時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

11:記憶:

「―――一旦核から切り離したのか。無茶するもんだ。再接合がもう少し遅かったら、殆どの細胞が死滅して消失してたぞ」
ゼロの重たい左腕を手に取り、先生は目を眇めて吟味した。見た目は全く普段と変わりないが、先生には解るらしい。
「直せねえの?」
「無理だ。お前俺のことを便利屋と一緒にするな。―――――俺の出来ることなんてそうそう無いんだ」
ちぇ、と唇を尖らせるジンから目を逸らし、先生は作業台に向き直った。
「気長に再生を待つしか無いな。お前の出力なら1日2日あれば充分だろう」
「是」
「なんでぇ、そうなのかよ」
時間割いて損した、とでも言うようにジンが鼻を鳴らす。ゼロは何回か左腕の指を僅かながら動かしてみている。本当にゆっくりとだが、修復はされているらしい。
「―――壱ツ。理戒しタイ湖とが或る」
「あ? 何だよ」
じゃあ仕事行くか、と踵を返しかけたジンの足が、ゼロの声で止まった。てっきり自分にかけられた声だと思ったのだ。しかし振り向くと、ゼロの瞳はひたり、と先生の方に向いていた。
「ん? ああ、何だ?」
驚きもせずに先生が問うと、ゼロは暫し言葉を吟味するかのように僅かに仰のき―――やがてその口を開いた。
「所有シている『記憶』ヲ、本喪ノか偽喪ノか判別すル方方ハ、或るカ?」
「――――何故、そんなことを思った?」
静かな問いに、静かな促しが帰ってきた。
「―――ワタ志が所有シている記憶ヲ、妹達ハ喪っていなカツた」
「、何言ってんだ? そんなん当然だろ、お前以外のヤツが知らないことなんて――――」
「否。ワタ志達が壱ツで或ツた時の、記憶ダ」
ぴくり、とほんの僅かに、作業台の上に置かれていた先生の指が動いた。
「何だ、そりゃ?」
「―――どんな、記憶だ?」
疑問が二つ、同時にかけられる。似たような内容だったので、ゼロは同時に答えを返した。


「―――水槽ノ中。
歪んダ泡。
外の気色。
怯エた貌。
たツた一人の、笑 顔。
そシテ―――――――」


美しく虚ろな紫の瞳に、僅かな炎が灯ったように見えた。


「『絶対に、ここから出してやる』―――――」


其処まで言って、ゼロは口を閉じた。先生は軽く顎に指を当て、何やら吟味しているらしい。ジンはと言えば、先程の自分の問いはどちらかと言うと、記憶の内容よりもゼロの言葉自体の意味を尋ねたかったので、無視されたと感じて不機嫌になってしまった。――――今まで、彼が自分の言葉を無視したことなんて無いのに、と。
「―――お前がそう覚えているのなら、それが真実なんだろう。記憶の改竄が出来るとしても、そんな内容にする必要が無い」
断言された言葉に、ゼロは僅かに肩の力を抜いたようだった。
「跡―――もツト大切な湖とを謂われたヤウな気がスるが、思い出セナい」
「無理に思い出さなくても良い。それは指針であっても、今のお前が従う必要はない」
「な、ぁ―――一体、何の話なんだよ!」
完全に蚊帳の外に置かれていたゼロが、我慢出来ないように声を荒げた。これ以上我慢が出来なかった。ゼロが―――、自分の鎧が、自分以外の存在に重きを置いていることが。
先生は悪いな、と目線だけで謝り、もう一度しっかりとゼロと目を合わせた。虚ろな紫色の瞳の奥に、焦点をしっかり合わせて。
「どんなにそれを重畳しても、それは遺言に過ぎない」
「結イ、魂?」
「そうだ。お前はもう、群体の一部じゃあない。零、という名前の一つの個体だ。今のお前は――――ジンの為に、存在する。そうだろ?」
「「――――――――」」
同時に目を見開き、顔を見合わせる二人に、先生は気づかれない程に小さく笑んだ。
「なっ…ば、先生ッ!!?」
ぐあっ、と顔を赤くして怒鳴るジンと、どう反応して良いのか解らずに硬直するゼロを捨て置いて、先生はこれで終わりだと言うように立ち上がって軽く伸びをし、話を締めくくった。
「だったら、そんな旧世界の遺物に振り回されるな。お前はそのまま、変わっていけば良い。元に戻る必要なんてないんだ」
――――――――お前だってそんなもん、望んじゃいないだろう?
心の中でだけ、そう言葉を続けた。
ここにはいない人に向けて。





ラボから出ると、もう辺りは明るくなっていた。
「……………」
「……………」
何となく、二人とも無言だ。気まずい。耐えられなくなったのは当然ジンの方だった。
「だーっ、くさくさする! 行くぞゼロ! 仕事だ!」
「理解シた」
間髪入れず返って来る返事に満足して、すたすたと歩き出す。後からは当然、規則正しい足音がついてくる。
ゼロは、ゆっくりと思考していた。起動を始めてから一旦廃棄され、再起動するまで、自分の中での再優先するべき存在は、記憶の中のあのひとだった。
あのひとが、全てだった。
あのひと以外を、主と認めたくなかった。
だから伯爵の命に従うことを良しとせず、故障と見なされ廃棄されてしまった。

