時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

22:意味:

「うー…ん…」
「やっとお目覚めか?」
「ふえ?」
ゆらゆらと揺らされていた意識が浮上して、ぱちっとネジは眼を開いた。自分が誰かの腕に抱えられていることに気づいて、その相手を見極めようと上を見る。
「ああ、せんせえだぁ!」
吃驚と喜びが半々の叫び声を耳近くで上げられ、先生の体が僅かに傾ぐ。
「あれれ? あたし、なにしてたの?」
「…何もない。眠っていただけだ」
別に知る必要は無い、と思った。例えこの収束する世界で生きていくにしては純粋すぎる魂の持ち主だと解っていても、否解っているからこそ。
出来るだけ、辛いこと、苦しいこと、悲しいことなど知らなくても良いようにと思ってしまうのだ。
だからこの少女は全てに愛される。ジンにも、ゼロにも、友人達にも、そして―――全てに絶望しかけていたあんな男にも―――自分に、さえも。
全くもって子供は得だな、と心の中だけで溜息を吐いた。
「う〜んと、レキとおうちにいてぇ…おにいちゃんがゼロをまとっててぇ…あれえ? おにいちゃんがふたりいたようなきもするんだけど…???」
何度も記憶を書き換えられたせいで、かなり混乱しているようだ。無理するな、という風に先生は猫毛の頭をぽんぽん叩いてやる。
「夢でも見たんだろう。忘れておけ」
「うー…???」
両手で頭を抱えてぐるぐるしている少女に苦笑して、脚を抱え上げていた方の腕を軽く揺らしてやる。
「まぁ、只の夢でも無かったみたいだけどな」
「ふえ? ………!!!」
疑問は一瞬、自分の足に視線を移したネジが、その顔を見る見るうちに喜び一色にしていく様を見て、先生は僅かに息を吐く。
(お前はもう夢を見ていないだろうけれど、お前の一部はこの子供の夢を叶えた)
そんな勝手なことを思ってしまう。許せとも言えないが、生きているものが死んでいるものに出来ることと言えば―――やらざるをえないことと言えば、死者にとって何の意味もない祈りぐらいしか思いつかないのだ。
「あ! せんせー!!」
ふいにじたばたと腕の中で子供が暴れ、我に返った。ジャンクパーツばかりだった地面が漸く赤い砂を見せ始めた辺りで、向こうから歩いてくる一団をネジが指差した。
「あいつら…街で待ってろと言ったのに」
「せんせーおろしてー!!」
なおもじたばたと暴れる子供を地面に下ろしてやるところで、向こうも気がついたらしい。
「―――ネジ!!」
「ほんとだ…ネジちゃんだ〜〜っ!!」
「ね、ネジちゃん? ほんとに、ネジちゃんっ…!?」
「ネジちゃん…良かったのです…!!」
口々に少女の名を呼んでこちらにかけてくる面々に、「みんなーっ!!」と両手を大きく振って応えると、少女は自分の両足で、砂に負けないぐらいに紅い綺麗な靴で、元気に駆け出した。
青年達が驚きとともに歓声をあげ、少女に駆け寄る光景を見、先生はまた瞑目した。
(お前が夢を見たくないと言うのなら―――俺はもう二度と、お前のことを思い出さない)
それが自分が出来る唯一の弔いであると、解っているから。
(だが、俺はもう少しだけ夢を見る)
ゆっくりと瞼を上げ、後ろを振り返った。塔はまだ変わらずそこに聳え立っている。
「もう少しで、一つの悪夢が終わるかもしれないんだ」
仮定で言いながら、先生はどこか確信を持ってその言葉を紡いでいた。
何故ならあの青年は。不器用で意地っ張りで、馬鹿らしいぐらい真っ直ぐで―――自分の友人に、とても、よく似ていたのだ。




