時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

EX:再誕:




体 が、動かない。
私は一体、 どうなっ た の?



「…お前等はもう解放された」



誰?
どう いう、こと?



「もう伯爵は、お前の主では無くなった」



いや。
そんな の、嫌。



「それが幸福なのか不幸なのかは、お前が決めろ」




助けて。
助けて、お父様―――――――!!



「忘れるな。後はお前次第だ――――」









てくてくとゆっくり、何個目かの丘を登りきり、レキは一つ息を吐いた。
いつも通り、友人が仕事から帰って来るまで彼の妹の面倒を見、それが終わると家に帰る―――そんな生活を変えることは無かった。
そう。この世界はそう簡単に変わるものじゃない。
例えこの街を支配していた伯爵が死に、そのシンボルとも言うべき中心塔が倒れてしまっても、地に生きる人達の生活にそう変化は無い。
せいぜいもう税金を納める必要が無くなって、暮らしが少し楽になったぐらいだ。主を失った鎧達は殆どが自我を保てずに壊れてしまい、ジャンク屋で普通に売られるようになったが、強盗達は相変わらず幅を利かせている。
只生きていくというだけで、この世界は何かと大変だ。
それでもレキはいつも通り、穏やかな笑みを浮かべて家路を急いでいた。
てく、てく、てく、てっ、がたっ。
「うわっ」
突然足場が悪くなり、レキは思わずその場に膝をついた。視界の無いレキにとっては、歩くということだけでちょっとした重労働になる。尚且つこの街は、辺りに沢山の機物破片が散らばっているのが当たり前。それ故彼がよく歩く道のりを定期的に友人達がある程度の整備をし、彼が歩き易いようにしてくれていた。
それでもやはり、走り抜けた強盗の車の轍やら、この辺りを漁った者が散らばしたジャンクパーツなどがたまにあり、こうやってレキの脚を止めさせてしまう。いつものことなのであまり気にせず、レキは膝を軽く払って立ち上がろうとしたのだが。
「…?」
どうも、今日踏んだものはいつもと違う気がして、レキは再び赤砂の上に膝を下ろした。地面にそっと両腕を伸ばし、辺りを探る。
やがて、自分が踏みつけたらしい柔らかいものに、指先が触れた。
そっと触れて、レキは耳を澄ませた。彼が外界のことを知るための唯一の器官を研ぎ澄ませた。
やがて―――水音が聞こえた。
ゆるゆると流れていく、黒い血の音が。
更に指を伸ばし、その体が倒れ伏しているらしいことに気づき、レキはいつになく慌てた声をあげ、その身体をそっと揺らした。
「もしもし、鎧さん、大丈夫なのですか?」
揺らす身体に合わせて、頭皮から生えた艶やかな黒髪も一緒に揺れた。








かちゃかちゃと陶器の触れ合う音が聞こえた。
不快に思った。自分はまだ眠っていたかったのに。眼なんて覚ましたくなかったのに。
――――?
おかしい。



私に眠りなど必要ないのに、どうして私は眠っていたの?



