時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

Birth:プロローグ




13の鉄槌と 7の慈悲が
この世界に降ってきた


一人は夢を見ながら死んで


一人は我が子に全てを託し


一人は我が子に首を落され


一人は歓喜の笑いを漏らす


一人は愛するがゆえに狂い


一人はすべてを手に入れて


そして一人は独りになった。







<語り部達の歴史書より、冒頭部分抜粋>







〈ネオヒューマン作成計画に対する報告書〉
・クロム線を一定以上の波長で定期的に注入することにより、遺伝子の革変が確認された。
@10から15Evの波長で第十五、第十六が変化。
A16から21Evの波長で第十七が変化することが確認されている。
ラットによる実験結果は、
@で筋力及び運動力の増強が見られ、
Aでは殆どの披検体は死亡したが、残ったものに僅かながら知性の上昇が見られた。
以上の事から|





「こら。もう昼だよ」
ぽこん、と分厚いファイルで軽く頭を叩かれて、シンはキーボードを打つ手を止めた。
「サカキさん」
ずれた眼鏡を軽く押し上げると、座っていた椅子の背凭れに思い切り寄りかかって後ろを見上げた。長い黒髪を乱雑に束ねた壮年の先輩研究員が、困ったような笑顔で其処に立っていた。
「熱心なのはいいけど、根を詰めると体を壊すよ」
「すいません」
苦笑に苦笑を返して、PCの電源を落す。報告書の纏めは午後からでもいいだろう。うんっと軽く伸びをして、椅子から立ちあがった。
「調子良さそうだね。順調なのかい?」
「えぇ。実験結果は全部理論を裏付けてくれてます。後は人間での成果をあげれば…」
自身ありげに肯く後輩を見て、サカキは今度は心からの笑顔を見せる。
「そうか、頑張りなよ?」
「はいっ! サカキさんの方はどうですか?」
「ま、可もなく不可もなく。どうにも分子が安定しなくてね、現存分子のみでの再構築はやっぱり難しいよ」
「そうなんですか…」
研究室から出て、お互いの成果を話し合う科学者二人が歩く廊下が不意に開ける。サンルームのように大きく窓の開いた渡り廊下から見えるのは、沢山の設備と砂漠。
各国に7つ存在する、研究対象=人間の研究所・セーフィック。彼らはそこに務めている研究者達だった。
シン・チーロンは僅か20歳で中国の某有名大学を卒業し、人間の第六感覚を理論的に証明した論文が一躍脚光を浴び、ここにスカウトされた。
この広い研究所に居る専門家はシンを入れても僅か7名。全員が様々な学問を極めたエキスパートとしてここに招かれ、普段は一人に一つの施設全てが与えられ、開発や研究にせいを出しているが、一年に一度のシンポジウムに、全員が一番大きな第二研究所「エレン」に集結していた。
食堂に入ると、他のスタッフ達や警備ロボットに混じって研究者のシンボルである白衣を来た人間が数人見えた。向こうがシンとサカキに気付いたらしく、薄い金髪で童顔の青年が手を挙げる。
「お疲れさん」
「ご一緒してもいいかい?」
「遅かったわね、捗ったの?」
「えぇ、それなりに」
「良かったわねぇ。あたしなんか昨日徹夜よ」
サカキに続いて彼らの隣に腰掛けたシンに、向かい側の眼鏡をかけた短髪の女性が不満気に息を漏らし、全員が笑った。
「ちょっとは寝ろよ、ただでさえヤバい顔がもっと酷くなるぜ?」
軽薄な口を聞くのは金髪の青年、ラッセン。彼が開発しているのは限りなくオリジナルに近い身体補正用具の開発だ。
「どういう意味よ!?」
それに突っかかるのは眼鏡の女性、メイルリーフ。ゲノム解析によって絶滅した生物の復活を試みている。
「くすくす…」
二人のかけあいを面白そうに見ているのは、最年少のアージェンタ。この研究所を護る全自動セキュリティを組み込んだ人工知能、「ラグランジュ」を作成したプログラマーだ。
これに心理学の権威・マクスウェルと、“思考機械”の渾名を冠する天才・ガーランドが加わり、セーフィックは稼動している。
「まぁまぁ。ラッセンはどうだい最近? 俺の資料は役に立ったかな?」
苦笑しながら二人を諌めるサカキに、ラッセンは満面の笑みを浮かべる。
「もう完璧! この分なら、後一年もせずにアレは完成するぜ!」
ラッセンは幼い頃、事故で片足を失った。その際つけた義足が自分の体格に上手く合わず痛い思いをした時から、欠損した身体を補える完璧な医療器具を―――と考えたのが彼の開発した「鎧」―――自発的に分子を再構成して人体を補う「補正物」を作成した。彼の右足は今完全に鎧化している。元あった足より絶対動き易い、とラッセンは豪語している。
「人と交わって人を強くする最高の「鎧」―――たとえ脳味噌だけになったって、立ち上がって動かしてくれる人間のパートナーだ。絶対完成させてやる」
「でも、それを軍事的に利用される可能性はないの?」
手を打ち合せて不敵に笑うラッセンに、不安そうにメイルリーフが話し掛ける。戦争で家族を失った彼女は、どんなものでも争いに関係のある研究には常に眉を顰める。それがラッセンには気に食わなく、ついつっかかってしまうのだ。
「見縊るんじゃねぇよ。俺がそんなこと絶対許さねぇ」
きっと前を見据えるラッセンの瞳には、意志が宿る。彼は「絶対」という言葉を良く使う。まるでそう言うことによって、不可能を捻じ曲げようとしているかのように。
「期待してるわよ。あ〜あ、アージェは良いわよねぇ、もう完璧なんだから」
にっこり笑った姉さん肌のメイルリーフは、羨ましそうに隣に座っている少女と言っても良い年齢の同僚の愛称を呼んだ。
「そんなこと無いわ。まだこれから仕上げが残ってる…ラグランジュだって、まだ完全とは言えないのよ」
「これだけのセキュリティが出来てまだ足りないのか…凄いな」
シンが感心したように天井を見上げる。光熱・生命維持・侵入制御、全てにおいて完全コンピュータ制御を実現させた「ラグランジュ」。しかしその生みの親にとってはまだまだ改良の余地があるらしい。シンの声にアージェンタはふうわりと笑った。
「ま、自分の研究にこだわるのは、俺達全員に言えることだろう?」
煙草を一本咥えたサカキが言った言葉に、全員が笑顔になった。
「へへ…おっ、マッシュ! お前もこっち来て飯食えよ」
背凭れに身体を預けたラッセンが、たった今食堂に入って来たもう一人の科学者の名前を呼ぶ。
緩くウェーブのかかった髪に髭を生やした最年長のマッシュ・マスクゥエル博士はその一団をちらりと一瞥し、緩く笑顔を見せた。
「申し訳ないが、食事は部屋で取ることにしているのでね。失礼するよ」
それだけ言って、食事の乗ったトレイを受け取ると、変わらぬ足取りで食堂を出ていった。
「ちぇっ、協調性ないよなーあの二人」
「二人?」
小さく悪態をつくラッセンの言葉に矛盾を感じ、シンが問い直す。
「決まってんだろ、もう一人はアレだよ、ギオ」
「あぁ…」
納得いって、シンが肯く。
セーフィックの最後の一人ギオ・ガーランドは、IQ測定が不可能な程の知能指数の持ち主と言われ、実際他の研究者があくまで一芸に秀でた専門家であるのに対し、彼はまさしくオールマイティな知識と実力を持っていた。
どれをやらせても人並み以上に出来てしまう男。しかしやはり天は二物を与えないのか、素晴らしい頭脳と引き換えに彼は人間的な匂いを薄れさせてしまったように見えるとシンも思っていた。実際彼は第七研究所を一つあてがわれて以来、自分達の前にも滅多に姿を見せなかった。シンは今回のシンポジウムの際、初めてその姿を見たほどだ。そしてその後も一人で研究室に閉じこもったきり、他のメンバーの前に姿を現していない。
「飯とかちゃんと食ってんのかね。本当にあいつ機械だったりしてな。自分で充電して動いてんの」
けらけら笑いながら冗談を言うラッセンの頭を、テーブルに乗り出したメイルリーフの丸めた紙筒がぽくっと叩く。
「てっ。何すんだよ」
「失礼なこと言うんじゃないの。全く、ガキなんだから」
「っせえ!」
「ほらほら。早く食べ終わらないと、皆忙しいんじゃなかったっけ?」
「っと、やべっ!」
「きゃあ、いけない!」
サカキの言葉に腕時計を同時に見、慌てて食事をかきこみ出す二人。シンも笑いながら食事に口をつけた。先輩の言う通り、あまり時間はなかった。2日後には、自分の成果を試す日がやってくるのだ。