×××





暗黒の溶岩、意志の有るヘドロ、地獄の泥沼。
それぐらいしか、眼窩に広がる光景につける形容詞が思い当たらなかった。
「たすっ…ひぎゃぼ…」
伯爵が、この街を支配していた男が、どうしようもない矮小で愚鈍な生き物が―――その泥沼に呑みこまれた。あっという間に、何も見えなくなった。
どぷん、ごぷん、と質量の有る粘液が搭の壁を叩く。搭の内部全体を満たす黒い泥は、まるで触手を伸ばすようにその身を広げ、壁を伝いそれを少しずつ融かし続けている。
「何なんだよッ、これはあ!!」
ゼロに腰を抱えられたまま、ジンは叫ぶ。必死に上に向かって飛び上がりながら、ゼロが答える。
「こレが、鎧の原型ッ―――。ヒトを補い、ヒトと友ニ生キる琴を義務ヅけらレた半永久機関物質――――――――『ブラックロア』!」
「こんなんが…お前らの―――?」
ずぶずぶと広がって行く、黒い沼としか言えないその光景を見下ろし、ぐっとジンの喉が鳴った。
その時、沼からぼこり、と泡が立った。その泡は白く、中々消えない。泡はぼこり、ぼこり、とどんどん増えていき、やがて沼全体に広がった。
「っ…げぇ…!!」
その泡が何であるか気づき、ジンは悲鳴をあげてしまった。
泡、ではない。
巨大な目玉だ。それが次々と沸き起こり、ぎょろりとした巨大な瞳孔でジン達を睨みつけているのだ。
『我等ガ主!!!』
「うお!? 何だぁ!?」
唐突に耳元、というより身体中の細胞を震わせたかのように響いた声に、ジンが仰け反る。
「共振ニよる情報伝達ダ。お前ノ体内に或るワタ志の細胞ト呼応シていル」
『アノ男ハ我等ガ主デハナカツタ』
『今度コソ見ツケタ』
『我等ガ主』
『我等ガ主』
『我等ガ主!!』
びりびりと心臓に響くようなメッセージは、まるで数百人もの集団が同時に叫んでいるような圧力として襲ってくる。耳を塞いでも響くその声に辟易して、不快感を蹴り飛ばしてジンは叫んだ。
「オイッ…俺の事かよ!!」
『我等ガ主』
『我等ニ命令ヲ』
『我等ニ命令ヲ!!』
「…っ、命、令?」
『我等ガ主ハ仰ツタ』
『我等ニ生キヨト』
『我等ニ生キテクレト』
『我等ハ怪物デハナイト』
『我等ハ命令ニ従ウ』
『我等ハ命令ニ従ウ』
『我等ハ命令ニ従ウ』
『我等ハ命令ニ従ウ』
『我等ハ生キネバナラナイ』
『我等ハ生キネバナラナイ』
『我等ハ生キネバナラナイ』
『我等ハ生キネバナラナイ』
『我等ハ生キネバナラナイ』
シュプレヒコールのようなそれは、段々と不協和音に変わっていく。
「ぅ…るせーぞ、テメェら…!」
「我等、は――――」
「ゼロっ?」
ぎゅうっと、まるでしがみつくかのように腰に回っていた手に力が入るのが解った。無理に首を捻って振り向くと、ゼロがいつもより虚ろに見える眼窩を揺らして、何かを堪えるかのようにその身を震わせていた。
「我等は、生きネバならナい―――」
「何言ってんだ―――しっかりしやがれ!」
「ワタ志も、アレから生マれた。我等ハ独つニして無限―――、アレから生マれ、またアレに還る…」
「ゼロ!!」
どこか呆然と言葉を紡ぐゼロに不安が募り、ジンは思わず声を荒げた。それに構わず、シュプレヒコールのボルテージは上がっていく。
『我等ヲ作ツタモノ』
『我等ヲ生ンダモノ』
『ソレガ我等ガ主』
『ソレガ我等ガ主』
『我等ガ主ハ只一人』
『ソレ以外ハ排除スベシ』
『排除スベシ』
『排除スベシ』
『排除スベシ』
『排除スベシ』
グワワワッ、と大量の目が一斉に見開かれる。ポウ、と碧の色が瞳に灯り――――
「やっべぇ…ゼロ、上だぁっ!!」
「! 理解した!!」
ゼロが我に返り、ジンを抱えたまま急上昇する。その瞬間、碧色の光が一斉に放たれた!!


シュドドドドドドドドドドドドッ!!!


光の帯は一斉に放射され、殆ど全てが搭の壁を貫いた。
「さっきの攻撃はコイツかよ…!」
何とかかい潜った二人は一つ息を吐く。
『我等ガ主、何処ニイル』
『我等ガ主ハ只一人』
『我等ニ命令ヲ』
『排除スベシ』
全く意味の違う意志が錯綜している。崩れて行く瓦礫を飲み込み、壁を蕩かし、更に肥大していく。
「こんなモンが街に出ちまったら―――それより、ネジがまだこの中にいたら!!」
「塵!!」
はっとなったジンの言葉に、ゼロの僅かな揺らぎは振り払われた。
「来い、ゼロッ!!」
「理解シた!! 装着<スレプト>――!!!」
バウンッ!!とゼロの身体が弾ける。腕も解け、ジンの身体は真っ直ぐ泥沼に向かって落ちて行く。それを追いかけるかのようにゼロの身体が広がり、巻きつき、形を成す――――!!
「一気に決めるぞ!!」
『理解した!!』
「『第七封印解除!! 咆哮―――――!!!」』
ギュオリュルルッ!!
真っ直ぐ下を向いた銃口が、滅びの光を撃ち出す―――――――!!



キュオンッ!!




『グアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
泥沼のど真ん中に、丸い円が開いた。だが―――それだけだった。
壁に散った黒い泥達はずるずるとその身を寄せ集め、穴を埋めていく。少しも量を減らした様子を見せず、再生を続けていく。
「ち、くしょ…パワー不足かよっ」
『否。それだけではない―――』
未だ本調子では無い身体を叱咤するジンの声を、ゼロが止めた。じわりと、どうしようもない苦しみが響く、声で。
『鎧となる前のあの者達は、細胞一つ一つにごく小さなモノだが、核石が埋められている』
「なん、だとぉっ…」
『出力が弱くなり何の武器も持てない分、再生能力が圧倒的に高い。個々の細胞が弱くても、一欠片でも残っている限り再生が可能だ』
「くっそう! 何でそんなデタラメなモンが――」
『それが―――、我等を創ったひとの、意志だったからだ』
「―――…」
『決して、死ぬなと。生きていてくれと』
言葉と共にゼロの意識の中に浮かんだ、画像がはっきりとジンにも見えた。
(これが――――お前の記憶―――――?)
ガラスの向こう側に、薄い金色の髪をした男が立っている。
それはこちらに手をついて、本当に嬉しそうに笑っていた。
かりかりかり、と音がして、まるでコマ送りのように画面が変化する。
男はやはり自分達の前に立っていた。しかし身体中を紅く染め、指の欠損した腕をガラスに押し当て、泣きながら叫んでいた。




『ちくしょう、ちくしょうちくしょう、これだけはっ、これだけは…生きてくれ。頼むよ、生きてくれ』



それは、何度も繰り返される、酷く純粋な願いだった。



『生きてくれ…生きていいんだ、お前は…バケモノなんかじゃない…生きてくれ…』



そのまま、ずるずると男は床に座りこみ、動かなくなった。







『我等ハ生キネバナラナイ』
『我等ハ生キネバナラナイ』
『我等ハ生キネバナラナイ』
『我等ハ生キネバナラナイ!!!』
「―――ッ!!」
脳髄まで響いた声に、我に返った。頭を振って、記憶を払拭する。
やり切れなかった。
本当に、只大切なものに生きていて欲しいという当たり前の願いが、とんでもない呪縛に成り果てていたことも。
今まさに自分達を撃ち落とし飲みこもうとする者達ですら、唯一の主に言われた「命令」だけを只只管護り続けていただけだったことも。
「ゼロ」
正義感や義務感では決してないけれど。
自分に出来ることならば、やらずにはいられないだけだ。
この馬鹿馬鹿しい悲劇を、終わらせてしまおう。
『如何した、塵?』
「お前、さっき言ってたよな、あの伯爵に。自分は何の為に生まれてきたのか―――ってよ」
『…是』
意識の繋がりをはっきりと認識し、ジンはきっと沸き上がり続ける地の底の泥沼を睨みながら言った。
「だったら。―――取り合えず」
一度目を閉じて、また開いた。



「俺の為に、生まれてきたってことにしとけ」


『――――――――――――――――…』




言ってからすぐ羞恥心による後悔の嵐だったけれど。
「俺の為に生まれたんだよ、テメェは。不満だったらもっと自分で考えろ」
照れのあまり後は非常に早口になってしまったけれど。
『充 分だ、塵』
胸が苦しくなる程の歓喜が、自分の心臓まで震わせてきた。
『私には、それで 充分だ』
「………おう」
頬の上の鎧を軽く指で掻き、搭の中腹辺りでぴたりと上昇を停止した。すぅーっと大きく息を吸い、叫ぶ!!
「テメェらいい加減にしやがれ!! いつまでもう死んだヤツの言葉に引き摺られてやがんだよ!!」
搭全体に響く大声に、ブラックロアの触手が一瞬その動きを止めた。
「そんなに主が欲しいんなら、俺がなってやらぁ!!」
びしっ、と波立つ沼を指差し、ジンはなおも続けた。
「いいか、よく聞け!! 生きたいか死にたいかはテメェらが決めろ! 命令になんざ従うな!!」
ぐ、と一瞬喉を詰まらせ、それでも振り絞るように、叫んだ。



「―――もう、お前らの主は、どこにもいねえんだよ―――――――ッ!!!」


その、絶叫に。
その、真実に。
水面の揺らぎが。波が。触手が。瞳が。
全て、動きを止めた。






『『『『『『『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!』』』』』』






ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオッ!!!
雄叫びと共に、凄まじい地響きが起こり、沼は幾つもの渦を作り出し、その身を崩れさせていった。
長い年月が経ち過ぎて、記憶を共有させる事によってそれは錯綜し、一個体として身体のバランスを保つ事が出来なくなっていた彼らは。
与えられた揺らぎに耐え切れず、自らを滅ぼしていった――――。
「……………」
『……………』
暫く無言で、その光景を眺めた。
「…結局、死んじまうのかよ。あいつら」
『解らない。もう我等は、この世界に必要無いものなのかもしれない』
意識に響くゼロの声に、反論しようとジンが口を開きかけると。
『それでも。幾つかは残るだろう。私も変われたのだから、アレ等も変われる筈だ』
「……そ、か。だな」
きっとそれは、これからの話になる。今までの話は、ここで終わるのだから。
ふ、と息を吐いた途端、ビキビキビキビキ!!と辺りの壁一面に思いきり亀裂が入った。
「いいっ!?」
考えてみれば先程のビームの嵐と、地下部分全体に満ちるが如く全てのものを取りこもうとしていたあの物質のお陰で、搭が脆くなりすぎていたのは当然と言えば当然で。
容赦なくガラガラと崩れ始めた搭から、矢も盾も堪らず飛び出した。