「――――――――ぁあっ!!?」
がばり、と一子は身を起こした。そして、自分の体がきちんと再生していることに始めて気がついた。
「…………」
両手両足、美しい黒髪の先に至るまで、完全に再生は終わっていた。
それを確認してから、慌てて辺りを見回す。
そこは、酷く簡素な、バラック作りの小屋だった。彼女は酷く不似合いな、粗末で狭いベッドの上に寝かされていた。
「私―――、私、」
混乱のあまり言葉が出てこない一子の前に、ドア代わりらしい布を押し上げて人影が入ってくる。はっと意識を緊張させ、ベッドの上に上体を起こしたまま身構えた。
「目が覚めたのですか? 良かったのです」
「―――貴方は―――!!」
湯気の立つカップを置いたお盆を持ったまま、にこっと笑った男に一子は見覚えがあった。
自分が、兄を壊す為に出撃した際、弟が撃ち漏らした男。興味など持てるわけが無く、自分もそのまま捨て置いていたのに。
「…? 僕のことを知っているのですか?」
「惚けないで下さいまし! 貴方は、あの下賎の者の仲間でしょう!!」
「ええっと…」
言われた意味が解らないらしく、レキは心底不思議そうに首を傾げる。それにより一子はますます激昂し、立ち上がろうとし―――くらり、と眩暈を覚えた。
「ああ、駄目ですよ、急に動いては」
気配を感じたらしく、レキがお盆を床に置いてから一子の方へ近づき、肩を支えようとして。
「触らないで下さいまし!!」
ぱしんっ、とその手を弾かれた。
「…あの、もし僕のことを見たことのある方だったら、申し訳ないのです。声を聞いたことがあれば、忘れることなんてないのですけれども―――」
「…?」
拒絶された理由をどう思ったのか、すまなそうに詫びるレキに対して、一子は漸く気がついた。目の前の男が、今まで一度も瞼を開こうとしないことに。
「貴方、目が―――?」
「はい。生まれつき見えないのです。匂いも解りませんし、舌も鈍いのです」
ちょっとだけ困ったようにレキはまた笑って、床に置いたままだったお盆を引き寄せた。
「だから味の保証が出来ないのですが、宜しかったらどうぞなのです」
カップに入っているのはお茶らしいが、普通のお茶より格段に色がどす黒く、匂いもかなりきつい。どう考えても茶葉の入れすぎだろう。一子にも元々味覚は存在しないので、軽く眉を上げるだけだったが。
「結構ですわ。私は鎧ですから、必要ありませんわ」
「ああ、そういえばそうなのでした。失礼しました」
半分脅す名目で、つんと横を向いて自分の正体をばらしたのだが、既に気づかれていることに慌てて視線を元に戻した。
「何故―――」
「はい?」
「私が鎧だと知ったのですか? 知っていたのならば何故、このような真似をしたのです?」
自然に疑問が口からついて出た。理解が出来なかった、目の前の男の行動が。
「僕は、耳だけは普通よりもちょっとだけ立派なのです。体に触れて音を聞けば、人か鎧かの区別はつくのです。鎧の方は、心臓の音がしませんから。最近は多いのです、貴方のように倒れている鎧が」
「――――――――!!!」
レキの言葉に。
一子ははっきりと思い出してしまった。思い出したくない記憶を。


遠い意識の果てから、確かに聞こえた父の残酷な言葉。
自分の中で禁忌であった疑問の言葉が、何の躊躇いも無く口をついて出た事実。
自分には既に、何も無いこと―――――――。


「い、やああああああああああああっ!!」
「鎧さん!?」
頭を両手で抱えて、一子は蹲ってしまった。絶対に避けたかった例えようも無い恐怖が一遍に襲ってきて、パニックを起こしたのだ。
ざわり、と黒髪が震え、浮き上がり、凶器の刃と化す寸前――――
「落ち着いてください!!」
ベッドに乗ったレキが、何の躊躇いも無く一子の肩を抱き寄せた。
「触らないでっ!! 離して! 離しなさい―――!!!」
「っ、うああ!!」
ビシュシュッ!!
一子の髪が、容赦なくレキの皮膚を切り裂き、貫いた。もし一子が錯乱していなかったら、過たずレキの全身を切り刻んでいただろう。
それでも、レキは腕を離そうとはしなかった。寧ろ益々、ぎゅっと強い力で一子を抱き寄せたのだ。
「いやっ、嫌ぁあ!! お父様、助けてお父様――ッ!!」
「落ち着いて! いいですか、もう大丈夫なのです! 僕も、誰も、貴方に危害をくわえたりしません、もう大丈夫なのです!!」
「離して…離してええ!!」
「もう誰も、貴方を傷つけたりしません! 大丈夫なのですっ…!!」
レキには勿論、彼女がこんなにも怯え、慄く理由は解らない。
只、自分には敵意が無いこと、この場所は安全なのだということを知って欲しかった。
そう思わせるほどに、彼女の叫びは―――身を切られるかのような苦痛と、どうしようもないほどの孤独に満ちていたから。
そんな音は、発して欲しくなかったし、聞いていたくもなかったから。
だから、傷つけられても決して手を離そうとはしなかった。
「大丈夫、大丈夫なのです…」
やがて、狂乱の黒髪が少しずつ収まり、一子が再び負荷に耐え切れなくなって意識を失うまで、意識を失っても、レキはずっと自分よりも細いその両肩を抱きしめ、背中を撫でてやっていた。
まるで、泣きじゃくる子供をあやすように、何度も何度も。






