時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

エレン

赤い砂に覆われた大地を、一台のバイクが疾走している。
かなり大型の暴れ馬のようなそれを、乗っている男は軽々と操り、尋常でないスピードでひたすら進んでいく。
辺りはまっさらな砂漠が一面に広がり、目印など何もない。それなのに彼は、迷いの片鱗も見せず速度を上げ――――
キキキキキィイッ!!
砂煙を蹴立てて、急に止まった。ヘルメットもつけず疾走を続けていた彼は、鈍い太陽の光に当てられて輝くオレンジ色の髪を、黒い手袋で包まれた手で一度乱暴にかきあげて、バイクから降り立った。サイドカーに積まれていた無骨な重火器を片手で背負い、何の躊躇いも無く砂地を歩き出す。
彼の向かう方向には―――、何時の間にか、巨大なドームがその天蓋を見せていた。





ドームの入り口は、東西南北に配置された巨大なゲート。しかし恐らく此処数十年、もしかしたら数百年、開いたことなど無いのだろう。隙間には赤砂が詰まり、錆び固まってしまっていた。
しかし真は躊躇わず、ゲートの脇に取り付けられている緊急用コネクトパネルの蓋に指をかけ、べりっ。と片手で引き剥がした。
砂の上に蓋を投げ捨て、中から現れたキーボードを手早く操作する。
≪手動入力確認。コードヲ入力シテ下サイ≫
無機質な音声に従い、備え付けのマイクに顔を近づけて言葉を紡いだ。
「選定コード、ナンバー00080162-6。
パスワード…
『独坐幽篁裏  ひとりざす、ゆうこうのうち
 弾琴復長嘯  だんきん、またちょうしょう
 深林不知人  しんりん、ひとしらず
 明月来相照  めいげつ、きたりてあいてらす』」
古い世界の詩をさらりと唱えてから、覚えている自分に驚いた。設定する時に思いつかず、手元にあった本から一編選んで入力してしまったのだ。それでも何となく気に入ってしまい、諳んじれるようになってしまった。
≪パスワードヲ確認シマシタ。ゲートロック解除シマス≫
…ごう…ん……と重い音と共に、赤い砂を撒き散らしてゆっくりと扉が開いていく。
何も気負わずゆっくりとした足取りで、真は中へと進んだ。





「侵入者…うそ?」
思わず彼女は呟いた。有り得ない事だった。
この閉じられた箱庭の蓋を開けることが出来るのは、もうこの世界に自分ともう一人>しかいない筈だった。
そのもう一人は昔から変わらず自分の塒から一歩も外へ出ようとしないし、現在位置も解っている。
では、今あの街に入り込んでいるのは―――
「これって…シン?」
アクセス記録を呼出して、彼女はその正体を知った。信じられない、と彼女は意識を震わせる。
その震えは間違いなく、喜悦と呼ばれるものだった。





