時計+人形

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マッドイエロウ





黄色い海の中/膿の中に沈んでいくのは









君?








「―――――――…」
研究室の中、殆ど寝床と化しているソファの上で、目を覚ました。
悪夢にも、嫌な寝汗にもいい加減慣れてしまった。
伸ばしっぱなしでぼさぼさの頭を緩く掻き、上半身を持ち上げる。物は多いがきちんと整理されている研究室の中、ゆるゆると身体を起こして伸びをする。
首を軽く鳴らして、その辺に放り投げた白衣を取り腕を通したところで、事務室から通信が入った。壁に取り付けられた、けたたましく鳴る通話機を取る。
「はい…」
『おはようございます、サカキ博士。記者会見のご準備はお済ですか?』
「いえ、これからです」
半分寝蕩けた声で返してやると、機械の向こうの受付嬢はまたか、というニュアンスの篭った溜息を吐いた。
『もう皆様いらっしゃっておりますので、急いでください』
「はーい」
間延びした声で答えると、やや乱暴にブツッと通信を切られた。当てていた方の耳を軽く掻いて、この研究所の主―――阪木悠太はぼちぼち身支度を始めた。






「阪木博士、おめでとうございます!」
「この度の研究は、人間の歴史を改変させる素晴らしい発明であると――――」
「ありがとうございます」
辺り一面に炊かれるフラッシュ。口々に喋ってマイクを突きつけてくるレポーター。それら全てを、悠太は感情をあまり見せない笑みを浮かべ、当り障りの無い答えを返していった。
何も知らない人間達の賛辞は、彼に何の感慨も起こさせない。
「噂では博士は、高校生の頃まで物理関係は苦手分野だったとのことですが、本当なんですか?」
一般的には美人と言われる範疇の女性リポーターが探るような笑顔を向けてくる。
「――――ええ。そうですね、勉強は苦手でした」
ざわざわと辺りから押し殺した笑いが漏れる。ご謙遜を、との声も聞こえる。悠太は別に嘘はついていない。
「一体、何がきっかけでこのような理論を思いついたのでしょうか?」
差し出されたマイクとともにかけられた質問に、悠太はほんの少しだけ目を眇めた。
「…友人が、…。とても大切な友人がいました。彼のおかげで、私はこの研究に着手しました」
「そ、そのご友人とは?」
「…………もう、大分前に。亡くなりました」
「は、失礼ですがどのような―――」
「そろそろ失礼します」
「あ、博士!!」
不謹慎と知りながらも、『良い記事』を書く為に躍起になる記者達の間を掻い潜り、悠太はそこを後にした。





「――――げほっげほっ、ゲホッ」
あまり人目につかない手洗いの中、個室の便器の前に蹲って悠太は吐いていた。ああやって、過去の事を抉り出されたり、朝の夢見が悪かったりするといつもある事。慣れ過ぎてしまって、もう苦しさも感じない。朝食はろくに口に入れないため、黄色い胃液ばかりが口から出てくる。
「――――ふぅ…」
やがて水飲み場で軽く口を濯いだだけで、悠太は何事も無かったかのように地下の研究室まで戻った。
其処には―――――――
部屋の真ん中に、白い卵を真っ二つにして伏せたような形の装置がある。沢山のコードやパイプ、機器と繋がれたそれは、まったく同じ大きさのものが二つ、少しだけ離れて置かれていた。メインのコントロールパネルの前に腰を据えると、実験を再開し始めた。
それは、彼が「記憶」を元にして作り上げた物質転送装置。物質を原子レベルで分解し、また完全に再構築する事によって、空間や時間を超えての質量移動が可能となる。
その理論は一躍彼を「物理学の第一人者」の位置に押し上げ、ここ――――全世界研究機関「セーフィック」への道を作り上げた。
全世界の科学者達が喉から手を伸ばしてでも欲しがるその証も、彼にとっては只の通過点でしかなかったのだが。
「……駄目だ。やっぱり質量が安定しない―――」
もう何千回と繰り返している実験を終え、悠太は苦しげに仰のき溜息を吐いた。理論的にも、装置の稼動方法も間違ってはいない。しかし、装置の出力を一定化させるだけの高純度エネルギーが存在しない。…嘗て自分が動かした事のある、装置は―――――
「それだけは――――出来ない!」
激しく首を振り、両手で顔を覆った。思い出してしまった、悪夢としか言えない光景を。
人間の精神エネルギーを、取り出して純化するシステム―――。それにより、「あの装置」は稼動していた。それを使って、自分は――――。
「―――――っ」
ぞくり、と身体を震わせ、悠太は嫌な考えを追い払った。自分の命が、とてつもない礎の上にある事を知っている。誰よりも大切な人達を犠牲にして、今ここに自分がいる訳は。
「もう少しだ―――もう少しだから。必ず、助けにいくから…!」
そう。その為だけに、今の自分は存在する。







