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ヨハネの黙示録・第十七章


あなたの見た十の角と獣とは、
この淫婦を憎み、みじめな者にし、
裸にし、彼女の肉を食い、
火で焼き尽すであろう。






水滴が落ちる音が、聞こえた。
沈んでいた意識が、ゆっくりと浮き上がる。
眼球にへばりついたような瞼を、ぎぎ、と開く。
白い蛍光燈が、自分を見下ろしていた。
「…神父、様?」
横で声がする。視線をそちらに向けると、涙を目に溜めた女性の顔が見えた。
「…あぁ、神父様! 良かった…本当に良かった…!!」
泣き出した女性を見ながら、意識をゆっくりと覚醒させる。問い掛けようとして、口が無骨な機械に覆われていることに気がついた。
腕を伸ばして、それを取ろうとする。
「あ、駄目です、神父様! …もう、大丈夫ですから。ゆっくり休んで下さい…」
「……、………」
声を出そうとしたが、上手く行かない。もどかしげに上半身裸の首を掻き毟った。
「神父様!!」
ががたん!
悲鳴のような声を無視して、ゆるゆると身体を起き上がらせる。ぐらり、と視界が歪んで、ベッドの下に倒れた。
「駄目ですっ! …誰か! 看護婦さん…!!」
「……あ、き……は、どこ…で、すか………?」
慌てたような由輝の言葉は、留架の口から出た名前に止められた。
「…あ、亜輝…ちゃんは…」
「………いかな、ければ……」
ぐらぐらと揺れる体を叱咤して、立ち上がろうとする留架の腕を、由輝の細い指が掴んだ。
「どうして、ですか…?」
彼女は泣いていた。しかし濡れた瞳の中に映っているのは、どす黒い焔のような情欲。それに留架は気付いているのだろうか。
「どうして、亜輝ちゃんなんですか…? 私じゃ、駄目なんですか……?」
ぽろ、ぽろと零れ落ちる涙を、留架は震える指でそっと拭った。僅かな喜色を浮かべて由輝が顔をあげ―――その表情が凍り付いた。
彼の眼鏡を外された瞳には、驚くほど何の感情も浮かんでいなかったからだ。
由輝は気付いていなかった。彼の目を彩る感情は全て、彼女の妹に対して向けられるものだと。自分に向けられるそれは、自分の中の妹を見ているのだと、気付いていなかった。
「…彼女は…私が、いないと。駄目なんです」
そう。今彼女に向けられた思慕は、僅かな面影を追い想いを馳せるもので。彼女自身に向けられたものでは決してない。
「そして、私も…」
「いや! 言わないで! 神父様ぁ!!」
泣いて縋り付いても、その言葉を止めることなど出来ない。


「彼女が居ない場所に…生きていても意味が無いんです…」


がくん、と由輝の身体が強張った。床に座り込んだまま、立てない。
そして留架は、近くのベッドを支えにして、立ち上がった。
彼は痛みを感じない。しかし無くなった血液はそう簡単に元に戻るわけがなく、ふらふらとした歩みで、もう暗くなってしまった病院の廊下を進む。幸い、看護婦に見咎められることも無く、玄関の外にまろび出た。
と、ばさりと肩に上着がかけられる。
「………亜輝、は?」
「警察。途中までだぞ」
余計なことは言わず、どこかから盗ってきたバイクに跨る。留架もそれ以上何も言わず、志堂の上着を着てその後ろに跨った。








どれぐらい時間が経ったんだろう。
何も分からない。何日かたったかもしれないけど、数時間しかたってないような気もする。
ここには、ダレモイナイ。


あたしはまた1人になった。


大丈夫。


ココロのなかで声がする。


大丈夫。


留架はまた、あたしのことを迎えに来てくれる。


大丈夫。


でも。


もし、留架が。






答えが出せない。


終われない。




ぐるぐるぐるぐる回る。




頭の中で。




留架。




留架。





留架。





留架。






留架。








留架。










る、か。























がちゃ、と扉が開いた。
「留置場に行くぞ。ほら、立て!」
学習したのか、若い刑事は左腕を取って亜輝を立ち上がらせた。亜輝は抵抗しなかった。抵抗する気も起きなかった。
ずるずると足を引き摺り、惰性で進む。
おとなしすぎる少女を、若い刑事は却って気味悪そうに眺めていた。











―――――――――










声が、聞こえた。
ふっ、と目の前に顔を向けた。





「……………ぁ…」





見慣れない服で。
眼鏡をかけていなくて。
痛々しい包帯が身体に巻かれていて。
壁に半分寄りかかるように立っていたけれど。


そこに、居た。









「留っ架あああああああっ!!!」







何も聞こえなくなった。
抱き着いた。




ガターン!!
凄い音がして、詰めていた警官達が何事かと飛び出してくる。
自分の身体を支えられないほど衰弱していた留架は、当然飛び掛かってきた亜輝を支えきれず。そのまま、廊下にもんどりうったのだ。
「ふえっ、えっ、ばかっ、ばかるかっ、どこいってたんだよぉっ……!!」
首筋に噛り付いたまま、赤ん坊のような鳴咽を繰り返す亜輝。
「すみません…すみません、本当に…すみません…」
傷口のある背中を思う様打ちつけたのなら、本来なら気を失うほどの激痛がその身体に走っているはずなのに。
留架はその体勢のまま、ただ少女を抱きしめて、何度も何度も、ただ詫びていた。