何枚ものゲートをノーチェックで通り抜ける。壊れた世界と街とを隔てる隔壁は彼を留めることは出来ない。彼は嘗てそれに値する権限を持つことが出来た者だったからだ。
やがて、真は内部に辿り着いた。久しぶりに太陽並みの輝きを天から受けて、レンズの下の目を眇める。
そこに在ったのは―――一瞬、嘗ての世界を思い起こさせるような整然とした町並みと、沢山の人々。
嘗て研究所然として無機質な設備だけが立ち並んでいたはずの其処は、確かに無彩色であったけれど悪趣味ではない洒落たデザインのビルが立ち並び、僅かではあるが人工的に植樹されたのであろう街路樹まである。舗装された道路にタイヤを持たない車が走り、街角で静かな音楽が流れている。街頭ビジョンは人々の行き来の邪魔にならない程度の声量で、淡々とニュースを紡いでいた。
「悪趣味だ」
それを見回し耐えられなくなったのか、真は口元を手で覆い、どうしようもない不快さをどうにか堪えた。吐き捨てるように、そう呟く事で。
この世界を彷徨う内に、真は色々な場所を見て回った。ここ以外にも幾つか存在している街―――即ち、嘗て彼真達が鎮座していた研究所の跡地であるのだが―――それはどこも設備が半壊しており、そこに住む住人は皆多かれ少なかれ滅びの世界と交わって暮らしていた。赤い砂漠や鈍色の海に暮らす怪物を捕らえて糧としたり、環境に耐え切れず朽ちかけた身体を別のもので補ったり。それが当然であるというように、嘆きもせずに皆生きていた。
だからこそ、確かに自分にとっては見慣れた、或いは憧れた光景であるはずのこの街が、酷く歪なものに思えて、真はやはり眉間に皺を寄せながら悪趣味だ、と呟いた。
道の真中で立ち尽くしたままでいる彼を、街の住民達は皆遠巻きにしている。誰も近づく事は無く、どこか怯えているようにさえ見えた。それは無理もないことで、彼らはこの都市の外から来た人間など今まで見たことも無かった。彼らが生きていく上で受けた教育は、この街こそが唯一の世界であり、街の外には死しか無いということのみであった。更に彼らは、得体の知れないものに対する防衛手段など思いつくこともなかった。そういうことは、全て彼らを守る兵士がやってくれることだったからだ。
やがて、大きな白いワゴンがスピードを上げて真の側までやってきた。ブレーキをかけて止まった瞬間、そこからばらばらと兵士達が降りる。
彼らは一様に、黒髪と黒いボディスーツに身を包んでおり、その外見の差は殆ど無かった。もっと住民に近しい役目を負った者達なら、個人の要望によってその姿を変えられることもあるが、基本的には量産の兵隊蟻に変わりは無い。
逡巡無く侵入者を包囲し、淀みなく銃を構えていくその姿に対し―――真は驚愕で立ち竦んだ。もうあまり動かすことが無くなった顔の筋肉は、それを表現することは無かったけれど。
勿論、銃口を向けられる怯えではない。どんな威力を持つ重火器であろうとかわせる自信もあったし、例え当っても死ぬことはないという余裕もあった。
「お前等―――まだ、」
それでも彼が、眼鏡の下の目を見開いたまま、ぎっと唇を血が滲むほど噛み締めた理由は只一つ。
彼等の姿が、嘗て自分の仲間達の命を奪ったモノに酷似していたからだ。再生者の名を冠し、増殖を繰り返す警備システム。
そして並みの人間より数倍早い真の頭の回転は、次々とそれに付随した真実に行き着く。
即ち、この箱庭を作成した者は―――――――
『緊急停止セヨ! 排除命令削除!』
「――?」
緊張感が高まり、真がゆっくりと拳を握ろうとした瞬間、丸いボールのような形をした偵察ロボットが空から舞い降りてきた。その物体が発した命令に、兵士達は素早く矛を収める。
『選定コード:ナンバー00080162-6。V・I・Pモード移行。メッセージノ再生ヲ行イマス』
チキチチキ、と稼動音を立てて、偵察ロボットは丸い目玉のようなレンズを動かしている。恐らくカメラになっているのだろう、その目線ははっきり真を向いている。
『…驚いたわ。本当にシンなのね!』
「――――。やっぱり、お前か」
無機質な機械音声が、無邪気としか言えない少女の声に変わった。一瞬だけ眼鏡の下で動揺し、その瞳を閉じて真も答えた。
『凄い! 生きてたのね! 嬉しいわ、まだゲームが続いてるなんて!』
「それはこっちの台詞だ。何でお前がまだ生きている? ゲームってのは何だ? ――お前、ここにいるのか?」
『ちゃんと顔を合わせてお話したいわ! 最下層のメインルームまで来て、道は変わってないわ。待ってるから!』
真の言葉に答えることは無く、自分の言いたいことだけ言って通信が切れてしまった。彼女の意思に呼応するかのように、沢山の兵士が銃を構えなおし、道なりに整列する。この街の中心、天を穿つ塔に向かって。
真は一つ息を吐き、既に先導して飛んでいる偵察ロボットの後について歩き出した。
困惑と嫌悪がない混ぜになった、複雑な表情のまま。