でも、今は。

目の前を肩を怒らせながら歩いて行く、自分の主を視界に入れる。
再起動して、彼を主だと認識して。
次に思い出すまで、自分はあのひとのことを忘れていた。
寧ろ、ジンの笑顔を見てあのひとの笑顔を思い出した。
そして、今まで知らなかったことばかりが、自分の中に認識されていった。
冷たい黒い血しか流れない自分の身体に、躊躇いなく触れてくる暖かい身体。そこから伝わってくる、命の脈動。熱量の有る食事、有り余る程の言葉や、歌声。
初めて手に入れるものばかりで、戸惑ったけれど。
とても。
とても。


「―――塵」
「んだよ」
「ワタ志は、お前ガ主で『うれしい』」
「んなっ…」
これ以外の表現方法を知らなかったので、そうやって伝えた。
ジンはぱくぱくと口を開閉させ、赤砂に負けないぐらいに顔を赤く染めた。
「あっ…、改まってんなこと言うんじゃねぇ――――――ッ!!」
すぱーん、と銀糸の頭が空まで響く良い音で叩かれた。









「じゃあ〜ん!!」
声と共に、目の前に何かが差し出される気配がして、レキはにっこり微笑んだ。
「触っても良いのですか?」
「うんっ!!」
頷きに後押しされて、そっと手を伸ばす。かなり荒れていて細い指を、赤い靴の表面に滑らせる。
「ぴかぴかなのですね」
「うん! すっごくキレイなの!!」
自分の宝物を褒められて、ネジは心底嬉しそうに笑った。その靴を床に下ろしてきゅっと履くと、それを知らせる為にタンタン!と床を踏んで聞かせた。
「はやくはいておでかけしたいなー!」
「お出かけしたら、ネジちゃんは何をしたいのですか?」
「あのね、あのね…おにいちゃんにはないしょだよ?」
「はい」
恥ずかしそうに潜められる声に、笑って耳を澄ませると、こしょこしょと耳元で吐息と共に囁かれる。
「おにいちゃんの、おしごとのおてつだいしたいの」
「そうなのですか」
ぺたん、と床に座った少女の片足は、身体には明かに合っていない偽鎧が巻きついている。歩きにくい足は、凸凹の多いこの世界では危険を伴ってしまうので、年齢も合わせてジンは迂闊にネジを歩きまわらせることを留めていた。
「おっきくなるのにはもうすこしかかるから…このくつはいたら、もうちょっとうまくあるけないかなぁ?」
自分の足をじっと見て、真剣に語る少女に。レキは、まるで母親のような慈愛の笑みを見せて、小さな少女を膝にそっと抱き上げた。
「ネジちゃんは、良い子なのですね」
「ええー? へへー」
「良い子なのです」
照れ笑いする少女の頭を、優しく撫でてやる。と、ダンダン、と無遠慮なノックの音が安普請のジンの家に響いた。
「おきゃくさま?」
「ネジちゃん、僕が出ます。ちょっと待っててくださいね」
立ちあがろうとするネジをそっと押し留めて、レキが立ちあがる。
この町外れの家に人が尋ねてくることは滅多にない。親しい友人以外は、あまり歓迎したくない税徴収鎧や、盗賊しかやってこない。それはレキも知っているので、足音を忍ばせて玄関前に立つ。
「どちら様なのでしょうか?」
『す、すいません、ネジちゃんいますか?』
「その声は…デイくんなのですか?」
『は、はい!』
その声には覚えがあるし、口調もどもり方も間違いなくジンの友人のものだった。しかしそれを聞き、レキの頭の中に僅かな違和感が浮かんだ。理由ははっきりしないが、先生に改造を施して貰った高性能の偽耳鎧(自分の耳)を信じることにした。
「ちょっと、待っててくださいね…」
さてどうしようか、と思案しようとした瞬間、バチン!と音がしてドアの鍵が壊れる音がした。
「勘が良いなアンタ―――、まぁもう遅いけどな」
ドアの開く音に続き、キュインと小さな音がする。
ぷつり、と自分の首筋に何かが突き刺さった音がした瞬間、レキの意識は途絶えた。






「あー…今日の稼ぎはいまいちだったなー…」
空が段々と砂に似た色に変わっていく中、僅かに重い足を引き摺ってジンが歩く。勿論ゼロも後からついていく。
「まぁあんま搭に近づけねぇからなー」
昨日の今日である。あまり危ない橋を渡るのは暫くよそう、と仲間内で確認した。まぁ本日は強力な荷物持ちが一人いたので、質より量でどうにか稼ぐ事は出来たのだが。
「塵。ワタ志は、役に他テタか?」
「ん…おお。まぁな」
いつになく棘も戸惑いもない、静かで優しい雰囲気だった。しかしそれは、唐突にぎしり、と音を立てて足を止めてしまったゼロによって終わりを告げた。
「何だよ、どうし――――」
ゼロの視線を追って、ジンも絶句した。
自分達の家の前に、一人誰かが立っている。



長い長い黒髪が、僅かな風に流れて広がっている。
白地に赤い花を散りばめたような、滑らかな生地の上着がそれに沿って流れる。
薄布のようなそれに包まれたその身体は、女としての性を強調するかの如く、見事な曲線を描いていた。
思わず縋りついて、そのまま細切れに刻まれてしまうような――そんな畏怖すべき美。
美しい女が一人、立っている。
その女の足元に―――、レキが倒れ臥していた。