時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

21:愚者:

「塵!!!!!」
翼を閉じ、奈落に吸い込まれようとするジンを追ってゼロは自ら落下を開始した。
「――――ッ!!」
ダンッ!!と壁を蹴り、エレベータ用の移動パイプを蹴り、どんどんと加速していく。
落ちていくジンと殆ど並んだ瞬間、ゼロは横に飛んでその身体をしっかりと抱きとめる!
「――――!!」
しかし、翼を開く余力も、時間も残っていない。ゼロの視界に、塔の一番底の底―――沢山のジャンクパーツが捨てられた掃溜めが見えた。
「…死ナせなイっ…!!」
何も思考できなかった。願ったのは、ただそれだけだった。
両手で、ジンの身体をしっかりと抱きしめ、自分の体を下に反転させ――――――


ドゴォンッ!!!!


そのまま、墜落した。






どくん、と自分の心臓が動いたのが解った。眼を閉じたままなおも待つと、心臓の近くの臓器がやはり活動しているのが解った。
じりじりと、眼を開く。
「っ……ぁ、」
体中が酷く痛いが、決して動けないほどではなさそうだった。先刻まで酷かった頭痛も治まっている。何故だ、とゼロに聞こうとして、彼の意識を感じないことに気づく。まだ滲んでいる視界が、紫色ではないことも。
「そ…か、外れたんだな…。じゃあ――――」
ゼロはどこに行った、と言おうとして気がついた。ぬるり、と地面に濡れた感触が広がっている。自分の血かと一瞬ひやりとしたが、それはどす黒い粘液だった。最近見慣れてしまったそれが、紛れもない鎧の原液であることに気づき――――
「…ッ!!」
がばり、と身を起こす。自分が今までどこに寝ていたのか、漸く理解した。
ずるり、と背中に回っていたらしいゼロの両腕が滑り、どさりと何の抵抗も無くごみ溜めのような地面に落ちた。あまりにも自然にその指先が、ぐずり、と崩れ出す。
ゼロは確かに其処にいた。ジンの傍から決して離れてはいなかった。
腰から下を殆ど半壊させて、瞼をしっかりと閉じたまま、その薄い唇から大量の黒血を溢れさせながら。
「……っ、カ、野郎…ッ!!」
両肩を掴み、揺さぶると、銀色の髪すらも黒く変色してぼろぼろと崩れていき、慌てて止める。やはりその瞼は閉じられたまま、動かない。
「ざけ、んな…ッ! 死ぬな、死ぬんじゃね、ぇっ…!!」
喉が引き攣り、声が裏返った。
恐怖が自分の肺を満たしたかのように、呼吸が出来なくなった。なす術もなく、このまま崩れさってしまうのかと。
嫌だ。
それだけは嫌だ!
自分の胸の中心に爪を立てる。ここに埋まったモノを使えば、再生は出来る筈だ。だが抉り取れば今度こそ自分は死ぬだろう。心臓近くを貫いた傷はまだ完全に癒えていないのだ。
自分を犠牲にして彼を助けても何の意味もない。
自分の隣にゼロがいなければ。
ゼロの隣に自分がいなければ。
そんなもの、何の価値も無いのだ。
「何、やってやがる…とっとと直せよこんなモンっ…!!」
半壊した黒い身体の上にうつ伏せになる。少しでも、再生の力が伝わるようにと。じわり、と胸の石が熱くなったような気がするが、まだゼロの眼は開かない。
「っ…!!」
夢中だった。
ただ、もう少し深く繋がれば、きっと伝わると思った。
「ん、むっ…!!」
黒い血をこんこんと溢れ出させている僅かに開いた唇に、自分の口を押し当てた。
(ゼロ―――)
黒い泥のような中身に湧き上がる吐き気を堪えながら、口内を舌で探った。原型を留めていた細いチューブを見つけ、それを口に含んで吸い上げた。軽くそれを噛み、直接命令を吹き込むように、心の中だけで叫んだ。

(起きてくれ――――――!!)

