時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

12:連綿:

「レキッ!!」
「動クな、塵!!」
咄嗟に駆け寄ろうとした足を、鋭い制止が止めた。反論しようとして振り向き、自分の鎧がいつにない緊張感を持っていることに気づいて口を噤まざるを得なかった。
そう―――ゼロは、緊張している。この、自分に勝るとも劣らない美貌を持つ鎧を前にして。
「―――一子(イチコ)」
「気安く名前を呼ばないで下さいませ。お兄様」
凛とした声が、ゼロとは比べ物にならない程滑らかに言葉を紡いだ。
「妹達の報告を聞いた時は、まさかと思いましたけれど。事実だったのですね、貴方が再起動しているのも、―――そんな下賎の輩を主としたことも」
細く美しい眉間に、明確な皺が寄った。それに少しだけジンは違和感を感じた。ゼロも、昨日の襲撃者達も、余程の事が無ければ感情で表情を動かすことなどないのに、と。それほどに、目の前の鎧が行った動きは、酷く人間じみて見えた。
しかしそれでも、紛れも無く鎧―――しかも、ゼロが昨日以上の緊張感を強いられるような強さの鎧、であることには間違いない。
「テメェも、鎧かよ…!」
「是。ワタ志の次に作成さレタ、ワタ志の妹―――」
「んなこたどうでもいい! テメェ、レキに何しやがったッ!」
激昂は冷笑で返される。
「質問に答える必要は有りませんが。この人間を昏倒させたのは私ではありません、五樹ですわ」
その言葉に反応したわけではないようだが、倒れたレキの身体が僅かにぴくりと動いた。まだ、生きている。そのことに思わず安堵の息を洩らしたジンは、美しい鎧が紡いだ次の言葉に瞠目した。
「―――このようなモノ、殺して構わないのに」
吐き捨てるように言われた言葉に、ざわり、とジンの首筋の毛が立った。
「テ、メッ…もういっぺん言ってみろ!!」
「塵ッ!!」
考えるより先に身体が動いた。足を踏み出し、左腕を起動させようとした瞬間、ゼロが自分の方に駆け寄ろうとして―――――



ズパァン!!



「ガ、っ!!」





――――――――――一瞬。
何が起こったのか、解らなかった。
こちらに手を伸ばしたゼロの左腕が。
否、左腕だけでなく、まだ起動不能だった右腕、両足、胴。
皆、皮一枚の薄さを残して、丁度真ん中から――――切り裂かれた。


ドシャアッ!!と重い体が地面に倒れる。


「ア…が、ガッ…」
「愚かなお兄様。何故そのような輩を庇われますの? …流石にお身体だけは丈夫ですわね。――――全て斬り飛ばすつもりでしたのに」
僅かに痙攣し、黒血を地面に摺り付けるゼロと、その場から一歩も動かずに冷たい言葉を紡ぐ一子。あまりにもその光景が現実離れしすぎていて―――一瞬息をするのも忘れた。
「五樹の小細工も必要ありませんでしたわね。全く、能書きばかりで役に立たない男ですこと。出来損ないは所詮出来損ないですわ。あんな子供、何の役にも立ちませんわ」
「「!!!」」
その言葉に、ジンとゼロは同時に我に返った。そうだ、ここにレキが倒れていると言う事は―――――!?
「ネジに何しやがった!!?」
「五樹が搭に連れて行きましたわ、人質として。貴方達の抵抗を奪う為と称していましたが、不必要この上ありませんわね。こうやって――――」


ドシュドシュドシュドシュッ!!


「っ…ぐ、がぁあっ!!?」
「塵!!!」
突然、何十本もの細い糸のようなものが硬質化し、ジンの身体を次々と貫いた。細いながらも身体を貫通された痛みにジンは絶叫し、その場に膝をついた。倒れたまま動けないゼロが、悲鳴のような声で主の名を呼ぶ。
痛みの中でどこかジンは冷静に考えた。先程から美貌の鎧が振るっている武器の正体が漸く解った。
髪だ。彼女―――一子の、足首まで届きそうに伸ばされた髪。その一本一本が、或いは鋭利な刃に、或いは無数の矢になって敵を討つのだ。その事に気づいて戦慄する。こんな攻撃、防げるわけがない。
「抵抗される前に抵抗を奪えば宜しいのに」
全く昂ぶった様子も無く、淡々と語られる言葉にジンは更に戦慄する。この女は遊んでいる。本気になれば一瞬で、自分とゼロの首を飛ばせる!と。
「お父様に逆らう鎧も、お父様以外に鎧を纏える者も、この街に存在してはいけないのです。お父様の為に、娘の私―――一子が、貴方達を排除致します」
ざあ、と風に吹かれて、黒髪が大きく広がる。硬質な凶器と化したそれは辺りの空間に広がり、その射程に入りこむ敵を容赦なく切り刻む。避けることも出来ない必殺のそれが、まずはゼロの方に向かって照準を合わせられる。
「―――ざけ、んなよ。この木偶女」
しかしそれは、はっきりと紡がれた言葉によって止まった。
「―――――何ですって?」
僅かな怒りを瞳に滲ませて、一子がゆっくりと振り返る。その目の前で、ジンがじりじりと身体を起こしていた。両膝に両手をつき、足を震わせながらもしっかりと。
「俺はなぁ…ガキの頃から、『鎧を纏えるのは伯爵だけ』だの、『伯爵以外に鎧は所有できない』だの、散々聞かされてたんだよ。俺だけじゃねぇ、街の奴等もそうだ。それが当たり前で、疑問なんて持たなかった」
「何が、可笑しいのですか?」
一子のその声に、ゼロは身体を軋ませながら主の顔に視線を向けた。確かに彼は―――身体中を刺されて血を流しながらも、その口元を不敵に歪めていた。
「は…これが、笑わずにいられるかよ。そんなん結局みんな、デタラメじゃねぇか。でもってテメェは、そのデタラメの帳尻合わせに使われてんじゃねーかよ」
「―――ッ…それ以上の言葉は、お父様への侮辱と取りますわよ!」
初めて、美しい鎧の顔が、歪んだ。今まで余裕のみを浮かべていた頬が引き攣り、苛烈な瞳でジンを真っ直ぐ睨む。それに更に触発されて、ジンも声を荒げる。
「いっくらでも侮辱してやらァ! 搭に篭って金貪って、テメェらみてーな馬鹿な鎧沢山引っ提げて! その上ガキ攫ってまで嘘の尻拭いやってたら、笑うしか出来ねえっつーの!!」
「…お黙りなさい!!」
激昂。それと共に、ブワッ!!と一子の豊かな黒髪が広がる。その凶器を全てジンに叩き付けようとして―――、がくんと傾いだ。
「ッ!?」
「逃  ゲ炉………、塵ッ!!」
ゼロが、その身体を半壊させ、液状になりながらも、その両腕を一子の足に絡めて動きを止めていた。
「ゼロ!!」
「何故―――ッ、いいえ、いいえ! 私は疑問等持ちません!! 全てはお父様の為に、排除を!!」
一瞬頭を抱え、激しく首を振り、一子は絶叫した。夕日の中、髪が大きく広がり、天に昇り―――――まるで雨のように、地面に向かって降り注いだ。





