時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

19:真実:

隔絶された、ある意味牢獄のような暗い忘れられた階段の踊り場にて。
誰も覚えていない昔話が始まった。
「あんた、この地下に眠ってたのが何か知ってるんだな」
「ああ。それの作成者とは古い知り合いだった」
「じゃあ、その封印を解いたのが俺の親父だってことも」
「伯爵である事は当然な。だが、お前は―――」
「正真正銘、俺はあいつの息子だよ。母親は俺を産んですぐにおっ死んじまったけど」
そう。この世界が破壊され、この街で細々と生き残っていた人間達―――その中に伯爵も、いたのだ。普通に日々を嘆き、妻を娶り、子供を作った。ただ彼が他の人間と違ったのは、人よりも僅かばかり強欲で、臆病で、知恵が働いて―――運が良かった、それだけのこと。
「貧しい暮らしにくさくさしてた親父は、俺を連れて塔の中に入った。何か金目のものがあるだろうってな。そして一番地下まで入り込んで―――アレを見つけた」
ぶるり、と五樹が僅かに身を震わせた。
「アレは。体全体に沢山の目を浮き上がらせて―――言ったんだ。『ヨウヤク見ツケタ、我等ガ主―――』」
腰を抜かしてしまった父親に代わり、五樹は辺りに残されていた計器類を動かし、資料を探し読み耽った。その化け物がなんであるかを理解した。これは、この滅び行く街にとっての希望となる―――と。
「何でアレを、伯爵に使わせようとした?」
「言わせるなよ。俺にとってはやっぱり、親父だったんだよ」
「そうか―――」
例え矮小で醜くても、何も知らないくせに声高に命令だけしてきても、自分に罵声しか浴びせない男でも。
それでも―――父親、だったのだ。
もう両親のことなど忘れかけていた先生は、曖昧に頷くことしか出来なかったけれど。
「唯一残ってた、設計図。それが始まりだった。最初はただの好奇心だった。―――ただ、凄いものを作って親父を驚かせたかったのかもしれない。設計図に無かった武器を付属させて、出力を最大限まで上げて、親父好みに母親の顔に似せて――――零を、創ったんだ」
「あのとんでもない出力は、お前の改造か。あれを創ろうとした奴は、鎧に武力なんて求めていなかったのに」
滓かに、五樹を責めるような音が声に混じったが、五樹は気づかないようだった。
「親父は喜んでたよ。大喜びで、零を纏おうとした。…そしたら、どうなったと思う?」
「…暴走か?」
「ああ。親父が纏おうとした瞬間、拒んだよ。あいつの声がはっきり聞こえた、『違う』って―――」


違う。
チガウ。
このヒトは。
コノモノハ。
私の。
我我ノ。
主デハ、無い――――――!!




