架に語った。
その言葉が自分の義息子をここまで苦しめるとは、既に神の世界に旅立った父親には到底解らぬことだっただろう。
そう。
彼は、「痛み」を感じることが出来ない。
「痛み」がどういうものなのか、解らない。
何が「痛く」て、何が「痛くない」のかも、解らないのだ。
自分は、試練を受けられない。
自分は、高みに上り詰めることなど、出来ない。
それが、留架を追い詰めた。
片端から文献を漁り、神がどこにいるのか求め続けた。彼にとって縋れる者は養父しかなく、養父は神を信じよとしか語らなかったから。
留架は、頭の良い子供だった。納得いかない事はとことんまで調べ尽くした。
そして。
結論を、出してしまった。
ありとあらゆる方向から考え、出した結論。



「神はこの世に存在しない」




居る訳がない。
居る訳がない。
もし居るのだとしたら、自分が生きている、はずがない。 誰からも祝福されない子供を、この世に産ませるはずがない。 自分の存在が神を否定し、
神の存在が自分を否定するのだと解った瞬間、
どうしたらいいのか解らなかった。






それからずっと、留架は惰性で生きてきた。
何を目的に生きればいいのか解らなかった。
死ぬことも考えた。しかし、養父と同じ所には行けそうにないと思うと、それも恐ろしかった。
だから。必要とされようと、思った。
誰かに頼られれば、自分は生きていける。
生きていてもいいと、自分で思える。
そのためなら。
信じていない神にすら、祈れた。
何度も何度も自分を責めた。
これは間違っていると、何度も考えた。
それでも、それ以外の結論が出せない。
自分が頼れる者は、もうこの世に誰も居なかったから。






青空に、ゆっくりと紫煙が棚引く。
屋上に寝転がっている紅い髪の男が一人。
「……♪………、♪…………」
僅かに鼻歌がそれに混じっている。志堂は上機嫌だった。昨日面白い人間に会ったからだ。
便宜上行ってるような学校でこんな面白いモノに会えると思っていなかった。やや干渉してくるのが不満だが、そのへんは無視すればいい。
良くサボっているにも関わらず、珍しく朝から学校に来た。朝から屋上に寝転がっていたのだが。
と、僅かに足音が聞こえた。志堂は何も動かず、ただ目を閉じて歌っている。
ゴン、と重い音がして階段に続くドアが開く。何気なくそちらを見て、志堂は嬉しそうに目を細めた。
細身の身体を学生服に包んで眼鏡をかけた男。
紛れもなく、昨日見つけた「面白いモノ」だった。
「…サボリか? 優等生」
だから、本当に珍しく自分から声をかけた。
「今、昼休みです」
やっぱり真面目な声が返ってきて、志堂は低く笑った。
煙草に指を伸ばされそうになったので、素早く自分の指で取り安全圏まで逃げさせた。
留架は何か言おうとして―――諦めたようにため息を吐き、冷たいコンクリートの床に腰掛けた。
沈黙が場を支配する。
静かに、僅かな鳥の声と、志堂の鼻歌だけが聞こえる。
そのメロディーを何をするでも無く聴いていた留架は、ふとそれに聞き覚えがある事に気がついた。
そう、子供の頃から良く聴かされていたそれは―――
「…さかえの 主 イエスの じゅうじかを あおげば…」
小さく留架の薄い唇から滑りでた歌詞に、志堂の方が歌を止めた。
「…苦難、142。十字架を仰げば…ですね」
「解ったのか」
「家が…教会なもので」
「へぇ」
「貴方こそ、何故こんな歌を…」
「好きなんだよ、これ」
端的な答えだけ返されて、何を言ったらいいのか解らない。
目の前の男が賛美歌を知っていることにも驚いたし、且つそれを好きなのだと言われると、留架の頭にはもう許容範囲外だった。
固まっている留架に興味が失せたのか、志堂はまた空を仰いで唇を動かす。今度は、歌詞付きで。 「栄えの 主イエスの…十字架 を 仰げば、世の富 誉は 塵にぞ 等、しき…」
「十字架の 他に は 誇りは 在らざれ…この世の もの皆 消えなば…消え、去れ…」
志堂の声に、留架の声が被さる。
二つの声は、決して交じり合うことなどないのに、何故かぴたりと重なって風に乗り始めた。
「見よ主の 御頭 見て御足より ぞ」
「恵みと 悲しみ…交々 流るる」
「恵みと 悲しみ 一つに 溶け合い 茨は 眩き 冠(かむり)と 輝く」
「ああ主の 恵みに 報くゆる 術なし…只身と 魂(たま)とを 奉げて、額ずく…」
それはとても優しくて。
疑ることなど出来なくて。
そう。
子供の頃、養父に教わったそれを歌った時。
自分の部屋の天窓から、月の光が降って来て。
あそこに神が居るのだと―――何の躊躇いもなく信じて―――――
はたり。
と、留架の膝に雫が落ちた。
自分でも気付かず、ただ留架は歌い続けた。
まるで、そうやって許しを請う様に。
志堂もそれを目にもとめず、歌詞から口笛にメロディーを移していた。







