時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

20:決着:

ガラガラ…と、塔の壁面が崩れていく。
ほぼ真円に近い丸型の穴が、厚さ数百ミリはあろうかという古代製セラミックの壁を穿っていた。強烈な破壊の光は要の部分を貫いてしまったらしく、細かい皹があちらこちらに走り、塔の崩壊すら促し初めているらしい。
「………マジ、かよ…」
荒い息をひとつ吐き、どこか呆然とした声が鎧の下、ジンの唇から滑り出た。腹から生やした無骨な砲身を抱えて座り込んだまま。
自分の振るった武器のとんでもない威力に驚いたのもさることながら、凄まじい疲労が腰を上げさせてくれない。両手両足が酷く重たく感じ、持ち上げるのもおっくうだ。
『エネルギー…残量:危険。これ以上の稼動は、形態を保てない可能性有…』
「…くぅ…っ」
途切れ途切れに聞こえるゼロの警告に頷き、ズルル、と音を立てて砲身を腹の中に仕舞いこむ。漸く少し楽になり、息を吐く。そして、ゆっくりと立ち上がり、どうにか脚を動かした。――――倒れた、敵に向かって。
「…あ、ぎ、ギギッ…」
不協和音が聞こえた。それは、仰向けに横たわった鎧の、とても美しい真っ赤な唇から沸いて出た音だった。
「そ…ん、な、そん…な…」
顔は、不幸中の幸いというか――、綺麗に残っていた。しかし、上半身右半分と、右足の太腿半分、背に長く流された黒髪も半分―――が、ごっそりと無くなっていた。
ゼロが射撃武器によって使用する弾は、核石による物質再生を逆回転にした「物質破壊」。細胞を原子レベルで分解し、何であろうと―――例えば、水や空気であろうと―――消滅させる滅びの光。
『…一子の出力では、再生に長い時間を有する』
「…俺達の、勝ちだ。生きてるだけめっけもんだと思えよ。ぶっ壊すつもりで撃ったんだからな」
よろよろと、だったが、それでも黒い騎士は踵を返し、改めて奈落の底に落ちようとした。
「ダ…め…!!!」
シュルルッ!!
「っ!」
ぱしんっ!
引き攣った悲鳴と共に伸ばされた髪の一房が、ジンの手首に巻きついた。しかしそれはもう敵を締め上げる力など無く、するすると自然にほどけてしまった。
「悪あがきは止めとけ。ダセえ」
「行カせま、セン…!」
突き放すようなジンの声を無視し、ギ、ギギ、と、左腕と左足だけで一子は無理矢理身体を起こした。長すぎる髪でバランスを取りながら、さながら出来の悪い操り人形のように。
断裂された切口からは、黒い血とも臓物ともつかない塊がボトボトと落ちていっている。凄惨な姿を晒しながら、それでも一子は―――笑っていた。
「お兄様…ヒトつ忘れておりませんこと…?」
身体だけでなく声をも傾がせながら、それでも一子は丁寧に言葉を紡いだ。
「私は…鎧の主人登録、ヲ、解除出来マす、のよ…?」
「『―――!」』
「私の、こノプログラムニッ…お父様ノ鎧は逆らえナイ…!」
ざわり、とかなりの量を千切られてしまった髪が再び舞い上がり、先刻とは比べ物にならないスピードで騎士に向かって伸ばされた! ジンの精神力はもう限界に達していて、咄嗟の反応が出来ない―――!!
一子は勝利を確信して笑んだ。その美しい体を半壊させながらも、笑顔を見せた。
―――しかし。


パシッ!!


「………!!」
その髪筋が通る数瞬前に、その一房は手に掴まれた。自分の意志より先に動いた手に、ジンがはっと気づいた。
そう。
嘗て、ゼロを解放したその一筋は、誰よりも早く、ゼロの意思によって止められていた。
「ドウシ、て―――!!?」
魂切るような悲鳴に、ゼロの意識がどうしようもない悲しみに揺れるのをジンは感じた。
『…一子。忘れているのは、お前の方だ』
「ナ、ん…ですっ、テ…!?」


『今の、私の主は―――塵なのだ』


それは、「当たり前」のことだった。
ゼロにとっては―――主は塵。
一子にとっては―――主は伯爵。
それが不文律だった、ただそれだけのこと。
「認めマ、せん…そんなこと…認めマ、せん、認めナい、認めナい、認めナい認メナい認めなイミトめない認メナイミトメなイッ――――!!」
驚愕にその瞳は大きく開かれ、塞が切れるようにその両目から涙が溢れた。今まで、父を悦ばせるためだけに流していた、涙が。
ずっと心の奥底に封じてきた、疑問と不審が一気に溶かされ、吹き出したのだ。
「そんなの、ミトメナイっ―――だって、だって、」
ぐらぐらと半壊した身体が揺れる。
「そうシたら私、いつカお父様のモノじゃなクなっちャうかもシレナい――――!!」