どくり、と。
二つの心臓が同時に鳴ったような、気がした。
じゅくじゅくと、液状化していた手足の末端が、細い糸になり、太いチューブになり、組み上がっていく。それはやがて指の形を取り、ぴく、と痙攣した。
ゆるゆると黒い腕が持ち上がり、ジンの頬に触れた。はっと気づき、慌てて唇を離すと。
僅かに、長い睫が震え。
待ちわびていた、紫色が見えた。
「―――…ジ、ん」
「っ………!」
たどたどしい、引き攣った声で名前を呼ばれた瞬間。
ジンは我慢出来ずに、自分より重い筈の身体を、両腕で無理矢理抱きしめた。
「塵………?」
ゼロが名前を呼んでも、何も返事は返ってこなかった。接続を解除してしまったので、意識を読み取ることが出来ない。
ただ、起き上がらせた自分の肩口に顔を埋めたまま、僅かに震えるだけで動かない主を見て。黒く凝り固まった皮膚の上に確かに落ちてくる、雫を感じて。
「泣ク、な―――塵。お前ガ泣くのハ、否ダ」
そう言って、組み直ったばかりの自分の両腕を、ジンの背に回して、今の彼と同じぐらいの力を込めた。そうするとすぐに、回された腕にもっと力が込められてしまったので、自分もそう繰り返した。
主の心臓の音が、もう空になった筈の自分の胸に伝わってくる。
不思議だ、とゼロは思った。
主に纏われ、一つになることが鎧にとって非常に幸福であるはずなのに。
何故か今。こうやって離れて、お互いを抱きしめる腕の圧力を感じている方が、酷く自分が満たされたことに気づいてしまったから。
塔の奥底、真っ暗闇、掃溜めの中。
二人は暫くそのまま、動かなかった。





シェルターと銘打たれた最地階、ありったけの財産と食糧、飲料水の詰った倉庫と鎧開発用の研究室が付随された豪奢な寝室の中で、一人の男が震えている。
「え、ええい、一子! 一子はまだなのか!」
声を張り上げても答えは返ってこない。ここに詰めている鎧の全てを、敵の迎撃用に向かわせてしまったのだから。兵法も何も解っていない、ただ力だけで敵を倒そうと躍起になった末の愚策だった。
「五樹! 五樹はどうしたのだ!!」
いらいらと部屋の中を歩き回りながら、息子の名前を呼ぶが勿論答えは無い。伯爵の緊張と恐怖はピークに達していた。

――――ダガンッ!!

「ひっいいいいいいいい!!」
唐突に部屋中に響いた激突音に、伯爵は悲鳴を上げた。頭を抱えて床に突っ伏し、恐る恐る顔を上げると。
エレベーターに通じるドアが、思い切り拉げて膨れ上がっていた。
反応を返せないでいると、二撃目は直ぐに来た。

ダガッ!! ズガシャン!!!

「〜〜〜〜〜〜!!!」
あまりの恐怖に、伯爵は悲鳴も上げられず、どすんとみっともなく尻餅をついた。
そこには、今まさにドアを同時に蹴り飛ばした、金茶色の髪と苛烈な色を持った目をした青年と、銀色の髪と感情の篭らぬ瞳を持った鎧が立っていた。
そう。まさしく自分を殺しかけた、忌み嫌う鎧が。
「ひ、ひいーっ! ひいーっ!!」
「…こいつが?」
あからさまに眉間に皺を寄せて、ジンは伯爵を指差してゼロの方を向く。ゼロは小さく頷くと、応えた。
「こレが、伯爵 だ」
「た、た、助けてくれぇ〜〜っ!! いいい、命だけは…!」
がしゃがしゃとある意味器用に手と足で尻餅をついた状態のまま後退り、辺りに仕舞いきれず散らばっていたルキルを拾い集めて差し出す。
「か、金ならいくらでもやる! ここにあるもの全部やる! だ、だから助けてくれぇ!!」
二人が全く反応を示さないので、伯爵はいよいよ青くなって空に向かって叫んだ。
「い、一子〜〜ッ!! どこに行っている、早く、早くワシを助けろッ!! 何をしている、愚か者愚か者ッ―――」
「一子は、来ナい」
「……………はへ?」
情けなくも偉そうな叫びを、ゼロの声が止めた。それはゼロの言葉にしては信じられないほど感情が篭った―――尚且つそれを無理矢理押し殺したような、震える声だった。
「ワタ志達が、倒シた―――だカラ、来ナい」
「そ、そそそそんな馬鹿な…」
「―――伯爵」
ザ、とジンのブーツが煌々とした明かりを反射する床を叩く。同時にゼロのヒールもガ、と一歩前に出る。
「ひい!! たたっ助けてくれぇ! わ、ワシは伯爵でも何でもない、この塔も鎧も何もいらん! 全部くれてやる、元々ワシには必要なかったんじゃああ!」
保身のことしか考えず、自分の持っているものをばら撒くことしか出来ない男。勿論その言葉が、更に二人を怒らせることにも気づきはしない。
「必要ガ、ナい―――?」
ガッ、とさっきよりも大きく、ゼロのヒールが床を叩く。
「ひ…許してくれ、許してくれェ零ォ!! わワシは、ワシは―――っ」
「なら、バ―――なラバ、我我、ハ、」
自分は。一子は。妹達は。
ゼロの腕が、伯爵の喉下に伸びた。ぐびびっ、と太い喉が鳴る。その襟首を掴み、ゼロは搾り出すような叫びを放った。


