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ヨハネの黙示録・第六章



彼らは大声で叫んで言った、
「聖なる、まことなる主よ。
いつまであなたは、さばくことをなさらず、
また地に住む者に対して、
わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。







「どうしました!? 何をされたのですか!?」


硬直している亜輝に質問を投げかけながら、細い肩に手を伸ばす。



ばしんっ!!



間髪入れず、払われた。

「亜輝!?」
払った手を抱き込みながら、また亜輝はがくがくと震え出す。
「や…だ。こ わ い、こ わ い よ……」
もう彼女の瞳には留架さえ認識されないのか、手の爪を五指同時に噛みながら亜輝は泣き出してしまった。
「亜輝…っ」
余裕が無かった。先程払われた時、

拒絶、されたと思ってしまった。

だから、両腕で抱きしめた。
「ひっ…あ、やああっ!!」
「亜輝! 亜輝、落ち着いて!!」
上ずった悲鳴をあげてそこから逃げ出そうとする亜輝を、いつにない大声で押さえた。
「亜輝? 私の声が聞こえますか? 聞こえますね? 聞いて下さい、亜輝っ!!」
未だ周りは乱闘が続いていたが、そんな事はどうでも良かった。留架にとって、今大切なのは目の前の少女の目が光を取り戻してくれることだけだ。
自分の視線を正面に合わせて、必死に叫ぶ。
「亜輝!
いいですか、『もう大丈夫』です。
もう離れません、私がずっと貴方の側にいます、もう大丈夫です!」
それだけ言って、がっと少女の身体を引き寄せた。かたかたと震える背中をゆっくりと撫でながら、詰めていた息を少しずつ吐いた。
「すみません…亜輝……」
震え続ける自分の腕の中の身体が、とてつもなく愛しくて。彼女をこんな目に合わせた原因の自分が、許せなくて。
「こんなことになるのなら…離れなければ良かった。貴方の言う通り、何があろうと、もう二度と、離れなければ良かった…!!」
あの時、鎖の鍵を、外してしまわなければ良かった。
例え全てに背を向けてしまうことになっても、貴方を失ってしまうことの方が何よりも辛いのに―――――
「…る……か……?」
耳元で、名前を呼ばれた。ばっと身体を離し、目を合わせる。
その瞳には果たして―――、光が戻りはじめていた。
「る、か? るかだ…ホンモノ、だぁ…」
ほんの少しだけ口の端が持ち上がって、震える指が留架の頬を撫でる。
もう耐えられなかった。もどかしげにその手を取って、何度も口付けた。
「えぇ、私です。ここにいます、貴方の…側にいます……!!」
「るか…あたしのてくび、ちゃんと…ある…?」
問いの意味が分からなくて彼女の顔を見ると、透明な滴が、いくつもいくつも彼女の瞳から滑り落ちていた。
「なかったの…いつの、まにか。きっと、それで、てじょう、とれちゃったん、だね…」
今留架が握っているのは右手だ。その感触すら亜輝に届いていないのだろうか?
「いな、いの。るかが、はなれちゃって、どこにも、いなくて…さ、さがした、さがした、のに、また、いなくなっちゃったよぉっ……」
「亜輝!!」
どうすればいい? どうすれば私の声は彼女に届く?
「すみません…亜輝、すみません……すみません…」
ただ、詫びることしか出来ない。
あれだけ、彼女を一人にしてはいけなかったのに、同じ過ちを犯してしまった―――もう許されるわけがない。
「る、か。ここに、いる?」
「はい」
「もぉ、はな…れない?」
「はい。もう二度と、離れません」
「ぜったい、ぜったいだよっ、やくそくっ……!!」
留架の首に回された細い腕は、まだ震えていたけれども、それでも強い力で引き寄せた。それに答えるように、留架も亜輝の背中に手を回す。
隙間が出来ないほど、きつくきつく抱きしめあった。













「おい、そろそろヤバイぞ」
「キョウ? なんでここにいるの?」
「留架に知らせたの俺。ちなみに警察も」
「亜輝、立てますか?」
「ん、だいじょぶ」
「裏から出るぞ」
こんな会話で、意識が戻ってきた。
逃げようとした時、乱闘に巻き込まれて気を失ってしまったらしい。軽くうめいて頭を振り、起き上がると、外に出ようとする数人の人影が見える。
一人は、赤い髪の男。どこかで見たことがあるが…。
一人は、亜輝。逃げる気か。逃がさない。
もう一人は、彼女の身体を支えていた。どういうことだ。黒い髪に黒い服。こいつか、こいつが元凶か。
お前さえ、お前さえいなければ小鳥は俺の物だったのに。
何か。何か出来ないか、何か。逃がすものか、亜輝も、その男も。
ちゃりん、と音がした。足元に何か落ちてきた。
暗い部屋の中で鋭利に光る、それをにやりと笑って手に取った。
逃がすものか。逃がすものか。逃がすものか。逃がすものか。














