時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

That night.

夜。
と言っても、この都市の夜と言えば、天井の照明が暗くなる事を差すのだと、レイから教わっていたが、そうそう違和感はなく受け入れられた。その消え方が凄く自然なのだ、まさしく日が沈んで夕闇になるように滑らかで。このとんでもない街を作った人間は、きっと本当の日暮れを見たことがあるんだろうな、と悠太はぼんやり思った。
八畳ぐらいしかないアジトのスペースも、もう電気を落としていた。自分の隣には、白髪の自分と同じ顔の青年―――ダストが壁に寄りかかり足を伸ばして座ったまま寝息を立てており、反対側の壁近くの机の下には金髪の青年、ヴォーイが寝転がっている。左側の部屋の隅には、残りの毛布で無理矢理作ったベッドに少女二人が並んで眠っていた。唯一のロボットであるシェイドは、ヴォーイの命令で下水道の入り口部分で見張りを続けているだろう。
こんな場所で良く眠れるな、と思ったのだが、彼らにとっては当たり前なのだろうと思いなおして、悠太も目を閉じた。が、眠れない。神経が凄く昂ぶっているのが、自分でも解る。
あんな武器を手に取ったことも、引鉄を引いたことも、始めての経験だった。まだ僅かに、腕が痺れているような気がする。
僅かな高揚感とそれを凌駕する衝撃が、悠太の胸にぐるぐると渦を巻いている。
自分の目の前で、半壊したまま動き出したロボット。それは確かに無表情だったけれど、人間の形をしていたことには違いなく。
それが、自分の指を一本動かすだけで、ばらばらな機械の部品に変わった。
ぞくっ、と背筋が寒くなる。
自分には不釣合いだと思った。
ふと隣を見ると、ダストがその二丁の銃器を膝に抱え込んだまま眠っていた。良く平気だな、とまた思って、すぐその考えを打ち消した。
こうしていた方が安心するんだろう。まるで自分の腕に繋がった物のように、軽々とそれを扱っていたのだから。
野蛮だと思ったし、慣れたくないとも思ったけれど。そうしなければ生きてこれなかったのだろうということもまた事実で。
まだ少し、頭がぐしゃぐしゃしている。
―――――静かだ。
僅かな寝息が聞こえるだけで、他の音など一切ない。
肌寒さが四方から襲ってくるような気がして、悠太は肩を竦めた。
両膝を抱えて、そこに頭を埋めた。
必死に、眠ろうとして。
眠ってしまえば、込み上げそうになる感情を抑えられると思ったから。




「ねむれない、の?」
頭上から小声で話しかけられて、はっと悠太は我に返った。目の前に、簡素なワンピースを着けたグレイの瞳の少女が、ぽつんと立っていた。
「マリン…だったっけ。眠ってなかったのかい?」
慌てて居住まいを正す悠太を、マリンと呼ばれる少女は黙って只見ている。
「おにい、ちゃん」
ぺたん、と悠太の目の前に足を折って座ると、途切れ途切れの声で悠太を呼んだ。普段消え入りそうな大きさの声しか聞いたことがなかったので、この静寂の中でやけに響くその音の綺麗さに悠太は驚いていた。
「ど…して」
「えっ?」
「どぅ、して…おにぃちゃん。がまん、してる…の?」
かけられる言葉の意味が解らなくて、悠太は目をぱちぱちさせた。がまん…我慢、している? 誰が?