カタカタカカタカタ…
薄暗い部屋で、パソコンのキーボードを打つ音だけが響いている。
カタカタカカタカタタ…
その発信源は、光を放つディスプレイの前に陣取っている黒髪の青年が動かす指だった。
凄まじいスピードで動くそれは、まるで別の生き物のように見える。
カタカカカタカタ…
ピピッ、と近くに置いてあった通信用モデムからインタフォンが鳴る。その青年は画面を見据えたまま通話ボタンを押した。
「…はい?」
『私だ。開けてくれないか?』
無言で、部屋の扉のロックを解除する。プシュッと音がして、背の高い壮年の男が入って来た。
「やぁ。食事を持ってきたんだが、一緒にどうかね?」
「………貰おう」
カタカタカタカタ…
言葉を交わしながらも青年の指が止まることはない。入って来た男、マッシュも気にした様子も見せず、サイドテーブルにトレイを乗せた。味気ないが栄養はあるクラッカーを、青年の細い指が抓む。
さく。さくさく、さく。
薄い唇が動いて、食物を嚥下する様を、マッシュは黙って見ている。その顔には、どこか恍惚とした笑みが浮かんでいた。
青年はそれに気付いた様子も見せず、また電子の世界に没頭している。5分くらい経ってから、漸く二枚目に指を伸ばした。
ぱし。
「……?」
その腕が軽く掴まれる。マッシュはゆっくりと取った腕を持ち上げ、その指先に軽く唇を落した。
「ギオ」
そのまま、愛しそうに彼の名を呼ぶ。そう言われても、彼は何も反応しなかった。
その唇が、自分の唇に舞い下りてきても、何も。





