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ヨハネの第三の手紙

カチッ、カチカチッ。
小さな火花が飛んで、炎が薄闇の中に灯った。
それをそのまま、湿った地面の上に躊躇い無く落す。


ぼうっ……!!


その湿り気はあっという間に炎を纏い、燃えるモノを求めて触手を伸ばす。
それを見て、炎の母親は満足げに息を吐いた。


「満足そうだな」


後ろから声をかけられて、ぴくんと肩が揺れる。間の後、ゆうるりと振り向く。


「…おはようございます。志堂さん…でしたよね」


そう。振り向いた女性の目の前に腕を組んで佇んでいるのは紛れもない志堂響で。


「これがお前の望んだ結末か?」


志堂の言葉に、女性―――虹川由輝は、困ったように笑っている。
彼女の後ろで、炎はゆっくりと広がり、石造りの教会の壁にすら食いついて、包んで行く。
異様な光景であるのに、二人とも無言のまま暫く相対する。がらがらっ、とどこかが崩れる音がした。
この教会はかなり街中から離れている。誰かが気付いて消防に通報するのは、もう少し時間がかかるだろう。
その間に、ここは焼け落ちる。


「大した奴だな、本当」

「…………」


肩を竦めて呟く志堂の声も、由輝には届かない。その瞳は志堂に向けられながら、どこも見ていないように虚ろだった。
志堂は興味なさげに鼻を鳴らし、踵を返す。由輝もまた何も言わない。彼女は、彼が絶対に自分を告発しない―――誰にも干渉しない―――事を理解しているのだ。
志堂もかなり頭の回るほうだが、彼女はそれに輪をかけて鋭い。それと鬱屈された欲が自分を裏打ちし、恐るべき狂女を作り出してしまったのは、必然だったのだろうか。


「でも、残念だったな。もうあの中には誰もいないぜ?」


後ろを向いたままはっきり言われた言葉に、由輝の顔が強張る。


「…え………?」


かたかたと、細い身体が震えだす。顔だけ後ろを見遣り、志堂は唇を歪めた。上着のポケットからぐしゃぐしゃになった小さい紙を取り出し、後ろへ放る。
今朝、志堂が塒にしていた廃ビルの入り口に、留架に貸した上着が放られていた。
そのポケットに入っていた小さな手紙には、たった一言、見覚えのある字で。


「サヨナラ」


と書かれていた。
それを見て、志堂は全て理解した。そして、笑った。
あぁ、行ったんだな、と。
あの二人が、この街を出ていくのは大体予想がついていた。もううんざりだろう、自分以外の人間に常識なんぞを諭されるのも。
止められるわけがないし、止める気も勿論無かった。


「あいつらは、もうお前がどうやっても手の届かない所に行っちまった」


引導を、手渡す。
狂女は、ゆっくりと何度もその紙の皺を伸ばし、その文面を穴が空くほど見つめて。
ぺたん。と地面に座りこんだ。
ごぅ、と風が熱と灰を巻き上げていく。その焔に炙られるほど近くで、彼女の目から涙が零れ落ちた。


「あ…ああぁあ………」


嗚咽とも怨嗟ともとれないうめきが、乾いた彼女の唇を割って漏れる。
ぐしゃりと細い指で握り潰された手紙を、何時の間にか歩み寄ってきた志堂は抜き取り。
それをそのまま、渦巻く焔の中に投げた。
白い紙は、あっと言う間に巻き上げられ、灰になった。
満足げに笑って、志堂は歩き出す。
自分のシナリオを最後の最後に崩された狂女は、ただただ泣き続けていた。まるで、子供の様に。
彼女は留架を愛していた。
彼女は亜輝を疎んでいた。
それは決して、恥じる事ではなかったのに、彼女は両親からの教えを守ろうとする余り、自分の感情を押し込めた。
押し込められた感情は歪み、それを自分が今まで生きてきた指針となる「常識」というプライドが後押しした。
狂っているのかもしれない。それでも、純粋なのかもしれない。
そこまで考えて、埒も無い、と志堂は軽く首を振った。
人の感情なんて、考えて解るものじゃない。
あぁ本当にらしくないな、と志堂は一つ溜息を吐いた。


「お前らのせいだぜ」


漸く朝日が力を持ってきた空を見上げ、どこにいるともしらない愛を知った神父と愛を信じられた少女に向けて。




























それから、志堂はすぐに街を出た。

どこへ行くとも決めず、足の向くまま、行きたい方向に一人で歩いていく。
これはある意味、完成された人間なのかも知れない。

孤独と断じる人がいるだろうが、それは結局誰かが側にいた状態を知っているからこそ一人を孤独だと言えるのだ。
志堂は生まれてからずっと一人だった。それ以外の状態など知らない。だから彼は「孤独」ではない。彼は一人を悲しまない。
季節は秋から冬に近づいて、人々が肩を寄せ合い急ぐ雑踏の中を、ポケットに手を突っ込んで咥え煙草のまま、志堂は歩く。
彼は何も変わらない。今までもこれからも。





ちゃりんっ…。





小さい金属音が志堂の耳を擽った。
妙に思い、はたっと足を一瞬止めた瞬間。







「待ってってば。引っ張らないでよー」


「すみません、急ぎすぎましたか?」





ほんの一瞬。どこかでかかっている音楽や、けたたましいお喋りの渦の中で、その二言だけが耳に届いた。


ばっ! と身体ごと後ろを振り向く。




ほんの少し、ほんの少しだけ、見覚えのある黒と茶色の頭が並んで見えた。ような気がした。あくまで気がしただけで。





そして、志堂はいつものように唇の端を歪めるだけの笑みを浮かべ。


上着を肩にかけなおし、また踵を返して雑踏の中に戻っていった。




















あなたに書きおくりたいことはたくさんあるが、
墨と筆とで書くことはすまい。
すぐにでもあなたに会って、直接はなし合いたいものである。

平安が、あなたにあるように。

友人たちから、あなたによろしく。

友人たちひとりひとりに、よろしく。






end.