時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

The mother's death.

沢山の銃声が聞こえた瞬間、脱力してしまったヴォーイの身体を2人で無理やり持ち上げ、細く長い階段を上りきった。
「はぁっ、はぁっ、はぁ…っ」
「はー…はぁー…」
お互い言葉を話す空気の余裕がなく、目線だけで会話をする。ドアのノブにダストが手をかけ、お互いに頷くと、バン! と扉を蹴り開けた。
僅かに、風を感じた。それと同時に、異臭。
「う、ぐ?」
喉の奥がぐうっと持ち上がってくるような不快さに、悠太が呻く。とろとろと何か油のようなものが路地から階段に流れ込んでくる。
「ぅ、わ、あぁあっ!」
それが靴に当り、真っ赤な染みを作るのを見て、悠太は切れ切れの悲鳴をあげて足を持ち上げて逃げようとした。しかしあっという間にその赤い油は周りの床に広がり、階段を流れ落ちていった。
「なに…なんだよ、これ…」
がくがくと震える悠太を一瞥し、ダストはごくりと一つ喉を鳴らすと、ためらいを振切るように外に出た。

――――――そこは、地獄だった。

「ひっ……!!」
ダストの後ろから恐る恐る顔を出した悠太が悲鳴をあげ、目を逸らす。
「見ろユータッ!!」
それから逃がさないとでも言うように、間髪入れずにダストが叫ぶ。
「うっ…ぐ、ぇっ! うぁあげぇっ!!」
弾かれたように視線を戻すが、我慢できずに悲鳴と共に嘔吐いた。頭が痛くなる程の錆の臭いが、辺りに充満している。臭いの元は、路地裏のあちらこちらに転がっている肉片。肉片としか言えない、ヒトノカラダ。四肢が満足に胴体にくっついているものは、殆ど無かった。もしあるとしても、それは頭が粉々に踏み砕かれていた。
虐殺、という言葉では足りない。駆逐だ。相手には「命を奪う」という意思さえ無い。動くものを壊して二度と動かないようにするただの行為。
「見ろ…これが現実だ」
ぎり、とダストが両の拳を握り締める。指の間から地面のものと同じ色の液体が流れ出た。
「俺達の命なんざ、ゴミ以下の以下だ! リバイブだって壊れたら回収されるっ、俺達にはそれもない! 使い捨ての、役に立たないただのモノでしかねぇんだよっ!!」
魂が捻じ切れるほどの憤慨が、絶叫に変わった。
「う…う…ッ、れ、レイ…は」
胃の中のものを全部吐き出しても吐き気がおさまらない悠太が、のろのろと問い掛ける。それに弾かれたようにダストは振り向き、舌打ちを一つして赤い沼の中を走り出した。
「うー…ぇっ」
追いかけたかったが、悠太にはもう耐えられなかった。よろよろと辺りの、少しでも血飛沫の少ない壁を選んで凭れかかる。膝が笑って今にも腰が抜けそうだが、必死に堪えた。一度地面に触れたら、飲み込まれそうだったから。
「な…に、なにがあった…?」
「…ヴォーイ」
虚脱状態のまま血みどろの床に足を投げ出して座り込んでいたヴォーイが、漸く意思を取り戻したらしい。その声はか細くいつもの張りはどこにもない、怯えた子供のようであったけれども。
「解らないよ…なんなんだよこれ…! こんなこと、ありっこないっ…!」
泣きたかった。恐ろしくて。あまりにも現実離れしすぎている光景なのに、確かにこれは現実で。あの夜の自分の台詞を恥じた。こんなにも理不尽で恐ろしい世界で、彼らはずっと生きてきたのに。
ぴしゃ、ぴしゃ、と足音がする。はっとなってそちらを振り向くが、そこにはダストが一人で立っていただけだった。ただでさえ色の白い肌を、これ以上無いほど青ざめさせて。
そしてその背中に、自慢の綺麗な青い髪を、半分以上真っ赤に染めた少女を背負って。