「な、何言ってるんだい…?」
ぎくしゃくと視線を逸らす悠太の頬に、そうっと小さな手が伸ばされる。はっとなった瞬間それは頬の消毒パッチに触れていた。
「いたいの、いたいの…とんでいけー」
抑揚が僅かについた、子供の他愛のないおまじない。呆然としている悠太に構わず、マリンは何度もその言葉を繰り返す。
「いたいの…いたいの…とんで、いけー」
表情があまり変わらない、それなのに凄く一生懸命に見える少女が可愛くて、思わず悠太は顔をほころばせた。
「もう痛くないよ。大丈夫」
そう言ってそっと、ぼさぼさの頭を撫でてやる。マリンはそれを拒まず受けとめ…酷く、淋しそうな顔をした。
「いたいときは…ね?」
「ん?」
「いたい、ときは…ないても、いいの」
「――――――」
答えを返そうとして、出来なかった。ひくり、と喉が痙攣した。
「がまん、しなくても…いいの」
こんな小さい子供に慰められている自分が情け無くて、それでも。
「おにいちゃんと、だすと…そっくり、だね」
「うん…そりゃあ、顔は我ながら似てると、思うけど…」
小声で答えると、ふるふるっと髪の長い頭が振られる。
「だすとも、がまんしちゃう、の。いたいのに、がまん…しちゃうの」
「えっ…」
「だすとね…いちばん、いっぱい、けがしてる。でも、しんぱいするなって…いって…がまん、しちゃうの…」
ほろほろ。
ほろほろ。
長い髪の簾から、大きな水の粒が零れていることに気づき、慌てて悠太は身体を起こす。
「おっきいこえ、だして…ないたって、いいのに…」
悲しそうに、ただマリンは呟き続ける。泣いているのは自分のはずなのに、その言葉はまるで聞き分けのない子供に対する慈愛のようで。
悠太はどうしていいか解らずに、もう一度少女の頭を撫でた。
「おにいちゃん…いつか、かえっちゃう? おにいちゃんのいたばしょに…」
「それは…」
「たいせつなこと…わかってる…でも、…わたしは……」
「マリン…?」
そこで漸く気がついた。マリンの涙に濡れた灰色の瞳は、悠太ではなく、どこかそこを通りぬけた別の場所を見ている。
「しにたくない…」
「マリ…」
「しにたく、ない、よぅ…」
ほろほろほろ。
ほろほろほろ。
どんどん増え続ける涙は、マリンの膝を濡らし続ける。
悠太はただ、黙ってみていることしか出来ず…
「マリン」
第三者の声が、少女を呼んだ。はっとなってマリンが後ろを振り向くと、そこにはいつ起きたのか、柔らかい笑みを浮かべたレイが立っていた。
「また…怖い夢を見たの?」
「お…ねぇ、ちゃぁ…」
こくこくと頷きながら、マリンはそちらに手を伸ばす。過たず、それをしっかりと受けとめて、レイはその歳にしては豊かな胸に濡れた顔を埋めさせた。きゅうっとしがみ付くマリンをとてもいとおしそうに抱き締め、呆然としていた悠太にウィンクする。
「ごめんね、起こしちゃったかしら?」
「い、いや…起きてたんだ。そしたらその子が―――」
「マリンね。時々こうなるの」
そうっと腕の中で震え続ける少女を抱き締め、レイは悠太の隣の壁に背を落ちつけて座った。
「夢を、見るんだって。自分が死ぬ時の夢」
「死ぬ時の…って」
「いつも同じ。ここ(アジト)じゃない、どこか別の場所で。私と一緒に皆の帰りを待ってると、突然沢山のリバイブに襲われるんですって。それで、自分が………変な水の中に落とされて、自分の身体が溶けて骨だけになっちゃうのを…見るんだって、夢の中で」
途中で言葉を一旦切り、腕の中の少女が既に眠っていることを確かめてから、かつて彼女から細切れに聞いた恐ろしい夢の内容を悠太に話して聞かせた。確かに聞くだけで、子供のトラウマになっても仕方のない夢だと思う。
「この子ね、昔から…なんて言うか、凄くカンが鋭くて。あの子の見てる方向に行ってみたら手付かずの食料庫があったとか、そんなことは良くあってね。そのおかげで助けられたことも、一度や二度じゃないの」