「ナンの溜メに、生まれテキたのダ―――――ッ!?」


ゼロの瞳孔が狭まると同時に、もう片方の腕が振り被られ、拳が握られた。恐怖に顔を歪め、最早何も言えない伯爵に向かってその拳が―――

ぐ、と。
繰り出される寸前、肩が抑えられた。そんなに強い力では無かったのに、拳は止まった。
「…ジ、ん」
「止めとけよ。こんなバカぶん殴っても、気なんか晴れねーぞ」
「シカ、しっ…!!」
床に膝をついて、見上げてくるゼロの頭を、ジンは片腕で胸に抱え込んだ。驚きにゼロの声が止まる。
「こいつぶっ殺しても、あいつは解放されねぇんだろうが」
「あ―――…」
涙が零れるかのように、一瞬だけゼロの瞳が揺れた。そんな機能は彼に付いていないはずなのに。
場の状況を全く読めずきょろきょろと二人を見回す伯爵の肥大した腹を、ジンのブーツがどぐっ、と踏んだ。
「ぶはぁっ!」
「用件はふたっつだ、すぐ済む。まず、てめぇの持ってる鎧の主人登録を消せ。つーか、消す時に抵抗できないように命令しろ」
「なんでそんな―――っひいい、やりますやります!」
疑問を言った瞬間ぐり、と踵が腹にめり込み、のたのたと伯爵は立ち上がった。メインシステムの端末に辿り着くと、付属されていたマイクを取り出す。


『い、今からワシの鎧は全て、主人登録を消すことを自由とする! 鎧は全て抵抗してはならん、ならんぞ!!』


その声は、街全体の鎧全てに確実に届いた。本来五樹が沢山の鎧を同時に自在に、兵士として操る為に造ったシステムだったのだが、勿論利用価値など伯爵は見出せず宝の持ち腐れとなっていたシステムだ。伯爵のその声を聞き、床に膝をついたままだったゼロは僅かに肩の力を抜いた。
「こんなんでいいのか?」
「是。鎧は自分で、主を選べるようになる」
「っしゃ! 次だ」
「は、ははははい! なんでしょうっ」
椅子の上で大きな身体を縮み上がらせる伯爵に胡乱な眼を向け、ジンは問い詰める。
「ネジはどこだ?」
「は? ネジなら上のゴミ捨て場に沢山―――」
「寝ぼけんな! 俺の妹の名前だ!!」
ごがっ、と容赦のない蹴りが入る。
「ひいひい、すまん! あ、あー、人質か? 知らん知らんっ、五樹が管理しておったし、使えといったのにそれきり―――あわわわ」
いらないことまで言ってしまったことに流石に気づき、伯爵は自分の両手で口を抑えるが、ジンはそれにかまける余裕も無かった。
「ゼロ! 五樹ってのは―――」
「今マデ倒シたモノの中にハいナイ。五樹は戦闘ガ不得手だシ飛行能力もナい」
「っくしょ、探すぞっ!」
「理解シた!」
最早伯爵なぞ眼中に無く、二人同時に踵を返し、伯爵が安堵の息を吐こうとしたその瞬間―――」






ズ、ゴゴゴゴゴゴオオッ!!





「「「―――――!?」」」
地面が、揺れた。あまりの揺れに全員立っていられず、膝をついてしまう。
「何だ、今のッ―――」
「まサカ―――」
「ひいいいいいいいい!!!」
唐突に伯爵が悲鳴を上げ、なんとジンの腰にしがみついて命乞いを始めた。
「たたった助けてくれええ〜〜っ!!」
「んがっ、何すんだこのバカ!!」
「なんでもする、なんでもするから助けてくれ! 奴にい…奴に食われるううう!!」
「奴――――?」
今までとは違う恐怖の反応にジンが首を傾げた時、ゼロはその正体に思い当たった。
「塵! 逃ゲルぞ!!」
「何―――」
「話は後ダ! 早くシロ!!」
「お、おい!?」
「ひいい、待ってくれえええ!!」
ジンの手を取り、そのままエレベーターに向かって走り出す。こけつまろびつ、伯爵もついてきた。三人がエレベーターに入った瞬間、ゼロは何の躊躇いも無く飛び上がり、その屋根を殴り破った!!
ドガンッ!!
それと同時に、床がぐにゃりと歪む。何かと見る暇も無く、ジンの体はゼロに持ち上げられた。
「第六封印限定解除ッ!! 輪!!」
ブワッ!!と諸に空気の圧力を感じ、思わずジンが眼を閉じた、瞬間。


ドゥオワッ!!


凄まじい音がして、床から「黒い何か」が溢れ出した。
「っ…何だこりゃああああっ!!」
下を見た瞬間、ジンの絶叫が塔中にこだました。