「よし、大丈夫そうだ、いくぞ」
「留架、はやく…」
どさ、と留架の体重が亜輝の背中にかかった。
「る」
名前を呼ぼうとしたら、ずるずると彼はそこにしゃがみ込んでしまって。
階段によりかかるようにして、動かなくなって。
打ちっぱなしのコンクリートの床に、赤黒い液体がどんどん広がっていった。
「…る、か?」
返事は返って来なかった。





















そも、どうしてこんな風になったのだろうか。
由輝が教会を訪れて、すぐに志堂は帰っていった。唐突に来て唐突に帰るのはいつものことだったので、留架も何も気にしなかった。
そして暫くして、そろそろほとぼりも冷めただろうかと、愛しい少女を探した。
しかし、教会中を探したはずなのに、彼女も彼女の姉も見つからなかった。
――――――外に、出たのか?
身体がすぅ、と冷えたような気がした。
ここは確かに、鍵の開いた鳥篭だった。それでも、彼女が飛び立っていくはずがないと留架は確信を持っていたのに。
――――――由輝さんが連れ出したのか。
それならそれで構わない、と留架は思っていた。亜輝がまた酷い罵倒をして迷惑をかけなければ良いがとは考えていたが。
どこか不安定な心配を打ち砕いたのは夕刻の電話だった。
「―――亜輝ですか?」
『違ぇよ馬鹿』
コール一回で取ったのに、聞こえてきた声は求めていたものと違っていた。
「…志堂、ですか」
僅かに失望の混じった声音を普段ならからかう志堂のはずだが、今回は違った。
『アキの奴が拉致られた。場所は西××−×××。『MAGY』って名前の小さいクラブの地下だ』
何故、とも何が、とも聞かなかった。脳味噌が真っ白になって、向こうが切ると同時に受話器を叩き付け、飛び出した。
数十分後、店の前で煙草を吹かしていた赤い髪の悪友を見つけ、駆け寄る。
「よ。早かったな」
「亜輝はどこですか!?」
礼拝用の神父服に奇異の目線を浴びせられることにも構わず、留架が声を張り上げた。完全に余裕がない。
志堂の方も、いつになく緊張した顔だ。
「ここの地下だ。今警察にも電話した。突入したら、どさくさに紛れてあいつ引っ張り出してずらかるぞ」
「しかし、彼女が…」
「我慢しろ」
ぴしんっ、と頬を指で軽く弾かれて、はっと我に返る。
志堂や亜輝が昔、この辺でたむろしていたのは知っている。特にこの辺りは、非合法のドラッグ屋が横行しているらしい、この街では一番の危険地帯とまで言われている場所。
亜輝自身も、やったことがあるという注射器の後を、何でもないかのように留架に見せたことがある。太股の内側と言う凄くきわどい所に付けられた痕。
白い肌に浮いた紅い傷痕は、酷く似合わないと思った。
それはまるで見えぬ所に付けられた、自分以外の人間の所有印の様な気がして。
気がついたら、そこに口付けていた。何度も、何度も。
そして彼女は言ってくれた、もう二度とやらないと。
だから。
「マサキっていったっけか」
「?」
飛んだ思考を元に戻そうと軽く頭を振った留架に、話し掛ける風でもなく志堂が呟いた。
「人気はまあまあだがすぐかっとなる馬鹿だな。随分アキの奴にご執心だったから…前々から考えてたのか、それとも」
誰かに、そそのかされたか。
「それとも?」
留架に問われたが、それ以上は口を開かなかった。
「…アイツ、薬の売人とよくコネがあってな。どっかから手に入れてきた非合法のヤツをよく女に配ってた」
「…………!!」
眼鏡の奥で留架の目が見開かれる。店の扉にかけようとした手を、また志堂に止められた。
「止めろって」
「しかし…」
「人数が多すぎる。混乱に混じってこっそり行くしかないだろーが」
その言葉に、留架は両手を握り締めて小さく肯いた。爪が手のひらに刺さって、紅い水が滴り落ちていたが、志堂は気付かない振りをした。



やがて、留架にしては異常に長い時間、ようやっと警察が到着し、店の中は大混乱に陥った。そこをすり抜けて、地下に潜り―――漸く、彼女を、見つけた。



それから先は―――ただ、夢中で。
彼女を正気に戻そうと必死になって。
こんな目に合わせた人間が、そして何より自分が、許せなくて。
混乱する感情をどうにか抑えたまま、志堂に促されて、まず亜輝を階段に昇らせた時。



どん、と何かが背中にぶつかって。
何かが身体に刺さって、すぐに抜けていった。その感触は、覚えている。
自分の体から何かが流れ落ち出した、と思った瞬間、かくんと膝の力が抜けて、階段に覆い被さるようにへたり込んだ。
身体が、重い。
流れ出しているはずなのに、何故軽くならないのだろうか。
そんなことを、ぼんやりと考えた。
気だるい腕を伸ばし、ぬるぬるとした部分に触れる。自分の体の中から出ている液体は間違いなく紅く。
「るかっ!? るかあ!!」
自分を呼んでいる声が、聞こえる。
亜輝だ。
早く、早く返事を返さなくては。
そう思うのに、唇は震えて音を吐き出してくれない。
ずぶずぶと、温い泥に自分の体が沈んでいくような気がした。