「…落ち着かれたのですか?」
「……………………………」
一時の狂乱が過ぎ去り、一子は漸く我に返った。軋む寝台の上で、素性も良く解らぬ男に抱きしめられているのに気づき、やや乱暴にその手を振り払った。
「…余計なお世話ですわ。離してくださいませ」
「あ、これは失礼したのです」
離さなければ切り刻んでやろうかと思っていたのに、その手はあっさりと離れていった。肩透かしを食らったようで一子が戸惑っていると、レキはあ、と呟いて手をぽんと叩いた。
「すみません、自己紹介がまだだったのです。僕はレキと言うのです。この家で一人暮らしをしていて、昨日帰り道で貴方を拾ったのです。貴方のお名前は何なのですか?」
妙な口癖の男はそうやって言葉を結んだ。丁度良いと思い、一子は立ち上がった。この男に畏怖を抱かせるのは簡単だ、と。
「私の名は一子。伯爵に仕える最高の鎧であり、貴方達不届き者の敵です。先日も今も、貴方の命が助かったのは私の気紛れに過ぎないと覚えておいでなさい」
「そうだったのですか。それは、ありがとうなのです」
胸の前で腕を組み、威高々に宣言する一子に対し、レキはいつもと寸分違わぬ笑顔でぺこりと頭を下げた。
「……………………」
またしても肩透かしを食らってしまい、暫し呆然とする一子。その次に、わなわなと怒りが湧いてきた。
「ちょっとお待ちなさい」
「はい?」
「何故そこで素直に頭を下げるんですか、貴方は!!」
「え、ですから命が助かったのは本当に有難いので」
何でもないことのようにのほほん、と言われて、がくりと一子の身体が傾いだ。あまりにも許容範囲外の言葉を言われて、思考部分がショートしてしまったらしい。
「いちこさん? 大丈夫なのですか!?」
遠のく意識の中で、必死に願った。
目よもう覚めないで――――と。







次に目が覚めたときもやはり天井は低く汚くて、一子は絶望の溜息を吐いた。
(もう、嫌。消えてしまいたい)
伯爵が全ての鎧を解放してから、やはり変わってしまった環境により不安定になり、沢山の鎧が耐え切れず停止した。それを先生が尽力し殆どの鎧の再起動を行った。主がいなくても、稼動できるように。先生自身は渋っていたが、ゼロとジン、二人のたっての願いで重い腰を上げた。
しかしそれでも、主という一柱の為に稼動し続けてきたモノ達が、何物にも寄る辺無く生きていくと言うことは酷く難しく、殆どの鎧は自然とまた停止してしまった。それらは今まで虐げられてきた人間の反撃を助長させ、途方に暮れた鎧達を勝手に分解したり、自分達の慰み者にするものまで居た。現在ジン達は出来る限りそれを止める為に、街中を飛びまわっている。
一子ももう少し性能が悪ければ、停止したまま―――再生もされず、動けなかっただろう。しかし情報処理能力の高さがそうさせることを許さず、また彼女を再起動させてしまうのだ。
のろのろと寝台から身体を起こし、立ちあがる。少なくともここには、もう居たくなかった。
「あ、目が覚めたのですか? 良かったのです」
今まさに出よう、とした時に、レキが帰ってきてしまった。露骨に不機嫌そうに眉を顰める一子に気づかず、レキは済まなそうにぺこりと頭を下げる。
「申し訳ないのです。中々目を覚まさないので、お仕事に行っていました」
「構いませんわ。別に帰ってこなくても宜しかったのに」
棘の生えまくった一子の台詞に、何も堪えた様子は無くレキはにこにこと笑っている。
「それはちょっと困ってしまうのです。今日ジン君たちにお約束してしまいましたから」
「!?」
唐突に言われた憎っくき敵の名に、きりきりと一子の眦が吊り上がる。更にレキは、命知らずな言葉を続けた。
「ゼロ君とジン君が、貴方に会いたがっているのです」
「なっ…」
絶句する一子をよそに、レキはにこにこと言葉を続ける。
「今僕の家にいることをお話したら、お二人ともとても吃驚して、それ以上に嬉しそうでした。是非一度お会いしたいとの事でしたので、落ちついたら僕が連れていきますとお約束を「ふざけないで下さいまし!!!!!」



ズガガガガガッ!!!