嘗て全世界に向けられた発信塔は、もう機能していないようだった。案内のロボットはそこまで来るとすぐに去ってしまい、真は一人で一階から中に入り、エレベーターで真っ直ぐ地下へ向かう。高速で動くそれは、あっという間に地下数百メートルに存在する部屋に真を連れてきた。
そこは、電子の光に溢れた暗い部屋だった。壁だけでなく天井や床にも、チカチカと情報伝達のパルスが走っている。まるでプラネタリウムのようなそこに真は躊躇い無く踏み入り、部屋の中心に立った。
「―――どこだ。アージェ?」
確信を持って彼女の名前を呼ぶ。くすくす、と答えるように笑い声が聞こえて―――
ヴン、という小さな起動音と共に、真の前に少女が現れた。
まさしく少女、と言ってもいい姿だった。黒髪を綺麗に切りそろえ、笑顔を絶やさず、細い手足を伸ばしてくるりとその場で回って見せた。やや大きめだがそれが却って似合っている白衣が、まるで天使の羽のように広がる。紛れも無く、彼女は―――嘗て出会ったときと、寸分違わぬ姿をしていた。
『こんにちは、シン。嬉しいわ、また会えるなんて』
「…ふざけるな。本当のお前はどこにいる? ニセモノでお茶を濁すな」
胸の前で両手を組み、本当に嬉しそうに笑う少女に、真は無表情のまま近づいて無造作に腕を振るった。一振りで岩壁も壊せるその一撃にヴゥン、と彼女の像が一瞬揺らぎ、すぐ元に戻る。立体映像―――CGによって作られたモノだ。
『ニセモノじゃないわ。私は私、アージェンタ・エイルソーン。貴方の側にあるのも、私の家にあるのも、間違いなく私なのよ』
自分に必殺の一撃が見舞われたことに全く反応せず、アージェはにこにこと笑いながら言葉を紡ぐ。
「―――? まさか」
『ええ、そうよ。だって人間の肉体じゃ、あの大破壊を耐えることは不可能だったから。私のデータは全部、私の研究所に入力して毎日更新していたから、何の不都合も無かったもの』
語られた事実に、真は大きく目を見開いた。自分があの大破壊を無理矢理生き抜いたからこそ、この少女も何らかの方法で同じ道を辿ったのかと漠然と思っていたからだ。
しかし、彼女はそれよりももっと簡単な方法で、この世界に存在していた。
「…馬鹿な。人間のデータを寸分違わずコンピューターに入力するなんて出来る筈が無い。今のお前はデータに過ぎない。決してアージェ本人じゃあない!」
驚愕と憤りが、真の口を動かした。それは彼自身の科学者としての結論でもあった。曖昧模糊として整頓できない、人間の感情という乱数を、二進法のデータで表現できるはずが無い、と。しかしそれに対し、アージェは指を頬に当てて小首を傾げ、不思議そうに笑って見せた。本物の―――人間のように。
『うん、それ沢山の人に言われたわ。でもね、私本当に自分の全部をデータに出来るのよ。だって私、コンピューターと同じだもの』
「何を言って―――」
『子供の頃からずうっとそうだったわ。私のことは私が一番良く知ってる。肉体も精神も、データ上なら分解出来るし再合成出来る。何度も何度もデータを更新して、私は私を作ったの。コンピューターの中に』
ふわり、とアージェの姿が浮かび、すとんと空中に腰掛けた。不自然な筈のその光景が酷く自然で当たり前に見えてしまい、真は緩く首を振った。
「そんな事は不可能だ」
『可能だわ』
「物質としての肉体(よりどころ)が無いのに、お前は自分をアージェだと言えるのか?」
『脳に走る情報伝達も、コンピューターの中に走るパルスも同じモノじゃない。情報として肉体を認識していれば何の不都合も無いわ』
確かに人間の脳は、外からの情報を元に全てを認識する。つまりその情報を改竄してしまえば全く別の世界に人間は行く事が出来る。つまり、常に自分に肉体があり、物に触れることが出来なくても触れていると認識させることが出来れば―――違和感は無くなる。
「食事も睡眠もいらない、呼吸すら必要のないその形が生きていると言えるのか!?」
『それもデータとして組み込めるわ。お腹を空かせる事も、お腹いっぱいチョコレートを食べる事も出来るわ。ほら、何の不都合も無いじゃない』
本当に何の問題はない、と断言するアージェの言葉に、真の意識がぐらつく。本当にそんな事が可能なのか、狂ってしまうことはないのか。肉体を持つ自分すら、あまりにも長い時を生き過ぎてたまに自分が生きているかどうか解らなくなるというのに。
それは間違っていると反論したくて、真は必死に言葉を繋いだ。
「不可能だ! 人間の感情は二元論で割り切れない、そんなものまでコンピューターで再現できる筈が無い!!」
『割り切れるわよ?』
「――――な、」
不思議そうに。本当に不思議そうに、あっさりとアージェはのたまった。
『だって、感情は快と不快の二つしか無いじゃない』
何の躊躇いも無く、彼女は言った。
『それ以外に何があるの?』
心底不思議そうに言われて―――真は、何も言えなくなった。
不意に、吐き気が込み上げて喉が疼いたからだ。ぐ、と掌で口を抑えてどうにか堪える。
何てことだ―――、と心の中で自嘲する。
嘗て自分と机を並べていた同門の、自分よりずっと小さかった少女が―――こんなにも、別の生物だったなんて、知らなかった。
彼女がこうやって、死の世界で生き続けていることも。
彼女がこんな悪趣味な、箱庭を作り上げたことも。
彼女が何故、あの恐ろしい計画に一枚噛んだのかも。
真にはそれで全て解った。解ってしまった。解ったから―――吐き気がした。
「アージェ」
『なぁに?』
「お前は、生きることが…存在することが、楽しいんだな」
『ええ、そうよ。だって沢山遊べるじゃない』
「遊ぶ為に、この街を作ったんだな」
『ええ、そうよ。自分の思ったとおりのモノを作るのは、楽しいわ』
「だから―――ギオの計画にも手を貸したんだな」
『ええ、そうよ。だって―――』
そこで、アージェはにっこり笑った。ニセモノの姿で、しかし紛れも無い彼女自身が、心底楽しそうに。
『とっても面白そうだったんだもの』