「原因不明の暴走の末―――、俺はあいつを封印した。ボロボロになった親父は勿論怒りまくって―――その頃にはもう、単純な開発作業の出来る鎧は沢山いた。俺がいなくても研究は続けることが出来た。だから、俺を―――試作品のプールの中に落とした」
「―――――…」
ほんの僅かに、先生の眉根が寄せられた。
彼は知っているからだ。鎧の元となる物質が、特殊な有機プールの中で精製されるということ。そしてそれは人間にとっては多大なる毒であり―――その身体を融かしてしまうものだと、知っていた。
「あれは二度と味わいたいもんじゃねぇよ…自分の両手両足が融けていくのがはっきり解った。痛みが無いから気も失えなくて、本当に狂うかと思った―――いや、狂った方がなんぼかましだったのかな」
ゆるゆると、五樹は目の前に両手を差し上げた。鎧の証である無骨なベルトは、両腕の肘で止まっている。それから上は―――紛れもなく、人間の肉体だった。
「そのプールの中にいた試作品は、あいつらの絶対存在理由を果たそうとした。気がついたら俺の身体は、完全に鎧と融合していた。何の取柄も無い―――弱い鎧とな」
「本来アレは、四肢及び器官の補助用として開発された物質だ。それが本来の使い方だぞ」
「は、そんなのこの街じゃ全然役に立たねぇよ。気がついた時には姉貴達が完成してて、生き残った俺は完全に厄介モノになった。だから自分で腕(これ)を改造したのさ、精神操作が出来るように」
喋り疲れたのか、五樹は一回目を閉じて、ふーっと息を吐いた。
「そうしたら親父は歓待したよ…それで零を修理しろ、ときたもんだ。あれだけやられたのにまだ懲りてなかった」
「修理―――、あいつの記憶のことか?」
「ビンゴ。…調べてみて驚いた。あいつのメモリの中に、入力した筈の無い情報が入っていた。それが、あいつが分化される前の記憶だなんて知らなかったけどな。だが―――何度も消して封印した、それなのに目覚める度に、あいつは『思い出した』。そして言うんだ、途方に暮れて、『ワタ志の父ハアの男でハない』って」
声音は馬鹿にしているように聞こえた。だが彼の瞳に、どうしようもない程の羨望が沸き上がっているのが見え、先生は一度目を伏せた。
「…人間の記憶は、脳に蓄積するとされている。だが鎧に脳は無い―――重要な器官は核石だけだ。ならば鎧は何処で思考を行っている?」
「―――? そんなの決まってるだろ、あいつらは細胞一つ一つに思考が―――あ」
唐突な質問に首を傾げながらも、返す答えが不意に止まった。頭の良さは伊達では無い、先生の言いたいことが理解できて頷いた。
「そう、あいつらは細胞単位で思考する。身体を形成する全ての細胞が、記憶をも保持している、と考えたらどうだ?」
「…やられたぜ。確かに、俺の出来るのは記憶回路を分断するだけだからな。どんなに破壊されても記憶自体は、どこかに確実に残るってわけか…はは、馬鹿みてぇ」
「何が、馬鹿なんだ?」
「決まってるだろ?」
五樹は始めて真っ直ぐに先生の方を見て、どこか幼いのに年相応に見える顔で笑った。
「俺も、夢を見ちまったんだよ」
あの奇跡のような存在が、自我を持つことを。
自分の意志で、主を選び取れる自由を。
使役される存在ではなく、共に歩むパートナーとして存在する鎧が或ることを――――。
「だから俺自身がやった封印を解除した。外側からは気づかれず、内側からなら気づけば容易く破れるように。時間がかかると思っていたが―――あいつは本当に簡単に、殻を破っていっちまったよ」
記憶の奥底に、残っていた主の面影を探して。
「それなのにな。―――ったく、大した悪夢だよ」
今までゆっくりと瞬いていた五樹の瞼が、ゆるゆると降りていった。先生は何も言わず、冷たい床に寝かされていたネジを抱き上げ、立ちあがった。
「なぁ。聞いてもいいか?」
「―――…」
先生は只、無言で促した。
「あんたは一体――――ナニモノだ?」
五樹が始めてこの塔の最地階に辿り着いた時、知った事。この世界が赤い砂に覆われる前の世界の事。高度な文明により、人間が地表全てを覆っていた世界の事。そしてそれを終わらせてしまった、7人の内の1人―――
データとして残っていたその科学者達の資料の中に、彼は居た。一体どれだけ遥か昔なのか解らない資料の中に、今と寸分違わぬ姿をして―――
「…亡霊さ。この世界の」
五樹はどうにか重い瞼を上げ、僅かに霞む目で、それでもはっきりと彼の笑顔を見た。どうしようもなく自嘲に塗れた、酷く苦しそうな、笑顔を。
どれだけの時を経ればそんな笑顔を浮かべなければいけないのかと、考えたくもなくて、五樹はまたゆるゆると瞼を閉じた。
「お前―――生きたいか? それとも、死にたいか?」
何でもないことのように、先生は尋ねる。
「どっちでも、いいさ。ただもう――――」
何でもないことのように、五樹も応えた。


「夢なんて、もう見ずに眠りたいよ――――――」


言葉の最後は、吐息になって消えた。
もう動かなくなった、人間でも鎧でもなく、ひとつの「五樹」という名前の存在を、先生は見つめる。
何故、あんな問いを発してしまったのだろうと、ぼんやりと考える。
同情したのだろうか。夢を見ることにすら絶望してしまった存在に。
共感したのだろうか。自分の行動を過ちだと気づき、償おうとした存在に。
そこまで考えて、先生は瞼を閉じた。何て傲慢だ、と。
自分は只、長く生きているだけのこの世界の亡霊に過ぎない。
「済まないな」
それでも、まだ自分は、夢を見たいらしい。
その夢を、お前にも―――この街の人達皆に、見せたかったらしい。
何故ならアレは、自分の友の子供なのだから。
瞼の裏に、屈託無く笑う薄い金色の髪をした友人の顔が一瞬過ぎった。
だから、すぐに眼を開けた。自分は思い出に逃げることなど出来ないから。
温かい小さな身体を抱き上げて、先生は踵を返す。
もう後ろを振り向くことは無かった。