最大の激昂と共に、辺り一面が切り裂かれた。壁やら棚やらベッドやら、片っ端から鋼線でずたずたにされてしまっている。しかしレキには傷一つ無かった。怒りに任せすぎて、狙いが定まらなかったのだろう。
「見え透いた嘘を言うと為になりませんわよ…! お兄様とあの下郎が、何をそんなふざけたことを―――」
「あの、本当なのですが」
「お黙りなさい!!」
「黙りません。嘘では無いのです」
「―――――っ…」
ヒステリックな絶叫に構わず、きっぱりとレキは言いきった。のほほんとしたお人よしだと思っていたこの男のどこに、そんな気迫があるのか、一子は我知らず臆してしまった。
否―――怯えが表面化した、という方が良いだろう。再起動してから、一子はずっと怯えていた。自分が稼動するべき理由がぽっかりと無くなってしまい、まるで自分が裸の赤ん坊のような無防備な存在であると、高すぎるプライドがそれを認める事が出来ず、必死に虚勢を張っていたのだ。
今までなら、自分の力を見せつければ、どんな人間でも自分の前に平伏して許しを乞うた。妹達も自分を畏怖の瞳で見た。
それが当たり前だったのに、目の前の男は下がりもしない。只柔らかい笑顔だけを浮かべて、静かに言葉を紡いでいく。
「お二人から伝言を預かっているのです。ええっと…ジン君からは、『とりあえず顔蹴り落としたのは、謝っとく』と。ゼロ君からは―――『無寺デ良かツた。一度、逢いタい』と」
「…何を、馬鹿な」
口調まで真似られて、悔しいことに一言一句凄く似ていて、腹立たしさと悔しさが意識を席巻した。
「ゼロ君もジン君も、貴方のことを心配しているのですよ。只でさえ今は、沢山の鎧さんが酷い目にあっているのです。いちこさんも、ゼロ君のように生きられれば良いと思っているのです」
「勝手なことを…! 私から全てを奪ったのはお兄様ではないですか! こんな絶望、あのヒトは味わったことなんて無いくせに―――!!」
両手で頭を抱え、ぺたんと床の上に一子は座り込んでしまった。嫌々と言うように首を振り、俯いてしまうその姿は、外見が変わるわけが無いのに、とても―――幼い子供のようだった。
「…いちこさん。僕には貴方の悲しみがどれだけのものなのかは解りませんし、ゼロ君達が何を考えてそう言ったかの確信も持てません。だから今から言う言葉は僕の推測に過ぎないのですが」
ことん、と両膝を床に下ろし、レキは一子と向かい合う。勿論その瞳は閉じられたままで視線は絡みあうことはないのだが、一子はゆるゆると顔を上げた。紫色の瞳に映るその顔は―――やはり、穏やかに笑っていた。
「ゼロ君もジン君も、今とても幸せなのです。だから、貴方にも同じぐらい幸せになって欲しいのですよ。勿論僕もそう思います。あ、これは推測ではなく僕の正直な気持ちなのです」
「――――何故、そう…思いますの?」
途方にくれた声音のまま、ぽつんと一子が呟いた。そんな考え、とても理解出来るものではなかった。主では無い者を幸せにする行為など、彼女は知らない。
「だって、誰か一人が幸せなのよりも、皆が幸せのほうが嬉しいじゃありませんか」




結局その日、一子はまたレキの家に泊まった。
他に行くあてなど無かったのもあるし、ベッドを一子に譲って床で暢気な寝息を立てているこの男がどうにも理解出来ず、気持ちが悪かったのも理由の一つだ。このまま離れるのも、癪に障った。暫くその寝顔を眺めていたが、やがて意味の無い事に気付いて、渋々ながら軋む寝台にもぐりこむ。人間の真似をして目を閉じてみると、たちまち暗闇に襲われて恐怖ですぐに目を開けた。光と音の無い世界は、自分にとっての死と同じだったから。
絶望から停止を望んでいたのに、それを恐れる自分に気付かないまま、夜が明けるのを待った。