惰性で生きていた日々。
唐突に世界は変わり、理不尽な場所へ放りこまれ。
そしてそこで、喩えようのない程、強く、真剣に生きようと足掻く人々と出会った。
はじめて、自分の居たい場所を見つけられた。
それなのに。
皆、自分を置いていった。
否、自分が置いてきてしまった。



『退避せよ…退避せよ…退避せよ…退避せよ…』

『ユータ…かならず、帰ってね…あなただけ…でも…しあわせに…』

『な、あ、っく、たのむ、たのむよ、こいつっ、こいつだけは、すけて…たすけてくれよ、たの、む、からぁ…!』

『   ワ   タ    シ      モ   ウ   ト ケ  チ   ャ ッ     タ   ケ   ド 、  ダ     イ  ジ     ョ     ウ       ブ     』

『なぁ……つれてってくれるか…? 腹いっぱい、飯が食えて…ゆっくり、眠れる、世界、に――――』









「助けるから―――、俺が助けるから。助けに、いくからっ…」
あの時から勉強をはじめて、理論を構築するのに10年かかった。
それから記憶だけを頼りに、装置を作り出すのに20年かかった。
もう、自分の身体にはかなりガタが来ていたけれど、それでも。
「もうすぐ、会える」
それだけが彼を支える原動力だった。
今度は、絶対に足手纏いにはならない。護身術の訓練はここまで歳を取っても毎日欠かしていないし、銃器類の扱いにも慣れてきた。僅かな記憶を頼りに、あのプログラム≪反乱軍≫も作成・改良した。
もう誰も、命を落とさせない。
過ちは、二度と繰り返さない―――――。








プシュン、とドアが開く僅かな排気音で我に返った。
「こんにちは」
くすくす、という笑いと共に、ロックしていたはずの研究室に一人の少女が入りこんで来た。年はまだ、10代の半ば程までしかいかないであろう筈なのに、その身を味気ない白衣で包んだ美少女だった。
「アージェ。勝手に入って来ないでくれないかい?」
「だって、開けられるんだもの」
半ば諦めた口調で悠太が溜息を吐くと、アージェと呼ばれた少女は本当に面白そうにくすくすと笑った。
どう見ても少女にしか見えない彼女の名は、アージェンタ・エイルソーンと言う。れっきとした、このセーフィックを代表する科学者である。というより、彼女が最初のセーフィックと言っても過言ではない。幼い頃から、プログラミングに関して逸脱した才能を認められ、僅か8歳で博士号を取得。そしてセーフィックという機関が出来あがると同時に、彼女はその研究所のシステム製作に携わったのである。どんなに厳しいロックをかけた部屋でも、彼女にとっては自分の家の鍵を開ける事と同じな訳だ。
しかしこうやって目の前で無邪気に笑われると、どう見ても只の少女にしか見えない。滅多に他の人間に心を許さない悠太でも、あまり気を使わずに会話をする事が出来た。
「インタビュー見てたわ。お勉強、苦手だったの?」
口元に手を当てて、くすくすという笑みを収めない少女に、こちらも苦笑するしかない。
「あぁ。高校生の頃は、大学に行けるかも危うかったからね」
「ふぅん…。ねぇ? この研究所に名前をつけたのは貴方よね。一体、どんな意味なの? ≪エレン≫って。恋人のお名前?」
唐突に聞かれた問いに、一瞬悠太の眉が動く。セーフィックは現在4つの研究所を抱えており、それぞれそこを管理する科学者に依って名前がつけられていた。
第1研究所・≪メトロノーム≫…アージェンタ。
第2研究所・≪エレン≫…悠太。
第3研究所・≪オーシャンベイ≫…遺伝子工学者のメイルリーフ・トランゾ。
第4研究所・≪NEO−T≫…心理学の権威、マッシュ・マクスゥエル…というように。
今現在次々と研究所の基盤は建設されているが、其処に相応しい科学者はまだ選抜されていない。普段研究者達は、自分の研究所から出ることはあまりないが、アージェンタだけはこの全ての研究所のセキュリティまで任されているので、時々他の研究所にも足を運ぶ。
「…いや。昔住んでいた街の名前を、貰ったんだ」
「故郷、なの?」
「……うん。そうだね」
小首を傾げて続けられた問いに、一瞬躊躇って頷いた。
そう。確かにあそこは、自分の故郷だったのだ。
辛くても苦しくても痛くても、とても大切だったあの時間が――――。
「そうだ! あのね、新しい警備システムを考えたの。問題よ、とても強い肉体と強い兵器を持った怪物と、弱くて何の力も無いけどずっと分裂増殖を繰り返す単位生物。どちらがより長く生き残ると思う?」
くるくると変わる会話の内容に、悠太は困ったように笑う。こんなところを見ると、年相応に見えて微笑ましいが、その実こういう風に聞かれる問はとても鋭い事が多いので注意が必要なのだ。
「…後者、かな?」
「ピンポーン。正解です」
素直に出された答えに、アージェンタは心底嬉しそうに笑う。
「どんなに力が強くても、どんなに強靭な肉体でも、いつかは必ず死ぬわ。本当に強いのは、瞬間が連続し続けることよ」
楽しそうに、まるで踊るように、少女は悠太の周りをくるくる回る。
「だから考えたの。再生し続ける警備システム。一個体が弱くても、修理と再生を繰り返して、絶対に途切れない兵隊」
ちり、と悠太の脳の隅が焦げる。
嫌な予感がした。
「アージェ」
「うん?」
立ち止まり振り向いた少女は、いつもと同じ笑顔を浮かべていた。その事がますます、悠太の心臓を逸らせた。
「その―――、警備システムの…兵隊の、名前は?」
僅かに震える問をどう思ったのか、アージェンタはやはりにっこりと笑った。