カチカチとやや乱暴にマウスをクリックしながら、ラッセンは自分の目の前にある水槽をじっと見つめていた。メイルリーフから借りた特製の有機プールだ。理論も設備も他の借り物、と言われると立つ瀬が無いが、それでもいいと思っていた。
自分の目的は、「絶対」なものの完成。イレギュラーが起こらないはずが無いこの世界ではとても難しいそれを、やり遂げようとしている。
プールの中には、人が数人中に入れるぐらいの大きさの黒ずんだ泥と肉の固まり、としか言い様のない物体が浮かんでいる。
時たまボコッ、ボコッとその中から目玉が現れて、また沈んでいく。
これが、「鎧」の元となる物質「ブラックロア」。ラッセンが無から作り上げた人間に纏われる生体物質。
グロテスクこの上ないそれの入った水槽を、ラッセンは酷く愛しげに撫でた。
「もうちょっとの辛抱だからな…絶対、そこから出してやる」
それに呼応するかのように、沢山の目玉がラッセンの方を向く。並みの人間なら恐怖してしまいそうなその姿にも少しも脅えを見せず、満足げに笑った。





「ここがこうだから…あ〜んもう、何で? お願いアージェ、ここ直してぇ」
短めの髪をぐしゃぐしゃ掻き回しながらキーボードを叩くその姿はとても年頃の女性とは思えない。同じ部屋で作業もせずに何故か日本製の小型ゲーム機を手の中で遊ばせていたアージェンタは、「良いわよ」と笑ってポーズをかけるとそちらに近づき、カタカタカタッと片手だけでキーボードを操った。
「はい、これでいいわよ」
「ありがと〜。やっぱり致命的よねー、パソコンに弱いのって研究者として」
「でも、メリーの理論は完璧よ。良いんじゃないかしら、皆苦手なものは誰にだってあるわ」
「うーん…それはそうと、アージェ。貴方そんなのやってて面白い?」
「これ?」
手の中の遊具を指差され、またアージェはふうわりと笑った。
「面白いわよ」
「貴方だったらこれよりもっと面白いモノなんて簡単に作れそうじゃない」
「私、ゲーム好きだから」
笑ったまま言われた子供のような答えに、ふーんとちょっと笑って返すと、再び眉間に皺を寄せてディスプレイを睨み始めた。
だから、アージェンタの笑顔が消えない事にも彼女は気付かなかった。





「…こうすれば…うん。何とかなりそうだ」
「…あの、サカキさん」
「うん? なんだい?」
同じ研究室で再び資料を纏めながら、シンは何気なく目の前の装置で実験を続けているサカキに声をかけた。
「サカキさんは…どうして、こんな研究を行うようになったんですか?」
自分より二十年以上年若の青年に問い掛けられ、一瞬虚を衝かれたようにサカキが眼を見開く。
「不躾ですみません。でも…俺、最近解らなくて」
「何がだい?」
「…俺は今まで、楽しいから研究やってました。自分の手で、新しい世界を切り開いていくのが、楽しくて仕方なかったんです。けど…もしかしたら」
そこで一旦言葉を区切り、身体を完全にこちらに向かせた先輩の瞳をじっと見る。其処にある色は黙って自分を促していたので、ほっとして続けた。
「もしかしたら、俺が…いや、俺だけじゃなくて俺達みんな、求めているものって本当は人間が手を出したらいけない領域だったのかもしれないって、最近思うんです。俺の理論がもし正しければ…殆ど正しいっていう答えが出かかってるんですが…人間が、人間じゃないモノになるような、気がするんです」
「………ふうん」
「サカキさんはいつも、真剣に研究を続けてて、きっと俺なんか及びもつかないような信念があるんだろうなって思ったら…凄く羨ましくて…俺はただ楽しいだけで、とんでもなく深い所にあったパンドラの箱を思いっきり開けちまったような気が…するんです」
悩める若き青年が続ける独白に、サカキはただ、笑った。
「俺はそんな高尚な人間じゃないよ。俺はただ―――」
ふっと、眼を逸らして自分の前にある巨大な装置を見上げる。
ありったけのコードやパイプで繋がった、不格好な白い卵が二つ。片方に入れた物質を完全に分子に分解して、もう一つの卵の中で再合成を行う。これによって、物質の完全転送が可能になるのだ。
今はまだ、有線状態で分子を転送しなければ、再合成は不可能だ。しかし理論的には、その原始配列を完全に模写しその通りに空気中の分子を再合成させれば、どんなに遠く離れた場所でもその装置さえあれば、物質を自在に取り寄せたり送ったりが可能になるはずなのだ。
例えば、空間だけでなく、時間や時空を超える事すらも。
「俺はただ、もう一度…会いたいだけなんだ」
「えっ…?」
切ない程に絞り出された小さな告白にシンが問い返す前に、サカキは席を立った。
「俺より君の方がずっと、高尚に物事を考えているよ。あんまり、根を詰めすぎないようにね」
「あっ…はい」
それだけ言ってぽん、と肩を叩くと、研究室を出ていった。