ズドドドドドドドドドドドドドッ!!!





「!! ぁ…!!」
「……………ッ!!」


二人とも悲鳴をあげる間も無く、全身を黒い雨に貫かれた。びくんと一度だけ、ジンの身体が痙攣して、止まる。
一子は全ての武器を引き、ふらりと一瞬よろめき―――、何もかもを振り捨てるように踵を返し、そこを去っていった。














ぴくり、と黒い指が動いた。
「…ギ、ガガっ…」
ゼロはまだ稼動していた。人間の心臓と同じ役割を果たす核には、攻撃を受けなかった。同じ鎧であるからこそ絶対に知っている弱点を、彼女が確認もせずに見逃していったのはやはり興奮・動揺していたせいだろうとゼロは思った。
こちらも酷いダメージを受けた。あちらこちらの部分が再生不能の為、液状に崩れ始めている。しかしゼロにとって、そんな事はどうでも良かった。
ずる、ずる、と身体が崩れていくのにも構わず、凸凹の地面を這っていく。
「――――ジ、ん…!」
うつ伏せに倒れたまま動かない主の身体に触れ、ゼロは紫色の両の瞳をそれと解るほど見開いた。
温もりが。消えていく。
いつも触れる時に、感じていた暖かさがゆっくりと失われていっている。
「っ、ウぁ…!」
無理矢理肩を押し、ジンの身体を反転させる。僅かに隆起した胸の上には―――、大きな穴が、開いていた。
その奥から、規則正しく脈打ちながら、紅い水を吐き出し続ける穴が―――――。
「―――――――!! ッ、塵…!!」





それを見て。
彼は、はっきりと「思い出した」。



最後の記憶。
真っ赤に染まった水槽の向こう側。
そこに手をついて、あのひとは自分達に呼びかけた。
『お前だって…お前、だって…』
体のあちこちが欠けてしまったあのひとは、体中から紅いモノを流しながら、何故か瞳から透き通った雫を落としていた。
『生きてくれ…生きていいんだ、お前は…バケモノなんかじゃない…生きてくれ…』
ずるずると、あのひとの体が滑り落ちる。沢山の眼を開いて、その姿を収めようとした。
体が崩れていく。何故かは解らない。解ったのは只一つ、このひとと自分達が離れてしまうということだけ。

嫌だ。

嫌ダ。

離れたくない。

壊レタクナイ。

死なないで。

生キタイ。

生きて。

死ニタクナイ。

思考が錯綜し、攪拌する一瞬前、望んだ事は。






ばらばらになってしまったあのひとのからだを、つなぎとめたかった。






「塵ッ…じ、ン…!!」
人間にとって、致命傷であることは解った。もう方法が一つしか思いつかなかった。
ずるり、と身体を持ち上げて、ジンの身体に覆い被さる。自分とそう太さの変わらない首に両手を回し、しっかりと抱き締める。


「――――再生<エぺウル>…!」


発せられたキーワードとともに、べくり、とゼロの胸が縦に裂ける。沢山のベルトとチューブが絡まった体内の中から、じゅるりと何かが滑り出す。
それは、僅かに緑色に輝く、小さな石。
核―――コア・クロムと呼ばれる、鎧の主要動力源。鎧の驚異的な再生能力を司る中心体。チューブに繋がれたそれは、一瞬の遅滞もなく―――ずぶずぶとジンの傷口に差し込まれた。
「ゥ……」
ぴく、とジンの身体が跳ね、再び脱力する。ゼロは覆い被さったまま、動かない。動けない。
ただ只管、待っていた。
自分が顔を押し当てている胸が、もう一度脈動を始めることを。