「再生者――――≪リバイブ≫。システムは≪ラグランジュ≫って名付けたわ」




「―――――――――――!!!!!」








世界が、












回転した。

















どう歩いたか解らない。気がついたら自室に戻っていた。
「う……ぐっ!!」
胃の奥がぐぅっ、とせりあがってきて、慌ててバスルームに駆け込んだ。
「ぐぅぇっ、ゲホッ! う、く、」
排水孔に向かって、吐いた。吐き続けた。
「う、ぇっ…あぁ、あ、なんて、こ、と…」
何てことだ。
何てことだ。
切り開いていた筈の、模索していた道が。
二度と見たくないと思っていた悲劇に繋がっていたことが、はじめて解った。
「エレン…ラグランジュ…リバイブ…!」
全てが、一本の線に繋がってしまった。
あの、どうしようもないほど滑稽で、哀れな悲喜劇を作り上げた元凶は、自分ではないか!!
「うわあああああああああああああああ…ッ!!!」
頭を抱え、蹲って悠太は叫ぶ。
そう遠くない未来、この世界は滅び。
隔壁に守られた閉じられた都市で、歪んだ世界が構築され。
只生まれてきたというだけで、迫害されなければいけない人々が誕生してしまう。
「ダスト…ダストォッ…! …!!」
謝ろうと思って、何て事をとすぐ思い直した。
いくら詫びても償い切れるものではないし、それより、何より。
「俺は…馬鹿だっ…」
どんなに取りつくろっても―――――どんなに、建前を演じてみても――――――、
「それでも…会いたい…会いたいんだよぉッ……!!!」
只自分が願っていたことが、それだけである事に気付いた―――。








だって。
自分が一番近しいと望む存在は、








『馬鹿ッタレ。何やってんだよユータ!!』








彼しかいないのだから―――――――――――。










自分のエゴが、世界を改変させ。

自分のエゴが、世界を収束させる。




それが解っていても、もう後戻りは出来なかった。
「俺に出来るのはもう…君達を助ける事、だけだから」
もう時間が経ち過ぎた。
あの時、僅か18かそこらだった自分は、もう老いに差しかかった。
今更、生き方を変える事など出来ない相談だ。
「待っていてくれ―――、必ず…助けるから」
その瞳が狂人のものと化していても、もう誰にも止める事は叶わない―――――――。