ぎしり、とベッドが軋む。
目の前の髭面の男は、まだ眠りに落ちている。自分は、そんなに睡眠を取らなくても平気だった。
自分には今まで、「解らない」という事象が存在しなかった。調べれば、全てを暴けない事など無かった。
そう、彼には「解って」いる。
自分達の研究が、如何なる結果を生み出すか。
それにより、この世界がどうなっていくか。
ベッドから裸のまま降りて、窓から外を見遣る。
数十年前は森だったここは、今は広大な砂漠に飲みこまれていっている。
異常気象は続き、食料不足は最早深刻になり。
人が人を殺す事は絶える事無く続いている。
こんな世界を、どうすればいいのだろうか。
比較的澄んだ夜空を見上げながら、ギオ・ガーランドは想う。
この研究所に集るのは、世界有数の頭脳と各国の首脳達。
即ち、ここさえ潰れれば、もう世界を導いていくものは存在しなくなる。
それは駄目だ。
人は自然を作れるようになった。
人は生命を作れるようになった。
人はもう、神等という曖昧で存在しないものへの感謝を忘れた。
その存在が無くても、生きていけるからだ。
人を導くのは、人しかいない。
「…どうしたのだい?」
するりと後ろから抱き締められて、ギオの思考が途切れた。後ろの男は愛しそうに、自分の乱れた黒髪に唇を這わせている。
彼の心境も、ギオは理解している。
愛欲と独占欲。表情を変えない自分への苛立ち。人間への見下し。不信。自尊心。
人の心理すら、彼にとっては分析すべきモノでしかない。
自分に与えられる一時の快楽と体温、上滑りして行く言葉の羅列。それら全て、彼にとってはそう価値の無いものだった。
「何を、考えている?」
反応を返さない自分に業を煮やしたらしい言葉が耳朶を打つ。ギオは目を外に向けたまま、先程までの思考を言葉で紡いだ。
「…もうこの世に神は必要ない。だが世界は広すぎる、人の目だけで全てを睥睨することは出来ない」
「その為に、色々な「目」があるではないか」
唐突な告白に少しも臆さず、マッシュは答えを返す。発達し続けたカメラと衛星は、最早この星全てを網羅していると言っても過言ではあるまい。
「…足りない。どんなに人が進んでも、この世界を読み切る事はできない。広くて、広すぎて―――たまに、嫌になる」
それでも、ギオの言葉は止まらない。僅かな苛立ちが声に混じる。
この世界を人のみの世界にしたのは人以外他にないのに、人はそれを持て余し始めている。それがギオには我慢出来なかった。
「お前は…何を、考えている?」
「…この世界が、箱庭になればいいと考えている」
自分の目が行き渡る程に、小さな箱庭になれば。
この世界は、「幸福」になるのだと。
彼は、何の疑問も無くそう思っていた。
白い裸の胸が、後ろから上へゆっくりと撫で上げられ、ギオは僅かに身じろいだ。
「私のMHシステムが完成すれば、愚かな人間が先走り無駄な血を流すことも無くなる。正常な思考を持った人間だけの世界だ。すばらしいだろう? お前も、その世界の上に立つ人間だ。安心して、待っていておくれ」
耳元で囁かれる余りにも危険な蜜話にも、しかしギオは何も返さなかった。
彼には解っているから。その理論の素晴らしさも危険性も。
だから何も、返さないのだ。





夜が白みはじめるころ、マッシュは自分の部屋に帰っていった。電源がいれっぱなしだったPCの前に座り、ギオはある部屋に通信を入れる。すぐに相手は出た。
『はい?』
「…私だ」
『どうしたの、こんな時間に?』
「…シンポジウムの日、決行する」
淡々と紡がれた言葉に、通信の向こうの声が一瞬緊張し…やがて、押し殺した、とても嬉しそうな笑いが漏れ聞こえた。
『始めるのね? 始めるのね?』
「…あぁ。頼む」
『えぇ。任せておいて。皆で遊べるのね?』
「…そちらは、任せたぞ」
『解ったわ』
会話はすぐ終わった。
ギオは立ちあがり、もう一度窓ガラスに顔をつける。
日の光がゆっくりと、砂の大地を滑りだしていく。
素直に、美しいと思った。
これが最後の日の光だと、思ったからだろうか。


×××


続々と飛行場に小型機やヘリが辿りつく。各国の重鎮達が、頑丈なSP達に囲まれて降りて来る。
「壮観ですね…」
「どれだけの人が、今日の講義を理解してくれるのかと思うと、解らないけどね」
煙草を燻らせながらの皮肉げなサカキの言葉に、シンも吹き出した。
「確かに。上の人間ってのは得てして馬鹿なモンですけどね」
「おーい、いつまで遊んでんだお前等!」
渡り廊下で窓ガラスにくっついたまま笑い合っていた二人を、走ってきたラッセンが怒鳴る。
「あっ、ごめんごめん」
「早く資料配るの手伝ってくれよ! 俺一人でさばけるかっての!」
「一人って…アージェは?」
今日のトップバッターはラッセンとアージェンタの二人なので、この二人に最初の資料配布をして貰う予定だったのだが。
「駄目、やっぱり見つからないわ!」
ぱたぱたと駆けて来たのはメイルリーフ。いつになくその顔には焦りが浮んでいる。
「いないんですか?」
「何の騒ぎだね?」
足音を聞きつけたのか、マッシュも近づいて来る。
「アージェが見つからないのよ! 今朝起きた時はもう部屋にいなくって…」
「そう言えば、ギオの姿も見てないな。マッシュ、何か知らないかい?」
「何…?」
妙な緊張感が、辺りに走った一瞬。





――――――――――――――――――カッ!!!!