「ふ ざ け る な ! ! !」

絶叫して、真は―――躊躇いなく背中の重火器を掲げ、引き金を引いた。
ドゴォオ――――――ンン!!
熱量と爆風が飛び散り、すぐに収まった。辺りの計器類には傷一つついていない。
『その機械じゃ無理よ。このコーティング、凄く一生懸命作ったんだから』
CGの姿はそのままに、アージェはやはり笑っていた。
ぎ、と唇を噛み締め、真は次に躊躇い無く拳を振るう。重火器以上の威力を出せる自信はあった。
『駄目よ』
ビュルンッ!!
「!!!」
しかしそれが床を穿つより前に、真の身体は辺りから一斉に伸びたレーザーロープで拘束されていた。それは引こうとすれば縮み、切ろうとすれば伸び、決して相手を逃さないように縛り上げる。
『この街に入った時から、真の筋力を計算して作っておいたの。それにしても凄いわ…貴方の体、完全に人間の限界に達してる。年月や汚染による衰弱も無い…これが貴方の研究の成果なのね』
始めて見る素体を分析する事がとても楽しいと、全身で―――あくまで今見える映像の姿ではあったけれど―――語るアージェを、真はぎっと睨みつける。
「こんなのは只の呪いだ。何の役にも立たない」
『そんな事無いわ。ギオがあれだけ一生懸命やって、未だに完全なものを作れないでいるのに、貴方はあの時もう既に完成させてたんだもの』
「―――!?」
アージェの言葉は、本心からの賛辞だった。しかしそれに答える余裕は無かった。彼女の台詞の中に、聞き捨てならない名前が出てきたからだ。
「ギオ……あいつが、」
ぐ、と喉がまたせり上がった。今度は吐き気ではない―――純粋な、怒りだった。
「まだ―――生きているのか!!」
『当然じゃない。だってこの世界は、』
真の絶叫に、やはりアージェは何でもないことのように答えた。
『ギオのものなんだもの』


「ああああああああああああああああああああああ!!!」


夢中だった。
『え…っ!』
全力で振るった両腕は、レーザーロープが伸びる前にそれを限界まで伸ばし――ぶつんと千切れさせた。
そのままの勢いで、真は手近なコネクトパネルに向かってその拳を振り下ろす。
ゴシャァン!!
拳は見事、炭素ガラスでコーティングされていた機器を貫いた。バチバチと放電する腕を抜き取り、返す刀で再び拳を―――
『転送開始!』
「!?」
――――シュパァッ!!
一瞬の間だった。
真の体が、あっという間に粒子化し―――その場から掻き消えた。
『転送装置は…大丈夫ね、軽く余波が出たかもしれないけど。びっくりした…凄い、凄いわシン! 貴方みたいな人がいるなんて、私とっても嬉しいわ』
無事なシステムを確認してから、アージェは心底嬉しくてはしゃいだ。彼女にとって、自分の計算外の行動をする事が出来る人間は、彼女にとって歯応えのある遊び相手と認識される。すぐクリアできるゲームは、詰まらないからだ。
『転送したのはこの街の中には間違いないわね。ゲートは全部ロックしたから逃がさないわよ。機器を全部修理したら、鬼ごっこを始めましょう。さぁ、いつまで逃げ切れるかしら?』
もう既に映像は掻き消えていたが、そう紡がれる少女の声と、くすくすという笑い声だけが、暗い部屋の中にずっと響いていた。





