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ヨハネの黙示録・第十章


「もう時がない。
第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、
神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、
神の奥義は成就される」。















「…して、………のか!」
「一体、………うちの……」
「お静かに! ……」










遠くで、誰かの声が、聞こえる。
大勢が、怒鳴っているような。それなのに、遠い、声。





身体が、重い。
まるで鉛のようだ。





目も開けられないほど、だるい。
指一本動かせない暗闇。




自分に残されたものは聴覚だけで。
必死に、耳を澄ます。







「…お話を………」
「面会……………!」
「あの……恩を仇で…」
「やめて! ……から………」










聞こえない。
聞こえない。

彼女の声が、聞こえない。























「様子はどうだ?」
「うんともすんとも、です。男の方もかなりヤってたらしく、茫然自失状態で。凶器から指紋が検出されたのは、あの二人だけです」
「もう一人いた男はどうなった?」
「それが、未だに…」
「そうか…結局、ガイシャの意識が戻るのを待つしかないか」
ひんやりとしたリノリウムの廊下を、背広を着た二人の男がゆっくりと歩いている。
ここは警察署。二人の男は刑事で、彼らの言っている「ガイシャ」は留架のことだ。
あの時。留架が柴田に刺されたすぐ後。
血塗れになった留架に、錯乱した少女は志堂の静止を聞かずに刺さったままの鋭利な刃物を抜いてしまった。
それを放り投げ、気を失った留架の身体を抱きしめて、そのまま動かなくなってしまった。
警察に拘束された時も、救急車に乗せられた留架を追って亜輝はがむしゃらに暴れた。鎮静剤を打たれ、ここに連れてこられたのだ。
「助かりますかねぇ。かなり深い傷だったんでしょう?」
「分からん。兎に角もう一度、女の方と話をしたい」
「解りました」
程無く、彼らは一つの部屋の前に着く。
がちゃがちゃっ、ぎい…。
一つの机と二つの椅子が置かれ、窓には鉄格子。
コンクリートの壁に、亜輝は黙って頭を預け、部屋の隅に座り込んでいた。
「………薬は?」
「もう大分抜けてるはずなんですが…これで」
若い方の男が呆れたように肩を竦め、壮年の方は一つ溜息を吐いて椅子に座った。
「…大丈夫かい?」
なるたけ優しい声でかけたつもりだったが、少女の視線も身体もぴくりともしなかった。
「君にもう一度話が聞きたいんだが」
「…………………」
「あの店で、君達は何をしていたのかね?」
「…………………」
「柴田という男は知り合いなのかい?」
「…………………」
声が届いていないかのように、亜輝は動かない。何も言わない。刑事二人は顔を見合わせて溜息をついた。
「…では…被害者は君の身元引受人らしいが…」
ぴくん。
骨が尖って見える痩せた肩が、動いた。でもそれだけ。
「ほら、立ちなさい!」
痺れを切らした若い方の刑事が、亜輝の腕を取って身体を引き上げさせる。彼が掴んだのは―――右手。
「触んなぁっ!!」
突如、大声で叫んだかと思うと刑事の手を振り払い、その手首をしっかりともう一方の腕で抱き込む。
まるで、そこに巻かれた包帯が宝物だとでも言うように。
「キサマ…」
「おい、やめろ」
「しかし!」
「止めろと言っている! …君、済まなかったね」
激昂する若刑事を抑え、またしゃがみ込んでしまった亜輝に問い直す。
「その傷は…誰に付けられたんだい?」
何も答えないのなら、別から攻めようと思った刑事の考えは、ある意味成功した。
しかし、彼女の反応は刑事達にとって理解しがたいものだった。
彼女はゆっくりと自分の指でその包帯の下にあるであろう傷口をなぞり、笑ったのだ。本当に幸せそうに。
その反応に背筋を寒くしていると、ぼそっと少女の唇が動いた。
「るか」
「…傷を付けたのは、君の…身元引受人の彼かね?」
「何を馬鹿な…その人はお前が殺しかけたんだろう!」
「止せ、馬鹿もん!」
また若い刑事がかっとなって口を開く。しかし―――
ガタン!!
静止の声が響く前に、獣のような動きで亜輝は男に飛び掛かっていた。
「ぐわっ!?」
「留架はどこっ!? どこにいるんだよ!! 出せっ!!」
「止めなさい! …彼は今、病院だ」
暴れる身体を羽交い締めにして、壮年の刑事が落ち着かせるように静かに呟く。しかし彼女にとっては何の鎮静剤にもならない。
ますます暴れ出し、所構わず腕を振るった。
「嘘だっ!! 約束したもんっ、ずっといっしょにっ、そばにいるって約束したもんっ!!」
「本当だ! 兎に角落ち着きなさい!!」
「留架! 留架! 留架ぁっ!! どこ!? どこにいるんだよぉっ!! 留架あー!!」
ぼろぼろと涙を零して亜輝が叫ぶ。押し倒された若い刑事は漸く起き上がり、悪態を吐いた。
「ふんっ、どうせもうくたばってるんじゃないのか?」
「止めんか、馬鹿もん!!!」
「うっ……わああああああああああっっ!!」
耐え切れなくなった。身体の力が抜けて、床に突っ伏す。冷たい床が、あの時の絶望を思い起こさせた。

とろとろと流れ出る液体が、自分の腕を染めていって。
志堂の声も届かなかった。ただ、彼の名前を呼び続けることしか出来なくて、
身体が段々重くなって、冷たくなっていって、
動かなくなって―――――



二人の男が出ていって、部屋に鍵をかけた後も、亜輝はそのまま動けなかった。
自分の体を守るように縮こませて、ただ、泣いていた。
「っふ…ひっく……ひぃっく…るか……やだよお…おいてかないで…あたしも、あたしも、どこにでもいっしょにいくから…おいてかないで……そばにいて――――…」


届かない。
届かない。

アナタに声が、届かない。