「今日もジン君の家に行かなければならないのです。今ジン君達は凄く忙しいのです。宜しければ一緒に行きませんか?」
「私が頷くとでもお思いですか?」
「うーん…やっぱり駄目ですか?」
「当たり前です」
と、ぎろりと剣呑な目で目の前に座っている暢気な男を睨む。視線を感じる事は無いが、言葉に込められた苛立ちには当然気づき、残念なのです、とレキは一つ息を吐いた。
「きっとネジちゃんも喜ぶと思うのですが」
「私の知ったことではありません」
ふい、と目を逸らし、不機嫌そうに渡されたスプーンで目の前の正体不明のスープをかき混ぜる。必要の無い鎧にわざわざ食事を用意するこの男が、やはり理解できない。
「あの…やっぱりお口にあいませんか? 僕が何か作ると、皆さんにすごく不評なのです…味見が出来ないから当然なのですが」
自分の行動を音で感じ取り、見当違いの台詞を吐く男にこれまた苛立つ。
もう話す事すら億劫で、きゅっと一子は唇を噛みスプーンをテーブルの上に置いた。
……タカタカタ……カタカタカタ…
「――――?」
と、そのスプーンが自然と震え出し、一子は訝しげに眉を寄せた。そして、スプーンではなくテーブル自体が揺れていることに気づいた。
「あ」
小さく、レキが呟く。普段よりはやや慌てた風体で、食べかけの食事もそのままに椅子から立ちあがった。
「いちこさん、家から出ないで欲しいのです」
「何を言い出すのですか? 私の行動を貴方に制限される権利は」
「お願いします」
「ちょっと…! お待ちなさい!」
返事を聞かず、入り口の布を翻してレキは外に飛び出してしまう。彼らしからぬ行動に、一子もその後を追って外に出ると―――、遥か遠くから、砂煙が近づいてきていた。
ドスッドスッドスッドスッ!!
その正体は、一子が今まで見たことも無い代物だった。お椀から8本足が出た珍妙な機械の馬、とでも言えば良いのだろうか。
「オウオウ! 新生リンゴ三兄弟、只今参上だぜ!!」
「オイオイ! 改造した機動馬の調子も抜群だぜ!!」
「オラオラ! 今日の獲物はあそこに住んでる馬鹿だぜ!!」
その上に乗った男達が、口汚く叫びあいながらこちらに向かってくる。足音に気づいたのか、家の前に佇んでいたレキが振り向く。
「駄目です、いちこさん家の中へ―――」
「なんですのあの下賎共は?」
「最近良くこちらにいらっしゃる、泥棒さん達なのです」
ザシャアッ!!
レキの答えに一子が目を見開いた時、不恰好な馬は二人の目の前で止まった。ドムドム!と自分達の指を銃機に変え、空に弾を撒き散らした。
「オウ! また来たぜ馬鹿!」
「いらっしゃいませなのです」
ぺこり、と頭を下げるレキ。男達の笑い声が、辺りに響く。
「オイ! 相変わらずだなぁ馬鹿!」
「変わるというのは中々難しいのです」
また、笑い声。一子はその野卑な声を聞くたび、眉間の皺を深めていく。どちらかというと男達に対する不快さより、それにいちいち返事を返す目の前の男の方に腹が立っているが。
「オラ! だったら俺達の用件は、もう解ってんだよなぁ?」
「昨日ちょっと出費が嵩んでしまって、これぐらいしか無いのですが」
レキが懐から財布らしき袋を取り出し、男達に差し出した時に一子の我慢は限界に達した。
「何をしていらっしゃるの!?」
ぱしっ、とその袋を横から取り去り、ぽかんとしたレキに激昂をぶつける。その時漸く一子の姿を視界に収め、髭面たちが色めき立った。
「オウオウオウ! なんつー別嬪だよ!」