「はっ、はっ、はっ、はっ…!」
カンカンカンカン、と大きな音を立てて真は下水道を走る。流石に息が切れてきて、手近な角まで走りこんで足を止める。両膝に両手を置き、深く息を吐き出した。
「は…ふぅ―――――――っ」
そうすると自然に荒い息が収まる。ここまで体力を使ったのは本当に久しぶりだった。
何せ、アージェと邂逅してから時間に直して68時間、ずっとあの悪趣味な兵隊から走って逃げ回っていたのだから。
既に人間の規格限界に達している真の体は、この程度ではびくともしない。あの兵士達の装備で真を殺せる筈もない。アージェは―――遊んでいるのだ、間違いなく。
物量作戦で疲れさせようとか、精神的に追い詰められるのを待つとか、そんなことも考えていないのだろう。
ただ、逃げる相手を追う。攻めてくる相手を留める。その行為そのものを、楽しんでいる。子供が無邪気に虫を虐めたり、猫が鼠を捕まえずに弄ぶ様にそれは酷く似ている。
走りながら、勿論真はただ逃げ回っていたわけではない。考えていた―――どうすればアージェを止められるか。
彼女は「私の家にあるのも」と言った。あれは即ち、自分のデータのバックアップを、自分の研究所に保管してあるということだろう。
元々このエレンは、真の唯一といっていい尊敬する先輩である、阪木氏の所有する研究所だった。規模は7つの所の中で一番巨大で、アージェの考案した警備システム「ラグランジュ」が導入された場所だった。
アージェの所有していた研究所は、そのすぐ前、一番最初に建てられた研究所・メトロノーム。恐らくそこが彼女の本拠地なのだろう。
其処を潰さない限り、「アージェ」はこの世界から存在を消さない。その為にはまずこの都市から出なければならないが、出入り口は完全に封鎖されていた。その気になれば拳で壁をぶち破る事も可能かも知れないが、出来る事ならやりたくなかった。こっちのダメージも計り知れないだろうし、何より―――迂闊に障壁を取り払えば、無菌状態で生きてきたここの住民は只ではすまないだろう。出来る限り犠牲にはしたくなかった。
甘いと、偽善だと詰られようと、もう―――嫌だった。
逃げ回っているうちに、この都市の情報も大分仕入れた。閉鎖された世界で住民を飽和させない為、婚姻及び生殖を全てラグランジュが決定していること。それに逆らって生まれた命は、ドロップ=こぼれ落ちたもの、の意味を持つ名をつけられて、容赦なく排除されること。それから逃れ、殆どのドロップ達は今真がいる地下の下水道――嘗て工場等が稼動していた地下部分に隠れ住んでいる事。
彼らも、出来る事なら助けたかった。その為にはやはり、ラグランジュのみをどうにか破壊しなければならない。
真はコートの内ポケットから、小さなデータディスクを取り出した。
これには、何かの役に立つかと思い、あるプログラムが入っている。
嘗てそれを自分に託してくれた面影が脳裏に閃いて、真は軽く首を振ってそれを払拭した。
そんな感傷にかかずらっている暇はない。どうにかしてこれを発動しなければならないが―――きっとこの行動も彼女は読んでいるだろう。一度引っかかった手に、二度も引っかかるとはとても思えない。自分のプログラミング能力は彼女に比べたら天と地程の差があるのだ。例え上手く作動できたとしてもどれだけ効くか解らない。
ババババババッ…
「――――――!!」
遠くで、銃声。同時に、悲鳴のようなものが聞こえた。
ディスクを仕舞い、暗闇で唯一使える耳を澄ます。ここに住んでいたドロップが襲われたのだろう。自分が撒いた兵士にぶち当たってしまったのかもしれない。一つ舌打ちをしてから、どうにか場所を特定しようと――――


( タ    ス         ケテ ― ―――!  !   )


「!?」
がつん、と突然頭を殴られたようなショックが走った。物凄い大声で、直接脳味噌の真中から叫ばれた、と言えばいいのか。
ぐらっと傾ぐ頭を堪えて、真はその声がなんであるか漠然と理解し、返事を求めて声を上げた。
「精神感応か!? 誰だ、何処にいる!? 答えてくれ!!」


(タスケテ…オネエチャントオニイチャンヲ、タスケテ!!)


再び頭の中に響いた声と同時に、ビジョンが浮かんだ。道なりに意識が引き摺られ、ここからそう離れていない下水道の中で、二人の男女が兵士達に追い詰められているのが見えた。
「!!」
そこまで確認して、真は駆け出した。
ビジョンが見せてくれた通りに闇を駆け抜けると、下水に足が嵌って動けないでいる少年と、その少年を庇うようにしゃがみこんで助けようとしている少女がいる。
その更に向うに7,8体の兵士が銃を構え、今にも引き金を引こうと――――!!
「―――――――伏せろっ!!」
考えるより先に、背負っていた重火器を構え、肩で支えると片膝を下ろす。唐突な命令に、それでも咄嗟に従い少年と一緒に身を蹲らせた少女に感謝しながら、引き金を引いた。


ドゴオオオオオ―――ンン!!