「貴方は…神を、信じていますか?」
何時の間にか、涙は風に乾いていて。自分の掠れる声を不思議に思いながら、不意に留架が問いかけた。
「勧誘か?」
「茶化さずに。…答えてくれませんか?」
懇願にならなかったのは、昨日の拒絶を知っていたから。
「…俺は俺以外を信じない」
「えっ?」
答えもあまり期待していなかった分、あまりにもはっきり言われた答えに留架の方が面食らった。
「俺が解るのはこの世で俺だけだ。それだけで精一杯で、他のモノを理解する暇なんざない」
がつんと、脳天を打ち砕かれたようなショックだった。
自分など、この世で一番信用できなかった留架にとっては。
目の前に居る彼は「完全」なのだと思い知らされた。
何にも迷わず。
何にも捕らわれず。
ただ、生きていける人間。
「不完全」な自分が、酷く、不恰好に見えた。
縋るような目を向けてくる留架を、うざったそうに振り仰ぎ。
「俺は誰にも干渉しない。だから、誰にも干渉されない」
何を言っても無駄だ、というのを言外に込めて。











それ以後、留架は何度も志堂に会いにいった。
志堂は何も言わない代わりに、自分に干渉しなければ何もかも受けとめてくれた。
神に懺悔できない留架にとって、そこはとても居心地が良かった。
志堂にとっても、留架の危うさは自分の退屈を払拭してくれる格好の玩具であった故、何も言わない分拒絶もしなかった。他の人間から奇妙な目で見られても気にならなかった。
だんだんと言葉を交し合うようになって、一度だけ、志堂が自分から話したことがあった。
「俺は土生北駅のロッカーに捨てられてた」
自分は教会に捨てられた、と返事を期待せずに志堂に懺悔していた留架は、唐突に返ってきた答えに驚いた。その内容にも。
「拾ったのはどこにでもいるホームレスのオヤジだった。そいつの知り合いとか、入れ替わり立ち代り俺の面倒を見てた。捨て犬を拾って育てるような感覚だったんだろう、多分な」
吸うたびに取り上げられそうになる煙草を今日も無理矢理咥えたまま、志堂は淡々と言葉を連ねた。
「そいつから生き方を盗んだ。生き方を教えるなんてことあいつは思ってなかっただろうしな。飯の食い方、貰い方、身体の洗い方―――全部あいつから盗んだ」
「その人は今―――」
「死んだ。ダンプに潰されてそれきりだ」
「悲しく、ないのですか?」
「何で悲しいんだ?」
疑問に疑問で返されて、留架が詰まる。事実、何の感情も篭らない視線を志堂はずっと前に向けている。
「俺は誰も大切だと思わない。生きてるか死んでるか、「ある」のか「ない」のか、それだけだ。あいつは死んだ。もう「ない」。それだけだ。………お前が死んでも、俺は泣かない」
「………では、私も。貴方が死んでも泣きません」
そう言うと、夕日で更に紅くなった髪をかきあげて、志堂は少しだけ嬉しそうに笑った。
留架にとって志堂は憧れとなった。
普通の「人間」より完全に一線を敷き、歪で傷だらけの自分より、ずっと整って美しく見えたから。
そんな奇妙な友人関係は高校を二人が卒業するまで続き。
卒業式の日。
「志堂。貴方はこれからどうするのですか?」
「旅に出る」
「旅…ですか?」
「あぁ。もう学校も飽きたしな。適当に歩いてくる」
「そう、ですか」
「じゃあな」
「元気で」
交す言葉はそれだけだった。
それでも、留架は僅かに口元を緩めて手を差し出し。
ほんの少し驚いた様に目を開いた志堂は、笑ってその手を握った。







教会に帰った留架は、ずっと入ることを躊躇っていた養父の部屋に入った。
亡くなってからそのままにしてある部屋の中に入り、洋服箪笥から黒い神父服と、ずっと仕舞ってあった銀のロザリオを取り出し、一瞬の躊躇の後…身につけた。
そのまま彼は、無言で礼拝堂まで辿りつき。
「――――主よ。貴方がどこに居ようと、構わない。私は貴方に祈り続ける。…もう、私の側に、貴方以外に縋れるものなど、無いのだから」
光が降り注ぐ礼拝堂。十字架にかけられた聖者はただ自分を見下ろしてくる。
留架は志堂の様にはなれない。留架が留架として立つ為にはどうしても、何かが必要だった。自分のことを認めてくれる、何かが。
そして留架は神以外、それを見つけられなかった。
「例えそれが偽りであっても、もう私は恐れない―――否、不敬を咎められるのなら本望です。それを良しとしないのならば今ここで、私の命を滅してください」
朗々と、礼拝堂に声が響く。響くだけ。答えは、返らない。
「…この願いも、叶いませんか」
一度だけ、留架は辛そうに目を伏せた。
そして次に目を開けた時、その瞳には何の感情も浮んでいなかった。
彼は自分の意思で心を凍らせた。
もう彼自身にも決して溶かすことの出来ない氷で。
心の扉を、完全に封じてしまった。








しかしその凍った扉は、やがて開かれるのだ。
我侭な少女であり、
淫靡な夢魔であり、
純粋な迷子であり、
何よりも、彼の中に開いた穴と同じ形をしている魂によって。







そのことを、今の彼が知るわけも無かったけれども。



end.