閃光が。






世界を、貫いた。






「…第1弾、着弾成功。第2弾発射準備」
第2研究所の地下部分にある設備施設の中にあるメインコントロールルームに、人影が二人。
「セーフィック、Sレベル危機による非常手段措置します。地下深沈、開始!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴオッ……
少女の声に答えるかのように、研究所が振動を開始する。その周りが、巨大なドームに覆われ、地下に沈んで行く。
その変化は勿論、地上の科学者達も気付いていた。
「な、何だァッ!?」
「地震!?」
「いや、違う!」
「床が…沈んでる?」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…!!






「始まるのね? 始まるのね? 楽しくなりそう。管理してあげる。私が全部管理してあげる。世界が小さな箱庭になるのよ。
私達はそこを見下ろすのよ」
「…アージェンタ」
「フフフ、解ってる。これは、ゲームよ。私の子と、あの人達の。どうなるかしら。楽しみだわ」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに、アージェンタと呼ばれた少女は笑う。全てのプログラムを起動させると、同じく地下にある各研究所への転送装置の中に入る。
ヴンッ…と僅かに空気が揺れて、彼女の身体は地下に直通するパイプを潜って、第1研究所まで運ばれていった。
ギオはそれを見送った後、何の感慨も沸かない顔で再びキーボードを打ち始める。
この世界を、縮小するために。






「一体…何が起こったってんだ?」
やっと揺れが収まり、地面にしゃがみこんでいた面々が漸く身体を起こす。
「! これは!」
外を見ようとしたマッシュが驚愕の声を上げ、全員が彼の方を向く。
窓ガラスは、砂に埋もれて外が見えなくなっていた。
「…どうなってるの?」
「この研究所全体が、地下に沈んだみたいだ…」
「どうしてそんな―――」
『ぎゃああああっ!!』
科学者達の議論が、悲鳴によって遮られる。はっと顔を見合わせ、サカキが真っ先に走りだし、他の人間も後に続く。
「ひいい…助けて、助けてくれぇ!!!」
前に何度かTVで見たような気がする髭面の男が、情け無い声で助けを求める。彼を守る筈の壁達はとっくの昔に昇天されたようだった。
その男の背中を踏みつけ、銃を向けているのは、この研究所の警備ロボットである筈の再生者達。
「サカキさん、これはッ…」
「よせっ…!」
驚愕に声を震わすシンの台詞には答えず、サカキが手を伸ばして絶叫する。
ロボットは、何の躊躇いもなく引鉄を引いた。
バババッバババッ!
「ひぅっ!」
あっという間に生きている人間が肉塊にされる様を目の当たりにして、メイルリーフの唇から悲鳴が漏れる。他の人間も咄嗟に目を逸らすが、サカキだけは黙ってそれを見送った。…抑えきれぬ怒りを、その瞳にたたえたまま。
それに気づくことなど無く、守護者であったはずの殺戮者達は、引鉄を次の獲物に向かって構える。
「! 逃げろおおおっ!!」
サカキがそれに気付き、一番近くにいたシンとメイルリーフの手を引っ張って廊下の角に転がり込む。
バババババババ!!!
「っぐぅ!」
「ぎゃぁあっ…!!」
逃げ遅れた二人の男の肉を、熱線が削っていく。
「ラッセン!」
「マッシュ!」
「振り向くな! 走れ!」
悲鳴のような声で名前を呼ぶ二人を、半ば無理矢理サカキは引き摺った。
後ろから聞こえる規則正しい足音は、どんどん増えていった。





「うっ…ぐぅ」
ずるり、と自分の流した血で滑りながら、ラッセンが立ち上がる。致命傷なことは、自分でも解っていた。
ふと横を見ると、隣にはいけ好かない男がやはり血塗れで倒れていた。それを悼んだりする余裕はなかった。
彼には、一体何が起こったのかは全く解っていなかった。彼が今解るのは、このままでは自分が死ぬということだけ。
「冗談、じゃねぇ…!」
死ねない、まだ死ねない、まだやらなきゃならないことは沢山あるのに、死ぬとしたら、ただ一つ。
よろよろと、壁に身体を摺り付けながら、ラッセンは廊下を歩き続ける。
やがて、自分の研究室まで辿りつき、震える手でカードキーを差し込んでその中に転がり込む。
その部屋内のスペースを殆ど占拠している水槽が無事なことを確認し、漸く彼は笑みを浮かべた。
「ちくしょう、ちくしょうちくしょう、これだけはっ、これだけは…生きてくれ。頼むよ、生きてくれ」
よろよろとそこまで辿りつき、手を水槽に滑らせるとずるっ、と音がした。もうすでに自分の指は三本ばかり吹っ飛ばされていたらしい。水槽の上に、どんどん紅い線が出来ている。
「お前だって…お前、だって…」
それにも構わず、ラッセンは必死にデータの転送を開始する。自分の第6研究所にある専用ラボ。そこまで送れば、後は誰か別の人間が知識と研究を引き継いでくれるはずだ。
「生きてくれ…生きていいんだ、お前は…バケモノなんかじゃない…生きてくれ…」
ぼこぼこと浮きあがる目玉が自分を映していることを確認してから、ラッセンの身体はずるりと床に滑り落ちた。
『データノ送信ヲ、完了シマシタ』
無機質な機械音声が作業の完了を告げても、その身体はもう動かなかった。