「オイオイオイ! イイ身体してんじゃねーか!」
「オラオラオラ! そこの馬鹿、こんな女どこで買いやがった!?」
「お黙りなさい!!」
一子がきっと視線を向け、怒鳴る。その迫力に思わず男達が口を閉じ、それから再びにやにやと無遠慮な視線で一子を眺める。
「オウ、気の強ぇーところもイイじゃねーか」
「オイ、俺らと一緒に来いよ」
「オラ、そんな馬鹿よりよっぽどイイ気分にさせてやるぜぇ?」
「うーん…だから、家の中にいて欲しかったのですけど」
あからさまな欲を隠そうとしない男達の言葉に、レキが困ったように首を傾げる。
「誤魔化さないで下さいまし! 貴方、このような下賎の者達に何故大人しく従うのですか!」
「迂闊に逆らうと、僕は殺されてしまうからのですが」
のほほんとした口調はそのままに、あっさりと言われた言葉に一子の言葉が詰まる。確かに、男達は擬鎧で固めているし、レキは丸腰だし、当然と言えば当然なのだが。
「悔しくは無いのですか! それは貴方が労働によって手にいれた報酬でしょう! それを易々と差し出して、いいように詰られて! 理解出来ませんわ…!!」
訳の解らない苛立ちが一子を突き動かした。顔をつきあわせて放たれた絶叫に、レキは一瞬呆け。
にっこりと。
「ありがとうなのです、いちこさん。怒ってくださって」
笑いながら、そう言った。
「でも、お金はまた働いて稼げばいいし、悪口は我慢していれば平気なのです。命が無くなったら、何も無くなってしまいますから」
笑ったまま、そう言われて。一子は動けなくなってしまった。
「…理解…出来ません…」
「申し訳ないのです」
「オウ! 話は終わったかい?」
「オイ! 姉ちゃん、その金と一緒にこっちへ来な!」
「オラ! 足りねえぶんは姉ちゃんが頑張ってくれるとさぁ!」
ゲラゲラと笑う男達の声に、誰がと一子が睨みつけた時。
「あ、それは駄目なのです」
きっぱりと。レキは言いきった。
「…オウ? 今何か聞いたか兄貴?」
「…オイ? 確かに何か聞こえたな?」
「…オラ? てめぇ、馬鹿の分際で俺達に逆らう気かァ?」
「はい、そうなるのです。いちこさんは連れていってはいけません」
すたすた、と固まったままの一子の前にレキは何の躊躇いも無く立ち塞がる。
「オウオウオウ! てめぇ正気かァ!?」
「はい、間違いないのです」
「オイオイオイ! 俺らが許すとでも思うのかァ!?」
「いいえ、思わないのです。でも駄目なのです」
「オラオラオラ! 俺らがそんな甘くないって事、思い知らせてやらァ!!」
ジャキジャキジャキン!!と沢山の銃口が一斉にレキに向けられる。未だ動けない一子に、レキは一度振り向いて済まなそうに笑った。
「お願いがあるのです。道なりに行けば、ジン君達の家につくので、行って頂けませんか? きっと皆さん、歓迎してくれるのです」
「貴、方――――何を考えているのですかっ!! たった今死にたくないと言ったのは、貴方ではなくて!?」
「はい、死にたくはないのです。でも、いちこさんが酷い目にあうのは、もっと嫌なのです」
「何故―――、何故です!? 何故貴方はそこまで、私を―――」
「それは」
ギチリ、と引鉄が引かれる音がする。それにも構わず、レキは一子の方を向いたまま笑っていた。
「貴方が、とても寂しそうだったからなのです。本当に寂しい時は、誰かと一緒にいるのが一番良いのです」
熱線が、身体に届く一瞬前。
「僕も少し寂しかったから、おあいこなのです」
そう言って、彼はやはり、笑っていた。