「それって…」
信じられない、と悠太は目を瞬かせる。そんな「予知能力」みたいなものなんて悠太は元々信じる気が起きるものではなかった。
「信じられない? でもね、ラグランジュもそんな夢みたいな力を信じてるみたい。そんな素質がある子供を、集めてるんですって。…マリンも狙われてるかもしれない」
「えっ!」
「しーっ、声大きいよ」
「ご、ごめん…けど」
「攻撃を受ける時だって、マリンと一緒だとあいつら絶対に銃を使ってこないのよ。近づいて捕まえることに躍起になるみたい。まぁ、確証はないけど、ね。…だから」
そこで言葉を切り、腕の中で眠り続ける幼子の頭をそっと撫でて。
「もしかしたら―――、本当かもしれない。マリンの見る夢って」
「そんな…」
何か慰めの言葉をかけようと思って、どれも薄っぺらくなるから止めた。実際自分の常識で計れない世界であるここで、自分の「常識的な話」が通用するとは考えにくい。
「だからって、諦めたわけじゃないのよ、私。この子だけは、どんなことがあったって、守って見せるわ」
言葉に詰まってしまった悠太をどう思ったのか、レイはもう一度少女を抱き締めて笑った。
「どうして…」
「え?」
「どうして君は…いや、君達は。そんなに強くなれるんだ…?」
自分の膝を抱え込んで、我知らず震える声で悠太は問うた。
「絶望、しないのか? 自分の力が絶対届かないモノに立ち向かうのに」
この街を支配するコンピュータに立ち向かうダスト。
未来に不安を抱きながらも、仲間を守ることを誓うレイ。
そして、自分も悲しみと恐怖に押しつぶされそうなはずなのに、悠太を慰めたマリン。
どうして、そんなに強いんだろう。
自分には―――とても出来ない、と思ったから。
「…私ね。運命って言うのは、すごぉ…く大きな水の流れみたいなものだと思うの」
「運命…?」
「うん。凄く大きいから、流れに逆らったりすることは出来ないの。でもその代わり、その中でどんな泳ぎかたをしようが、自由なの」
不思議な例え話を続けて、レイはまた笑顔を見せた。
「だからね、私、力一杯もがいてみようと思ったの。泳ぎの綺麗さとか、早さとか、そんなのお構いなくね。だって、私がそうしたいんだもの。そうしないと、悔しいんだもの。それ以外の理由なんてないわ」
「!!」
はっとなって、隣の少女の顔を覗きこむ。
「みっともないとか、沈むかもしれない…って思ってたら、何にも出来ないような気がするの。…あれ、なんか変になっちゃったかな。ゴメン、判りにくかったよね」
自分の言葉に照れて頬をかくレイに、悠太は黙って首を振った。
自分の心が思うまま。
そんな風にすることが恥ずかしいと思い始めたのはいつだろう?
自分を曝け出すのが怖くて、上っ面だけ取り繕って、意味のない笑顔ばかり浮べて。
それが当たり前になって、がむしゃらなんて格好悪いと思い続けて―――
気がついたら自分は、何になっていた?
何も出来ない、何も言えない、只の空っぽな人間にしかなれていなかった。
―――18年間生きてきて、自分がこんなものにしかなれていなかったことに気づいて、恥ずかしくて、情け無くて―――――
ぽつり。
「…ユータ?」
涙が、零れた。
人前で泣くなんて、何年振りだろう。
それでも。
恥ずかしかったけれど。
情け無かったけれど。
「…いいよ、泣いても。そうだよね、ユータは本当はこんな風にならなくたって、幸せに生きていけたんだもんね。辛くて当たり前だよね。いいよ、誰も見てないから…泣いても、いいよ」
力に満ちているこの人達が、酷く羨ましくて。
マリンと同じく、自分を甘えさせてくれるレイの言葉が嬉しくて。
それでも顔を見せたくなくて、悠太は膝の間にまた頭を預け、誰にも聞かれない僅かな嗚咽を洩らし出した。