「一人脱落ね」
遠い第1研究所の自分のメインルームにて、神経を殆ど通信ケーブルに繋げたままアージェンタは笑う。
「マッシュもまだ生きているわね。馬鹿なひと、あれは誰のことも愛しいなんて思ってないのに。この世界にいる人間はね、あれに使われる部品になるか、あれに排除される塵になるかしかないのよ」





「怪我はないかい?」
「な、何とか…」
「あたしも、平気…」
どこをどう走ったのか、小さな用具室に駆け込んだ3人は、荒い息を整えながらお互いの無事を確認し合う。
「ねぇ…一体、何が起こったの?」
「解らない…ただ、この『ラグランジュ』が狂ったとしか思えない…外がどうなったかも気になるし…」
ダンッ!
どこか心細そうに言葉を交し合うメイルリーフとシンが、突然の音にびくっと身体を震わせる。音源は、壁を思い切り叩いたサカキの拳だった。
「くそっ…解ってた、解ってた筈なのに…俺は!」
「サカキさん…?」
いつになく感情を振り絞ったサカキの叫びに、シンが戸惑って声をかける。
「…あぁ。済まない…大丈夫だよ」
自分より頭一つ背の高い後輩に向けて、弱い笑顔を返す。
「何にしろ、いつまでもここにはいられない。武器が要るな…後、何とかしてパソコンのある部屋まで行くんだ」
「何言ってるの? ここで隠れてた方が安全よ、きっと!」
冷静にこれからの方針を打ち出したサカキに、メイルリーフが反発する。実際今でも彼女の身体は細かく震えていて、床に座り込んだまま動こうとしない。
「いや、どうせここもすぐ見つかる。俺達の敵は…『ラグランジュ』だ」
言い切ったサカキの言葉に、二人とも息を呑む。
薄々感づいてはいたが、まさかこの研究所全てを管理する巨大コンピュータが相手とは。
「無理よ…勝てっこない…あたしたち全員殺されるわ…」
自分達の位置まで正確に特定してくる絶対的な武力を持った敵に、どう立ち向かえば良いのか。
「方法はあるよ」
それだけ言って、サカキは小さくメイルリーフに笑いかける。
「何とか、君達だけでも助けて見せる。ここに隠れていてくれ」
「な…に言ってんですかサカキさん! 俺も手伝いますよ!」
「いや、駄目だ…情け無いけど、君達を守りながら戦える自信がない」
首を振るサカキの肩を、シンの両手が抑える。
「そんなの! 自分の身ぐらい自分で守ります、こんな何も解らないうちに殺されるなんて真っ平ですよ!」
「あ、あたしだって…死にたくないわ。こんなところに一人でいるぐらいなら一緒に行かせて…」
二人の声に、サカキは一瞬悲しそうに眉を顰めたが、ゆっくりと頷いた。
「解った…手伝ってくれ」





廊下を、ニ体のロボットがザッザッザと規則正しく歩いて行く。
あるドアの前を通り過ぎた瞬間、シュッと音を立ててそこが開く!
『!!』
警備者たちが気付いた時には、眼前に鉄パイプが迫っていた。
ガコンッ!
もろに攻撃を受けて、一体が倒れこむ。武器を振るったのは長い黒髪を靡かせたサカキ。その動きは50近い人間とは思えないほど早い。素早く武器で倒れた顎を突き、完全に動きを停止させる。
ザシャッ! ともう一体が銃を構えた瞬間、ゴッ! とその横っ面に拳がめり込み、無骨な機体をふっ飛ばした。武器を無理矢理もぎ取り、ゼロ距離で射撃する。
バババッババ!
身体に大穴を開けて、殺戮者は倒れた。痛む腕を軽く振りながら、武器を何とか持ち替える。
「シン…あんた素手でも強いのね…」
半ば関心、半ば呆れた様に最後に部屋から出てきたメイルリーフが言う。
「実験のお陰さ。何せ披検体が自分しかいなかったから」
「それって…まさか!」
「俺の腹の中にはもう、クロムニウムが入ってる。ごく小さな欠片だから、命に別状はないよ」
クロムニウム。昨今発見された新しい物質で、そこから発せられる微弱な放射能が人間のDNAを作り変え、人間を急いで進化させる―――というのが、シンの持論だった。その物体を、シンは自分で飲みこんだのだ。自分の論が間違いでないと証明するために。
「さ、行こう」
サカキに促され、3人は走り出す。
「どこまで行くんですか?」
「端末があるところならどこでもいい、兎に角ラグランジュにアクセスしないと―――」
ピシャ…ピチャ…
『!!!』
廊下の向こうから、水が滴るような奇妙な音がして、3人は動きを止めた。
「何だ…?」
「しっ」
一歩前に出ようとしたシンを、サカキが抑える。
緊張する面々の前に、やがて大きな影がゆらりと背を伸ばす。
「…………!!?」
ぴしゃり、と床を打ったのは、誰とも知らぬ研究スタッフの身体から流れ落ちる血だった。その頭をがっぷりと咥えている虎の頭が、じろりとシン達を睥睨する。
「こいつは…キメラ!?」
「うそ…」
シンの驚愕の叫びに、メイルリーフの絶望的な声が重なる。
それはまさしく、メイルリーフが沢山の動物ゲノムを解析し、組みなおして作り出した、想像上の怪物だった。
「プールから放たれたのか!」
ぴちゃり、ぴちゃりと血の滴る肉を咥えたまま、虎と獅子と山羊の頭を持つ怪物は3人に向かってくる。
「どれだけ効くか解らないが―――」
先程奪った銃を片手で構えるサカキの前に、
「やめてぇっ!!」
なんとメイルリーフが飛び出した。
「メリー、何をっ!」
「だ、駄目よ。この子達はあたしのよ、だれにも傷つけさせないんだから!!」
「何言ってるんだ、食われるぞ!」
「そ、そんなことないわ。ねぇ、あなたのお母さんは、あたしよね?」
ふらふらと近づくメイルリーフにギュアアア! と威嚇の声をキメラが上げる。
「無茶だメリー! 下がれっ!!」
「ああ…あなた、綺麗よ、凄く綺麗だわ…やっぱり、動いてる方が、ずーっと…」
ぱじゅんっ!!
一瞬だった。
横薙ぎにされた蛇の尾が、メイルリーフの上半身と下半身を泣き別れにさせた。
「ッッ…〜〜〜〜〜!!」
そのあまりにも凄惨な光景に、シンが身体を固まらせる。
「シン、駄目だ、走れ!」
サカキの叱咤に、漸く足を動かす。背中を押され、まろぶような足取りで、必死に前に進む。
願う。どうか、夢なら覚めてくれ――――と。