子供の頭程もある銃口から射出された弾丸は、見事兵士の群に着弾した。
炎と破片を撒き散らし、兵士達は殲滅される。
ふぅ、と小さく息を吐き、がづん!と音を立てて床に武器を落とした。
煙に巻かれて咳き込む少年達を追い越し、暫く燃え続ける炎を睨む。…どうやら後続がいたり、まだ動けるものがいたりはしないようだ。肩の力を僅かに抜いて、改めて助けた相手の側に歩み寄る。
青い髪をした少女と、黒い髪の少年。どちらも恐らく20歳にはなっていないだろう。衣服は古着らしく煤けていて、一目でドロップだと見て取れた。二人とも呆然としているようで、真を見つめたまま動きがない。やむなくしゃがんでから問い掛けた。
「―――怪我は?」
「あっ…はい、平気」
漸く我に返ったらしい少女の方が、首を振って答える。紡がれた声は、先程自分に助けを求めた声とは違った。心の中だけで首を傾げつつ、そうかと頷いて立ち上がる。
少年の方は下半身を下水につけたまま未だ固まっていたので、手を差し伸べる。少年がそれを掴んだのを確認してから、ひょいっと道の方に持ち上げた。まだ燃え燻っている兵士の残骸からの炎で、辺りはやや明るく人の顔もはっきり見えた。今まで俯いていた少年が、ふと真と目線を合わせて―――
「………お前は…」
真は動揺した。傍から見れば精々瞬き程度しか認識出来なかっただろうけれど。
その面影が、一瞬、ほんの一瞬だけ、自分の記憶の中の顔と重なってしまった。
科学者として尊敬する先輩であり、命と引き換えに自分を助けてくれたあの人と。
しかしそれは本当に一瞬だった。いつも柔らかい笑みを浮かべて自分を牽引してくれたあの人と、どこか怯えたようなこの少年とは似ても似つかない。僅かに面影が似ているだけでここまで動揺してしまった自分を嘲笑いたくなる。
きっと彼からの贈り物のことを考えていたせいで、埒もないことを連動して思い出してしまったのだろう―――とここまで考えて、はたと思いついた。顎に指を当てて逡巡する。
――――只彼らを更に危険な目に合わせてしまうだけかもしれないが。こうすれば、あの女の裏をかくことが出来るかもしれない。
と、かなり下の位置から注がれている視線にふと気がついた。
青い髪の少女より更に小さな子供が、彼女の腰にしがみついたままじっとこっちを見ている。
(   アリ ガ   ト  ウ   )
小さい声で、直接頭に囁かれた。成る程あの声の正体はこの子供か、と思い至って、真は小さく頷き、乱暴にだがその頭を撫でた。
世界が収束してから生まれた命は、着実に種としての人間を進化させていっている。最初はこの過酷な環境に順応する為の、代謝能力の発達。多少の怪我ならすぐさま傷口が塞がり、汚染の進んだ世界でも気にせず行動できるようになった。
同時に、筋力の増加及び、前の世界では絵空事とされてきた人間の超能力といったものが強く発現するようになった。彼女の力―――精神感応力も、それと同じものだろう。
―――――――自分と同じ道を歩もうとしている小さなこの子供が、酷く哀れに思えた。勿論それは冒涜なので、口に出す事は無かったが。
その進化は着実に進んでいるのだ。やがて―――急激に進化をした弊害なのか、肉体自身の成長が酷く遅れ始める。いつかは彼女も時に取り残されるかもしれない―――自分と、同じように。そう思うと遣り切れなかった。また自分の罪を眼前に突きつけられて、瞑目するしかなかった。
「あの、助けてくれてありがとう。貴方は―――」
「悪いが、質問には答えられない。これ以上俺が動くと、アイツに感づかれる」
声が聞こえていないらしいもう一人の少女が戸惑いながら礼をする。しかし続こうとする言葉を真は遮った。これ以上自分に関わると彼女達が危険だ。すぐにここを去らなければ、彼らも波状攻撃の巻き添えを食ってしまう。恐らく塔があるであろう方向に視線を向けて、そこを睨む。無駄だと解っていてもやらずにはおれなかった。
「アイツって…ラグランジュ?」
少女がおずおずと尋ねるが、無視する。彼女自身の招待を彼らに教えてもどうしようもない。
「あ、あの…もしかして貴方は、俺がどうしてここに居るのか知ってるんじゃ…」
しかし次に少年に話しかけられて、真の黙考は頓挫した。声もどことなく似ていて、軽く動揺してしまうのだ。それを切り捨てるように首を横に振り、早口で告げる。
「悪いが、お前の事は全く知らない。ただ、昔の知り合いに少し似てただけだ」
喋りながら、そこで真は腹を決めた。このまま延々逃げ続けるのも勘弁願いたいし、これも―――何かの縁かもしれないと少しだけ思って。
白いコートのポケットから先程のデータチップを取り出し、指の先で摘んで少年に差し出す。何度もそれと真の顔を見比べて、少年は恐る恐る手を伸ばしてくる。その上に無造作にチップを落とした。
「あの魔女に一矢報いたいなら、使ってみるといい。<反乱軍>…だったか。それを使えば、ラグランジュの機能を一時的にでも、麻痺させることが出来るかもしれない」
「そ…んなこと、出来るんですか?」
「俺はもうこの街を出る。使うか使わないかはお前等の勝手だ」
それだけ言って、踵を返した。我ながら無責任かもしれないが、彼らの瞳に僅かに浮かんでいた、決して希望を捨て切っていない輝きに賭ける事にした。
生き残るために、戦える者たちなのであろうと。その為にきっとあれは、役に立つだろうと。
「出るって…そんなの、…貴方ナニモノ?」
後ろから声をかけられて、半瞬だけ足を止めて。
「――――只の年寄りだ」
どう言えば良いのか解らなくて、それだけ呟いた。
( ア  リガ  ト   ウ 。  サ  ヨナ  ラ――  ― )
頭の中に聞こえた礼と挨拶は、聞こえない振りをした。