足が熱線でずたずたにやられていた。顔にも掠ったのか、瞼が焼け爛れて開く事も出来ないらしい。まだ息があった。ひゅう、ひゅう、と小さい吐息ではあったが、確かに息をしていた。
三人は開き直って、駆逐現場から一番近くの半地下にある避難場所に滑り込んだ。危険はどこにいても一緒だったので、水が使えるところを選んだのだ。濡らした布切れをそっと瞼に当ててやると、ぁ、と小さい声が喉から漏れた。
「レイ!」
「痛かったかい、ごめん!」
「しっかりしろ!」
三者三様の呼び声に、彼女は驚いた事に、口の両端を持ち上げて見せた。
「ゆー…た? ダスト、ヴォーイ…みんな、いる?」
「ああっ、大丈夫だ! 皆無事だ!」
みんな、の声に一瞬止まった悠太とヴォーイを尻目に、ダストは快活に言葉を紡いだ。
「ごめ…ん…目が見えないの…あけられない…」
「気にすんな。もう大丈夫だからな、安心しろ!」
「ん…マリンが…」
レイの口から出た名前に、三人は一瞬戦慄する。そうだ、彼女と一緒にいたあの幼子の姿が見えない。
「マリン…連れてかれちゃったの…あたし、がんばったんだけど…顔やられて、動けなくなっちゃって…あの子、まだ生きてる、絶対に生きてるから…お願い…お願い、助けてあげて…」
「そう、か…あぁ、解った任せろ、俺達が必ず助けるから!」
「その後、あの路地にみんな追い詰められて、一気に…怖かったけど、平気だったよ…みんなが、助けにきてくれるって…思ってたから…」
「あ――ぁ、解ったから、解ったからもう喋んな。なっ? ゆっくり休んどけ」
「ごめんね…マリン……ダスト、ヴォーイ、ケンカばっかり、しちゃ、だめだよ…そうだ、シェイドにも…伝えて…疑っちゃって、ごめん、って…」
「なん、だよ…おい、しっかりしろって!」
声が少しずつ、途切れて掠れていく。不安を掻き立てられたダストが声を荒げるが、レイは笑ったままだった。
「ユータ…かならず、帰ってね…あなただけ…でも…しあわせに…」
声が止まった。きっとまだ続くはずの言葉が、聞こえない。
「…レイ?」
ひくり、と悠太の喉が疼いた。
「――――っくしょう!!!」
立ち上がり、天を仰いでダストは絶叫した。
「なんで…なん、で…」
ずるずると壁を背に座り込んだヴォーイは、両膝を抱えてうずくまってしまった。
なんて理不尽。なんて残酷。なんて、恐ろしい――――そんな怨嗟が、三人の心に渦巻く。答えなど出ない、一番恐ろしい現実。つい昨日、否先刻まで、一緒に生きて、笑って、食事をしていたはずの人間が、今全く別のものになって目の前に転がっている。もうどこにもいない。あまりにも辛すぎる喪失。それを受け止めるには、何もかもが足りない。強さも、温もりも、―――時間も。
最初に動いたのは、ダストだった。
「…見張り行ってくる」
それだけ呟いて、外に出ていこうとする。
「ま、待てよ。レイをこのままにしておくのか?」
何故か涙の出てこない自分を叱咤しながら、自然と詰るような言葉になってしまったことを悠太は反省する。死者の弔いなど出来る状態ではない事は悠太にも解っているのだ。
「荷物にしかならねぇ」
「ッ―――」
しかしダストのその言葉は、悠太の神経をささくれ立たせるのには充分な威力だった。それ以上に、ヴォーイにも。
「何だよその言い方はっ! お前レイが死んでっ、悲しくないのかよ!」
「るせぇぞ。八つ当たりする暇があんなら動け」
「ざけんな! お前っ、お前がっ、シェイドだって見捨てたくせに―――!!」
「―――――んだと?」
涙を零しながら訴えられた言葉に、ダストの目がきゅっと眇められる。
「な、なんだよっ、図星か!?」
「もう一度言ってみろ…!!」
ダガン! とダストが膝立っていたヴォーイの襟首をつかみ無理矢理引き上げ、壁に押し付けた。
「や、め―――やめろって! 今はそんな事してる場合じゃ、ないだろっ!」
咄嗟に、悠太が間に入りこむ。案外あっさりと腕は解かれた。本気でなかったというよりも、二人とも気力が続かなかったらしい。ヴォーイはまたずるずるぺたん、と部屋の隅に腰を落とし、ダストは唇をかみ締めたまま踵を返した。
「お、おい…」
二人を見比べ、少し悩んで結局悠太はダストの後を追った。