「二人目、脱落。案外あっさり壊れちゃったのね、仕方ないけど」
地獄の中では狂う方が幸せなのだと、言っているようだった。
「さあ、あと3人? どうなるのかしら?」





どこをどう走ったのか、覚えていない。
がくがく震える足が、部屋の中に入ったと気づいた瞬間崩折れた。
「しっかりするんだ。まだ君は生きてるんだよ?」
後ろから、サカキの声が聞こえるが、まだシンは俯いたままだ。
「あ…あああ…」
小さい嗚咽が、シンの喉から漏れると、サカキは黙ったままそっと頭を撫でた。
と、シンの目の前に一枚のマイクロディスクが差し出される。
「…? これは…?」
「<a rebel army>(反乱軍)…ラグランジュを止める事の出来る唯一のウィルスプログラムだ。これさえ起動させれば、あれは止まる」
「どうしてそんなもの…」
「昔見たのを思い出して、何とか作ってみたんだけど、破壊する事は不可能だ。これが出来るのは、動きを止めるだけだけれど、そうすればここから逃げる事は可能なはずだ」
ようやっと、シンが顔を上げる。そこにいるのは、いつもの笑みを浮かべた、研究所の先輩だった。
「頼むよ。どうにかコイツを止めてくれ」
「そんな…俺より、サカキさんの方が、ずっと早く起動出来るでしょう。俺には…」
シンの頭の中は、絶望に支配されつつあった。自分の親しき人達が、次々と殺されて行く姿が、彼の魂を責め苛んでいた。
「勿論、本当は俺がやりたかったんだけどね…どうやら、無理みたいだ」
「…?」
そこまで聞いて、漸く気がついた。
床に、自分は怪我していないはずなのに、紅い水溜りが広がり初めているのに。
「…サカキさんっ!!?」
その声に押される様に、ゆっくりと、目の前の身体が、倒れた。



「サカキさんっ! しっかりしてください!」
腕を回した背中に、ざっくりとした傷があった。恐らく、足手まといの自分を連れて逃げる時に、怪物の爪を庇ったのだろう。
「俺のせいで…! すみません…すみません…!!」
「気に…しないでくれ。これはきっと…天罰だから」
「何言ってるんですか…しっかりしてくださいっ…!!」
泣きそうな声で自分を抱えあげる青年に、サカキは済まなそうに笑って。
「…この世界が、収束に向かっていることを…解っていながら、止めずに、尚且つ進ませるような…真似をした…これは、罰さ…自分のエゴだけで、この世界を歪ませた、罰…」
命の火が消えかかりながらの懺悔。少しずつサカキの身体から強張りが解けていく。
まるで、今までの重荷を降ろすかのように。
「でも…でも、それでも俺は…もう一度、君に、あいた、かっ…た………」
ゆっくりと空に手を伸ばすサカキの瞳には、もう誰も映っていなかった。
がくり、とその手が落ちる。
「サカキさん!? …サカキさんっ……!!」
自分よりも細い彼の身体を抱き締め、シンは初めて涙を零した。






「3人目…あら?」
彼女の「目」には、ここやエレンから更に遠く離れた極東の研究所の中のクローンポッドから一体のクローンが動き出すところが映っていた。
「いつのまにあんなに自分のスペアを作ってたのかしら。あの分なら、マッシュは勝ち逃げね」
少し笑って、「視線」をエレンに戻す。
「さぁ、貴方が最後よ。どうする? シン」



 