あれからまた数日の時が過ぎた。
やむなく地下部分を逃げ回り、時たま助けたドロップ達に無作為にあのプログラムのコピーをばら撒いた。一つでも利けばめっけもののつもりだったが、今までは何の動きも無い。
こちらに割かれる兵力が日に日に多くなっていることに気づき、地上に出ることにした。広い方がまだ立ち回り易いし、これ以上地下に隠れ住むドロップ達の生活を脅かすわけにはいかない。
しかし久々に街まで出た時、街頭ビジョンが信じられないニュースを告げていた。

≪緊急事態。現在セントラルタワーに3名のドロップが進入した模様。警備リバイブは全てセントラルタワーに帰還せよ。繰り返す―――≫

無機質なニュースというより命令に従い、ロボットの兵士達は次々と駆けていく。住民達は怯え、右往左往するばかりで誰も何も言おうとしない。それにより、この街の重要部分が何処にあるかがはっきり解ってしまい、真は眉間に皺を寄せた。
この街のシステムが人間を生かしているのではない。最初にシステムが存在し、人はそれに付属されたに過ぎない。いくらでも代わりの利く部品―――アージェにとっては只の彩りに過ぎないのだろう。
そんな歪なこの街を―――今、自分の力で壊そうとしている奴らがいる。
真は居ても立ってもいられず、中心塔に向かって駆け出した。
全力疾走はものの数分も使わず目的地まで辿り着き、そこに詰め掛けていた兵士達のど真ん中へ飛び込んだ!
「どけぇえええええっ!!!」
着地と同時に、両手を思い切り振り回す。あっという間に数十体のロボットが上半身と下半身を泣き別れにされた。
「さぁお前ら、どっちの命令を優先するんだ?」
挑発的な真の声に応えたかのように、沢山の兵士が一斉に真に向かって銃を向けた。
「そうだ、捕まえられるもんなら―――」
それよりも早く、真は無造作に道端に立っていた街灯の根元を片手で握り締める。めき、という音がした途端、べきりとその場から街灯が折れ、真はそれを片手で振り上げた。
「捕まえてみやがれ!!」
ドガガガガガガッシャアアアン!!
激昂と共に、街灯が横殴りに兵隊達を襲う。更に沢山のロボットの破片が宙を舞った。
そこからは正しく鬼神の如く、真は戦った。襲い来るロボットを殴り、蹴り、潰し、砕く。少なくとも外から集ってくる兵力を、塔の中に入れはしないと。
オイルと循環液で白いコートが汚れ、時たま飛んでくる熱戦で皮膚が焦げるが、臆すことも怯むことも無く戦い続ける。
やがて―――――――その時がやってきた。
一瞬、無音の間があった、と思った瞬間。
バツン!!と大きな音がして――――周りのロボットが一斉に停止した。不自然な体勢を取っていた物達が、ガシャガシャン!と地面に倒れる。
同時に、街の中全てが暗闇に落ちる。あちらこちらでパニックになった人々の悲鳴が聞こえるが、構っている余裕が無かった。
―――間違いない。誰かがアレを使ったのだ。<反乱軍>を!
ならば、その効果があるうちに、中枢部を完全に破壊する。それが出来るのは恐らく自分だけだ。
「うおおおおおおおおおおっ!!!」
雄叫びを上げて、走り出す。ドアというドアを全て蹴り壊し、エレベーターのスロープの中に躊躇い無く飛び込んだ。
自然落下に任せ、ぐんぐんと落ちていく。真の顔に既に躊躇いはない。
この街を壊すことで、やはり沢山の人が死んでしまうかもしれない。だが、こんな誰か一人の思惑の為だけに生き続ける世界が許される筈が無い! 
この世界はもう新しい世界だ。古い世界の自分達が干渉するわけにはいかない。
ダァン!!と音を立てて、最下層に着地する。少々足が痺れたが躊躇わず走り、嘗てアージェと再会したあの部屋に駆け込んだ。
沈黙を保つ暗闇の部屋の中、真は再び拳を握る。
「アージェ、お前の玩具は全部壊させてもらう。それが俺に出来る最後の役割だからだ!」
そう叫び、真は自らの拳を床に突き立てた!
ドゴァッ!!!
ほぼ同時に、パパパパッと辺り一面が明るくなる。拳を食い込ませた一瞬後に、コントロールが戻ったのだ。だが、もう遅い。片っ端から床を穿ち、配線を引き千切る。止めとばかりに開いた穴に、重火器を向けて最後の一発を叩き込んだ!

ドゴオ――――――――――――ンン!!!