そう。
それが彼女の、一番の恐怖。
ゼロに暴走を起こされた伯爵は、細心の注意を払って一子を作り上げさせた。
絶対に、自分に逆らわないように。
絶対に、自分を愛するように。
絶対に、自分を裏切らないように。
それは伯爵にとって安堵と甘えの対象にしかならなかったが、一子にとってそれは甘美な呪縛に等しかった。
『私はお父様のことが好き。ではお父様は?』
自分の気持ちが揺るがないからこそ、他人の揺らぐ気持ちが怖くて仕方がない。
だから自分以外の鎧を妬む。
だからどんな父親の手でも受け止める。
「嫌わレルのはイヤ…お父様に捨テられるのハ、嫌…!!」
何故ならそれ以外のモノなんて、自分に必要ないのだから。
何故ならそれ以外のモノなんて、自分には存在しないのだから。
どくん!と、一子の皮膚の下で何かが蠢いた。蟲が這いずっているかのように、ぼこぼこと身体の表面が歪み、膨れる!
『塵! 飛べ、暴走する!!』
「チィッ…!!」
咄嗟に翼を広げ、後ろへ飛び退った瞬間、一子が―――弾けた。


パァン!!


ブオオッ!!と、残っていた一子の身体全てが髪の毛に変わり、黒騎士を取り囲む。
「く…ぅっ!?」
『オ前なんテ、きえてシマエ!!!!』
唯一造形を残していた一子の顔が、すぐ目前まで迫ってきた。例えようも無く憎悪で歪んだ、形相が―――
「っいい加減に…」
『ギギッ!?』
絡みつく髪の毛の中へ無理矢理両手を伸ばし、ジンはしっかりとその顔を掴んだ。
「し、やがれえええええええええええええっ!!」
バサァッ!!
黒い翼が、黒髪を切り裂く。まるで黒い雲のようなそれに絡みつかれながら、ジンは壁に開いた大穴から外へ飛び出した。
「てめぇがんな心配しなくても! 誰も伯爵なんざ取りゃしねーよ!!」
地上数百メートル、重力に身を任せ、ぐんぐんと身体は加速し落ちていく。
「俺は同情なんざしねえぞ! てめぇが伯爵の野郎を守りたいみてーに――――」
一子の頭を掴んだまま、ジンはぐんっと脚を天に向けて振り上げる。完全に地面に向かって飛び込む形になった。
「俺にだって守りたいモンぐらい、あるんだよッ!! だから、同情なんざしねぇっ!!」
「――――――――!!」
感情任せだけではなく、まっすぐ自分にぶつけられた糾弾に、一子は完全に臆した。限界が来たのか、大きく広がった髪がばさばさと形を無くして次々散っていく。
「てめぇの、負けだ―――――ッ!!」
ふ、とジンは両手を離す。その次の瞬間身体を回転させ、渾身の力を込めて小さな頭を蹴り落とした!!


ゴッ!!!


「――――――――…!!!」
驚愕と恐怖に、その顔は歪んだまま落ちていく。





ガシャアアン…




悲鳴は聞こえず。
遠い地面に、僅かな墜落音と共に、赤い砂煙が上がった。
「は…ァっ、はあっ、はあっ、はァ…!!」
ぜえぜえと喉を鳴らし、ジンは大きく息を吐いた。腕も脚もだらりと身体からぶらさがっているだけかのように重いし、神経接続の方も限界にきているのか先刻から頭痛が鳴り止まない。ゼロがどうにか翼部分の制御を受け持ち、手近な射出孔から再び塔に入ると、暗い内部をゆっくりと降下していく。
『――塵…』
「ん、っだよ。あんま、話す気力も、今ねーんだよ」
『…有難う』
聞き慣れない言葉が耳元を擽ったような気がして、ジンは緩く首を振った。
「……………何が、だよ」
『一子の、核石の場所が解ったのに―――砕かなかった、だろう』
「………………………」
彼女が最後に形をとって守った部分、すなわち頭こそ、最重要器官=核石の場所に相違ない。
『一子にも、まだ猶予を残してくれたのだろう?』
「は…んなんじゃ、ねーよ。もう、ぶっ潰す、余裕が無かった、だけだっ」
『それでも――――』
脳の裏側あたりで、小さく音が紡がれた。
『有難う』
「…バーカ」
黒い鎧の下で、ジンは小さく笑った。ゼロも、同じように小さく意識を振るわせた。
その、一瞬。

ピシュッ!!!


何か音がした、と感じた瞬間。
じわりと、胸が熱くなった。


二人が向かっていた塔の底の底、暗闇から真っ直ぐ飛んできた、碧色の光。
それは過たず、黒い騎士の胸の中心を穿った。
まさに紙一重。ゼロの身の下、ジンの胸の中心に埋め込まれた二人の命の源である核石―――その僅か数ミリ左脇を、その光は貫いた。
しかし、疲れ果てていた二人にとって、それは充分な威力を発揮した。
貫いた波動の余波が核石を震わせ、エネルギーの供給が一瞬止まる。その途端、心臓近くを貫かれた衝撃に限界まできていたジンの意識はぷつり、と途絶え。

『―――塵ッ!!?』

ばら、りと。
まるで殻が割れるように、鎧が解け、ゼロとジンは完全に分離し。
意識を失ったジンは、そのまま奈落の底へ、落ちていった――――――――――――――。