ゆっくりと、彼は立ち上がる。そっと床の上に、尊敬する先輩を寝かせてから、自分のPCの前に座る。受け取ったディスクを、スロットに滑りこませる。
「起動、開始…」
出来る限り、ラグランジュに気付かれないように、他のデータを一度に沢山起動させて目晦まし代わりにする。
そして、素早い操作で、ラグランジュにアクセスする。
「…………!? これは…」
残っているデータは、全世界のマスターコンピュータに対するアクセス記録。それの殆どが、軍事関連のコンピュータだった。
「まさか…」
予感は、確信に変わる。あの時、異変が起こる直前の閃光は。
全世界に向けて発射された、水素爆弾の第一発目だったのだ!
震え出す身体を叱咤して、プログラムを起動させる。
「何もかも、お前の思い通りにさせて堪るか!!」
ウィルスが、牙を剥く。





ビーッというスクランブル信号に、アージェンタは久しぶりに驚いた。
「嘘! 私のラグランジュが…どうして!?」
素早く立てられる防御壁が完成する前に、どんどん滑りこんでくるウィルスが取り付いたプログラムは、感電したようにその機能を止める。その修復に動いている間に、次の攻撃が来る。
「何よこれ…駄目だわ、一旦メイン機能を停止させないと防ぎきれない…!」
背に腹は変えられず、全てのシステムを遮断する。この瞬間、エレンの機能は一時的に全て停止した。
「やるわね。吃驚したわ、こんな切り札があったなんて」
しかし、アージェンタの笑みは消える事は無かった。
「残念ね。もう、タイムリミット。ゲームオーバーよ」





ヴゥンン…という音と共に、システムの停止を確認する。
「よしっ!!」
これにより、警備ロボットや生命維持をラグランジュに任せていたバケモノは全て停止したはずだ。
しかしこれで終るわけには行かない。滅びの炎が地面に迫ってきているのだ、何とかしてそれを止めなければ。
「アクセスしてから、どうにか…っ…!」
そうしようとして、はっと気付く。水爆を撃ったのは、ラグランジュでは無かった。アクセス解析をすればすぐに解った。
発信源は、第七研究所。そこの持ち主は。
「…ギオ………?」
何故だ、と思った。
何故こんなことをしたと、ここにいるのなら責めたかった。
何とか止めようとしたが、彼の作った防御プログラムは、自分の力ではとても破れなかった。
カウンターは、残り一分を切っていた。
かくん、と身体から力が抜ける。
勝てない。
あの男には、どう足掻いても勝てない。
絶望。
それが、もう一度シンを塗りつぶした。
何も敵わないのか。このまま―――ただ死ぬのを待つだけなのか。
視線を泳がせると、目の端に一つの箱が引っ掛かった。
「!」
がばり、と身体を起こす。
研究中に完成していた、クロムニウムの最大結晶。実験以外で外に出していると危険なので、鉛の箱に入れて補完していたのだ。
その瞬間、シンの脳裏に一つの可能性が閃く。
成功率は限りなく低いだろう。それでも、それでも。
夢中で駆けより、何重にもなった箱を開ける。
果たして、僅かに発光する結晶体が、ちゃんと入っていた。それを握り締め、駆け出す。
部屋を出る時に、ちらりと床に倒れたままのサカキを見遣り、何か形見を分けてもらおうかと思ったが止めた。時間は無いし、どうせ消滅してしまうだろう。
ただ礼をして、そこを後にした。





ガシャアアン!!
地上に僅かに出ている最上階まで辿りつき、窓をぶち破った。
ごろごろと転がり出て、空を見上げる。
遠くに、きのこ雲が見える。最初の爆撃だろう。
空を見上げると、太陽の隣を飛んでいる、何かが見えた。
「ここに、落ちてくるのか…?」
シンの頬に笑みが浮んだ。自分の命をチップ代りにする、ギャンブラーのような。
「勝負だぜ。もし、生き残ったら―――俺の勝ちだ」
それだけ言って、何の躊躇いもなく、握り締めていたクロムニウムを飲みこむ。
「んぐっ…く、あああああああああっ!!」
腹腔の熱さに身悶えし、地に膝をつく。それでも、きっと空を見上げると、人工の鉄槌が今まさにこちらに落ちようとしていた。









「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」






咆哮。







そして―――――






その日、13の炎が、世界に落ちた。




そして、彼は、




生まれた。











あれから、どれだけの時間が経ったのだろう。
次に目が覚めた時、黒かったはずの目と髪は鮮やかなオレンジ色になり。
身体中が焼け爛れているだけで、生きていた。
いや、俺はあの時本当に死んだのかもしれない、とも真は思う。
人間であるシン・チーロンは、あの時死んだ。
ここにいるのは、真と言う名の、この世界の創造主の一人であり、咎人だった。
あれ以来、年も取らず老いもせず、ただ生きている。
死にたくないから、生きている。
いや、今はもう一つ、生きる理由が出来た。
自分の跨ったバイクのサイドカーの上に座っている、小さな少女。
似ても似つかないが、自分と同じな少女。
「…どうし、たの?」
未だに上手く言葉を紡げない少女の頭を、そっと撫でてやると嬉しそうに笑う。
「何でも無い。…そろそろ行くか」
「どこに、いくの?」
「東だ。ちょっと確かめたいことがあるんでな」
バイクに跨り直して、エンジンをかける。
この収束を続ける世界に向かって、走り出す。
この世界の真実を見つけるために、走り出す。

例えその旅に終りがないとしても。