『…残 念、 負けちゃっ た わ 。 同じ手  に 引っかか っ  ちゃう なんて、悔し い』
ジジ、ジ、とノイズ混じりの声が聞こえる。CGを組み上げる余裕は流石に半壊のメインコンピューターには無理らしく、出てこなかった。
「…この街はお前の支配から外れる。―――だが、お前にとってはどうでもいい事なんだろうな…」
どこか諦めた口調で、真が呟く。機械の音声はやはり嬉しそうに、笑っていた。
『え ぇ、そうよ。今度は また 新 しいモノ を 作る わ  ね。そ  うすれ ば シン 、また 遊  んでく れ る でしょ う?』
彼女にとっては命すら、代替の利くモノでしか有り得ないから。それを使って遊ぶことが、彼女の至上の思いだから。
「―――御免被る」
乱暴に髪を一度掻き上げて、シンは踵を返した。
『  く  す く す  くす  …』
ノイズでかき消されながらも、アージェはやはり―――笑っていた。





静まり返ってしまった塔を、真はゆっくりと歩く。あちらこちらでコントロールを失った機器が爆発する音が聞こえるので、ここも危険になるかもしれない。それでも足を速めることが出来ない。どうしようも無い無力さが真を苛んでいた。それを必死に振り払い、真は一人覚悟を固める。必ずアージェと、ギオ。嘗ての同僚を二人、この世界から消し去ろうと。
それが自分に出来る唯一の償いだから。
「――――――?」
足を速めようとした矢先、爆発でひしゃげたドアが目に付いた。そこから凄い熱気が噴出していたからだ。覗くと、どうやら使用済みパーツを処理するための溶鉱炉らしい。特に興味を持てず踵を返そうとして―――止まった。
「…あれは―――」
壁に僅かに張り出した足場に引っかかっている、一体のリバイブがいた。完全に機能は停止しているらしく、ぴくりとも動かない。彼らの親元であるラグランジュが停止してしまったのだから当然のことだ。
だが――――真は目を逸らすことが出来なかった。その虚ろな瞳が、何故か自分をまっすぐ見つめているように感じた。ゴゴゴ、と低い音が溶鉱炉全体に響いている。
ここの制御も既に出来ていないらしく、溶岩流のような炎がその足場を飲み込もうとしていた。
だからなのか、それが―――ここで壊れるわけにはいかないと―――語っているような、錯覚がした。
「――――ちっ!」
舌打ちを一つして、真は駆け出した。タンッと床を蹴り、足場まで辿り着くと、片手でそのリバイブを持ち上げて背負う。そのまま何の躊躇いも無く出口へ向かって駆け出した――――。







あれからまた数年が過ぎた。時間の感覚が曖昧になった真にとっては、かなり前のような気がするし昨日のような気もする。
今真は第六研究所跡地に出来た町に隠れ住み、アージェとギオの行方を追っていた。二人の所有する研究所の位置は、どうやら以前の場所から移動しているらしく行方がようとして知れない。それでも必ず見つけ出してやる、と真は心に誓う。
そして、作業台に向き直る。あの時拾ってきたリバイブが寝かされている台に。
ラグランジュがいなければ動かない彼に、新しい思考プログラムを与えるのは至難の技だった。かけられているプロテクトは尋常で無いし、迂闊に書き換えようとすると暴走してデータを全てすっ飛ばそうとする。尚且つこれは元から不良品だったらしく、セオリーのプログラミングがたまに利かないことすらあった。悪戦苦闘の末、漸く組み終わった思考プログラムをセットし、拒絶反応が出ないことに安堵の息を吐いた。
改めてメモリーをチェックする。ずっとブラックボックスになって読めなかった場所もこれなら確認できるはずだ。
僅かに残っていたデータも、殆ど破損してはいたのだが―――
「…これは…名前、か?」
唯一形として残っていたのは、僅か四つのアルファベット。
「V…O…R………Y? …ヴォーイ? これがお前の、名前か?」
ずっとアクセスを拒絶していた場所に、一つだけ残っていたもの。まるでこれを守る為に、機能を停止しても必死になっていたような気がした。勿論、錯覚なのだろうけれど――――
「よし…お前の名前は、ヴォーイだ。誰の名前かは知らないが、お前にとってそれだけ大切なものなら、お前が名乗るべきものだろう」
そんなことを呟いて、真はキーボードに向かった。
「…正直、俺は今でもお前達が憎い。どうしようもないことだと解っているんだけどな」
カタカタと起動プログラムを打ち込みながら、一人呟く。
「だが、お前もこの世界で生まれたものには違いない。それなら生きろ。目を覚ませ。その後どうしようが、お前の勝手だ―――――」
突き放すように、それでも優しく真は言葉を結び。
タン、とエンターキーを押して、彼を目覚めさせた。