「――――止まりなさい!!!」



ズガガガガガガガガッ!!!


「オ、オウ! なんだこりゃあ!!」
「オ、オイ! 兄貴、こいつひょっとして―――」
「オ、オラ! びびってんじゃねぇ、鎧なんざもう怖くねぇんだ!」
「―――――…いちこさん…?」
一瞬だった。男達の指から放たれた攻撃は、全て黒い繭のようなもので弾かれていた。それはすっぽりとレキの身体を包み、すぐに解け、元の形に戻った。さらりと流れる、黒髪に。
「…不本意ですが、致し方ありません」
不機嫌そうに髪を一度背に流し、つかつかと一子はレキの前に近づき。
「私が力を振るうのは、お父様の―――主の、為だけです。結果が先に立ったと仮定して、行動します」
そのまま、白磁のような手をレキの両頬に伸ばし包みこむと。
躊躇いも無く、目を閉じて口付けた。
「―――――…」
一瞬だけ舌が絡まり、すぐに離れた。レキはぽかん、と口を開けたまま―――何をされたのか漸く察し、カァ、と頬を真っ赤に染めた。それを見て、一子は笑ってしまった。この男の動揺した姿を初めて見たことを、好ましく思った。
「遺伝子情報取得。照合完了―――私一子は、貴方を主と認識しますわ」
一度目を閉じ、きっぱりと言いきった。
(さようなら、お父様)
別れの言葉は、すんなりと浮かんだ。
目の前のこの男と、感情の赴くままに話している時に限り、父の事を忘れてしまえていたことが――何よりの理由なのだろうと、思った。
きっとレキに見えていれば更に赤面してしまったであろう程の蕩ける笑みを浮かべ、一子は狼藉者達に向かい合う。
「本来ならば肉片になるまで切り刻みたいところですが―――主が嫌がりそうなので、それは堪えて差し上げます。その不恰好な機械だけでも、粉々にさせて頂きますわ」
「オオオ、オウ! 本気かテメェ!」
「オオオ、オイ! そんな馬鹿を主人になんざ、テメェも馬鹿だぜぇ!」
「オオオ、オラ! そうだぜ、そんな馬鹿よりか俺らの方がよっぽど―――」
「その薄汚い口を閉じてくださいませ」
ざわり、と風も無いのに長い黒髪が膨れあがる。
「私―――――今大変ムカッ腹ですわ!!!」



どこかで聞いたような激怒の声と共に。
黒髪の雨と爆音、男たちの悲鳴が空に響き渡った。





「あれだけ脅しておけば、もうここに足を運ぶ事は無いでしょう」
勝ち誇ったように豊かな胸を逸らせる一子に、まだレキはぽかんとしている。
「いちこさん―――どうしてなのですか? てっきり僕は、貴方に嫌われていると思っていたのですが」
呆然としたように、それでも紡がれる言葉に一子は一度だけ困ったように口を結び。
「…そんな理由などどうでも宜しいではなくて? 貴方は私という鎧を得たこと、ご不満なのですか?」
高慢な言葉の裏に滲むのは、明確な不安。利用価値が無く捨てられてしまうのではないかという恐怖。
それに勿論気づいたレキは、慌ててふるふると首を振って―――また笑った。
「いいえ。光栄なのです」
「当然ですわ」
安堵の息を堪えて、一子は満足げに頷く。
「さ、参りますわよ」
「え? 何処になのですか?」
「っ…決まっているでしょう! 貴方の命令ならば私は遵守致しますわ!」
「あ、ジン君達のお家なのですか? 僕は別に命令したつもりは無かったのですが―――」
「礫様!」
「はい?」
自分の名前を初めて呼ばれ、尚且つ様付けなところに驚いた。一子は僅かに気まずげに目を逸らしながら、それでも高圧的に言葉を続ける。
「貴方が本日向かう場所は其処でしょう!」
「はい、そうなのです」
「ならば私はそれに同行致します。主を護る為に側にお付きするのは当然ですし、それに―――」
そこで言葉を詰まらせ、僅かに頬を赤らめて俯いてしまう。何かを感じ取ったのか、レキは首を傾げ、そして―――
「そうですね。一人は寂しいのですから、一緒にいて頂けますか?」
笑って、とても優しい命令をした。
「…仕方ありませんわね。従って差し上げますわ」
嬉しさを堪えるかのように、一子はぷいっと横を向いたまま答えた。
そのまま、どちらからともなく二人で、赤い砂の道を歩き出したのだった。